時系列上、まだまだ南部リーグVSフォルコンズ戦2試合のブログにはたどり着けない当ブログなんであった。その前に新人戦準優勝の子どもたちも含めた祝賀会の話なんである。昨日渾身のチカラを込めてブログ更新したにもかかわらず、今日もまた腱鞘炎を案じながらキーボードを叩くわけである。自分の全身が削り過ぎた鉛筆になったかのような錯覚を覚えつつ。
会場は地元のファミレス夢庵。
「カンパーーーーイ」Satoh監督の後輩でもあり教え子でもあるチームOBのMasashiも来てくれた。
順々と粛々とわいわいがやがやと各人の挨拶。親からもひと言、子どもも新人戦の感想や来年の抱負を語り、コーチ陣もスピーチした。当然そのほとんどを写真に納めた(収めた?)のであったが、削り過ぎて短くなった鉛筆はすでに鉛筆ホルダーを装着せねばならぬ寸前なわけで、ここはひとつバッサリ多くの写真を割愛せざるを得ないのである。
んなわけで、新人戦のベンチスタッフだけの紹介に留めたい。
監督Satoh、29Tomioka、28Ohshiro、スコアラー部長Ohmori、選手教育コーチItohの面々。最強の布陣である。Ohmoriオヤジは息子Hiroが卒業ゆえ、来季からは晴れてOBコーチとしての活躍が期待される。筆者は来年は彼を、スコアラー部長からスコアラー統括本部長に昇進させようと思っているのだった(^-^)
我が子が卒業したら同時に親も定年退職なんて、そうは問屋が卸さないのだ。すでにOhmori部長の快諾の言質(げんち)を取付けてあるのだ。チームのムードメーカーとしても今後もチームに欠かせない存在のオヤジなんである。
※全世界でたったの6,500万人(推定検証=Nishimura連盟総務部長)しか見ていない「晴耕雨読」だから、ここだけの内緒話だ。新人戦決勝の敗戦後、子らの悔し涙を流す姿を見て、何度も人目をはばからずおいおいと眼鏡の奥で大粒の涙を流していたOhmoriAyumuオヤジ。いつしか涙は渓流から激流に変わり、自分の涙で窒息、溺死しちゃうんではないかと心配するほどだった。そんなクソ真面目なくせに子どものように純粋でいつも破顔一笑の笑顔が絶えないAyumuが俺は好きだ。
フレンズの顔Yanagisawa代表、重鎮Kaneda顧問、2014母マネとして大活躍のNatsuki母のショット。
新人戦でもらった賞品に豪華野球盤ゲームがあった。小さい弟妹含めた選手子どもたちと、代表がジャンケンで雌雄を決する熾烈な争奪戦が始まった。ヌカヨロコビとも知らず一喜一憂する選手の子ら。
結果はまさかのRuiの妹Kokoがゲット。全く野球に興味がない砂場遊び組の彼女が獲得したことで、選手たちが血みどろの戦いを繰り広げて、遺恨と悔恨と羨望と嫉妬を残すよりもむしろ平和的な解決となったんであった(^-^)
これで野球に目覚めてQueensに入ってくれたら大もうけなんであるが、聞くところによると親は女子バスケをやらしたいらしい。未確認情報ではあるが。
最後は恒例集合写真。
シャッターは店の人に頼んだので筆者も納まることが出来た。
「じゃあ、こーこーこーで、コレを押して下さい」
と、伝えてから、はて、立錐の余地もないフレンズ軍団のどこに入ろうか迷った。
「Teshimaさんここ来て、ここ、ここ!」とのお誘い。
ど真ん中へヘッドスライディングして美女たちの中へズルリと入り込んでめでたくシャッターが切られたんであった。
来季もチームのこんな笑顔の写真が何回も撮れたら、この上ない幸せである。
出来ればこれに布製のズシリとした旗なんかが加わっていれば尚最高である。
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2014年12月15日月曜日
日曜深夜の疾走
当ブログ少年野球「晴耕雨読」のアクセス数が一番多いのはなんといっても月曜日なんである。月曜以外でもブログ更新した翌日も多いのであるけれど、やはり週始めの月曜に「どれどれ、「晴耕雨読」はアップしとるんかいな」てな気分で見ていただく読者が多いせいではないだろうか。土日は野球三昧でブログどころではないのだろう。
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というわけで、日曜夜は飲み会または仕事がなく、またはナマケ病が発症しない限り、極力更新するよう務めている筆者なんである。
本日は北部大会決勝VS今井西町野球部戦がグランドコンディションにより延期になり、午後爆睡ののち、選挙投票を終え、夕食後からだらだら書いている「晴耕雨読」なんであった。
なのでどこまでイケルか予想出来ずに見切り発車でペンを執る筆者。今回は遡ること数週間前の話ではある。
この時季卒団式・卒部式・お別れ会・納会・忘年会....と目白押しなのは全国どこのチームでも同じであろう。フレンズでは6年生を送る会兼新チーム発足発表会みたいな感じで、この年末の時季にやるわけで。筆者は毎年これに向けてナニかと忙しい。この日は卒業生に送る色紙に貼る、コーチや子どもたちの写真シールの制作を終えた。夕方Queens・Kasaharaさんから連絡網メールが来た。「みなさ〜ん、暇でしょうから飲みに来て下さい。会長と飲んでまーす」みたいな。暇じゃないけど行きますと返信した。そうか、どうせ外出するなら、この色紙写真を母たちに届けてから行くか....。この日は有馬フレンズ母たちが年に一度か二度か三度の恒例「母飲み会」の日なんであった。こういう時は父たちが一致団結しちゃって家でおとなしく子どもらの面倒を見る番なんである。LINEによるとどこかの家で父たちと子らが集まって「たこ焼きパーティー」を開催していたようだ。
てくてく、てくてく。歩いて居酒屋へ。
母飲み会に乱入する俺。
ちょっと心臓ばくばくしちゃう僕。
まるで男子サッカー部員が独りで女子テニス部の更衣室に侵入するような気分であった。
私は空気を読めないタイプではないと自負する。女の園に入り込んでどっかり居座り、のうのうと酒を飲むほど破廉恥漢ではないつもりだ。写真を届けたらすぐに退散するつもりであった。....つもりであった。過去形の記述である。
「わお〜、テッシー来た〜!いえ〜い!」
と、歓迎してくれたのは母Natsuki。飲んじゃう?飲んでけば?飲もうよ〜!
てなわけでオンナどもに拉致されちゃったんである。隅っこで小さくなりビールを1杯。1杯で済むわけなくもう一杯。次第に孤独な中学男子サッカー部員から、古代ローマ帝国の皇帝が美女をはべらせての酒池肉林の宴を開いているような気分になっちゃった。
ほどなくしてQueensに向かうべく中座する旨を彼女たちに宣言。
「おしっ、ブログに載せちゃうぞー」てんで、撮った一枚。はい、ピース!
すこし昔、日本で韓流ブームのきっかけを作った某韓国映画スター。彼が来日するたびにファンに向けて言っていた言葉「ミナサンハ、ボクノ、カゾクデス。ミンナ、愛しているヨー」...当時筆者はなんだかなあ、と思ったんであった。日本の女子が韓流スターになびいているのを、どこかジェラシー半分、こんにゃろー的な気分でいたニッポン男児は筆者も含めて決して少なくなかったのではないか。
しかし、この上の写真に写るフレンズを後方で支えてくれている彼女たち。みんなイイ笑顔の母たちの写真を見ていると、なんだかほのぼのと理由もなく嬉しくなっちゃうのであった。全員とハグしたくなった自分を抑えるのに苦労する僕。かの韓流スターの気持ちがほんの少し分ったような気がした。
「フレンズノハハ、ビジョノミナサン、ボクモ、ミンナ、愛してるヨー」
と、言いたかったが、あにはからんや現実は言えずに居酒屋をあとにしたんである。
ここから時は一週間ほど流れて....。
宮前新人戦準優勝を果たした夜。当然ながら祝勝会をとりあえずオトナだけで開催。この日は宮前クラブの祝勝会があり(先日のブログに掲載)、筆者とOhmori父はこれを終わってから居酒屋その1に遅れて参戦したんである。大江健三郎著「遅れて来た青年」ならぬ、「遅れて来た中年」なんである。それまで母たちもぎゃんぎゃん飲んでたらしいのだが、ちょうど筆者たちと入れ替わりに母たちは全員帰宅したのだった。
ムフフフフ。
期せずしてここからはオヤジ野郎どもだけの大宴会に突入なんであった。
普段クールな六本木ヒルズのIT企業の若き部長Wakamiyaオヤジもノリノリぎゃんぎゃん歌いまくって...。
相変わらずカラオケの間(あい)の手が絶妙な弾丸小憎テツヲもコロコロはしゃぎまくり...。
Nishinakaオヤジのカラオケ定番「金太負けるな」で野郎どもはテンションマックス...。
自ら体育会系を標榜する事務局Tagamiオヤジの得意技は、年下のオヤジや若いオヤジを捕まえてヘッドロックかけながら歌うこと。今夜の標的はIharaオヤジだった...。
立って忌野清志郎を熱唱するNakamuraオヤジ。いつしか野郎どもは全員総立ちの大合唱になっちゃったんである。野郎どもの一人に筆者もいたのは言うまでもない。
このあと解散したのが何時頃かは忘却の彼方。たぶん11時頃だったろうか?
しか〜し...。明日月曜はみんな仕事にもかかわらず、10人ほどの男たちはここからがエンジン全開、フルスロットルで深夜の鷺沼駅前を疾走しちゃうのである。清志郎の「♪....に、なっちまうぜっヘヘイヘイ♪彼女に.....出来ないなんて〜♪」みたいに。駅前の深夜営業の居酒屋へなだれ込みテーブルを占拠した中には、珍しく新監督Satohもいた。普段は飲み会途中でいつのまにか消える「ドロン」する裏技は天下一品の彼も、さすがに今日は監督として低迷するフレンズを、決勝で負けたとはいえ準優勝まで持っていけた安堵感と高揚感から、オヤジ飲み会にここまでつき合ってくれたんであろうと思う。
フレンズ監督再登板で彼もオトナになったなあ、なんてね。試合の采配を見ても数年前に比べてひと回り大人になったと思うのは筆者だけではなかった。
来年は彼の手腕に大いに期待したい。
因に独身OBコーチItohと共に現在嫁さん募集中(?)なんである....かどうかは筆者の知る由もないが(^-^)
さてさて、深夜のその後。酔っぱらった俺たちは更に漆黒の闇を切り裂き暴走、アクセル全開で、3次会4次会へワープしたようなしなかったような....。たぶんしなかったと思うけど。
気がつけば帰宅したのは翌朝4:00頃なんであった(^-^)/
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有馬フレンズOB、宮前Queens、宮前区少年野球連盟のブログを通じた広報担当です。写真と文章のブログ、たまには個人的日々雑感も。
2014年12月11日木曜日
邂逅と別離
「えーっと、....ほらっ。この子この子」
今日所用がありバスで港北区のセンター南へ行ったんである。筆者バスが好きなんである。時にバスの中で思わぬドラマを目にしたり、微笑ましい場面に出会えたりと、なかなかに面白い。クルマと違い法令遵守のバスの車速ならではの、ゆるやかな窓外の風景も楽しかったりするわけで。
帰りのバスに乗り込んできた中年女性ふたり。筆者の席の少し後ろに陣取ったようだった。顔は見えないが、その会話だけは聞こえてきた。席に座ったとたんに話し始めたのが冒頭の会話なんであった。どうやらスマホの写真を見ながらの話のようだ。すかさずAさんが言う。
「この子は生まれて間もなく死んじゃって....」
筆者、どきりとして、とたんに耳がダンボになっちゃうわけで。
Bさん「あらあ、可哀想に....」
筆者(普通、バスの中で大声でそんな会話するか?)
Aさん「それからこの子は17歳で亡くなってねえ....」
Bさん「あらま、可愛いのに...」
筆者(マジか。どんな不幸を背負ってる家庭なんだ!?)
Aさん「それとほら、この子たちは三つ子で生まれたんだけど、右の子は里子にもらわれて....」
Bさん「へえ〜可愛い」
筆者(えらい多産系の家族だな....奥さん腰大丈夫か?......あいや?....もしや?....そーゆーことか!)
筆者振り返りその主婦に事の真相を問い質したわけではないが、これは明らかに犬の写真を見ての会話なんであった。どうやらAさんは愛犬家で犬が生まれてはあちこちに里子にあげてるみたいだった。今は他界していないがうちの黒猫の「ぴあの」も里子でもらってきたクチなんであった。
ゆるりとした苦笑を胸に、枯れ葉舞い散る冬のバスに揺られながら帰宅したんである。
+++++++++++++++++++++
前置きが長いのは少年野球「晴耕雨読」の常である。許されたしm(_ _)m
そーなんであった。これをお蔵入りにするわけにはいかぬ。宮前少年野球最強連合、川崎市長杯優勝「宮前クラブ」の祝勝会である。会場はQueensMurataコーチの関係で鷺沼JAを確保。関係各界からお祝いに5千人ほどが詰めかけた....わけないか。筆者はフレンズ関係者兼連盟広報として出席。連盟Sohma会長、Kasahara副会長の挨拶で乾杯。
フレンズからは今年の新人戦から再び監督に就任したSatohも出席。かつて歴代宮前連合監督やコーチから可愛がってもらった経緯もあり、他チームの名物監督などとは旧知の仲なんである。フレンズのひとつの特異な自慢はチームOBの選手だった子が、今大人になり母体チームの監督を務めていることだ。OBがコーチ陣に名を連ねているチームは多くあると思うけれど。筆者の息子と同級だったItohも今年からコーチに毎週熱心に来てくれて貢献している。とてもありがたいことだ。
乾杯のあとは各テーブルで大いに盛り上がるのは、こういう酒宴の常である。子どもたちは食べることに夢中で、むしろ大人のほうが盛り上がっちゃうのもこんな場ではどのチームでも見慣れた光景だ。
恒例の親子でのスピーチ。見て聞いているのは楽しいものだ。
怒濤の宮前戦士20名と親たちの写真4連発なんである。例によって1組につき4,5枚撮っている。その中でベストチョイスの基準は、奥方様が目をつぶっていたりしたものは速攻排除。なるべく女性がイイ表情をしているものを選択している。なぜならあとが怖いから。それとやはり女性や子どもが良い表情をしている写真は全世界共通で、結果明るく綺麗な写真になるんである。こういう時の写真の筆者なりの極意は、女性または子どもが笑った瞬間を狙ってシャッターを切ることだ。笑顔は世界を救うのである。
宴も高輪、プリンスホテル....おっと違った、宴もタケナワなんである。
ここでサプライズプレゼンテーションがあった。有名人、または公人と判断した時は実名でここに載せることをお許し願いたい。(※前田さんご本人には承諾を得ていないがお許し頂けるだろう)
チームにはJohjiくんの父、前田政二さんがいるんである。実は吉本興行の芸人さんである。てゆーか、来歴は吉本総合芸能学院、通称NSCの第一期生であり、「30年にひとつの逸材」のダウンタウンと同期で今でも親交も篤く、現在はNSCで教鞭をとるかたわら、M-1グランプリなどお笑い番組の放送作家としても活躍している人物なんであった。ウィキペディアにも載っている。
以前から気にはなっている人であった。だってこの風貌、これだけでお笑い芸人としては最高の資質を持っているではないか。一見ちょっと怖そうだけれど、その表情の中や目尻のシワには人なつこいお笑いの源泉があるように思える。(偉そうに書いてすんまへん)
その前田さんがマイクを取った。さすがは人前でマイクを持つことに場慣れしたプロ。軽妙な話術で会場を盛り上げる。
事務所にあるものや広い交友関係からいろんなサプライズなモノを持って来て、大判ブルマー...じゃない、大盤振る舞いしちゃったんである。
母マネージャーとして活躍してくれたTanaka母、「チームを大いに盛り上げてくれたで賞」のTaisei母、同じくモリモリ母ことNatsukiが選ばれた。欣喜雀躍、ふたりは腕を組んで踊りだす始末(^-^)
交友関係からプロ野球関連のレアなグッズをMatsui監督、Sohma会長、Kasahara副会長へ贈呈。こちらも大いに盛り上がった。プロ選手のサインボールは子どもらでジャンケン大会。TanakaさんのDaikiがゲット。いやはや「持ってる」ねえ、この子。
最後は監督とベンチスタッフの挨拶。Murataさん始め関係各者もマイクを持つ。神妙にかつ笑いもありーの、聞き入る会場。こんな時はチームの垣根を越えていろんな大人たちが少年野球を支えていることを、ファインダーを通じて実感するシーンでもある。
締めである。これで2014年の子どもと大人の絆はとりあえずはお別れだ。ジャイアンツJrに選抜された選手3名は年末に大一番が待っているけれど。
連合で出会えた人との輪はひとつの邂逅(かいこう)と言えるだろう。子どもも大人もこれからの一生の想い出になるに違いない。
Tanaka母が締めに指名されて。女性がこれをやるのも一興である。
ズームアップしたレンズの向こうの彼女の目に、微かに光るものを発見したのはおそらく筆者だけに違いない。
帰り際田園都市線鷺沼JA4階の窓から睥睨した駅前の冬の一枚の絵。iPhoneで撮影したのだが、窓は結露して中央部をキコキコ拭いてかろうじて撮った。そのために偶然周囲が結露でいい具合にボケてくれて、中央のクリスマスイルミネーションが際立った絵になった。
もうすぐクリスマスですね(^-^)
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今日所用がありバスで港北区のセンター南へ行ったんである。筆者バスが好きなんである。時にバスの中で思わぬドラマを目にしたり、微笑ましい場面に出会えたりと、なかなかに面白い。クルマと違い法令遵守のバスの車速ならではの、ゆるやかな窓外の風景も楽しかったりするわけで。
帰りのバスに乗り込んできた中年女性ふたり。筆者の席の少し後ろに陣取ったようだった。顔は見えないが、その会話だけは聞こえてきた。席に座ったとたんに話し始めたのが冒頭の会話なんであった。どうやらスマホの写真を見ながらの話のようだ。すかさずAさんが言う。
「この子は生まれて間もなく死んじゃって....」
筆者、どきりとして、とたんに耳がダンボになっちゃうわけで。
Bさん「あらあ、可哀想に....」
筆者(普通、バスの中で大声でそんな会話するか?)
Aさん「それからこの子は17歳で亡くなってねえ....」
Bさん「あらま、可愛いのに...」
筆者(マジか。どんな不幸を背負ってる家庭なんだ!?)
Aさん「それとほら、この子たちは三つ子で生まれたんだけど、右の子は里子にもらわれて....」
Bさん「へえ〜可愛い」
筆者(えらい多産系の家族だな....奥さん腰大丈夫か?......あいや?....もしや?....そーゆーことか!)
筆者振り返りその主婦に事の真相を問い質したわけではないが、これは明らかに犬の写真を見ての会話なんであった。どうやらAさんは愛犬家で犬が生まれてはあちこちに里子にあげてるみたいだった。今は他界していないがうちの黒猫の「ぴあの」も里子でもらってきたクチなんであった。
ゆるりとした苦笑を胸に、枯れ葉舞い散る冬のバスに揺られながら帰宅したんである。
+++++++++++++++++++++
前置きが長いのは少年野球「晴耕雨読」の常である。許されたしm(_ _)m
そーなんであった。これをお蔵入りにするわけにはいかぬ。宮前少年野球最強連合、川崎市長杯優勝「宮前クラブ」の祝勝会である。会場はQueensMurataコーチの関係で鷺沼JAを確保。関係各界からお祝いに5千人ほどが詰めかけた....わけないか。筆者はフレンズ関係者兼連盟広報として出席。連盟Sohma会長、Kasahara副会長の挨拶で乾杯。
フレンズからは今年の新人戦から再び監督に就任したSatohも出席。かつて歴代宮前連合監督やコーチから可愛がってもらった経緯もあり、他チームの名物監督などとは旧知の仲なんである。フレンズのひとつの特異な自慢はチームOBの選手だった子が、今大人になり母体チームの監督を務めていることだ。OBがコーチ陣に名を連ねているチームは多くあると思うけれど。筆者の息子と同級だったItohも今年からコーチに毎週熱心に来てくれて貢献している。とてもありがたいことだ。
乾杯のあとは各テーブルで大いに盛り上がるのは、こういう酒宴の常である。子どもたちは食べることに夢中で、むしろ大人のほうが盛り上がっちゃうのもこんな場ではどのチームでも見慣れた光景だ。
恒例の親子でのスピーチ。見て聞いているのは楽しいものだ。
怒濤の宮前戦士20名と親たちの写真4連発なんである。例によって1組につき4,5枚撮っている。その中でベストチョイスの基準は、奥方様が目をつぶっていたりしたものは速攻排除。なるべく女性がイイ表情をしているものを選択している。なぜならあとが怖いから。それとやはり女性や子どもが良い表情をしている写真は全世界共通で、結果明るく綺麗な写真になるんである。こういう時の写真の筆者なりの極意は、女性または子どもが笑った瞬間を狙ってシャッターを切ることだ。笑顔は世界を救うのである。
宴も高輪、プリンスホテル....おっと違った、宴もタケナワなんである。
ここでサプライズプレゼンテーションがあった。有名人、または公人と判断した時は実名でここに載せることをお許し願いたい。(※前田さんご本人には承諾を得ていないがお許し頂けるだろう)
チームにはJohjiくんの父、前田政二さんがいるんである。実は吉本興行の芸人さんである。てゆーか、来歴は吉本総合芸能学院、通称NSCの第一期生であり、「30年にひとつの逸材」のダウンタウンと同期で今でも親交も篤く、現在はNSCで教鞭をとるかたわら、M-1グランプリなどお笑い番組の放送作家としても活躍している人物なんであった。ウィキペディアにも載っている。
以前から気にはなっている人であった。だってこの風貌、これだけでお笑い芸人としては最高の資質を持っているではないか。一見ちょっと怖そうだけれど、その表情の中や目尻のシワには人なつこいお笑いの源泉があるように思える。(偉そうに書いてすんまへん)
その前田さんがマイクを取った。さすがは人前でマイクを持つことに場慣れしたプロ。軽妙な話術で会場を盛り上げる。
事務所にあるものや広い交友関係からいろんなサプライズなモノを持って来て、大判ブルマー...じゃない、大盤振る舞いしちゃったんである。
母マネージャーとして活躍してくれたTanaka母、「チームを大いに盛り上げてくれたで賞」のTaisei母、同じくモリモリ母ことNatsukiが選ばれた。欣喜雀躍、ふたりは腕を組んで踊りだす始末(^-^)
交友関係からプロ野球関連のレアなグッズをMatsui監督、Sohma会長、Kasahara副会長へ贈呈。こちらも大いに盛り上がった。プロ選手のサインボールは子どもらでジャンケン大会。TanakaさんのDaikiがゲット。いやはや「持ってる」ねえ、この子。
最後は監督とベンチスタッフの挨拶。Murataさん始め関係各者もマイクを持つ。神妙にかつ笑いもありーの、聞き入る会場。こんな時はチームの垣根を越えていろんな大人たちが少年野球を支えていることを、ファインダーを通じて実感するシーンでもある。
締めである。これで2014年の子どもと大人の絆はとりあえずはお別れだ。ジャイアンツJrに選抜された選手3名は年末に大一番が待っているけれど。
連合で出会えた人との輪はひとつの邂逅(かいこう)と言えるだろう。子どもも大人もこれからの一生の想い出になるに違いない。
Tanaka母が締めに指名されて。女性がこれをやるのも一興である。
ズームアップしたレンズの向こうの彼女の目に、微かに光るものを発見したのはおそらく筆者だけに違いない。
帰り際田園都市線鷺沼JA4階の窓から睥睨した駅前の冬の一枚の絵。iPhoneで撮影したのだが、窓は結露して中央部をキコキコ拭いてかろうじて撮った。そのために偶然周囲が結露でいい具合にボケてくれて、中央のクリスマスイルミネーションが際立った絵になった。
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有馬フレンズOB、宮前Queens、宮前区少年野球連盟のブログを通じた広報担当です。写真と文章のブログ、たまには個人的日々雑感も。
2014年12月9日火曜日
新しい風の予感
宮前区新人戦、沈み行く夕陽の逆光の中での閉会式なんであった。
優勝は泣く子も黙る「富士見台ウルフ少年野球クラブ」
長机の上に燦然と輝くトロフィー、楯たちが整列。
今まではこれを見ても何の感慨もなく無機物のひとつとして撮影していたのであったけれど、今日は違った。
準優勝は「有馬フレンズ」我がチームなんである。毎大会1,2回戦で消えてゆくのが当たり前になって我が身に染み付いていた筆者には、そのトロフィーはあまりに眩しかったんである。
3位は「馬絹メイツ」その昔このあたりでは、馬の産地だったという古文書(こもんじょ)がある。この馬絹も有馬も地名の由来はここから来ているらしい。有馬のすぐ近隣の馬絹メイツなんである。
※因に筆者制作の初代チームロゴにギリシャ神話のペガサスをモチーフにしているのは、この「馬」からのインスピレーションによる。
恒例の協力母たちによるメダル授与。
惜しくも4位に甘んじた「鷺沼ヤングホークス」名物監督Kurosuさん率いる名門常勝チームである。女子野球Queensへの貢献度も、女の子供給保有率ダントツの一位チームである。
解散総選挙公示直後の選挙活動も手伝い、閉会式にもかかわらず来賓ほか多くの議員さんも参列。
式のあとは決勝、準決勝に残った4チームだけで内野を一周して閉幕。
優勝を逃したものの感涙のあとに、ふつふつと胸に湧き起こる準優勝の歓喜。
思い思いの体(てい)で写真撮影の母たち。
ナゼかガッツポーズを取っちゃうShohgo父の本名Tetsueo、愛称てっちゃん。
父の転勤で今年いっぱいでフレンズナインとお別れするYuuta。
昨年から3年生ながらめきめきと頭角を現し、将来はフレンズの中核を担うはずであった左腕の子だった。他チームからもよく「あの子凄いね」と筆者は嬉しい声を聞いていたんであった。今年度4年ながらBチームでの登板試合数はダントツの数であった。
父が記念にと思ったのだろう。フレンズのプラカードと共に息子と一緒の写真を。
来年名古屋の地に行っても是非野球を続けて頑張って欲しい。
お定(き)まりの記念撮影。
セオリーに従い最初は背番号を背負った指導陣と選手たちで。
次は父母含め全員で。
大人たちに呼びかける。「全員入って〜!」路傍を歩く野良犬やブロック塀で日向ぼっこする野良猫も招集したいくらいだった。
筆者はいつも撮影者なのでこういう時は絵の中にいないことが多い。
連盟総務部長兼Web広報担当部長のNishimuraさんが、公式HPのためにたまたま撮影していた。「Nさん、ちょっといいですか?」カメラを渡し撮影を頼んだんであった。
ウルフを母体チームとしウルフ愛はいまだ胸に熱い想いを持っているN氏。でも同時に筆者には自称「フレンズファン」と公言してはばからない。Nishimuraさん、
「はい、いいですか〜!撮りますよ〜」
ハイチーズとか言うかと思いきや、氏の口から発せられた言葉は.....
「来年は優勝するぞー!お〜!」
それにつられて思わず良い笑顔でのシャッターが切られた。
来年は「群雄割拠」
抜きつ抜かれつ、2015は全チーム熾烈な熱い宮前であって欲しい。
もちろんその中でフレンズが旋風を巻き起こすことを祈願して....。
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優勝は泣く子も黙る「富士見台ウルフ少年野球クラブ」
長机の上に燦然と輝くトロフィー、楯たちが整列。
今まではこれを見ても何の感慨もなく無機物のひとつとして撮影していたのであったけれど、今日は違った。
準優勝は「有馬フレンズ」我がチームなんである。毎大会1,2回戦で消えてゆくのが当たり前になって我が身に染み付いていた筆者には、そのトロフィーはあまりに眩しかったんである。
3位は「馬絹メイツ」その昔このあたりでは、馬の産地だったという古文書(こもんじょ)がある。この馬絹も有馬も地名の由来はここから来ているらしい。有馬のすぐ近隣の馬絹メイツなんである。
※因に筆者制作の初代チームロゴにギリシャ神話のペガサスをモチーフにしているのは、この「馬」からのインスピレーションによる。
恒例の協力母たちによるメダル授与。
惜しくも4位に甘んじた「鷺沼ヤングホークス」名物監督Kurosuさん率いる名門常勝チームである。女子野球Queensへの貢献度も、女の子供給保有率ダントツの一位チームである。
解散総選挙公示直後の選挙活動も手伝い、閉会式にもかかわらず来賓ほか多くの議員さんも参列。
式のあとは決勝、準決勝に残った4チームだけで内野を一周して閉幕。
優勝を逃したものの感涙のあとに、ふつふつと胸に湧き起こる準優勝の歓喜。
思い思いの体(てい)で写真撮影の母たち。
ナゼかガッツポーズを取っちゃうShohgo父の本名Tetsueo、愛称てっちゃん。
父の転勤で今年いっぱいでフレンズナインとお別れするYuuta。
昨年から3年生ながらめきめきと頭角を現し、将来はフレンズの中核を担うはずであった左腕の子だった。他チームからもよく「あの子凄いね」と筆者は嬉しい声を聞いていたんであった。今年度4年ながらBチームでの登板試合数はダントツの数であった。
父が記念にと思ったのだろう。フレンズのプラカードと共に息子と一緒の写真を。
来年名古屋の地に行っても是非野球を続けて頑張って欲しい。
お定(き)まりの記念撮影。
セオリーに従い最初は背番号を背負った指導陣と選手たちで。
次は父母含め全員で。
大人たちに呼びかける。「全員入って〜!」路傍を歩く野良犬やブロック塀で日向ぼっこする野良猫も招集したいくらいだった。
筆者はいつも撮影者なのでこういう時は絵の中にいないことが多い。
連盟総務部長兼Web広報担当部長のNishimuraさんが、公式HPのためにたまたま撮影していた。「Nさん、ちょっといいですか?」カメラを渡し撮影を頼んだんであった。
ウルフを母体チームとしウルフ愛はいまだ胸に熱い想いを持っているN氏。でも同時に筆者には自称「フレンズファン」と公言してはばからない。Nishimuraさん、
「はい、いいですか〜!撮りますよ〜」
ハイチーズとか言うかと思いきや、氏の口から発せられた言葉は.....
「来年は優勝するぞー!お〜!」
それにつられて思わず良い笑顔でのシャッターが切られた。
来年は「群雄割拠」
抜きつ抜かれつ、2015は全チーム熾烈な熱い宮前であって欲しい。
もちろんその中でフレンズが旋風を巻き起こすことを祈願して....。
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有馬フレンズOB、宮前Queens、宮前区少年野球連盟のブログを通じた広報担当です。写真と文章のブログ、たまには個人的日々雑感も。
2014年12月8日月曜日
優秀と憂愁の有終
この一週間はなんてったってアイドルならぬ、なんてったって2014成績表冊子印刷に向けて渾身のチカラを込めて編集作業に没頭していたんであった。やっと土曜にアップしCMでお馴染みプリントパックにWeb入稿を果たし、脱稿したのである。椅子に座り詰めで筆者のケツも脱肛しちゃうかと思ったほどだった。
おっといけない、昨日は祝勝会で興が乗りオヤジどもと鷺沼で4次会まで飲んだくれて帰宅は午前3:00なんであった。ブログはさっさと書いて寝なきゃなんである。
ブログ写真ネタフォルダには、新人戦閉会式、オヤジ飲み会、宮前クラブ祝勝会、新人戦祝勝会、更に今日の南部リーグA最終戦、南部リーグB優勝....と、とんでもなく在庫を抱えて黒字倒産寸前なんである。まずは時系列的、コペルニクス的回転的、コンプライアンス遵守的法則に従い、粛々とブログ執筆に邁進すべきなんであるが、今日は発作的に本日のネタを簡潔に書いて完結したい。
南部リーグAチームの最終戦、イコール6年生の最後の試合である。
その後南部Bの決勝戦も行われた。
うちのフレンズではおそらくナンバー1のイケメン選手、6年Takutoがいる。
線が細くおとなしい性格のメンズなんである。今日写真を整理していて気がついた。
錦織圭と似てなくね?
更に今日の南部リーグ相手チーム、野川台フォルコンズにはとんでもない美少女がいたんである。筆者フレンズスコアラーコーチ兼、連盟広報部長兼、Queens広報部長を兼任している身である。(※半分は自称である)ゆえに相手チームに女子がいればQueensの血が騒ぐのだった。是非将来はQに入部勧誘したい。聞けばやはりハーフの子だった。
なんとも爽やかな愛くるしい笑顔は、Queensの赤いユニフォームもきっと似合うに違いない。
ダレノガレ明美いや、ホラン千秋に似ているではないか。
もっともこのタレントらよりもずっと可愛いのであるからこの子に失礼か(^-^)
(女子ゆえに公的了解を得てないので名前は伏せたい)
++++++++++++++++++++++
この日の執筆はいつになるやも知れずの「晴耕雨読」なんである。
秋の日差しを背景にネット裏からレンズを向ければ、
思わず知らず偶然の白い光がグランドを射抜いていた。
秋の定番写真アイテム、銀杏の樹の木漏れ陽もここ西野川ドームにも
日本中平等に射し込んでいたんである。
フォルコンズの6年生4人は最終戦で負けて号泣していた。
ぐっと胸に迫るものがあった。
反してフレンズは次戦のBチームでの優勝。
恒例のエールを送ったあとの帽子投げ。
今年も師走。
もう少しで2014年も、それぞれの人の胸の中で暮れようとしている。
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おっといけない、昨日は祝勝会で興が乗りオヤジどもと鷺沼で4次会まで飲んだくれて帰宅は午前3:00なんであった。ブログはさっさと書いて寝なきゃなんである。
ブログ写真ネタフォルダには、新人戦閉会式、オヤジ飲み会、宮前クラブ祝勝会、新人戦祝勝会、更に今日の南部リーグA最終戦、南部リーグB優勝....と、とんでもなく在庫を抱えて黒字倒産寸前なんである。まずは時系列的、コペルニクス的回転的、コンプライアンス遵守的法則に従い、粛々とブログ執筆に邁進すべきなんであるが、今日は発作的に本日のネタを簡潔に書いて完結したい。
南部リーグAチームの最終戦、イコール6年生の最後の試合である。
その後南部Bの決勝戦も行われた。
うちのフレンズではおそらくナンバー1のイケメン選手、6年Takutoがいる。
線が細くおとなしい性格のメンズなんである。今日写真を整理していて気がついた。
錦織圭と似てなくね?
更に今日の南部リーグ相手チーム、野川台フォルコンズにはとんでもない美少女がいたんである。筆者フレンズスコアラーコーチ兼、連盟広報部長兼、Queens広報部長を兼任している身である。(※半分は自称である)ゆえに相手チームに女子がいればQueensの血が騒ぐのだった。是非将来はQに入部勧誘したい。聞けばやはりハーフの子だった。
なんとも爽やかな愛くるしい笑顔は、Queensの赤いユニフォームもきっと似合うに違いない。
ダレノガレ明美いや、ホラン千秋に似ているではないか。
もっともこのタレントらよりもずっと可愛いのであるからこの子に失礼か(^-^)
(女子ゆえに公的了解を得てないので名前は伏せたい)
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この日の執筆はいつになるやも知れずの「晴耕雨読」なんである。
秋の日差しを背景にネット裏からレンズを向ければ、
思わず知らず偶然の白い光がグランドを射抜いていた。
秋の定番写真アイテム、銀杏の樹の木漏れ陽もここ西野川ドームにも
日本中平等に射し込んでいたんである。
フォルコンズの6年生4人は最終戦で負けて号泣していた。
ぐっと胸に迫るものがあった。
反してフレンズは次戦のBチームでの優勝。
恒例のエールを送ったあとの帽子投げ。
今年も師走。
もう少しで2014年も、それぞれの人の胸の中で暮れようとしている。
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有馬フレンズOB、宮前Queens、宮前区少年野球連盟のブログを通じた広報担当です。写真と文章のブログ、たまには個人的日々雑感も。
2014年12月4日木曜日
君よ涙の河を渡れ
宮前区新人戦の決勝は、有馬フレンズVS富士見台ウルフ少年野球クラブなんであった。
決勝戦では互いのチームから「ウグイス嬢」ならぬウグイス母嬢が、選手の紹介と試合途中の選手交代のアナウンスを担当。フレンズからは母マネージャーのOhmori母が。試合前から何度も練習をし、ビビリながらも結構楽しんでいたようだった。
その試合前の選手紹介では子ども一人ひとりが大声で挨拶。フレンズは判で押したように「がんばりま〜す」であったが、ウルフは「優勝目指して頑張ります」「絶対勝つように頑張ります」とか気転を利かしたオリジナルの挨拶。さすがは決勝戦慣れしている。もし筆者なら「野球を頑張って甲子園へ行って、将来は鮨職人になりたいで〜す」とでも言いたくなった。
最初これはシャッターチャンスと思い、カメラ片手にグランドへ飛び出したのだが、Fマークの帽子を被っていたことに気づき、速攻で連盟広報部の白い帽子に変えてレンズを向けたんであった。連盟の帽子は筆者にとっては水戸黄門の印籠と同義語なんである。
プレイボール!
1回表F裏W
互いに無得点。眠れる大砲Hajimeが四球を選び出塁、結果相手失策により先制点を挙げることに成功した。実はこの対戦カードはかつてオレンジボールでも決勝を戦った世代なんである。フレンズにとってはゴールデンエイジなのだった。それだけに1点とはいえギャラリーも欣喜雀躍なのだった。
マウンドはあの時と同じ主将のRui。マスクをかぶるのはYui。準決勝と同じスタメンで臨んだ。
3回表F
ラストバッターの小さな巨人Kyousukeが2-2からの5球目を引っぱりレフト前へ初ヒット。1番Ruiが犠打で送り2番Kohkiがショートグラブをかすめて抜けるタイムリーヒットで2得点目。スコアは最初はエラーにつけたが筆者のテンションも上がってご祝儀で安打に変えた。あの王者ウルフを無得点に抑えたまま更に追加点なんであった。ボルテージが上がらないわけがない。
神奈川県、川崎市、宮前区と少年野球のルールは毎年上意下達(じょういかたつ)のお達しがある。学童野球においては、1日に同じ選手が投球を行って良いとされるのは7回まで。つまりダブルヘッダーの場合、エースピッチャーは1試合目を4イニングくらいで切り上げ、次の2試合目で残りの3イニングに賭けることになる。試合内容や得点差にもよるが大事な試合になると、このあたりの計算も重要になってくる。FのRuiは準決勝ですでに3イニング投げているから、決勝では4回までだ。
またたった一球投げて交代してもその投手は1イニングをカウントされる。更に特別延長の場合は9イニングまで可能になるのだが、これには更に条件付きの複雑なルールがあってここで一朝一夕には語れないんである。連盟のNishimuraさんから取材したのだった。
4,5回W
対するウルフ。準決勝対ヤング戦での投手リレーもあってか、やはりピッチャーを変えてきた。先発Saitohくんから2回には早々とShimadaくん、更に3回にもOgasawaraくんにスイッチ。猫の目のようにくるくる投手交代。老獪かつ勝負を知り尽くした名将Ogasawara監督のフレンズを翻弄する作戦か。実にスコアラー泣かせなんである。
Wは初回から4回までゼロ行進の無得点。5回Ruiからマウンドを受け継いだ2番手Kyohから内野安打をもぎ取るも、やはりウルフ打線は沈黙を守ったままであった。
6回表F
初回に投げた先発のSaitohくんがまたマウンドに上る。Fは先頭Ruiがレフト前安打を飛ばすが後続を断ち切られる。新チーム監督のSatohとWのOgasawaraさんとの熾烈な心理戦でもある。スクイズを見事にはずされたこともあったが、互いのベンチのサインの読み合いでもある。フレンズの大砲1号2号のバットからこのゲームでは快音が聞かれることはなかった。
6回裏W攻撃
線の細いFのKyohは実に良く投げた。しかしここでウルフ打線に捕まった。Ogasawaraくんの二遊間を抜ける安打、Saitohくんの内野安打、4番Shirotaniくんのタイムリーで待望の1点を返すと、更に二死後Kimuraくんの中堅前適時打で同点に追いつく。
一気に盛り上がるウルフベンチと応援父母たち。点に飢えた狼軍団が牙をむき出した。
6回裏F守備
同時にこちらの目線はフレンズ守備である。
ちょうどファウルゾーンとフェアグランドの中間に、更にYui、Kyohの投本間にフライが上がった。両者猛ダッシュする。今迄のフレンズならどちらかがお見合いをし、ポテンとなるのだったが、この日は違った。執念でボールを追った二人はファウルグランドで激突したんであった。うずくまり起き上がれぬKyoh。サッカーならアディショナルタイムを取るくらい治療に時間がかかった。
ようやくマウンドに戻った彼に第一公園ドームの観客から割れんばかりの拍手。
7回表F
2:2の同点で迎えた最終回。筆者の脳裏にはもしやあの特別ルールもあり得るのではないかとの想像が駆け巡る。
Taichi四球、Shohgoの右前安打で走者が二人塁に溜まった。
普段はおとなしい怪我をしたKyohが打席に。思い切って初球を叩いた打球は右中間を超えて外野を転々と転がる。湧きに湧くベンチと応援ギャラリー。筆者も珍しく興奮気味でベンチの後ろをほとんど振り返らなかったが、いつの間にか大変な観客が成り行きを見守っていたらしい。あとで聞いた話だが球場の8割がフレンズを応援していたそうだ。野球に集中していて全く知らなかった。
苦しい中で最終回4:2と勝ち越したフレンズ。あとは裏を守りきるだけだ。
7回裏W
筆者は一瞬これで勝ったと思ったほどだった。試合後の談笑になるがOgasawara監督もこの時「負けた」と思ったそうだ。
しかし、百戦錬磨、僅差での勝利を真骨頂とするウルフはここからがドラマのラストシーンなんであった。まるで逆転劇を演出するために2点ビハインドに甘んじたかのように。
9番の先頭打者を四球で歩かせてしまった。筆者は思った。
....まずい。
下手すると4番までまわってしまうではないか。4番Shirotani君は前打席でヒットを放っており、鋭いバットスィングが脳裏に焼き付いている。終わってみるまで勝敗は分らないのがウルフ戦なんである。このパターンで十数年何度も苦汁を飲まされてきた。
これが杞憂に終わらなかったんである。
1番Wadaくんもデッドボールで1,2塁とし、続いてダブルスチール、WPで1得点1点差にまでなった。更に2番Ogasawaraくんの起死回生のタイムリーでSaitohくんが生還し同点。
緊迫するベンチ。筆者は試合の行方を見るためにスコアブックを投げ出したくなった。
4番Shirotaniくんまで回ってしまった。監督Satohはここで豪腕Hajimeにスイッチ。
1-3から好球必打。思い切り振り切った打球はセンターへの浅めのライナー性フライ。
センターTaichiが捕球と同時に、3塁走者Ogasawaraくんはタッチアップ、3塁ベースを蹴り果敢に離塁スタート。
バックホーム送球は逸れたものの、捕球した捕手Yuiと走者が交錯し.....。
「セーフ!」
劇的なフレンズのサヨナラ負けであった。
私は12年ぶりの宮前公式戦優勝を夢見ていた。しばらく言葉を失った。
一瞬にして悲鳴と歓声がこだまする。
子どもたちの中には何人も泣く子もいた。
母たちも相当数泣いていた。
観戦していた他チームの母ももらい泣きしていたそうだ。
周りの関係者からも、素晴らしい試合を見せてもらったと肩をたたかれた。
この涙は悲しいからではない。
悔し涙を通り越し、感動の涙であったろうと思う。
一生懸命にプレーした子らの姿に理由もなくこみ上げてくる熱い思いがあったのだろう。
時間が経つにつれ、涙はいつしか静かな歓喜に変わる。
決勝まで行った経験と実績は君たちを大きく成長させるだろう。
絶対王者相手に破れたとはいえ、準優勝という快挙を成し遂げたのだから。
冷たい涙の河を渡れ。
そこにそびえる厳しい冬山を越えろ。
その向こうには春の陽光に満ちたフィールドが君たちを待っている。
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決勝戦では互いのチームから「ウグイス嬢」ならぬウグイス母嬢が、選手の紹介と試合途中の選手交代のアナウンスを担当。フレンズからは母マネージャーのOhmori母が。試合前から何度も練習をし、ビビリながらも結構楽しんでいたようだった。
その試合前の選手紹介では子ども一人ひとりが大声で挨拶。フレンズは判で押したように「がんばりま〜す」であったが、ウルフは「優勝目指して頑張ります」「絶対勝つように頑張ります」とか気転を利かしたオリジナルの挨拶。さすがは決勝戦慣れしている。もし筆者なら「野球を頑張って甲子園へ行って、将来は鮨職人になりたいで〜す」とでも言いたくなった。
最初これはシャッターチャンスと思い、カメラ片手にグランドへ飛び出したのだが、Fマークの帽子を被っていたことに気づき、速攻で連盟広報部の白い帽子に変えてレンズを向けたんであった。連盟の帽子は筆者にとっては水戸黄門の印籠と同義語なんである。
プレイボール!
1回表F裏W
互いに無得点。眠れる大砲Hajimeが四球を選び出塁、結果相手失策により先制点を挙げることに成功した。実はこの対戦カードはかつてオレンジボールでも決勝を戦った世代なんである。フレンズにとってはゴールデンエイジなのだった。それだけに1点とはいえギャラリーも欣喜雀躍なのだった。
マウンドはあの時と同じ主将のRui。マスクをかぶるのはYui。準決勝と同じスタメンで臨んだ。
3回表F
ラストバッターの小さな巨人Kyousukeが2-2からの5球目を引っぱりレフト前へ初ヒット。1番Ruiが犠打で送り2番Kohkiがショートグラブをかすめて抜けるタイムリーヒットで2得点目。スコアは最初はエラーにつけたが筆者のテンションも上がってご祝儀で安打に変えた。あの王者ウルフを無得点に抑えたまま更に追加点なんであった。ボルテージが上がらないわけがない。
神奈川県、川崎市、宮前区と少年野球のルールは毎年上意下達(じょういかたつ)のお達しがある。学童野球においては、1日に同じ選手が投球を行って良いとされるのは7回まで。つまりダブルヘッダーの場合、エースピッチャーは1試合目を4イニングくらいで切り上げ、次の2試合目で残りの3イニングに賭けることになる。試合内容や得点差にもよるが大事な試合になると、このあたりの計算も重要になってくる。FのRuiは準決勝ですでに3イニング投げているから、決勝では4回までだ。
またたった一球投げて交代してもその投手は1イニングをカウントされる。更に特別延長の場合は9イニングまで可能になるのだが、これには更に条件付きの複雑なルールがあってここで一朝一夕には語れないんである。連盟のNishimuraさんから取材したのだった。
4,5回W
対するウルフ。準決勝対ヤング戦での投手リレーもあってか、やはりピッチャーを変えてきた。先発Saitohくんから2回には早々とShimadaくん、更に3回にもOgasawaraくんにスイッチ。猫の目のようにくるくる投手交代。老獪かつ勝負を知り尽くした名将Ogasawara監督のフレンズを翻弄する作戦か。実にスコアラー泣かせなんである。
Wは初回から4回までゼロ行進の無得点。5回Ruiからマウンドを受け継いだ2番手Kyohから内野安打をもぎ取るも、やはりウルフ打線は沈黙を守ったままであった。
6回表F
初回に投げた先発のSaitohくんがまたマウンドに上る。Fは先頭Ruiがレフト前安打を飛ばすが後続を断ち切られる。新チーム監督のSatohとWのOgasawaraさんとの熾烈な心理戦でもある。スクイズを見事にはずされたこともあったが、互いのベンチのサインの読み合いでもある。フレンズの大砲1号2号のバットからこのゲームでは快音が聞かれることはなかった。
6回裏W攻撃
線の細いFのKyohは実に良く投げた。しかしここでウルフ打線に捕まった。Ogasawaraくんの二遊間を抜ける安打、Saitohくんの内野安打、4番Shirotaniくんのタイムリーで待望の1点を返すと、更に二死後Kimuraくんの中堅前適時打で同点に追いつく。
一気に盛り上がるウルフベンチと応援父母たち。点に飢えた狼軍団が牙をむき出した。
6回裏F守備
同時にこちらの目線はフレンズ守備である。
ちょうどファウルゾーンとフェアグランドの中間に、更にYui、Kyohの投本間にフライが上がった。両者猛ダッシュする。今迄のフレンズならどちらかがお見合いをし、ポテンとなるのだったが、この日は違った。執念でボールを追った二人はファウルグランドで激突したんであった。うずくまり起き上がれぬKyoh。サッカーならアディショナルタイムを取るくらい治療に時間がかかった。
ようやくマウンドに戻った彼に第一公園ドームの観客から割れんばかりの拍手。
7回表F
2:2の同点で迎えた最終回。筆者の脳裏にはもしやあの特別ルールもあり得るのではないかとの想像が駆け巡る。
Taichi四球、Shohgoの右前安打で走者が二人塁に溜まった。
普段はおとなしい怪我をしたKyohが打席に。思い切って初球を叩いた打球は右中間を超えて外野を転々と転がる。湧きに湧くベンチと応援ギャラリー。筆者も珍しく興奮気味でベンチの後ろをほとんど振り返らなかったが、いつの間にか大変な観客が成り行きを見守っていたらしい。あとで聞いた話だが球場の8割がフレンズを応援していたそうだ。野球に集中していて全く知らなかった。
苦しい中で最終回4:2と勝ち越したフレンズ。あとは裏を守りきるだけだ。
7回裏W
筆者は一瞬これで勝ったと思ったほどだった。試合後の談笑になるがOgasawara監督もこの時「負けた」と思ったそうだ。
しかし、百戦錬磨、僅差での勝利を真骨頂とするウルフはここからがドラマのラストシーンなんであった。まるで逆転劇を演出するために2点ビハインドに甘んじたかのように。
9番の先頭打者を四球で歩かせてしまった。筆者は思った。
....まずい。
下手すると4番までまわってしまうではないか。4番Shirotani君は前打席でヒットを放っており、鋭いバットスィングが脳裏に焼き付いている。終わってみるまで勝敗は分らないのがウルフ戦なんである。このパターンで十数年何度も苦汁を飲まされてきた。
これが杞憂に終わらなかったんである。
1番Wadaくんもデッドボールで1,2塁とし、続いてダブルスチール、WPで1得点1点差にまでなった。更に2番Ogasawaraくんの起死回生のタイムリーでSaitohくんが生還し同点。
緊迫するベンチ。筆者は試合の行方を見るためにスコアブックを投げ出したくなった。
4番Shirotaniくんまで回ってしまった。監督Satohはここで豪腕Hajimeにスイッチ。
1-3から好球必打。思い切り振り切った打球はセンターへの浅めのライナー性フライ。
センターTaichiが捕球と同時に、3塁走者Ogasawaraくんはタッチアップ、3塁ベースを蹴り果敢に離塁スタート。
バックホーム送球は逸れたものの、捕球した捕手Yuiと走者が交錯し.....。
「セーフ!」
劇的なフレンズのサヨナラ負けであった。
私は12年ぶりの宮前公式戦優勝を夢見ていた。しばらく言葉を失った。
一瞬にして悲鳴と歓声がこだまする。
子どもたちの中には何人も泣く子もいた。
母たちも相当数泣いていた。
観戦していた他チームの母ももらい泣きしていたそうだ。
周りの関係者からも、素晴らしい試合を見せてもらったと肩をたたかれた。
この涙は悲しいからではない。
悔し涙を通り越し、感動の涙であったろうと思う。
一生懸命にプレーした子らの姿に理由もなくこみ上げてくる熱い思いがあったのだろう。
時間が経つにつれ、涙はいつしか静かな歓喜に変わる。
決勝まで行った経験と実績は君たちを大きく成長させるだろう。
絶対王者相手に破れたとはいえ、準優勝という快挙を成し遂げたのだから。
冷たい涙の河を渡れ。
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その向こうには春の陽光に満ちたフィールドが君たちを待っている。
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