2013年2月3日日曜日

グランドに感謝

何しろ年が明けてからこのかた、1月はグランド使用が全滅だったんである。
雪が降ったり霜がおりたりのグズグズ状態で、天からはさんざん降りてきたが、小学校からの許可はおりなかったわけで。

それでもしぶとくコーチや父たちがあちこち駆け回り、時間と場所を確保してトレーニングは実行していたようだ。子どもたちは大人に感謝しなきゃである。
今日はやっと文字通り晴れてグランドでの練習となった。今月はシーズン開幕で新チーム初のグリーンカップがあるし、オレンジボール東京本大会も控えているわけで、ほっと胸をなで下ろした。

キャッチボールやノックもそこそこに今日はいきなり紅白試合を敢行である。
5年以下のレギュラーチームと下級生チーム。6年生の3人は下級生チームに入り試合開始。これで人数がギリギリなのがちょっぴり痛々しい。今年も本気で人を集めないとヤバイのである。
しかし今の子たちはそんなことなどどこ吹く風の又三郎。昨日今日と久々の広いグランドで伸び伸び野球をやっていた。

冬のあいだじゅう校庭が使えない雪国の少年たち。更にまだグランドどころか野球も出来ないでいる被災地の子たちに一瞬思いを馳せてみた。

グランドで野球が出来る喜び。しっかり感謝しよう。
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2013年2月2日土曜日

何が暴力なのかについて

普段からここで稚拙な文章を垂れ流している筆者が、自分の文章力を顧みず、こともあろうに今大問題となっている「体育会系の暴力的指導」について、言葉を選択しながら論じるのはいささか腰が引ける。ここ数週間TVやネットのニュースに上がるたび、仕事の手を止めてじっくり自分なりに咀嚼していた。しかし咀嚼してもなお、いまだに喉元を通過しきれていないのである。ニッポンが猫も杓子もこぞって「暴力100%反対」という時勢に対して、どこか割り切れない何かが、胸の中に澱んでいるのを自覚しているからだ。でもいつかは書かなければという、妙に後ろから追い立てられるような使命感、かつ焦燥感みたいなものがあった。

大阪桜宮高校のバスケ部員の自殺に端を発し、全日本柔道女子の告訴状がJOCに送られ、監督解任にまで至った連日のマスコミ報道は周知のこと。問題はこれからだと思うのである。今回の体罰や暴力が何も、高校の部活やオリンピックナショナルチームの問題に限ったことではないことは、報道を見ている読者諸氏も感じていることであろうと思う。特にスポーツに関わった経験者なら尚更だ。筆者はたまたま、少年野球指導者の端くれにいるわけで、特に自分の置かれている環境に準じて、事件を置き換えてみてしまう。我がフレンズはどうなのか。うちの宮前のチームはどうなのだろうかと。高校野球ではいまだに「体罰・暴力」的指導は根強くあるであろうし、小中高大学社会人に至るまで、他のスポーツ団体においても少なからず同じ問題を孕(はら)んでいるはずだ。おそらく橋下大阪市長が言うところの抜本的な学校再建や、全柔連による監督解任だけで丸く収まる話ではなかろう。スポーツ界も越えて日本のあらゆる教育や指導というものに対して、ニッポン総国民「体罰・暴力」反対に大勢が傾くに違いない。

筆者ももちろん「暴力」は大嫌いだ。小さい頃は友達とよく取っ組み合いの喧嘩もしたが、基本的に肉体的な争いごとは好きではない。スポーツとしての肉体的競合はやるのも観るのも好きだけれど。国際的な世界基準としても体罰を与えて熱血指導するなどは、およそ考えられないことらしい。桑田真澄氏が熱く説くように「体罰・暴力」的指導は百害あって一利無し、にも頷ける。
「暴力はいけない」は当たり前である。

では果たして暴力の定義とは何なのだろう...。

ネットでさっくり調べてみた中で、こんなのがあった。
例えば電車を待っている列に並んでいたとする。電車がホームに滑り込んできたとする。すぐ目の前のバカカップルがイチャイチャして前に進もうとしないとする。電車の発車チャイムが鳴っても尚、遅々として乗り込もうとしないとする。こんな時普通ならどうするか。思い切り罵声を浴びせることも選択肢のひとつではあるが、オトナならば少し手のひらやカバンでもって相手の背中を前へ押し込むように、それとなく促し啓蒙してやることであろう。「あとがつかえてんだぞ、さっさと乗れよなっつーの」なんて心で毒づきながら。
ところがである。この行為も法律上は「暴力行為」になるんだそうだ。相手の衣服や体に触れたとたんに法的実効力を伴うのだ。一般常識からして裁判上はおとがめ無しになるのだが、これって如何なものかと思う。一般常識に鑑(かんが)みて一般常識から逸脱した法律でいやしまいか。

何が暴力でどこからが体罰なのだろう。
筆者が斜(はす)に構えすぎて天の邪鬼なのだろうか。もちろん暴力や体罰を容認するものでは決してないけれど、これからこのニッポン、どうなるのであろうかと杞憂する。例が不適切かもしれないが、極論すればどこかしら、戦時中のイタリアのファッショに通ずるような全体主義に走ってしまうのではないか。世間の目に怯えて言いたいことも言えず、大勢(たいせい)に迎合してしまう人が増えることになるだろう。おそらく昨日まで子どもの頭を軽くはたいていた野球指導者も、明日からは手のひら返すように「暴力反対」を声高(こわだか)に叫ぶことだろう。

ちょっと前の話ではあるけれど、某アイドルが10代の頃喫煙だか飲酒だかをやっていたことを、若かりしころのやんちゃな記憶としてブログで軽く書いたら、芸能界から抹殺されたということがあったと思う。そのうち近い将来、少年野球指導者として子どもの頭を軽くはたいたことを回想録としてブログに書こうものなら、速攻「幼児虐待、暴力、体罰」の権化(ごんげ)として、当局に逮捕起訴されて控訴も認められず325年の刑に処せられることになるかもしれない。

翻(ひるがえ)って「言葉の暴力」。パワハラのひとつである。
園田監督は選手に対して「死ね」と言ったそうだが、前後の文脈がどうだったかは知る由もないが、事実とすればこれはいけない。
「言葉の暴力」は時に肉体の傷よりも心の傷のほうが根深く残るものだ。体の傷は治るけれど心の傷は一生トラウマとなって暗闇の奥で癒えずにいることがある。かく言う筆者も今では少なくなったと思うけれど、若い頃は煮えたぎる思いを相手にぶつけて論破しても、どうにも気分が悪く、「どうしてあんなヒドイことを言ってしまったんだろうか」とその晩、猛省のあまり、眠れない日があったりした。反省するくらいなら最初から言わねばいいものをと。

「差別用語」の対極にあるものとして「言論の自由」がある。
ずいぶん昔、「差別用語」ではないとして「言論の自由」を訴えた作家連合があった。確か筒井康隆氏が筆頭だったと記憶する。身体に障害を持つ方への差別的用語はもとより、「左利き=ぎ○ちょ」や「インスタントカメラ=バカチョ○カメラ」「独身者=チョ○ガー」など列挙すればきりがない。差別的感情を以てしてそれを言葉に書いてしまうことはもちろんいけないことだと思う。しかし、なんでもかでも、締めつけるのは正に自由の剥奪、言論統制に繋がりかねない。そのボーダーラインをどこに線引きするか、難しい問題ではあるけれど。

暴力や体罰はいけないことと思うけれど、感じ取る側に暴力や体罰を受けたという認識があるかないかにもよるところが大きいはずだ。技術的な瑕疵(かし)ではなく、だらだらとした練習態度に対して、指導者が目の前で我が子に対して叱責することも果たしてパワハラになってしまうのか?近い将来親によっては「うちの子に対してなんて酷いことを!訴えてやる」と意気込む向きもあろうが、逆によくぞ言ってくれた、もっと厳しく指導して欲しいと解釈する親もいるのも事実である。受け手の受け取り方で大きく変わってしまうのだ。

連日の報道に忸怩(じくじ)たる思いをちょっぴり抱えながらやっと書いてしまったけれど、ここまで書いておきながら言葉足らずでまだスッキリしない気分である。
ダメなものは絶対ダメだけれど、だからといって、極端な規制に盲目的に大勢がなだれ込んでしまう風潮を危惧してしまうのである。

以前にも書いたような気がするけれど、最後に高校時代のエピソードをひとつ。
筆者の年代だから肯定的な話になってしまうのかもしれない。校内暴力が日本中を席巻していた頃の年代の人には真逆の想いがあるやもしれないのだが。これを美談として、すなわち暴力を肯定するものでは決してないことは、賢明な読者ならご理解いただけるはず。

公立男子高校3年生の秋。
学園祭で模擬店を企画して気心知れた友人数人で喫茶店をやった。喫茶「アリス」当時ラジオの深夜放送でハマっていた、谷村新司のバンド「アリス」にあやかったものだ。山形では誰も知らない時代である。
売上から原価を差し引いてのささやかな純益で打ち上げをやった。多少やんちゃ坊主だった俺たちは深夜の居酒屋で乾杯。ナナハンで来ていたヤツはジュースで乾杯であったが、筆者も含めてほとんどが慣れないビールを飲みタバコをふかした。ちょっぴり「不良」になった気分であった。
翌日朝学校に行くと、ある理由があって飲酒が学校にばれていた。
速攻全員職員室に呼ばれる。陣頭指揮に当たったのは柔道部顧問でもあり体育の先生でもあり俺の担任でもあった、H先生。普段から生徒には厳しく頭をたたく、ケツを蹴るなんて当たり前。俺たち生徒からは陰でバカにされながらも、本当に嫌いなヤツはいなくどこか憎めないキャラの先生であった。

個別事情聴取のあと、全員一列に並ばされた。
「いいか、おまえら!今から顔をビンタするから歯をくいしばってしっかり立っていろっ!」

一人ひとりへの制裁のビンタの乾いた音が職員室に響き渡る。
俺の番になった。
ぐっと奥歯を噛み締め、H先生の目を見据える。

先生の目は赤く涙を流していた....。

成人して結婚し自分に子どもが出来て人の親になり、初めてあの時の先生の涙を理解したように思う。手を挙げたほうにも心の痛みがあるのだということを。
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2013年1月30日水曜日

アートは電気羊の夢をみるか

仕事の話で恐縮至極なんである。
ただしデザインや設計の職業柄、企業のコンプライアンス、守秘義務が常につきまとうので、ブログなんかでつまびらかには出来ないから、具体的名称や固有名詞なんぞはボカさなきゃなんである。更に筆者が棲息するこの業界、最後の最後で大ドンデン返しや、仕事の話そのものが消滅することも珍しくはない。この業界のみならず、オトコの仕事には大なり小なりこれは付きものなのだろう。

それで今回のブログである。
今日この仕事が突然ポシャッてしまったので書けるわけで。継続していたら完成するまでこのブログには書けない。
先日恵比寿時代の懐かしい人から電話があり、とあるお菓子メーカーの包装紙のデザイン、イラストの仕事が舞い込んだ。筆者今では店舗設計業界でうごめいているのだけれど、学生の頃、進路はインテリア設計かグラフィックデザインかで迷ったこともある。だからいまだにイラストやグラフィックの仕事は大好きなんである。
オーダー内容のファクターは「スカイツリー」「浅草寺五重の塔」「桜」である。
この組合せでのイラスト制作。日曜にネットで資料収集。それを元に手描きのイラストを描いて組み合わせてスキャンし、MacのAdobe「PhotoShop」というソフトで着彩という段取りであった。

先日iPhoneの写真アプリでスケッチ風に撮れるものを紹介したけど、プロが使うソフト「PhotoShop」ではなく、素人でもパソコンで編集加工できるソフトを発見したんである。ガッツリ写真資料を収集したあと、このソフトで加工した画像を紹介してみたい。
アメリカの「無料ソフト」というより「無料サイト」である。
自分の対象画像をこのサイトにアップして、数十種類の画風から好きなものを選べば瞬時に加工してくれるのだ。デスクトップに保存も可能。

まずはスカツリ。
左がオリジナルで右はアウトラインだけを抽出したもの。

次が浅草寺五重の塔。これを元に手描きのペンでトレースする予定だった。

桜。スケッチ風と水彩画風に変換してみる。

最後は背景になる青空バック。これはゴッホ...いや、...じゃないな、ゴーギャン風に変身しちゃった。「アルルのはね橋」にしては明るすぎるもんね。タヒチっぽい色合いだもの。
なんかこれ1枚だけでもいい絵だなあと感心してしまう(^-^)

なんともコンピュータ様さまである。素人でもなんでも出来ちゃうから怖い。プロの領域と素人のそれとの分水嶺は、もはや曖昧模糊とし誰でも「なんちゃってアーティスト」になれちゃう時代。フィルムからデジカメに移行したひと昔前はその最たるものだ。誰でも失敗なく綺麗な写真が撮れてしまう。そこでプロが生き伸びる手だては....「感性」=「センス」しかないわけで。

それはさておき、このサイト、無料だしなかなか面白いので興味のある方は是非どうぞ。
英文づくしなので最初は腰が引けてしまうけれど、適当にイジっているとスイスイいけちゃう。子どもの写真や、家族やペット、憧れのタレントの写真など一風変わった画風に変えてみるも良し。

※HPトップの「Start Having Fun」をクリックして、あとは自己責任で路頭に迷っているうち自然とオモシロ写真が出来ちゃうはず。下をクリックでどーぞ。
befunky.com

※今日のブログタイトルは知る人ぞ知るのパロディーなんである。
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2013年1月29日火曜日

極私的映画評

「こんばんは、荻ぃ〜....、昌弘です」

斜(はす)に構えた氏が「荻」と「昌弘」の間に若干のひと呼吸があってのちに始まる、このひとのTV映画解説を聞くと、ココロの底がわくわくしたのを覚えている。確か筆者小学生の頃であったか。その後小森のおばちゃま、水野晴朗、高島忠夫、.....今ではリリコなどTVの映画評論者は数え上げればキリが....あるってもんだ。但し、上記T・Tさんは映画評論者ではなくTVタレントが映画評論者の真似をしていただけだったけれど。ほとんどカンペを読んでいたのは火を見るよりも明らかだった。

昨年11月からこの1月までTSUTAYAディスカスで借りた映画の「極私的映画評」なんである。全く持って「極私的」なわけだから、全くもって参考にしないでいただきたい。仕事や少年野球のノルマを終えたのち、夜中の12時あたりから2時くらいまで鑑賞したのがほとんど。大抵その日はこのブログは書いてないわけで。忙しくとも映画を観ない手はない。なぜなら、人生短いのだから今のうち観ておかないと、あとで後悔したくないんである。しかし自分がサラリーマンだったらこうはいかないだろう。会社勤めの悲哀も理解してるつもりである。翌朝のことが脳裏をよぎると夜更かしは出来ないもんね。

ほぼ時系列的に列挙しちゃう。飽くまで「極私的映画評」寸評である。
画像はTSUTAYAディスカスのHPから掲載。


「はやぶさ」遥かなる帰還

近年よく言われるニッポンの世界に誇れる技術力。下町工場の職人の技が世界を唸らせる。これに加えて筆者の天文好きが高じて思わず借りたもの。探査機ボイジャーもそうだったけれど、無機質な機械を有機的にアナログに人間と同等に解釈して表現すれば、これは感動で泣ける映画であった。

「まほろ駅前多田便利軒」

役者として大好きな瑛太と松田龍平のW主演。好きな原作を読んだあと映画化されたら観るしかないではないか。テレ東で毎週金曜TVドラマシリーズもスタート。まだTVは観てないが。往年の名作筆者大好き「傷だらけの天使」に通ずる空気感が良い。舞台が近隣の「町田」なのもいいぞ。都会と郊外の狭間の半端な位置関係のシチュエーションも良い。

「告白」

主演松たか子には全く興味がないが、ストーリーに魅かれて観た。同じ子を持つ親としても。更に普段子どもと接する機会の多い身として。....「正解」が見つからないお話であろうか。観る者それぞれの「解」があるやもしれず。しかし松たか子、演技はうまし。

「ノルウェイの森」

最大に愛する作家村上春樹である。しかもあの「ノルウェイの森」でもあるわけで、観ないわけがない。更に主演は好きな俳優松山ケンイチだ。だががっかりなことに、助演女優は菊地凛子。キャスティング違うだろって。全体的に映像はキレイだが、原作にはほど遠い出来。がっかり×2。「ノルウェイの森」を映像化しようという試みそのものが間違いだったかも。残念。

「MIB3」

言わずと知れたあの大ヒット作の続編。トミー・リー・ジョーンズの渋さが好きだ。若い頃彼主演の戦争映画を観てからのファン。最近は缶コーヒーを片手に妙な宇宙人になってしまったが、それもまた良し。ウィル・スミスも相変わらず明るく破天荒でいいヤツだ。

「インセプション」

ディカプリオと渡辺謙の共演。近未来SF大好きだけれど、ちょっと細部のストーリー展開が早すぎてついていけない部分あり。映画としては決して悪くはない。ディカプリオはしばらく俳優業を休止し、地球環境保護活動に専念するんだそうな。筆者も何百億円の金持ちならば真似してみたいものだ。

「ダークナイトライジング」

これまた大ヒット作「バットマン」シリーズ。「バットマン」は硬派な作りがいい。筆者、小さい頃「バットマン」や「スパイダーマン」「スーパーマン」などのアメコミを雑誌で同時代的に読んだことがある。何十年後にCGを使ったこんなリアルな映画になるとは誰が想像しただろう。男の子ならば誰でも憧れる「スーパーヒーロー」への変身願望。筆者はガキの頃、「パーマン1号」になりたくて紙でヘルメを作り、風呂敷でマントを羽織ったものだ。以来、「ウルトラマン」「仮面ライダー」、今時の男子だって「なんとかレンジャー」なんて似たようなものにはまっているではないか。オトコが嫌いなはずはないんである、この手の映画。それを凌駕して余りある深みのある映画作りがいい。

「プロメテウス」

ヤバイっすよ、これは。「ブレードランナー」は筆者にとっての映画大好き筆頭作品なわけで、これを楽しみにしていた。同じリドリー・スコット監督だもの。「エイリアン」のエピソードワン的な作品みたいだけれど、十分面白かった。機会があればもう一度じっくり観てみたい。ただし「ブレードランナー」には遠く及ばずなんである。

「ヘルタースケルター」

いやはや何とも、すっとこどっこいの、前評判倒れの典型のような映画。
マスコミでずいぶん騒がれたので借りたわけで...。なんちゃって本当は沢尻エリカの「ハ○カ」はいかがなものかというオトコ本意の興味からであった。たぶん世のほとんどのオトコの動機はこれかと。半面期待していたのは彼女のその役作りや映画のストーリーそのものだった。がしかし、この映画は商業的興行的に仕組まれたニオイが鼻をつき、映画としての内容は面白くなかった。彼女はクランクアップのあと、放心状態・心身症的状態に陥りしばらくマスコミを避けていたようだが、どーだかなあ。この程度の映画で心身症になるならば、古今の名作の役者たちは皆死んじゃっているはずだ。例えば「ダンサー・インザ・ダーク」のビョークはどうしたらいいのだ。S○Xシーンもリアリティーに欠けるぞ。しかし、ただひたすら沢尻エリカの「ハ○カ」が見たいとご所望の貴兄にはいいかもしんない。確かにめちゃくちゃキレイではある。そのシーン以外はDVDを早送りしちゃうかも。

「アベンジャーズ」

もの凄いCGも見飽きた感は否めない今日この頃。そんじょそこらのCGでは驚かなくなった。それでもこれは娯楽大作のワン・オブ・ゼムとして面白かった。映像もストーリーも単に面白い。
昔、フレンズの母との会話。
「俺、洋画は絶対字幕でないとダメなんだ。吹き替えで日本語だと、絶対違和感があってさ。役者は外人なのに喋ってる言葉が流暢な日本語っておかしいじゃんか。だからTVの映画放映はつまらなくて観ない。CMが入るのも嫌だし」
「え〜!?だって吹き替えのほうが映像が楽に観れるじゃん!」
最近やっと分った。
字幕に集中していると確かに映像を観るのがおろそかになるんである。速いテンポの展開になると、字幕ばかり追いかけて映像が頭に入ってこない。年齢のせいかな。昔はしっかり字幕と映像同時にインプットされてたのになあ。
この映画に出演している女優のスカーレット・ヨハンソン。う〜む、彼女が出ている別の映画を探して観たくなっちゃうほどのイイ女である。QueensのSさんに激似ではないか?(←他意はありませんのであしからず)

「苦役列車」

きっかけは作家の西村賢太に興味があったこと。面白い人である。芥川賞受賞の原作を読んでみようと思っているうちに映画化されちまった。いかにも芥川賞らしい小説のタイトルではある。主演は森山未來。荻原浩原作「ぼくらの戦争」を観て以来の好きな俳優だ。世の全女性から反発を喰らうに違いないほどの、もの凄く最低な悪くつまらん男を演じている。おそらくは西村賢太の実体験であろうから、主人公は彼である。にもかかわらず、西村賢太はTVなどでは飄々としているところが面白い。その最低男を演じきった森山未來。彼にとっては新境地を開いた役どころだったかも。少し昔の日本の底辺で働く若者の閉塞感を演出、映像もわざと粗く撮っていい感じに仕上がっている。悪くない映画であった。

以上、ごんごん、まとめて列挙。
しつこいようだけれど、「極私的映画批評」なので参考にされないことを望むんである。
明日TSUTAYAに行って、これを参考にされても困っちゃうのだ。
映画や小説は人それぞれの好みがあって、自分の趣向を強要すべきではない。
感性が同じ方なら共感得られるかもだが(^-^)/
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2013年1月26日土曜日

渋谷今昔物語

18歳の4月。東京デザイナー学院インテリアデザイン科の学生だった僕。
山形の田舎から出てきた僕は、東京の人の多さにまず驚いた。新宿の国鉄と小田急と京王のパズルのような駅の改札に何度も迷ったり。新橋ガード下の券売機で切符を買ってる時、上を通過した電車の轟音で真剣に地震だと思ったり。彼女に連れられて行った原宿の古着屋で、どうしてこんなボロジーンズがこんなに高いんだろうと不思議に感じたり。

上野の森美術館での卒業制作展で賞までもらったけれど、学生を終えた僕は就職することなど眼中になく、単身アメリカへデザインの留学生になるため、渡航費用と学費を稼ぐべく、朝から晩までアルバイトに明け暮れる毎日。「日刊アルバイトニュース」を見て応募した何個目かのバイト先は下北沢の居酒屋だった。屋号は「雷や」

社長はもの凄く精力的な人だったが声が出せない病気で、いつも機械を通して会話をしていた。大酒を飲んでも深夜に車で平気で帰って行くような人物だった。店長はもの凄く紳士的な人で相手の心を読み、相手の立場に立って思考することが上手な人物。僕たちバイト仲間からは兄貴的存在の尊敬できる人だった。そのS店長が中指にはめていたゴールドのシンプルな指輪。僕は真似をして下北の質屋で同じものを買った。これは今でも自分の中指に収まっている。

バイト仲間は全員個性的な連中ばかり。大らかで包容力のあるベテラン料理人、前職は屠殺場で働いていた人、長髪の日大の学生でバンドをやっていたやつ、普通すぎるくらい普通の学生バイトくん....。そんなバイト連中を引き連れてSさんがメシを驕ってくれた。0時に店が暖簾を降ろしたあと、「よしっ、みんなでメシ食いに渋谷行こう」

その頃の僕は新宿界隈を中心にうろうろしていたしていたので、渋谷にはあまり馴染みがない。交差点から少し入っただけの深夜の渋谷は人通りも少なく、今では想像もできないほど淋しい街だった。台湾料理屋で酩酊した僕はどうやってアパートに帰ったかいまだに謎だ。

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光陰矢の如し。青年老い易く学なり難し。
一人称の「僕」も「僕」から現在の「筆者」へ戻る。
時は流れて2013年現在のシブヤ。24時間眠らぬ街となり、日本でも有数の大都市に変貌を遂げた。そのシブヤに今日また新たな都市計画が東急電鉄から発表されたんである。2018年開業を目指す壮大なプロジェクトなんである。駅ビルの東急東横百貨店自体が建て替えられ、周辺をいくつかの街区に分けての大規模都市再開発だ。そう言えば今年の3月には東急東横線と副都心線が相互乗り入れ開始するし。とどまることを知らぬシブヤである。

このニュースは日経新聞系のメルマガ「ケンプラッツ」を読んで知った。
画像はケンプラッツと東急不動産のHPから。
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