宮崎台バーズ戦、後編である。前編まだの方は下の「てるてる坊主」から読まれることをお勧めしたいわけで。ふたつ同じ日曜に書いたんであるが、時系列的にはあっちが先の記述なんである。
それにこのブログ結末は、終盤に自分でも思わぬ着地点に行ってしまったのであるからして....。
フレンズは今年ものすごく久しぶりにBチームを作った。Bと言っても事実上4年生以下のメンバーに5年生二人のもの。残りの5年生はAである。これをABの違いであると思い込んで来た節がある。まあ、無理もない、うちがBを正式に発足させたのは明治大正以来だから。しかし、本来の宮前連盟のくくりでのBチームとは新名称「ジュニアの部」となって「5年生以下」のメンバー、つまり6年生を除いた全員で構成されるものだ。それぞれのチーム事情でABの住み分けは多種あるのだろうが、一口にBチームと言っても先の5年ふたりだけの区分によるものと、来年のAを見据えた6年生以外での5年全員が対象となるBとがある。
更に今度はオレンジボールなどもあるから、ますます混乱しちゃうこともあるだろう。
「明日はBの試合」と言っても受け取る側と発信する側とにこのような温度差があるかもしれない。互いに歩み寄る姿勢がほしいわけで。
この場を借りてチーム内で理解が深められれば良いのだが...。
マウンドはバーズKijimotoくん、FはHajime。Hajimeの球は打っても投げても見た目どうり「重い」んである。芯を食った打球はまるで火を吹く鉄球なんである。
2番手はUsuiくんとShohgoの投げ合い。
互いにメンバー構成に学年の差があるためか、試合はFの一方的な展開、B安打2本、Fは6本。勝ったほうも負けたほうも四球エラーのてんこ盛りである(^-^)
アニメ映画「トイストーリー」の主役バズ・ライトイヤー。ダジャレが浮かんだ。
「バーズのライトは嫌〜ん」
ライトにはOgawa監督のお孫さんOgawaくん、センターにはKawataさんの息子さんKawataくん、そしてレフトにはTakahashiくんの弟くんなんであった。
ウルフのOgasawara監督のお孫さんなども活躍しているし、宮前少年野球もそれだけ歴史を重ねて成熟してきた証拠であろう。
知ってる人は知っている。Takahashiくん、なんと兄貴のYuutaくんにそっくりなことか。
その立ち姿、仕草、持ってる雰囲気が今中学生になった兄貴にとてもよく似ているんである。レフトから少年らしい大きな声を飛ばしていたのが印象的だった。
写真を編集していてふと思った。
このTakahashiくんの背番号はおばあちゃんに縫い付けてもらったものなのだろうかという些細な疑問が浮かぶ。
数年前に母をガンで亡くし、今年に入って間もなく父も帰らぬ人となった。記録的な大雪の中での葬儀は今でも鮮明に記憶に残っている。
そんな故高橋さんのことに想いを馳せていると、いつのまにかキーボードの前に透明の幕がゆるゆると降りてきて、しばらく文章が書けなくなった。
今日のこのブログ、天上の夜空のどこかで高橋夫妻が仲良く見ているような気がしてきた。あなたとは本当に一緒に酒が飲みたかった。
宮崎台バーズのチームの愛情にも育てられ、あなたの息子さんは半年でこんなに大きくなったよ。Yuutaくんも中学野球部で元気に頑張っているそうだ。
これからも残してきた二人の息子と宮前の少年野球を、そこの高みから見守ってやって下さい。
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2014年9月7日日曜日
てるてる坊主
電波時計の目覚ましを6:30にセットし寝床についた昨日の夜は雨がざぶざぶ降り始めていたんであった。窓を開けると寒い、閉めると蒸し暑い、そんな季節である。
今朝目覚めれば案の定まだ小雨模様。試合が出来るかどうかは微妙なところ。試合は出来る程度の雨だが、グランドが荒れることは火を見るよりも明らか。施設開放の規約からすれば小学校のグランドでは到底無理だろう。しかし、中止だろうと思ってタカをくくって二度寝し痛い目にあったことは過去に多数。よって眠い目をこすりながら煙草を無意味にふかす。8時頃やっと中止のメールが回って来た。
その間、例によってフレンズからLINEが来た。Nakamuraオヤジからだった。
午後は低学年の試合が予定されており、子どもらは楽しみにしていたらしい。それでこんなてるてる坊主の写真。どうにもこうにも微笑ましい。筆者の息子も娘も大きくなり独立結婚して家には同居しておらず、てるてる坊主なんて実に何十年ぶりかで見たんであった。
練習試合VS宮崎台バーズ、A+Bなんである。といってもこれは先週のこと。溜め込んだ写真を今日やっと編集し終わった。もし雨でなければブログ掲載の日の目を見ることはなかったかもしれない。雨で流れるのは試合だが、雨で沈みかけたブログネタが濁流から救出されることはあるんである。
先発バーズは長身で超小学生級のSaitsuくん、フレンズはHiro。
試合前に円陣を組むのはいいが、大勢になったせいか、おむすび型に。これはまるで昔のマツダのロータリーエンジンみたいだ。円陣だけに...。
Kawata代表と話した。故Takahashiさんの長男くんの話を訊いたら、中学でもうすでに背番号をもらってキャッチャーとして抜擢されてるらしい。嬉しいことだ。
主審はTakaiさん。発声がはっきりしてるのでスコアラーには助かる。ごくまれにいるが声の小さいアンパイヤーにはイライラすることがあるのだ。
主審Takaiさんと主将でトップバッターのTakaiくんのツーショット。少年野球ではよくある光景である。
バーズのフラッグは相当年季の入ったものである。筆者かなり昔からこの手作り風団旗の記憶があるわけで。その横には新しくなったフラッグがもうひとつ掲げられていた。
試合は7:1でフレンズ勝利。しかしなんである。Bの安打数3に対してうちは2本。貧打も甚だしい。Bの失点の多くは四死球失策であった。ひとつ間違えばうちの負けパターンでもある。勝ってカブトの、であった。
このあと普通なら「晴耕雨読」はBの試合に突入であるけれど、一度ここでアップしちゃおうと思う。余裕があればのちほど引き続きBチームなんである。
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2014年9月4日木曜日
2014BBQ大会本編
やっとこさっとこ、すっとこどっこいの思いのBBQ大会ブログアップなんであった。
写真が多すぎるので編集に手間取り、こまどり姉妹。不本意ながらいつもの長文ブログではなく、写真にコメントを入れるカタチで書いてさっくり、ざっくり、ザックJAPAN。先日医者に寝不足を解消しなきゃダメですと言われた身。天の邪鬼な筆者、それならばと人間寝不足で寿命が縮むかどうかを、新ワクチン発明のために自身の腕に注射を刺す孤高の医師のように自ら実践せねばと、今晩も睡眠不足をも顧みず、命を削るような執筆時間が始まるのであった。
なーんてね。
写真へのコメントを付けて極力簡便に進める所存である。
まずは鉄板に肉野菜魚介類がてんこ盛りの各小屋を活写しちゃう。筆者は食って飲んでの合間を見ては遊撃機に乗り、あちこちを俯瞰してシャッター爆撃したんであった。
みな実にいい顔してるわけで。
左上は我がフレンズの母美女軍団たち。このあと例によってNatsuki2014年フレンズ母マネージャーが大暴れすることになる。右下は「長老組」「ベテラン組」「重役席」「重鎮参謀席」「役員室」とでも言えば良いか、母たちが入れ替わり立ち替わりやって来ては、飲み食いし笑いを振りまいてくれた。筆者の定位置はここである。
魚のつかみ取り大会の始まりである。低学年と高学年に分かれてバシャバシャ。
「獲ったどー!」
この小さな池では所狭しとはしゃぎまくり、老若男女みなずぶ濡れ大会なんであった。
前々回ブログでも動画でアップしたけれど、Natsuki母のパフォーマンス炸裂であった。
Natsuki&Kei。
ここ清川村のBBQ施設は超満杯であったが、すぐ横には清流が流れて子どもも大人も川遊びに余念がない。筆者もカメラを持ってなければ、ざんぶと川に飛び込み、過ぎ行く夏を惜しむかのように、盛大な水しぶきをあげていたに違いない。
何しろ綺麗だった。こんな自然の清流で川遊びが出来ることは、人生の楽しみのベスト10に入るかもしれない。
思い思いの体(てい)で童心に帰るオトナたち。
帰路の途中、すぐ近くの宮ヶ瀬ダムへ。
ダムと言えどもここは広大な観光地でもあった。飲食店が立ち並び遊歩道が設置され、大階段下には東京ドーム1000個分の緑。
緑の地べたに寝転ぶと、ほどなく睡魔が襲ってきた。15分(?)ほど爆睡しちゃったわけで。仕事中の居眠りから目覚めた時は最低の気分だが、ここは最高の覚醒気分なんであった。なんとも実に気持ちいい。
一時期、女子高生が元気玉を発射して大勢が爆風に飛ばされるみたいな、iPhoneでせええのでジャンプして撮った写真が大流行したが、これはKei&Natsuki&Akaneのお転婆三人娘の写真。Kei母からLINEで送られてきたものを流用。なかなかの高い精度の写真が撮れているではないか。彼女らがこれを撮ってる頃、筆者は緑の風を満身に浴びながら爆睡中であった(^-^)/
半月後は女子野球QueensのBBQ大会が待っているんである。
今年は広報部長としてあまり仕事をしていないので、是非参戦し詳報を伝えようと思うのであった(^-^)/
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なーんてね。
写真へのコメントを付けて極力簡便に進める所存である。
まずは鉄板に肉野菜魚介類がてんこ盛りの各小屋を活写しちゃう。筆者は食って飲んでの合間を見ては遊撃機に乗り、あちこちを俯瞰してシャッター爆撃したんであった。
みな実にいい顔してるわけで。
左上は我がフレンズの母美女軍団たち。このあと例によってNatsuki2014年フレンズ母マネージャーが大暴れすることになる。右下は「長老組」「ベテラン組」「重役席」「重鎮参謀席」「役員室」とでも言えば良いか、母たちが入れ替わり立ち替わりやって来ては、飲み食いし笑いを振りまいてくれた。筆者の定位置はここである。
魚のつかみ取り大会の始まりである。低学年と高学年に分かれてバシャバシャ。
「獲ったどー!」
この小さな池では所狭しとはしゃぎまくり、老若男女みなずぶ濡れ大会なんであった。
前々回ブログでも動画でアップしたけれど、Natsuki母のパフォーマンス炸裂であった。
Natsuki&Kei。
ここ清川村のBBQ施設は超満杯であったが、すぐ横には清流が流れて子どもも大人も川遊びに余念がない。筆者もカメラを持ってなければ、ざんぶと川に飛び込み、過ぎ行く夏を惜しむかのように、盛大な水しぶきをあげていたに違いない。
何しろ綺麗だった。こんな自然の清流で川遊びが出来ることは、人生の楽しみのベスト10に入るかもしれない。
思い思いの体(てい)で童心に帰るオトナたち。
帰路の途中、すぐ近くの宮ヶ瀬ダムへ。
ダムと言えどもここは広大な観光地でもあった。飲食店が立ち並び遊歩道が設置され、大階段下には東京ドーム1000個分の緑。
緑の地べたに寝転ぶと、ほどなく睡魔が襲ってきた。15分(?)ほど爆睡しちゃったわけで。仕事中の居眠りから目覚めた時は最低の気分だが、ここは最高の覚醒気分なんであった。なんとも実に気持ちいい。
一時期、女子高生が元気玉を発射して大勢が爆風に飛ばされるみたいな、iPhoneでせええのでジャンプして撮った写真が大流行したが、これはKei&Natsuki&Akaneのお転婆三人娘の写真。Kei母からLINEで送られてきたものを流用。なかなかの高い精度の写真が撮れているではないか。彼女らがこれを撮ってる頃、筆者は緑の風を満身に浴びながら爆睡中であった(^-^)/
半月後は女子野球QueensのBBQ大会が待っているんである。
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有馬フレンズOB、宮前Queens、宮前区少年野球連盟のブログを通じた広報担当です。写真と文章のブログ、たまには個人的日々雑感も。
2014年9月3日水曜日
三者三様BBQ大会
BBQ大会のブログは、まだまだなんであった。その道のりはチョモランマ(=エベレスト)登頂ほどの困難さが予想されるんであった。
月曜は若干頭がぼーっとしつつも仕事を粛々とこなす。夕方5:00からクライアント兼かつての会社時代の後輩と仕事の打合。鷺沼駅前の居酒屋で飲みながら。仕事の話小一時間のあとはがんがん飲みに突入。帰宅したのは深夜2:00。
当然翌火曜は朝から仕事するもやはり頭はぼーっとしちゃうわけなんであった。
だからブログは写真編集すらまだなんである。
しかし今日はこれだけアップしようと思うわけで。
BBQでは家族まるごとの参加が多かった。夏のちょっとした家族のレジャーにもなったはずだ。Yanagisawa代表は車中で無理矢理へんてこりんな帽子をかぶらされたらしい。しかし妙に似あっちゃうから不思議。
うちのマーゴMinamiとほとんど変わらぬ歳の、KukuとSaki。可愛いもんである(^-^)
これはBBQ会場の入口にあったタヌキの置物前で撮ったもの。こいつトトロに似ていなくもないと思うのは筆者だけではあるまい。
TakenakaオヤジとOhmoriオヤジとタヌキの三者太鼓腹の競演なんである。
iPhoneを構えていると、三人の差が分らなくなり、誰が誰だか分別つかなくなるのであった。股間のブツの大小優劣は筆者の預かり知らぬところである。(^-^)
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月曜は若干頭がぼーっとしつつも仕事を粛々とこなす。夕方5:00からクライアント兼かつての会社時代の後輩と仕事の打合。鷺沼駅前の居酒屋で飲みながら。仕事の話小一時間のあとはがんがん飲みに突入。帰宅したのは深夜2:00。
当然翌火曜は朝から仕事するもやはり頭はぼーっとしちゃうわけなんであった。
だからブログは写真編集すらまだなんである。
しかし今日はこれだけアップしようと思うわけで。
BBQでは家族まるごとの参加が多かった。夏のちょっとした家族のレジャーにもなったはずだ。Yanagisawa代表は車中で無理矢理へんてこりんな帽子をかぶらされたらしい。しかし妙に似あっちゃうから不思議。
うちのマーゴMinamiとほとんど変わらぬ歳の、KukuとSaki。可愛いもんである(^-^)
これはBBQ会場の入口にあったタヌキの置物前で撮ったもの。こいつトトロに似ていなくもないと思うのは筆者だけではあるまい。
TakenakaオヤジとOhmoriオヤジとタヌキの三者太鼓腹の競演なんである。
iPhoneを構えていると、三人の差が分らなくなり、誰が誰だか分別つかなくなるのであった。股間のブツの大小優劣は筆者の預かり知らぬところである。(^-^)
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2014年9月1日月曜日
序章BBQ大会2014
土曜日は宮崎台バーズA+Bチームの練習試合があった。これを書かねばと思う間もなく、今日はフレンズ恒例2014年BBQ大会が神奈川県清川村であったんである。本日は速攻こちらを書くつもりであったけれど、いかんせん帰りの車で爆睡したにもかかわらずどっぷり疲れてしまった。明日月曜の夜も打合後クライアントとの飲み会があるんである。よってしばらくお待ち下されまし、なんである。
集合写真だけアップしちゃおうと思う。
子ども選手27名に対して妹弟、コーチ父母たち合わせて総勢74名の参加。フレンズ史上最大のイベント参加率を更新しちゃうんであった。
いやはや楽しく良い一日であった(^-^)
ついでにもう一発。
世界中で賛否の物議をかもしてる、氷水をかぶるパフォーマンスのアレ。
こちらは啓蒙活動とは一切無関係である。単に面白可笑しくやってくれた母らに拍手。
詳報ブログは数日後なんである。
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集合写真だけアップしちゃおうと思う。
子ども選手27名に対して妹弟、コーチ父母たち合わせて総勢74名の参加。フレンズ史上最大のイベント参加率を更新しちゃうんであった。
いやはや楽しく良い一日であった(^-^)
ついでにもう一発。
世界中で賛否の物議をかもしてる、氷水をかぶるパフォーマンスのアレ。
こちらは啓蒙活動とは一切無関係である。単に面白可笑しくやってくれた母らに拍手。
詳報ブログは数日後なんである。
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2014年8月27日水曜日
それでも懲りない男たち
しかし甲子園が終わったとたんに、この寒さはいったいどうしたものだろう。
まだまだ残暑はこれからが本番だし、たまたまこの時季に雨が重なり低気圧が停滞してるだけに過ぎないのは分っているけれど、あまりに甲子園の終演とこの寒さが偶然重なったために、どこか「脱力感」「やり終えた感」「達成感のあとの虚無感」「祭のあとの寂寞(せきばく)感」みたいなものが、身にまとわりついて離れないと思うのは筆者だけではあるまい。
このまま夏が終わってしまうんではたまったものではない。約束が違うではないかと、日本の四季の神様に抗議しちゃうのである。
それでも今年も甲子園は終わったのは事実。しかし、野球を愛する野郎どもは健在だ。小中高大、社会人に至るまで。思うに筆者のようなサッカー小僧だった野郎が、オトナになってからも草サッカーやフットサルに興じるのは少数派であろうと思う。他のスポーツにおいてもオトナになってからも若い頃やっていたスポーツを継続している人は少ないと思う。
しかし、例外がある。
ひとつは女性のバレーボール。いわゆるママさんバレーだ。パパさんバレーチームなんて聞いたことないわけで。うちのフレンズにもバレー熱が感染し、今では5人がバレーをやっている。年齢に応じたプレーが出来ることと、のっけから家庭婦人バレーボール連盟、通称「家婦連」がしっかりと歴史を支えているから今があるのだろう。なにしろ「家庭婦人」なんてネーミング、いかにも昭和の匂いが濃いのである。それだけ歴史があるのだろうと思う。
もうひとつは、言わずもがなみなさんの大好きな野球である。オトナの草野球がこれだけ盛んな国はないであろうと思う。
うちのYanagisawa代表を始め、チームには何人かいるわけで。今ではBのTomioka監督はこの世から野球とチョコレートがなくなれば3秒で窒息死してしまう大バカ野郎なんである。「野球馬鹿」と書くと「野球しかしてこなかったがために、勉強がおろそかになったお馬鹿な人」ということになってしまうのだが、「野球バカ」と書くととたんに「野球を愛するがゆえに一生涯野球とつき合っているオトナの野郎ども」という解釈になるんである。
もう一人の「野球バカ」がいる。
フレンズ前監督のSatohくんだ。彼は筆者の息子の2個上で、フレンズOB選手。ずーっと野球を続けてきた真性野球バカである。高校野球部時代に肘を壊し、また社会人になりたての一時期にまた肘をやって、当時勤めていた職場が腕を使う仕事だったため、やむなく離職し、その後肘の手術をし見事に社会復帰したんであった。ほどなくしてフレンズコーチとなり監督まで務めたのである。彼のノックはYanagisawa代表の芸術的ノックに追随するほどの腕前なんである。ヤツのノックの凄さは技術的な精度の高さもさることながら、子どもたちのモチベーションをマックスまで高めて上げられることなのだ。これが出来る少年野球野球コーチはそうはいまい。但し試合中に怒鳴る口の悪さには批判があったものだが。しかしまあ、今は昔なんである(^-^)。
彼は今、病院務めなんである。その彼から先日LINEで写真が送られてきた。
「神奈川県病院協会二部野球大会」
横浜労災VS川崎幸で見事彼の率いる横浜労災が優勝しちゃったんである。
先日は準決勝が行われVS藤沢市民病院戦で11:7で勝ち上がってきての、この優勝なんであった。
野球バカは他のチームにも全国にもはびこっているんであった。
オトナになっても懲りずに、これだけの魅力を擁しているのが、野球というスポーツなんであった。
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まだまだ残暑はこれからが本番だし、たまたまこの時季に雨が重なり低気圧が停滞してるだけに過ぎないのは分っているけれど、あまりに甲子園の終演とこの寒さが偶然重なったために、どこか「脱力感」「やり終えた感」「達成感のあとの虚無感」「祭のあとの寂寞(せきばく)感」みたいなものが、身にまとわりついて離れないと思うのは筆者だけではあるまい。
このまま夏が終わってしまうんではたまったものではない。約束が違うではないかと、日本の四季の神様に抗議しちゃうのである。
それでも今年も甲子園は終わったのは事実。しかし、野球を愛する野郎どもは健在だ。小中高大、社会人に至るまで。思うに筆者のようなサッカー小僧だった野郎が、オトナになってからも草サッカーやフットサルに興じるのは少数派であろうと思う。他のスポーツにおいてもオトナになってからも若い頃やっていたスポーツを継続している人は少ないと思う。
しかし、例外がある。
ひとつは女性のバレーボール。いわゆるママさんバレーだ。パパさんバレーチームなんて聞いたことないわけで。うちのフレンズにもバレー熱が感染し、今では5人がバレーをやっている。年齢に応じたプレーが出来ることと、のっけから家庭婦人バレーボール連盟、通称「家婦連」がしっかりと歴史を支えているから今があるのだろう。なにしろ「家庭婦人」なんてネーミング、いかにも昭和の匂いが濃いのである。それだけ歴史があるのだろうと思う。
もうひとつは、言わずもがなみなさんの大好きな野球である。オトナの草野球がこれだけ盛んな国はないであろうと思う。
うちのYanagisawa代表を始め、チームには何人かいるわけで。今ではBのTomioka監督はこの世から野球とチョコレートがなくなれば3秒で窒息死してしまう大バカ野郎なんである。「野球馬鹿」と書くと「野球しかしてこなかったがために、勉強がおろそかになったお馬鹿な人」ということになってしまうのだが、「野球バカ」と書くととたんに「野球を愛するがゆえに一生涯野球とつき合っているオトナの野郎ども」という解釈になるんである。
もう一人の「野球バカ」がいる。
フレンズ前監督のSatohくんだ。彼は筆者の息子の2個上で、フレンズOB選手。ずーっと野球を続けてきた真性野球バカである。高校野球部時代に肘を壊し、また社会人になりたての一時期にまた肘をやって、当時勤めていた職場が腕を使う仕事だったため、やむなく離職し、その後肘の手術をし見事に社会復帰したんであった。ほどなくしてフレンズコーチとなり監督まで務めたのである。彼のノックはYanagisawa代表の芸術的ノックに追随するほどの腕前なんである。ヤツのノックの凄さは技術的な精度の高さもさることながら、子どもたちのモチベーションをマックスまで高めて上げられることなのだ。これが出来る少年野球野球コーチはそうはいまい。但し試合中に怒鳴る口の悪さには批判があったものだが。しかしまあ、今は昔なんである(^-^)。
彼は今、病院務めなんである。その彼から先日LINEで写真が送られてきた。
「神奈川県病院協会二部野球大会」
横浜労災VS川崎幸で見事彼の率いる横浜労災が優勝しちゃったんである。
先日は準決勝が行われVS藤沢市民病院戦で11:7で勝ち上がってきての、この優勝なんであった。
野球バカは他のチームにも全国にもはびこっているんであった。
オトナになっても懲りずに、これだけの魅力を擁しているのが、野球というスポーツなんであった。
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2014年8月25日月曜日
チームを支える人々
そーなのだ。月曜はアクセス数が飛躍的にアップするんである。しかし日曜夜はブログする気力もなく更新不可であった。せっかくのアクセスなのにスンマセンなんである月曜アクセス読者諸氏には。だからして今日は一念発起2試合分書いちゃうのだ。
ドジャース杯、花の台フラワーズ戦は土曜の第一公園なんであった。昼前にばしゃばしゃ降り始めた雨、中止か開催か微妙なラインをわずかに超えたあたりで、小雨になり決行となった。血行も良くなり結構なことである。時にはどろんこになりながらやるのも野球の面白さ。
グランドに着くと花の台フラワーズ監督Tadaiさんがにっこにこで待っていた。しばらく談笑してると雨も止んできたんであった。
先発マウンドはFはHiro、Hは長身痩躯、伸びのある速球が魅力のKinoshitaくん。
この二人のピッチングが、或いは互いの打線がこのあと妙な試合展開を見せることになる。
1回裏Hの攻撃。一死後Yoshimitsuくんの打球はファーストゴロ、簡単に打ち取ったかに見えたが後逸、こともあろうにそのあとのライトもエラー。球は延々と無人の外野を転々.....。結果そのままYくんは本塁を踏んで1点先制。
2回表Fは2死無走者でRui。打った打球は大きなレフトフライ。左翼手は一度前進したのち、慌ててバックするも差し出したグラブには届かず、レフトオーバーでこれまた外野を転々....。これで不思議な事にまた1点。これは本来ならばエラーであろうと思う。また厳密なグランドルールを適用すればボールデッドだったのであろう。けれどグラブに触れてないことをいいことに筆者はRuiにランニングホームランをつけてやった。因に試合後Tadaiさんと話したらHではエラーにしたそうだ。筆者が逆の立場なら同じだったろう。
これで互いに1:1の同点。
投手戦というべきか貧打戦というべきか。互いに走者はひょこっと出すものの、本塁がまあ、遠いこと遠いこと。6回にHが四球2,3盗塁後、やはりFのエラーでやっと1点。このまま試合は終了、Hはなんと無安打で勝利、FはRuiの本塁打1本の安打のみ。
どーにも不可思議な試合なんである。Tadaiさんは自軍Hのお寒い打線を嘆きながらも「勝ちは勝ち」と笑っていた。
Fの打線の不甲斐なさもさることながら、負けた気がしない消化不良の試合なんであった。
こういう時は機会があればもう一度フラワーズさんと練習試合でもやりたいものである。
++++++++++++++++
翌日曜はあじさいリーグ秋季大会なんである。VS馬場エース。
F先発はHajimeを抜擢、馬場エースのエースは馬場くんではなくNakamuraくん。
高校野球を観ていてふと思うことがある。「コイツ、どこそこの誰々に似てるじゃん」
今大会では3,4人ほど心当たりがあった。昔フレンズにいた子に激似だったり、近所のおばさんに似ていたり、仕事関係の人にそっくりだったり....。決勝で大阪桐蔭に破れた三重のエースピッチャーはうちのYuutaにクリソツなんであった。マウンドで吠えることで有名になったあの子である。Yuutaにも吠えるくらいの気概を期待したい。
ゼロ行進のまま3回裏Bの攻撃では1得点後、四球失策で歩いたランナーで塁は全て埋まった。6番センターのSuzukiくんが低めのボールをすくいあげるように強振するとボールは高々と舞い上がり、レフトオーバー体育倉庫屋根を直撃の満塁弾。5:0。
4回FはYuiのツーベース出塁からPH・Takutoの犠牲フライでタッチアップ、やっと一点を返す。
5回にはまたBに連打を浴びて2失点。合計7:1で完敗であった。
試合中のスナップを数点。
代表はオレンジに向けての小さい子らを指導。打てない捕れない投げれないに加えてまずルールが分らない。ある意味、Aチームを指導するよりも疲れるんである。
Kaneda顧問はシーソーで用事もなくて幼児と遊ぶ。たいへん貴重な光景なんである。チームを支えている、支えてきた先達を忘れてはいけない。今の父母たちだけでこのチームが存在しているわけではない。これはどこのチームにおいても同じことが言えるはずだ。
筆者の指名により、今日はいよいよ正式スコアラーデビューを果たしたTomioka母。(写真右下)
疲れたら交代しても良いよという条件だったが、わざと「可愛い子には旅」的「親ライオンが子ライオンを崖から落とす」的に、最後までやってもらった。スレンダー美人スコアラーの誕生であった。産まれたての子鹿が自分の四肢でしっかりと立ち上がった瞬間のように。Ohmoriスコアラー指導教官やSone母教官が見守る中、立派にデビューしちゃったんである。こんだけ多くスコアラーの選択肢が増えると....むふふふ。筆者が楽チンで、ブロガーとしてカメラマンに専任出来る機会が増えるのである。またこの伝統芸能を後世に伝えるという責務も果たせるというもの。ナイショだが筆者の一番の目的は、真面目な話、父母たちがチームを支えている、またはチームの力になっている、という感覚を父母に持ってもらえることなのだった。筆者がOBコーチになった時にどうしたらチームに貢献できるか、チームを支えることが出来るかを考えた末に、同じ理由でたどり着いた答がスコアラーだったんである。
こういう画は筆者の大好物なんである。(写真左)
Tagami、Sone、Takenakaオヤジが並んで応援していた。瞬時に勝手にカメラのシャッターを切っていた。筆者の中にある「毒」のココロが疼いたんであった。
現役少年バスケコーチもしている体育会系男、元ラガーメンで自衛隊の入隊経験者、某国陸軍で戦車にも乗っていた猛者。その彼らの腹は「現役」と「元」で見事に明暗クッキリなんであった。今度これらオヤジにOhshiroオヤジとOhmoriオヤジを加えて撮ってみたいものだ。更に起伏に富んだ素敵な写真になるに違いない。
実は元サッカー小憎の筆者も人のことは言えないのであるが(^-^)/
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ドジャース杯、花の台フラワーズ戦は土曜の第一公園なんであった。昼前にばしゃばしゃ降り始めた雨、中止か開催か微妙なラインをわずかに超えたあたりで、小雨になり決行となった。血行も良くなり結構なことである。時にはどろんこになりながらやるのも野球の面白さ。
グランドに着くと花の台フラワーズ監督Tadaiさんがにっこにこで待っていた。しばらく談笑してると雨も止んできたんであった。
先発マウンドはFはHiro、Hは長身痩躯、伸びのある速球が魅力のKinoshitaくん。
この二人のピッチングが、或いは互いの打線がこのあと妙な試合展開を見せることになる。
1回裏Hの攻撃。一死後Yoshimitsuくんの打球はファーストゴロ、簡単に打ち取ったかに見えたが後逸、こともあろうにそのあとのライトもエラー。球は延々と無人の外野を転々.....。結果そのままYくんは本塁を踏んで1点先制。
2回表Fは2死無走者でRui。打った打球は大きなレフトフライ。左翼手は一度前進したのち、慌ててバックするも差し出したグラブには届かず、レフトオーバーでこれまた外野を転々....。これで不思議な事にまた1点。これは本来ならばエラーであろうと思う。また厳密なグランドルールを適用すればボールデッドだったのであろう。けれどグラブに触れてないことをいいことに筆者はRuiにランニングホームランをつけてやった。因に試合後Tadaiさんと話したらHではエラーにしたそうだ。筆者が逆の立場なら同じだったろう。
これで互いに1:1の同点。
投手戦というべきか貧打戦というべきか。互いに走者はひょこっと出すものの、本塁がまあ、遠いこと遠いこと。6回にHが四球2,3盗塁後、やはりFのエラーでやっと1点。このまま試合は終了、Hはなんと無安打で勝利、FはRuiの本塁打1本の安打のみ。
どーにも不可思議な試合なんである。Tadaiさんは自軍Hのお寒い打線を嘆きながらも「勝ちは勝ち」と笑っていた。
Fの打線の不甲斐なさもさることながら、負けた気がしない消化不良の試合なんであった。
こういう時は機会があればもう一度フラワーズさんと練習試合でもやりたいものである。
++++++++++++++++
翌日曜はあじさいリーグ秋季大会なんである。VS馬場エース。
F先発はHajimeを抜擢、馬場エースのエースは馬場くんではなくNakamuraくん。
高校野球を観ていてふと思うことがある。「コイツ、どこそこの誰々に似てるじゃん」
今大会では3,4人ほど心当たりがあった。昔フレンズにいた子に激似だったり、近所のおばさんに似ていたり、仕事関係の人にそっくりだったり....。決勝で大阪桐蔭に破れた三重のエースピッチャーはうちのYuutaにクリソツなんであった。マウンドで吠えることで有名になったあの子である。Yuutaにも吠えるくらいの気概を期待したい。
ゼロ行進のまま3回裏Bの攻撃では1得点後、四球失策で歩いたランナーで塁は全て埋まった。6番センターのSuzukiくんが低めのボールをすくいあげるように強振するとボールは高々と舞い上がり、レフトオーバー体育倉庫屋根を直撃の満塁弾。5:0。
4回FはYuiのツーベース出塁からPH・Takutoの犠牲フライでタッチアップ、やっと一点を返す。
5回にはまたBに連打を浴びて2失点。合計7:1で完敗であった。
試合中のスナップを数点。
代表はオレンジに向けての小さい子らを指導。打てない捕れない投げれないに加えてまずルールが分らない。ある意味、Aチームを指導するよりも疲れるんである。
Kaneda顧問はシーソーで用事もなくて幼児と遊ぶ。たいへん貴重な光景なんである。チームを支えている、支えてきた先達を忘れてはいけない。今の父母たちだけでこのチームが存在しているわけではない。これはどこのチームにおいても同じことが言えるはずだ。
筆者の指名により、今日はいよいよ正式スコアラーデビューを果たしたTomioka母。(写真右下)
疲れたら交代しても良いよという条件だったが、わざと「可愛い子には旅」的「親ライオンが子ライオンを崖から落とす」的に、最後までやってもらった。スレンダー美人スコアラーの誕生であった。産まれたての子鹿が自分の四肢でしっかりと立ち上がった瞬間のように。Ohmoriスコアラー指導教官やSone母教官が見守る中、立派にデビューしちゃったんである。こんだけ多くスコアラーの選択肢が増えると....むふふふ。筆者が楽チンで、ブロガーとしてカメラマンに専任出来る機会が増えるのである。またこの伝統芸能を後世に伝えるという責務も果たせるというもの。ナイショだが筆者の一番の目的は、真面目な話、父母たちがチームを支えている、またはチームの力になっている、という感覚を父母に持ってもらえることなのだった。筆者がOBコーチになった時にどうしたらチームに貢献できるか、チームを支えることが出来るかを考えた末に、同じ理由でたどり着いた答がスコアラーだったんである。
こういう画は筆者の大好物なんである。(写真左)
Tagami、Sone、Takenakaオヤジが並んで応援していた。瞬時に勝手にカメラのシャッターを切っていた。筆者の中にある「毒」のココロが疼いたんであった。
現役少年バスケコーチもしている体育会系男、元ラガーメンで自衛隊の入隊経験者、某国陸軍で戦車にも乗っていた猛者。その彼らの腹は「現役」と「元」で見事に明暗クッキリなんであった。今度これらオヤジにOhshiroオヤジとOhmoriオヤジを加えて撮ってみたいものだ。更に起伏に富んだ素敵な写真になるに違いない。
実は元サッカー小憎の筆者も人のことは言えないのであるが(^-^)/
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有馬フレンズOB、宮前Queens、宮前区少年野球連盟のブログを通じた広報担当です。写真と文章のブログ、たまには個人的日々雑感も。
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