2013年8月20日火曜日

真壁、部活やめるってよ。

県立山形南高等学校に入学した真壁は、一も二もなくサッカー部へ入部した。

小学生の時分から夕方になると、家から歩いて3分のこの高校へ当たり前のように通い、高校生が部活をやっている所へ行き、近所の友人とあちこち探検しては遊んだものだった。レスリング部のマットの下に空気を送り込んで巨大なテントを作り、もぐり込んだはいいが程なくしてしぼみ始めあわや窒息しそうになったり、水泳部のプールに行った時は遊び半分で高校生にプールに投げ込まれて、足が底に付かないことに気づき、半ズボンを着たまま溺れそうになったり、野球部の外野の球拾いを手伝ったり、サッカー部ではゴールキーパーを立たせてのシュート練習に、「おまえもやっていいぞ」とお兄さんに言われて嬉々としてボールを蹴ったはいいが、あまりのボールの重さに足首が折れたんじゃないかと思えるほど痛い経験をしたり....。少年真壁のお気に入りは、高校生と一緒にボールリフティングをやることだった。またゴールをはずれたシュートが隣りのテニスコートへ飛んで行けば友人と競ってサッカーボールを拾いに行き、それを高校生のところへ返しに行くと「おうっ、ありがとな」と言われるのがなんとも嬉しかった。

そんな真壁は中学をサッカー浸けで過ごし、受験は公立南高校一本、通称ナンコーに入ってサッカー部に入るのが当たり前だと思っていたし当たり前のように合格したのだけれど、南高が県内ベスト5に入る難関進学校だと知ったのは、入学したあとだった。

当時の運動部は全国どこでもそうだったと思うのだが、うさぎ跳びでグランドを何回も周回したり、どんなに炎天下でも何時間でも水を飲んではいけないのが部活の不文律だった。それでも不思議と誰も倒れたりはしなかった。水を飲んだら最後、自分が自分に負けるような気がして。

南高は公立男子校、文武両道、質実剛健の学校であった。サッカー部は野球部ほど厳しくはなかったものの、逃げ出したくなるくらいの毎日辛い練習があった。でもそれをどこかで楽しんでいる自分もいた。成長期男子の汗と革と保革油の渾然一体となった部室の強烈なあの匂いも今は懐かしい。

グランドはサッカーと野球部が共有で同時に部活をやっていた。野球部に背を向ける格好でゴールに向かって黙々とシュート練習していれば、背後から野球部の硬球ががんがん飛んできていた。野球部の連中から「行ったぞー!」と声がかかると、サッカー部は皆首をすくめて身を守る体勢になった。亀が甲羅に頭を引っ込めるように。或いはナメクジが塩をかけられた瞬間のように。逆にサッカーボールが野球部の内野に転がっていき、球を拾いに行く時は命がけだった。銃弾を避けて進む戦場カメラマンみたいに、あの硬い硬球がびんびん飛び交う中をかいくぐって、拾いに行くのだった。今となっては恐ろしい話だが、小学生が高校のグランドで部活に混じって遊んでいたり、現代では考えられないのどかな、かつ安全管理面では信じられない時代だった。

1年の夏、合宿で学食の2階に泊まり込むことになった。
この合宿話を書いたらまた長くなるので割愛。
その時期の前後だっただろうか、南高野球部が初の甲子園出場が決定したのだった。当時の真壁は野球に毛ほどの興味もないサッカー小憎だったけれど、さすがにこの一報には驚いた。甲子園出場がどれほど凄いことなのかを知るのはずっとあとの大人になってからだけれど。奇しくもその年、サッカー部は県大会決勝で敗れ、高校サッカー選手権全国大会への夢は破れたのだった。

当時山形県で甲子園に行くのは日大山形と相場が決まっていた。毎年夏の決まった日に町内盆踊り大会がある恒例行事のように、日大が甲子園に行くのが当たり前だった。公立校のひがみ根性もあって巷間まことしやかに囁かれた話。「日大山形は誰でも入れるとこだべよ」「野球部は毎日授業もしねえで、朝から晩までナイター設備もあって、一日中野球やってんだとよ」なるほど毎年強いわけだと得心。そんな不毛の時代だから公立の文武両道の学校が甲子園を決めたのは意味深いものがあったのだった。

思春期の真壁は勉強とサッカーは1年生まで。2年からはワルいことを覚えて甘美な退廃の奈落の底へ落ちてゆく、大袈裟に言えばだが。
顧問のKanemura先生に退部届けを出した。K先生は激怒し、やがて真壁の親友を通じて説得を試みるも結果は変わらず....。
(因に後年Jリーグが発足した際、かのK先生はモンテディオ山形の初代GMになった人物。更に偶然であるが、中学時代サッカー部の一個先輩であるNakaigawaさんが現在のGMに就任している)

あのとき、本当に、マジで、サッカーを続けていればよかったと、大人になってから何度も悔い入り思い返すことになった。半面、部活を脱線したからこそ得られた貴重な経験もいい想い出となっているのだけれど。

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2013年今日、夏の甲子園で山形県勢初の4強に入った日大山形。対明徳義塾戦は見応えのある試合だった。日大三、作新、明徳と全て歴代優勝校を撃破しての快進撃。周りからはまた「一勝して来いよ」と言われたそうだが、その悔しさをバネに目標の4強入りを果たした。どうせなら、史上初の東北勢同士の岩手との決勝戦が観てみたい。以前決勝で宮城東北高校が敗れて東北に初の優勝旗をもたらすことが出来なかった年を思い出す。その東北高校3年には有馬フレンズOBのMiyataがいたのだった。そして一年後輩にはダルビッシュがいた。
郷里に想いを馳せれば、若き日の確執はすでにない。山形と言えばほぼ初戦敗退、良くて2回戦進出であった。正直者で朴訥な県民性、悪く言えば優柔不断。華々しいスター選手もいなければマスコミが好きそうな爆発的な打力があるわけでもない。でも、やっぱり郷里の高校が甲子園で活躍する姿には目を細めてしまう。真壁が1年坊主のころ聞いた前言は白紙撤回、頑張れ日大山形。

継続は力なり。
勝っても負けても辛くても苦しくても、大好きな野球を最後まで続けた全国の野球小僧の高校生のキミ。
志半ばで挫折したオジサンは、真摯に頭(こうべ)を垂れてキミたちにエールを送りたい。
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2013年8月18日日曜日

緑と青

さて秋季大会予選リーグ、リトルグリーンズ戦であった。

鋭く伸びる直球、低めに制球された投球のGreeeeeensのエースYoshikura君。Fは2回まで全く手が出ず三者凡退。3回表にはGushikennくんYoshikuraくんの痛烈連続2塁打にて2点を先制された。4回を0に抑えるも5回にはまた2失点。6回それまで1安打だったFはRuiの2塁打にMamoruのタイムリーツーベースでやっと1点をもぎ取るのが精一杯。終われば4:1での敗戦。決勝トーナメント進出への願いが一歩遠のいた。

相手チームにQの女子がいれば、えこひいきして写真を掲載しちゃうのは、Q広報担当として当然の責務なんである。筆者が見た打席では小さくて非力な女子でもなんとか塁に出ようとするセイフティーバント。いぶし銀の土井か犠打記録の川合かってゆーくらいの素晴らしいバントだった。ところがあまりにキレイに決まりすぎちゃってサード正面に。Fのサードは4年生ながら抜群の安定感を誇る、宮前にその名を轟かす名手Rui。ボールに向き合う姿勢は長嶋や中畑の上をゆくのだ。あっけなくアウト。
ん?、どっちを応援してんだオレ。

仕事でスコアラーが出来ないことが近年多々あった。そのたびに木曜金曜あたりに数人にメールして代役をお願いすることもたましば。特にご老体にむち打ってKaneda師匠にお願いするのは連続すると忍びないわけで。たまにはやってもらうと脳トレになるので師匠のためには良いのだが(^-^)、炎天下連日、雨の降る日、極寒の練習試合....これでは申し訳ない。
それで去年からもっとスコアラーを育成しようとしたんであったが、やっと二人の後継者が出来た。OhmoriオヤジとSone母である。今年の最後には映画「愛と青春の旅立ち」みたいに、厳しい訓練を経た士官学校の卒業式みたく、帽子を天に放り投げて巣立って欲しいと願うんである。俺、ルイス・ゴセット・Jrになった気分。「イェッ、サーッ!」
今年はなぜか土日仕事になることが多く、二人にはとても助かっているんであった。
最初はスコアラーに興味はあるけれどいざ本番となると尻込みしていた二人だった。Oオヤジに至ってはスコアラーをやる前の晩は、考えただけで緊張して気持ち悪くなっていたほどだ(^-^)それだけマジメなんである。Natsukiママが惚れたのも無理はない。アレ、逆か?
ようやくスコアラーの醍醐味が分ってきはじめたのだと思う。そのうち争うように、今日は俺がやる、私がやる、とスコアブックの奪い合いになることを夢見ている筆者なのだった。
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HHN48

全くもってイヤんなっちゃうくらいに仕事が続くんであった。
金曜日の深夜にやっと約束のボリュームをこなし、クライアントへデータ送信。納期は絶対守るのがフリーランサーの鉄則だ。失敗しても会社や上司が頭を下げて丸く納めてくれる立場ではない。メール送信後まったりと「ムフフ、久々に日曜はちょっとフレンズ行けるかな」とほくそ笑む私。明日土曜は対リトルグリーンズ戦。試合にだけはちょこっと顔を出せるかなと。

本日、土曜。AM仕事のあと、さあてメシ食ってスコアだけ付けに行くべえか。
iPhoneが鳴る。
..........。
クライアントからだった。客といえど理不尽な要求には声を荒げてしまう。若くて誠実で真摯な担当ならばこちらも採算度外視して夜遅くまで頑張ってやろうと思うものだが、その逆パターンの担当となると、何をか言わんや。月曜から再スタートする予定を組んでいた仕事を、月曜までに仕上げて欲しいと宣(のたま)うではないか。土日の目論みは全て白紙撤回の憂き目に遭う。温厚な紳士である(?)筆者もつい、声が尖ってしまう。
こんな状況がここ2,3ヶ月は続いているだろうか。伝統はあるけれど格式はない有馬フレンズ正スコアラーの座に10数年君臨してきた筆者ではあるが、今年は自分がスコアを付けた試合よりも、サブスコアラーOhmoriオヤジ、Sone母、Kaneda師匠が付けたそれが凌駕しているのではないか。と思う昨今である。

それでも気を取り直し、頭と体のリフレッシュも兼ねて有馬小スタジアムへ一路バイクを駆る。確かグリーンズにはQueensのJuriがいたはずだ。フレンズにとっても大事な一戦でもあるし。

というわけで本来ならここから怒濤の秋季大会グリーンズ戦のブログ突入となる予定であったが...。継続は力なりと言うが、力がないのでブログ執筆継続はままならないのである。これはニワトリと卵の関係性に似ている。(いや、ビミョーに似てないか)

昨日ブログにQueens関連で女子野球の話を書いた。更にQのKoshimizuさんやMurataさんのことも。偶然ではあるが、試合観戦に両氏とも来ていたんであった。練習試合ならいざしらず、公式戦なので試合中に敵軍であるグリーンズサイドの二人に挨拶にも行けず。
しかしちょっと煙草休憩時に二人と歓談出来た。
話題はもっぱら横浜DeNAベイスターズガールズの件。Murataさんがベイ特製応援Tシャツを着用していた。背中には全選手名が印刷されていた。いるいるQのHHN48のメンバーが。HHNとはHimari、Hinata、Noeriなんである。秋元康プロデュースではない、宮前区少年野球連盟プロデュース、宮前Queensプロ所属なのだ。
というわけで今日はグリーンズ戦記ブログは後日なんである。

※余談ではある。
前回「横浜DeNAベイスターズガールズ」の記事を書くに当たって結構苦労しながらネットで情報を収拾したんであった。個人ブログと言えど嘘は書けないのでこういう場合情報収集には時間がかかるのだ。検索サイトで「横浜DeNAベイスターズガールズ」と入力してもなかなかピタリとヒットしなかった。ところが昨日「横浜DeNAベイスターズガールズ」というタイトルでブログを書いたばかりなのに、今日改めてGoogleで同じ語句を入力して検索したら、恐るべしGoogleロボット。筆者のブログが7番目に来ちゃっていた。
改めてネットは凄いと思うと同時に、一字一句にも文責を感じながら書かねばならないという使命感を持つと同時に、でもやっぱそこまで責任を感じながら書くのは面倒くせえなあと思うと同時に、あらヤダ、もうこんな時間、最後のグラスを空けてもう寝なきゃと思う少年野球「晴耕雨読」なんであった(^-^)/
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2013年8月17日土曜日

横浜DeNAベイスターズガールズ

NSPとは何か。「納豆そら豆ピーナッツ」と揶揄されていたのは筆者が高校時代であった。「ニューサディスティックピンク」でれっきとした伝説のバンド。筆者と同世代のオヤジには懐かしい響きであろうか。
ではNPBとは何かなんである。「納豆ピーナッツバター」ではない。もの凄く濃厚でねっとりしていてそうで、ちょっと食べてみたい気もするが。
NPB=NipponProfessionalBaseball=「日本野球機構」であることは、野球ファンならずともご存知のはず。もちろんプロ野球の発展と向上のために活動している組織であろうことは想像に難くないんであるが、プロ野球のみならず日本全体の野球人気の底上げを図ろうといろんな活動もしているわけで。これは宮前少年野球連盟もお世話になっている読売巨人軍なども同じで、少年野球や女子野球を盛り上げていこうと様々な努力をしている。我々少年野球に携わる者にとっては非常にありがたいことだし、何より子どもたちにとって夢のような機会をもらえるのだから、これに勝るものはない。

その一環としてNPBでは9年前から女子野球の大会も主催している。
ひとつは「NPBガールズトーナメント」小学生の女子学童で編成された各都道府県代表チームによる全国大会なんである。全日本軟式野球連盟と共に開催する。
神奈川代表チームは県花にちなんでチーム名は「Yamayuri」このチームに200人中20人の狭き門でセレクションに選ばれたのが、我が宮前Queens所属(登録出身母体は向丘サンダース)のIchikaなんである。もう明日17日は東京ドームで開会式だ。是非ぜひ頑張ってほしい。
出典:NPBホームページURL(画像は勝手に引用させていただきます)
http://www.npb.or.jp/

更にNPBでは6年前から関東女子学童野球の大会もあるのだ。
「NPB CUP関東女子交流大会」関東の各都県代表チームによる女子野球大会である。これにも宮前Queensから精鋭3選手がセレクションで選ばれた。Hinata、Noeri、Himariの姫たちだ。Queensの主将でもあるHimariはQの他に名門鷺沼ヤングホークスでも不可欠なレギュラーメンバーだし、これにNPB CUP神奈川代表チームにも入って、まさに二足のわらじどころか、3足のスパイクを履き替えて八面六臂の大車輪である。他の二人も同様だ。親は大変な思いをしていることだろう。と同時にかけがいのない良い想い出をも心にたくさん刻んでいるはずだ。
下は昨年のHPによる大会の抜粋画像。(飽くまで2012年の結果)

ところでこの神奈川代表チーム名は「横浜DeNAベイスターズガールズ」各チームいろんなネーミングであるが、神奈川は横浜DeNAの協賛?賛同?を得て名前だけを冠したようだ。

1ヶ月ほど前にQ代表のKasaharaさんからメールがあった。
ひとつは宮前の大会の開会式後にQの29番Murataさんの始球式。長身痩躯の右腕から繰り出した豪速球は果たして捕手のミットに無事納まったのだろうか(^-^)

「横浜DeNAベイスターズガールズ」の29番コーチには、我が宮前Queens監督のKoshimizuさんが就任。宮前第一公園ドームで華々しくユニフォームデビューしちゃったんであった。氏は言わずと知れたちょいワル系オヤジなんである。日本のKoshimizu、イタリアのジローラモと言われるくらい。(かどーかは分らない)
いやはやKasaharaさんは「見て見て、笑えるよ〜」とメールしてきたんであるが、実際このピンクづくしはどうであろう。筆者の好きな色味のピンクであるが、ちょいワルオヤジが着てみると....ゴメンナサイ、実際ちょっと笑ってしまった(^-^)/
しかし筆者の審美眼はこれを見逃さなかったのだ。Koshimizuさん、しっかりケツのポケットにはピンクのタオルを忍ばせているではないか。これぞ「コーディネートはこうでねえと」、いかんわけだ。偶然の成せる技か?いやいやダンディーKoshimizuの面目躍如に違いない。

グラフィックは専門ではないが筆者のデザインの経験則から言えば、ピンク地に白いロゴはほとんどロゴが認知されないカラーの組合せだ。いわゆる「昼行灯(あんどん)」ホワイトボードに白いマジックで文字を書くようなもの。遠目では横浜ベイなのかどうかまず分らないだろう。せめてロゴのアウトラインを濃いブルーにするとかの気転が欲しい。何かの間違いで出来ちゃったのかと詮索しちゃうくらいである。(デザインした方にはゴメンナサイ)

ところがなんである。
Kasaharaさんから送られてきた写真の最後の一枚を見たら思わず頬がゆるんゆるんになっちゃうのだった。そんなピンクユニフォームであるが、この姫たちが着用すると、あ〜ら不思議、なんともしっくり可愛く似合っているのだった。さてはこれを緻密に計算した上でのピンクに白のミスマッチングのマッチングだったのか?
左からHinata、Noeri、HimariのQの6年の娘たち。屈託ない笑顔で可愛いけれど、ひとたびグランドに立てば男子顔負けの旋風を巻き起こす彼女たちなのだ。
8月31日に開幕。頑張れよ〜!(^-^)/
※更にもう一枚女子野球のHP画像を掲載したかったが、承諾無しの転載禁止で断念。時間があれば承認をもらってから載せたかったが。せめてURLを記載しよう。日本の小学生から一般までの女子野球を応援するサイトである。元雑誌記者出身の女性の方が書いているので内容が厚く濃い。
がんばれ日本の女の子!女の子も楽しめ女子野球!
「がんばれ!女子野球」
http://girls-bb.com/index.php?npb
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2013年8月12日月曜日

有馬フレンズ第27代主将

仕事をぎりぎりまでやって昼前にグランドへ駆け込んだ。もうじき昼メシだ。久々オヤジ連中とメシを食い、午後は大事な一番、秋季大会馬絹メイツ戦に臨む。

グランドへ入った。
「Tコーチ、こんにちは!」明らかに体格の良いフレンズOBの子が声をかけてきた。
(...ぬぬぬ、誰だっけか?...)(....うちのOBでこんなイケメンいたっけかな)
とっさにOBの子の名前が出てこないのは、我々古いコーチたちの常である。
彼が近寄って来て、3秒後、筆者は目を見開いた。

「あ、あ、あ〜!!!!なんだKazuじゃないかっ!」
思わず抱きついてやろうと思ったがやめた。あまりに逞しくなった青年に気後れしたのだろうか。伝統ある有馬フレンズ第27代主将であったKazuなんであった。低学年入部当初は砂場で遊んでばかりいて怒られ、3,4年の頃は「オラ、野球やだ。もうフレンズ行かないも〜ん」とか言ってアルファードの後部座席に隠れて練習をサボったり、最後まで走るのが超苦手だった子だ。確かに当時のフレンズは今とは比較にならないほど練習も指導も厳しかった。それでも6年になれば小さい子の面倒をみたり捕手兼主将としてチームを牽引してくれた。しばらく先日の宮城の高校野球やこれからの進路の話をした。

それにしてもオドロキだった。筆者がすぐに名前が出てこないのも無理はない。卒業後中学、高校と何度か見てはいるのだが、どうしても子どもの頃の印象が強くてそのギャップが大きかったんである。こんな好青年になっていたとは。
彼は宮城県のT高校へ進み寮生活で野球に明け暮れる毎日を過ごし、今年の夏は県大会で惜しくも敗退してしまった。高校球児にとってそれは「長い終わりの夏」を意味する。ちょうどお盆で実家へ帰省していたのだった。

あったあった当時の写真がかろうじてMacに保存されていた。
下の写真は楕円の部分が6年生だった頃のKazu。
次の写真が日曜に撮ったもの。筆者に負けないくらいのイイ男である。父親のYanagisakiオヤジもイケメンだからこうなったのも頷けるわけだ。そうだ全国でカノジョを募集しよっか?一次審査では筆者が面接し10万人中100人に絞ろう。しかし最終面接では面接官がYanagisaki母になると思うので、たぶん...全員落とされるに違いないのだ(^^)

どうやら27期生OBが連絡を取り合いながら来てくれたらしい。当時の6年は8人いた。
Kazuの他「有馬のダルビッシュ」と言われ近隣諸国から恐れられたKenzo。
いぶし銀の二塁手として名を馳せたYuuya。
長身痩躯の大砲、これまたイケメンだったYuuta。
野球よりも嬉しそうに弁当を食べる姿が強烈に印象に残っている通称Makoさん。
更に30期生のKyousukeとMitsukiも来てくれていた。
OBが来てくれることはとにかく嬉しいものだ。特にYanagisawa代表はたまらんのだった。目を細めて楽しそうにバッティングピッチャーを買ってでて、OBたちに御歳70とは到底信じられないほどの豪速球をぎゅんぎゅん投げる。
笑いながら、
「なんだ、おまえら、全然進歩してねえなあ。ガハハ」

代表はよほど嬉しかったようで全員昼メシに連れていくことになった。
フレンズオヤジどもがよく使う近所の中華料理屋へ。ヤツらは当時の子たちの物まねしたりと賑やかだ。しかし現代っ子ではある。席につくと全員図ったようにスマホを取り出し下を向く。
6年の時は寡黙でメシを食うのが超遅かったYuuta。卒業後いろいろ問題があった子だったが、今は大工をやっているそうだ。筆者「Yuutaおまえ、悪いことしてないんだろーな」と言ったら「あ、してないっス。大丈夫っス」おまけに「いや、昔からしてないっス」と屈託なく笑う。オトナを煙にまく話術も習得したようだ。大盛りチャーハンを一番にあっと言うまに平らげたのだった。

さて午後は秋季大会なんであった。
第一公園ドームへ行ったら連盟会長Sohmaさんから声をかけられた。
「Tさん、ブログ楽しみにしてるよ」と。ありがたきお言葉、筆者平身低頭である。
「先日のビートルズの話は面白かったなあ。よく気づいたねえ。ガハハ」
逆に会長からビートルズの話が出てきたことに驚いた。
KasaharaさんやAbeさんとは横浜DeNAベイスターズガールズの話。そろそろピンクのユニフォームのブログを書かねばである。

さあて、いよいよシートノックだ。
うぐぐ.....。
雲行きが怪しい。遠雷が遠くで鳴っている。風雲急を告げるとはこのこと。
シート直前で審判団が全員をグランドからベンチへ引き上げさせる。雨はまだだが雷はびりびりばりばり、どんがらがっしゃん、激しくなる一方だ。雷が鳴ったら即試合は中断させるのがルール。雷が止まないうちは手も足も出ない。しばらくすると今度は雨も激しくなってきちゃったんである。
様子を見ること小1時間。グランド使用時間のリミットも計算してやむなく中止となった。
豪雨が叩き付ける本部テントの下では、連盟の今後のキチキチの試合日程もさることながら、Sohma会長は子どもたちの体調や安否を気遣っていた。
試合は来週へ持ち越しである。
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