2012年2月22日水曜日

父母会と壮行会

最近土日、野球に行けてないのである。
中学時代イケてない芸人ではない。仕事でグランドへ行けてないのだ。
でも日曜は父母会があり、その後恒例のシーズン突入直前の「壮行会」がある。

2時まで仕事をし、3時から父母会へ。
チーム事情によりここ何年も「父母会」なるものは、我々フリーの指導者のイニシャチブによって運営されてきた。長い目で見た時に本来「父母会」なのだから父母・保護者が中心となって開催すべきだと、筆者はここ数年チームに提唱してきたんである。どんどん父母たちがリードしてチームを盛り上げる空気感が望ましいと私は思う。とりもなおさず、そういう形態が息の長いチームになりうるし、我々はそれをサポートすれば良い。現実的には子どものいない指導者たちがチームや野球を引っ張っていくのが当然としても、これが強くなりすぎると思わぬトラブルを招くことの要因になる。

要はバランスである。
二人三脚という言葉があるけれど、子ども・指導者・保護者・の三角形が正三角形を形成するべきだ。二等辺三角形じゃだめだし、イビツな図形でもいけない。まるでPTA(Parent-Teacher Association)みたいだけど、ここに子どもを中心に据えていなきゃならない。言うなれば子ども=Children・指導者=Coach・保護者=Parentで、CCPが正三角形を構成すべきだと思う。
筆者の子どもがお世話になった時代は正にこのCCP。
親たちが中心になりチームを運営し、指導者には敬意を以て野球指導に専念してもらったという自負がある。
近年は子どもの数、協力してもらえる親の数が激減したので、止む無く指導者中心のチーム体勢であったけれど。筆者は昔のことを押し付けてるのでは決してない。温故知新。古きをたずね新しきを知ることも悪くないはず。歴史を理解したうえで今の時代に即して変えて行けば良い。
筆者の念願叶い、今年から母マネ=親中心での開催となった。がしかし、若干まだ指導者側が前面に立って会議をリードした感はあるものの、これはまだ致し方なし。ちょっとずつ変化していければいいと思う。


シーズン開幕は目前。
近くのファミレスにて「ココロをひとつ」にするための壮行会を開催。
まあ、たぶん子どもたちには楽しい食事会としか理解してないかもだけれど、それもまた良し。



一人ひとり、母たちもスピーチ


続いて父・コーチたちも参戦


我々指導陣も立ってお話....子どもらはゲームに夢中か!?時代の趨勢と言えばそれまでだけれど...。


新監督=Otsubo、29番=Inoue、28番=Nishikawa
全国のみなさん、全国大会で出会った時はよろしくお願い致します(^^)


さて、このあと2次会は居酒屋その1でワイガヤの大盛り上がり大会。
今年からすでにOBとなったOno母や途中から参戦のYaコーチも加わり、話はあらぬ方向へ舵を切ったのであった。舵をぐいんぐいん切ったのは筆者。オトナの飲み会だもん。
ムフフ...その顛末は次回なのだ。
しかし詳細は書けないけれど、タイトルだけは決まっている。
タイトルはナニカと言うと...「ぞっこん」なんである(^^)


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2012年2月21日火曜日

20th記念誌Vol.10未来の記憶ノート本編


  未来の記憶ノート      T.Teshima

あの日のことをぼくは忘れない
大事な試合 最後の守備 緊張の場面
うなりをあげて迫る白球 ボールはグローブを弾いた
ぼくのエラーでチームは敗けた
涙をこらえ自分の影を踏みつけながら駆け戻るベンチ
みんなの顔が見られない そんな時誰かがぼくの肩をたたいて言った
「ドンマイッ!つぎ、がんばろう!」
あのときの仲間をぼくは忘れない

あの日のことをおまえは憶えているか
初めて買ったグローブ 父さんとの初めてのキャッチボール
ワンバウンドが顔に当たり おおげさに泣き出した
「やきゅうなんて、やだっ」グローブを投げ出し家へかけもどる
その晩おまえの寝顔の横には 
大事そうに置かれたぴかぴかのちいさなグローブ
翌朝目を輝かせて言った「お父さん、キャッチボールやろう!」
あの時の瞳を父さんは忘れない

あの日のことをあなたは憶えているかしら
早起きして作ったお弁当は今日はちょっと特別
だってこの日は六年最後の試合と私の誕生日が重なって
玄関を出て行くあなたの背中は何か言いたそうだったね
青の空 樹々は緑 白球が伸びやかな弧を描く
私にとっても今日が最後の応援
チームは勝ったのに 打てなかったあなたはどこか淋しそう
「誕生日のお祝いにヒット1本プレゼントしたかったけど...ごめん」
母さんはホームラン100本分くらい嬉しかったよ 涙がでるほど
あのときの言葉を母さんは忘れない

やがて少年少女(キミ)は二十歳(オトナ)になるだろう

あの頃の太陽(ひ)の光と渡る風の匂い

星が語る言葉は 記憶の海の想い出ノート

仲間(ともだち)、家族、人とひと 人の光はキミの影を強くする

絆なんて言葉は似合わなくてもいい でも

ただ キミが人を信じられるひとになろう

ただ キミは人に信じられるひとになろう

ちょっとずつ記憶を重ねていこう

目の前に広がる 白紙の海の 未来ノート

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2012年2月19日日曜日

20th記念誌Vol.9「未来の記憶」予告編

荻原浩の小説に「明日の記憶」という傑作がある。
渡辺謙主演で映画化もされた。原作に劣らぬ出来映えの大好きな映画である。
「明日」と「記憶」という相反する言葉の意味合いを融合させることで、どこかしら奇妙な違和感を感じさせる。のどの奥に刺さった魚の小骨のような。

「記憶」という存在は常に「過去」に配置されるべきもので、「未来」というステージに「記憶」というポジションはあり得ない。
でも、だから良い。
子どもの未来は真っ白なノートのようなもの。
一人ひとりがその白紙のノートに、それぞれの「未来」を自ら書き込むことになるだろう。大人になった時、未来に書き連ねた言葉はやがて記憶となってキミの胸に納まるはずだ。

連盟記念誌制作ではページ数の調整が何度か行われ、途中段階でこの「詩歌」のページが生まれた。当初段階では全く予定になかったページ。Nishimura編集長の判断で小生にオファーがあり、例によって安請け合いをしてしまったものの、降臨するまでがなんと長かったことか。悶々とすること数ヶ月。どうゆうタイミングでアイディアが浮かんだのかは忘れたけれど、深夜に降臨したとたんすぐさま手元のノートに殴り書き。推敲2回。更にもう一度書いてみる。ほぼこれで完成。

子と父と母の「記憶」の物語。
数日寝かしておいて自作をまた読んでみる。.....何か足りない。
最後に第三者の目線で子どもへの「希(ねが)い」を書きたかったことに、今更ながら気づいた。そのことに気づいたとたんに、一気呵成に書き上げた。
バックには白紙のノートの写真を敷き込み、あえてモノトーンで構成。白球のボールの写真は光と影を計算してグランドで撮影し、ザラリ感をつけて挿入。

全てデータ完成したのち、最後にどうにも自信が持てず編集長へメール入稿することを逡巡(しゅんじゅん)。
信頼のおけるある人へメールで送り読んでもらった。
返信の感想はあっけなく、かつ素っ気ないものだった。ますます疑心暗鬼。
でも、かえってこれで気持ちが吹っ切れた。

次回「未来の記憶」本編にて公開。



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2012年2月15日水曜日

青年老い易く光陰矢の如し

タイトルのまま、なんである。
「青年老い易く、学成りが...」更に「光陰矢の如し」

今日はバレンタインデーでしたね。世の男性諸氏はたんまりと「義理チョコ」をもらったことと拝察申し上げます。
筆者中学生のころ、バレンタインにはちょっとはもらったものであった。
当時はもちろん義理チョコなどという慣習はあるはずもなく、女子がチョコレートをあげるイコール本命チョコであったんであるわけであるからして.....。
14歳の2月14日は風邪をひいていて、けほけほ咳をしていたら、チョコといっしょに風邪薬も同封してあったこともあったりしちゃったりなんかして....。
サッカーの部活が終わり帰宅する時には、4トントラックを3台頼んだほど。
(ちびまるこちゃんの花輪くんじゃないっつうの(^^)ベイベェ〜)

「俺も昔は結構モテたんだぞぉ」と吹聴するようになっては、すでにオトコとしてオシマイなんである。
とは言うものの、「青年老い易く...光陰矢の如し」
今は昔の今昔物語。
会社員を辞めてフリーランスでやるようになったら、義理チョコすら激減した。
ましてや娘が嫁いでいなくなった今は尚更である。
かろうじてフレンズ母からの義理チョコはたまにある。それでもやっぱりバレンタインデーが土日に重なった年くらい。あっ!昨年もらった母にホワイトデーに返してなかったことを突然思い出した。仕事でグランドへ行けなかったからではあるけれど...ヤベッ。

今日、配偶者から義理以外の何者でもないという空気感たっぷりの義理チョコをもらった。
まあ、まだ一個だけでもいただけるなら良しとすっか。
携帯写真で画像は汚いけれど、流石、りゅうせき、流れ石!やっぱGODIVAはうまい!


携帯の中の写真をいじっていたら、去年撮ったこんな写真を発見したのでついでにアップしちゃう。筆者の腕枕で寝ているあられもない姿を撮った。若いのに腰痛に悩まされている女子「りん」である。
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2012年2月12日日曜日

広島へPART2

今日、日曜も仕事であったけれど、練習は近くの西有馬小学校だったので途中からちょっと気分転換に顔をだした。どれだけ近くかというと、歩いて200m、走っても200m、車で行っても200m、ひょっとして犬が走っても、蟻が歩いても200mの近さなのだ。
行っていきなりバッティングピッチャーのキーパーをやった。Kanedaコーチ一人で老体にムチ打って二人のピッチャーに球を供給していたからだ。今日はいつにも増してオトナがたくさんいるのにな。最近肩にトラブルを抱えてスローイングが思うに任せず痛かったのだけれど、今日は調子がいいらしく、右手が半分マウス化してしまった筆者には適度な運動になったみたい。

さて、今回は「広島へPART2」
それにしても夜行バスに4名の客=約4万円の売上でやっていけちゃうのだろうか。バスの減価償却費+横浜から広島までの高速代+ガソリン代+二人の乗務員の深夜勤務の人件費+会社の利益.....。絶対赤字ですよね。そのかわり満員の時は過剰な利益が出るので相殺しちゃうのだろうと想像する。

東広島市に着いたのは朝の6:45。
関東の7時頃はもう明るいけれど、こちらは西日本、まだ薄暗いわけで。市役所が開くまでにはまだ2時間ある。あらかじめネットで調べておいた24時間営業のファミレスに直行、朝食とドリンクバーで粘る。コーヒー4杯。昔のマクドナルドやファミレスのコーヒーは「茶色いお湯」としか思えなかったけれど、近年のそれはなかなかどうして優秀である。スタバやタリーズの影響であろう。質が格段向上していると感じているのは筆者だけじゃないはず。

市役所で用事を済ませたが、昼メシまでにはまだ時間がある。
ここは西条というところ。著名な灘、伏見と並び酒の日本三大醸造地であることは、案外知られていない。賀茂鶴、白牡丹などの産地である。シンとした静かな冬の空気の中で、レンガの煙突があちこちに見え隠れする古い佇まいは、歩いていて実に気分の良いものである。


土蔵建築の代名詞でもある「なまこ壁」。店舗デザインに取り入れることもあるけれど、目地の割付方法はなかなか緻密で侮れないのである。
西条駅近くで見かけた看板。はて誰かの名前だったような気がするが(^^)

午後も徒歩で3件の用事をこなし、やっと投宿先のホテルへ向かう。
地方都市ではよく見かける子どもの姿。
自転車に乗る女子中学生はヘルメットにジャージ。若い頃の筆者の目には滑稽に見えたこのヘンテコリンな姿も、今となればとても素朴で健気(けなげ)に思えるんである。がんばれニッポンの中高生!...ついでに、がんばれニッポンの中高年!

一気に飛んで翌朝である。東広島グリーンホテルモーリス。
素泊まり1泊5,000円とは思えぬほどの快適で素晴らしいホテルであった。おそらく東京で同じグレードのビジネスホテルであれば9,000円から1万円はするかも。ロビーの調度の趣味も大変良し。
和と洋の朝食バイキング。
筆者の前にはトレーを片手にちんまりとしたオジサンがいた。私は、和洋バイキングは旅館では和食を、レストランでは洋食メニューを選択することが多いので、洋食を中心にチョイス。前のオジサン(といっても筆者よりは年下)は和食をしっかり選んでいた。
席について横目で観察すれば、茶色い靴にベージュのコッパン、ビミョーに白いシャツにベージュのジャケット。おまけに頭髪はこれまたビミョーに淡い色の茶髪に染めているんである。EXILEのライブに乱入した岡村隆オカザイルが、警備員の服を脱いでベージュの猿の着ぐるみを着たような感じ。
そのベージュオカザイル君、席につくとおもむろに納豆をクニクニし始めたんである。それはそれで、日本の正しい朝食のあるべき姿であるからして、なんら問題はないのだが、そのクニクニに要する所用時間がハンパないのであった。小皿にあけた納豆に箸を突っ込み、延々と箸を廻し続けクニクニしちゃうのである。筆者は黙々と食事を進めている間も、まだやっている。
腱鞘炎になるんではないかと心配したほどだ。
これ以上廻し続けたら、しまいには溶け出してバターになってしまうかと思ったほどだ。ちびくろサンボの虎になっちゃうぞっ。
筆者朝食を済ませコーヒーのおかわりをする頃になって、ベージュオカザイル君、やっとクニクニする箸の回転を止め、ご飯に手をのばしたんである。(ちょっと脚色しました)ご飯にかけた例の納豆はといえば、もちろんバターに化けていたんである。(更に脚色しました)

広島駅まで在来線で出て、今度は昼メシ。
広島といえばカキ。そしてお好み焼き。大阪のお好み焼きの10倍はうまし。ましてや月島のもんじゃ焼きの100倍はうまい、と個人的には思っている。
回らない鮨屋さんでは絶対箸を使わず、手でつまんで鮨を喰うのが筆者のこだわり。それと同じニュアンスだろうか、広島焼きはツウは箸ではなく、金属のヘラで食べるのだ。筆者も挑戦。終始一貫ヘラで切ってすくって食べた。

帰りはさすがに新幹線の車中の人となる。
残り10数ページの石田衣良をビール1缶で読了しちゃった。
そんなこともあろうかと、用意周到に横浜で買っておいた浅田次郎「草原からの使者」を読み始める。電車の中で読む本がないのは、パンツをはき忘れて学校へ登校しちゃうようなものだ。しかし飲むビールがない。車内販売は高いぞ。
仕方なく配偶者にお土産で買ったはずの「カープの酒うまいじゃろ」を開けてもええじゃろ。
新横浜に到着。更に「ほぼ地元」であるセンター北駅に着いた。
帰宅しメシ食ったあと夜からまた図面仕事をリスタートである。
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