2014年1月6日月曜日

野球の神様

それにしても冷蔵庫の中の製氷皿の上を彷徨い歩くような、昨日とはうって変わって極寒の一日の始まりであった。今日は2014年フレンズ練習初日である。まずは西有馬スタジアムに集合しグランド開き。ダイヤモンドとピッチャープレートに盛り塩とお神酒(みき)。「野球の神様」という名の神様がいるが、その家臣のひとりに「グランドの神様」という役職の神様もいるんである。グランドの神様にグランドを使える喜びと感謝の気持ちを持ちつつ野球をしなければいけない。それをないがしろにしていると、グランドの神様のご機嫌が悪くなり、時として大雨を降らせて使用不能にしたり、スライディングをした時に思わぬ大けがをしたりと、なかなかに侮れない野球の神様界の要職に就く重鎮なんである。
「今年も一年子どもらが安全に野球が出来ますように」
塩をまき酒を地中に吸わせてあげる。
今頃グランドの神様は地中で清めの盛り塩をぺろり舐めながら酒をぐびり、決して悪くない気分でいるに違いない。地鎮祭のようでもある。

++++++++++++++++++++++++
我が名門鷺沼ヤングホークスは宮前の中でも古くからその名を轟かせてきた、名将Kurosu監督率いる鷺沼小ドームを本拠とする少年野球チームである。宮前に留まらず川崎、神奈川県下でもその栄光の戦績は今でも色褪せない。創立30有余年、その輝かしい歴史の中でも特筆に値するはプロ野球選手を輩出したことだ。ヤクルトスワローズにドラフト入団した高井雄平選手(現29歳)である。自慢じゃないけどと言いつつ実は自慢しちゃうのだ。6年当時の連合チームでは、相手投手が変化球を投げて三振を奪われたと主張し、ベンチに帰ってきた彼が悔し涙で号泣していたのを今でも鮮明に覚えている。(学童野球では変化球禁止)それくらい負けず嫌いの性格が、のちにプロのマウンドに立つ彼のプロ根性を形成する一助となっている。
そんな大先輩を持つ我がヤングホークスも今年は人数が減り厳しいスタートとなった。子どもたちから順番にお賽銭を投じ願をかける。最後は御年62歳となった大将Kurosu監督はじめ指導陣の番。私は写真班に徹していたのでその列には加わらなかった。
今年も優勝目指して頑張るぞっ!
そうこうしていると、お隣の盟友古豪有馬フレンズの面々がぞろぞろ階段を登ってやってきたんである............。

.........アレ、なんか変!ここはどこ?ワタシは誰?
いつの間にか筆者にヤングホークスの霊が憑衣(ひょうい)したようだ(^-^)


+++++++++++++++++++++++++
もとい。いかんいかん。
筆者は有馬フレンズのコーチなんであった。
階段を登り境内に着いたら盟友鷺沼ヤングホークスの面々がすでに参拝の途中であった。でんと構えたKurosu監督の第一声は「フレンズ、遅えーよ」である。腹回りと同じくらい大きなニンマリ笑顔で出迎えてくれた。知将IshikuraさんやTakahashi コーチなど指導陣と年頭のご挨拶。またKitamatu夫妻はじめQueens関係の父母たちとも挨拶を重ねることしばし。Mochida夫妻とHimariはまだ外出は容易ではないため参拝には参加できず顔を見ることは叶わず残念。
我がフレンズも集合写真を撮影。上のヤング写真と比較すればその人口密度には歴然とした差が伺える。それでも野球の神様が与えてくれたこの人数で今年1年頑張るしかないんである。

毎年恒例の階段ダッシュ。建築基準法をはるかに逸脱した階段の段差は、腿を鍛えるにはもってこいの高さである。学年に準じて何往復もすれば、一気に正月気分も抜けてしまうフレンズ伝統の恒例イベントだ。今年は脱落者は一人もいなかった。若い頃は筆者も挑戦したものだが、翌日ハンパない筋肉痛に苛(さいな)まれたおぞましい記憶があるため、それ以来無謀な挑戦は断念している。

西有馬スタジアムから有馬ドームへ移動。同じくグランドの神様のご機嫌伺い。年末にカッターナイフでテメエの指を切り落としてしまったバカなオトナもいるが、子どもたちにはグランドで怪我をしてほしくない。させないのが大人の責務である。野球は天候と審判と怪我には絶対勝てないのだ。

午後は近くの生涯学習施設アリーノで恒例となった「お雑煮大会」
母たち手作りの雑煮は今年も最高にうまいぞ。「頂きましたっ。星、みっ......つデス」
ジャガジャン「!!!☆☆☆!!!」


さて明日から指も痛いが頭も痛い仕事初め。
怪我をしたバカなオトナとしては仕事に大いに支障をきたすのは明白で、憂鬱には違いないのであるが、このご時世忙しいことは幸せなことと「仕事の神様」に感謝しつつ、やっとの思いで今年の最初の少年少女野球ブログの筆を置く筆者なんである。
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2014年1月1日水曜日

年画像2014


2014年 新年あけましておめでとうございます(^-^)

気が向いた時に、お暇な時に、ふと思い出した時に、朝の通勤電車で、毎日のメールチェックの時に、会社の朝礼のあと、昼ご飯の休憩時、パートから帰り夕飯の支度前に、夜帰宅後就寝前に、土曜の練習のあと、日曜の試合に出かける前.....、
本年も少年野球「晴耕雨読」Blog、ご愛読のほどよろしくお願い申し上げます。

毎年恒例の元旦の朝の風景を切り取った、年賀状ならぬ年画像2014年版をお届け。
と言っても毎年同じアングルなので2011年元旦から4枚とも何も変わらず。しかも天候も4年連続ほぼ晴天なので代わり映えしないんである。代わり映えしないということは、ある意味幸せなことに違いない。今年も有馬神明神社の高台を中心にiPhoneで撮影。

指の具合は時折電気が走る程度で、そう頻繁ではなくなってきた。利き手の指を怪我したことで困ったことがいくつかあるが、まず箸がうまく操縦できないんである。初日ラーメン屋で昼メシ食ったときは、何度口の前で麺が全部滑り落ちたことか。それも今では順応して人差し指を使わず親指と中指を中心に、器用に使えるようになった。また不幸中の幸いと言うべきか、トイレはウォシュレットなので全く問題ない。ニッポンのトイレ技術は「ハヤブサ」を宇宙に送り出した技術に勝るとも劣らない、世界に誇るべきものだ。外国人が日本のウォシュレットを見て感動するらしいけれど、どうしてこの「自動洗浄便座」がもっと世界に広まらないのか不思議で仕方がない。

なんてゆー、愚にもつかない駄文で始まる2014年「晴耕雨読」なんであった。
今年は年明けから仕事が猛烈に忙しくなるはずなので、更新頻度は落ちることが予見されちゃうんである。されど少年野球はストーブリーグ真っ盛り。フレンズ新年会・壮行会やQueensの新年会・お別れ会、連盟行事....そうこうしてるうちにグリーンカップ開幕なんてあっという間だ。
今年も1年、どうぞよろしく、なんである(^-^)
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2013年12月31日火曜日

ありがとう


大晦日の晩に書くような話ではないけれど、「指」なんである。
初日酒は絶対ダメと医者に釘をさされていたにもかかわらず、寝る前に一杯だけとウィスキーロックを普段の半分だけ呑んだ。自慢ではないが365日酒を抜いたことはない筆者、カラダがアルコールに慣れているので、呑まないと逆に調子が狂ってしまうんである。ところが、寝てからが地獄であった。布団にもぐり込んでから3時間、断続的に指先に電気が走る、走る。七転八倒ののちうとうとして油断するとやってくるんである。起き上がると楽になることを知った筆者は、AM3時にベッドに座る格好で小説を読んだ。4時頃やっと寝ることが出来た。

翌日また医者に行き「センセイ、酒はまだですか」と言ったら「絶対まだまだ」
その晩は何年ぶりかで酒を一滴も呑まなかったのは言うまでもない。しかしなんである。就寝して横になると日中それまで断続的にじんじんきていたのが、とたんに爆発的にギンギンくるのだった。またしても阿鼻叫喚の地獄を彷徨うこと2時間。やはり起き上がり読書に勤しむ。真夜中の読書がクセになりそうな予感。この痛みは決してアルコールではなく横になった時の体の血流が関係しているのだった。起き上がると痛みはすっと消え、寝ると右腕に雷が落ちる。初日の睡眠時間4時間、この日は5時間。

三日目になりようやく日中のじんじんも少し和らいできた。その晩は初めから読書と決め込み、瞼がくっつきそうになってやっと就寝。さすがにその頃になると指の神経も眠気を催すものらしい。
もう酒は自己責任で解禁にした。といっても少量に抑えているけれど。30日の昨日は比較的すんなり寝ることができた。だいぶ快方に向かっているようだ。大晦日の今日は例年なら昼から呑むところを夜からにして今に至る。
(※今TVの生放送で清原が阿波野との対決でホームランに挑み土壇場で打ったけれど、VTRを見たらアレ、ギリでファウルだよね(^-^))

さて先を急ごう。もうすぐ年が明ける。
去年も確か本年のブログ写真のベストを選んだと思うけれど、今年を振り返り3枚をチョイスした。Queens2点、フレンズ1点、夕景1点。



今年も多くの方々に「晴耕雨読」を読んでいただき感謝でいっぱい。
来年もこの駄文をよろしくお願い致します。
みなさま、来年も良い年でありますように。

ありがとう。
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2013年12月28日土曜日

年末の顛末

今年の前半は息子の結婚、二人目のマーゴMiuの誕生、そしてMinamiが白血病を克服して無事退院と良いことづくめではあった。しかしこれに比べれば些細なことだが、今年後半はその反動で財布はなくすは、配偶者は先日分割がたっぷり残っているiPhoneはなくすは....。そして極め付きは10月に仕事のクライアント社長が亡くなり、会社が闇金融の手に渡って、我々債権者ブレーンへの支払いが全面ストップ、闇金相手と戦うという費用対効果を考慮すると簡易裁判所へ訴え出ることもままならず、皆泣き寝入りするしかなかったんである。8,9月に土日返上でがむしゃらに働いたギャランティーが全て10月入金だったため全額灰色の雲の彼方へ消えた。しばらくの期間は視線が宙を彷徨い、ついて出るのはため息ばかりなり。10月は茫然自失であった。

さて歳も押し詰まる師走の27日の今日。もうひとつの凶事がおきちゃったんである。
ここからは「血」が苦手な方、そして良い子の小学生は遠慮したほうが良いかもしれない。多分に自虐的なネタの顛末を軽く書いてみるつもりではあるけれど。

きのう一昨日の2日間で電話が数本あり、年明け早々から仕事の依頼が山ほどきちゃったんである。赤坂の100坪の飲食店をプロジェクトチームを組んでやる仕事の他、武蔵小杉、川崎ラゾーナ、入札物件などだ。大小様々とはいえ全部同時には一人では請けれないだろう。とはいえありがたい話ではある。今日の午前中は見積書を一件メールし、あとは昼メシ前に台所の床の電気配線をモールを設置してやろうとしていたのであった。モールというのは細長いプラスチックのベースを床に貼り、そこに電源コードを這わせて上からまたカバーをかぶせるアレである。カッターで切るにはプラスチックとはいえ固いので結構骨が折れる作業である。
筆者会社勤めのころはプレゼン前夜に会社で徹夜して、カッターで仕上げのプレゼンボードを正確に速く何枚も切る作業などには自信があった。「一級カッター士」「カッティングの魔術師」「ゴールドフィンガーを持つ男」と社内で噂になり、いつしか周囲からそう呼ばれ........ることはなかったので、自称なのだけれど。このプラスチックのモールは堅物ではあるが過去に何度も切った経験があるので、少し油断していたのである。大工が使う大型のキレキレのカッターでおもむろに作業に入る。

「ガキッ!」
くそっ力を入れ過ぎたかな、刃が床に当たり失敗したかなと思ったまもなく、何か床に転がっているのが目に入った。
「なんじゃこりゃ?」
肌色をした小さなナメクジのようなものの正体が、自分の指の一部だと気がつくまで1,2秒かかった。見たこともないような勢いで血が溢れ出す。こんどこそ松田優作ばりに「なんじゃこりゃ〜!!!」なんであった。右手で握ったカッターの刃が床に当たる寸前に、滑った右手の人差し指が入り込んでしまったのだ。縦方向斜めにスッパリと指先の1/4が切り落とされてしまったんである。そのカケラには綺麗に爪の一部も含まれている。もう少しで骨にも届いていたかもしれない。一瞬ではあるが、映画「ブルーベルベット」の冒頭、草むらに落ちている耳の切れ端のシーンを妙に冷めた頭で回想していた。

出血と同時に激痛が走り我に返る。右手がどっくんどっくんしている。その音が聞こえてきそうなくらい。水道で水に流すと勢いでシンク周りに血が飛び散る。次に気が動転し焦りまくった。一般的に女よりも男のほうが血を見ると弱いのだそうだ。学説によると女は以外に神経が太いのと、毎月の自身のもので見慣れているからなのだそうだ。筆者には生理はやって来ない、がしかし自分で言うのもなんだが、案外冷静であった。すぐに輪ゴムで第2関節をぐるぐる巻きにし止血、救急箱から粉末状の消毒剤を取り出し散布し、ガーゼを当てて包帯を厚めに巻いた。更にふと思い立ち、指のカケラをサランラップに包んで病院へ持って行こうとも思った。その間頭の大半を占めていたのは怪我のことよりも、来年からの仕事のことであった。マウスとキーボードの操作に支障をきたすことを思うと暗澹たる気分であった。

ネットで付近の外科病院を検索し、一番近くの総合病院に電話した。指を1/4ほど切り落としたという表現にひるんだのか、手術出来る医者が今日は不在で駄目だと断られた。電話の女性は申し訳なさそうに川崎の救急センターの番号を教えてくれた。全く恨む気もしない。遠くの病院へ行けとなるのも嫌だったので、次に駅前のある病院へ電話した。今度は「1/4切り落とした」ではなく「1/4切ってしまった」という表現にしたのは言うまでもない。OKだった。しかし午前の受付 終了まであと15分しかない。不自由な右手で原チャリアクセル全開、間に合った。
同年輩と思われる感じの良い医師が指を見て、
「ほう、こりゃ随分大きくいきましたねえ。切り口がスッパリ綺麗に」
筆者は「ええ、だって俺一級カッター士だもん」とココロの中で返す。痛みは不思議にも台所での3分間のみで、あとは痛みを感じるよりは痺れのほうが勝っていたんである。
「保証は出来ませんが、たぶんくっつくでしょう。消毒No.○○、麻酔と針と糸用意して」と看護師へ指示。
人差し指の根本に2ヶ所麻酔を打つ。正直痛かった。しかしその時ふと頭に浮かんだのは、QueensのHimariの骨折のことだった。最初の晩は痛くて泣き叫んでいたそうだ。筆者の1億倍も痛かっただろう。小学生の女の子がそれを乗り越え元気に松葉杖をついて笑顔でジャイアンツ球場へ現れたときのことを想い起こした。その瞬間麻酔注射の痛みなどどこかへ吹っ飛んでしまったのである。不思議なものだ。ありがとう、ひーちゃん。

麻酔が効いて縫合処置も終わった。うまくくっつけば2,3週間。駄目なときは完治まで2,3ヶ月と言われた。またしても仕事の支障ばかり考え込んでしまう。会社員ならなんとでもなるが、フリーは生活に直結する一大事なんである。早速家に帰ってMacを起ち上げ、CADソフトで簡単な図面を描いてみる。マウスは包帯ぐるぐる巻きの人差し指を宙に浮かし、クリックは中指で。おおなんとかなるじゃん。かなりスピードは鈍るが仕事出来ない状況ではない。現にこうしてキーボードも叩けるわけで。中指というゴールドフィンガーは健在だった。人差し指はオールドフィンガーになっちゃったけれど。配偶者が言った「ピアニストでなくて良かったねえ」

残念なことに明日はQueensの忘年会なんである。今年は浴びるほど呑んでやるぞとめっちゃ楽しみにしてたのに、医者からは2,3日はアルコール厳禁を言い渡されているし、明日午後も通院しなきゃなんである。午前グローブを持って外野で球拾いをし、午後からQueens部室藍屋でオトナたち皆と酒を呑んで......1ヶ月前から楽しみにしていたプランは儚い夢となった。

事故ではなく自己責任だから、全くもって自分が悪い。
「一級カッター士」の免許は国庫に没収され「カッティングの魔術師」の称号は剥奪されても文句は言えない。それにしても利き腕の右指をやるかねえ。せめて左指だったらまだ救われたのに。
自分の不運を呪う年末の顛末である。とほほ....。
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村


2013年12月25日水曜日

年の瀬雑感5題

年の瀬にやっと仕事が一段落したかと思えば、クライアントからダマシダマシ細かな注文が入る。更に年明けからいきなりの100坪の案件が舞い込んで来た。幸運なことであると嬉しい半面、ゲンナリもしちゃう今日このごろなんである。

先日配偶者がiPhone5を酔っぱらって紛失。多方面に連絡、警察にも届け出たものの、世知辛い世の中、発見の朗報に接することは叶わず暗澹たる気分。iCloudの設定をしていればGPSで探すことも悪用防止にロックを掛けることも可能だったのだが、それも無理。少し様子をみて出てこなければ機種変しなきゃなるまいかと案じていたら、24日配偶者いきなりauへ買いに行く。勝手に無くして勝手にクリスマスプレゼントを買いに行ったようなもの。iPhone5Sではなく5Cの安いほうを持って帰った。「今回はホントに反省....」と珍しくしおらしく宣(のたま)うが、果たしていつまで持続するかは怪しいものだ。
「ったくもう。いい加減にしろよ!」と罵声を浴びせかける。....もちろんココロの中で言葉に出せずに。筆者も今年財布を酔って紛失しているんである。
紛失したiPhone5と新規の5Cのローン支払いは二重の責め苦にあうのであった。トホホ....。

年賀状もいつ制作出来ることかと1週間前までは不安だったが、仕事と個人と両方の年賀状を数日かけて今夜やっとプリントアウト完成。仕事用は「馬」をモチーフに、個人用は「五輪」をヒントにデザイン。毎年印刷だけでは味気ないので、一筆だけ手描きのペンを入れるようにしている。腱鞘炎になるとこだった。あぶねぇ〜、あぶねぇ〜。

TSUTAYAからのメールマガジン。おお〜ついに出たか!「半沢直樹」のDVDレンタル。速攻予約を入れた。筆者、リアルタイムのドラマは後半からしか観てないんである。来年送られてくるはずなので全6巻じっくりと観賞しちゃうつもりなのだ。
その前に今夜は三浦しをん原作「舟を編む」を今から観ようと決意。「図書館戦争」に続き本や活字を巡る映画なんである。

それにしてもここ2,3日咳が出てヤバイ。
週末にはQueensの忘年会に行くことを楽しみにしている身である。午前の練習からカメラの他にもグローブも持って行こうか。本格的風邪に発展しなきゃいいが、と思う12月25日クリスマスの夜なんである。
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村


2013年12月23日月曜日

ちいさな宝物

連休最後の23日は練習を早めに切り上げて、全員でグランド隅にある倉庫を大掃除大会なんである。2ヶ所ある「施設開放団体」用倉庫は3,4チーム共同で使っている。埃と砂と石灰まみれで、桜島大噴火あとの鹿児島県民の1億分の1くらいの気持ちが理解出来るくらいの様相を呈している。(...の.....の.....の.....の....と、「の」が4個も連続するような文章は駄文、文章力のなさの極みである。しかし、普段なら別の言い回しにアレンジするのだが、今は時間がない)

すっかり綺麗になった。
グランドでは落ち葉をかき集めていた。中には落ち葉に埋もれて時折「お宝」が潜んでいることがある。あんなものや、こんなものや...。
おっ、ちいさなお宝発見!ShougoとRuiの妹たちである。
子どもは地球と人類の宝である(^-^)

最後にグランド挨拶し、子どもたち輪になって大人も含め一本締めを行う。
そのあとは恒例の「愛と青春の旅立ち」的に帽子を天高く放り上げるセレモニー。筆者、ルイス・ゴセット・ジュニアになった気分。すかさず母たちもスマホのカメラを構える。この時大事なことは帽子が空中高く最高位に達した絵を想像してのちに、最適なアングルでその瞬間を待つことなんである。瞬間的にiPhoneを縦位置にして、子どもの輪が左右いっぱいに入るまで下がり、空と子どもたちの割合が半々になるよう画角を調整する。ここまで出来たら90%は誰でも良い画が撮れること間違い無し。あとは手ブレしないようにシャッターを切るだけなんであった。更に天気が良ければ夕日に栄えて言うことなし。さすればピューリッツァー賞も夢ではない(^-^)

さてこのブログのあと時間がない、てゆーかもう時間が過ぎている。
急遽、大人たちで忘年会やろうとなり、グランドから帰り夜の飲み会までの僅かな時間にこれを書いているんであった。
.....。
出がけに大問題発生。
今度は配偶者がiPhoneを紛失したらしい。呑んだくれているから天罰が下ったのかなと、配偶者の弁。筆者もとても激しく同感である。年の瀬になんちゅうことをやらかしてくれたんだと思いつつ、筆者は今からオトナ呑み会にいそいそと出かけちゃうんである。
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2013年12月22日日曜日

時に言葉に出して言うべきこと

さて2013年有馬フレンズ6年生を送る会、いわゆる卒団式というその年を締めくくる重要なセレモニーである。思えば18年ほど前筆者の息子が入部した頃は、翌年の1月末ころに行われていた。会場は大きな団地の1階にある集会場の畳の部屋であった。翻って今は近隣のオンワード研究所の大バンケットルームである。隔世の感有り。光陰矢の如し。昔も懐かしいが今のこれもまた良し。

例年のように筆者も含め先遣隊が会場準備をし、入口の横には母たち手作りの色紙や贈呈品、筆者の力作記念の写真立てなどがずらりと並ぶ。

Otsubo監督、来賓の織田川崎市議会議員の挨拶、乾杯発声といつものようにレジュメが進む。Nishihara永年司会担当の「それではしばらくご歓談を」となった時が筆者の唯一の酒とメシにありつける時間帯である。15分もすればあとはほとんど席に座ることすらままならない。次のレジュメの打合や微調整、ブログ用写真撮影で忙殺されちゃうからだ。しかし考えてみれば筆者は送る会の委員でもなんでもないんである。ワタクシは名も無き通りすがりの一介のスコアラーに過ぎないのだから。いつの頃からかこんなんなっちゃったわけで、乗りかかった舟というやつか。

成績発表と来季背番号授与は子どもたちの楽しみのひとつだ。今年は徹夜までには至らなかったが、年間成績表をA3で4枚に印刷しA1サイズに貼り合わせ。これを元にマイク片手にステージで司会をする。若い頃は大勢の人前ではアガリ症で、かつ美人を前にすると寡黙になってしまったものだが、これも隔世の感ありで、歳を経るごとにアガることもとんと少なくなった。但し美人を見るといまだに緊張しちゃう筆者なんである。

いつだったかQueensの集まりで鷺沼ヤングホークスのKurosu監督から聞いた話。「俺が60になった時、チームから赤いちゃんちゃんこをもらったんだよ」とニッコニコの笑顔で話していた。この話を聞いた時に、これもKurosu氏の人徳の成せることだし、またヤングの父母たちはなんて素敵なセンスを持っているのだろうと思った。と同時に、転じて俺たちフレンズは70歳Yanagisawa代表、76歳Kanedaコーチにいったいどうしたと言うのだろう。感謝はココロでするものだけれど、時にはそれをきちんとコトバや見えるカタチで伝えることも必要だ。本人たちには内緒のサプライズで、是非今年の送る会では永年勤続表彰的な感謝のしるしを刻んでおきたい。そんな話を10月ころに一部の母たちに話をして提案し当然絶賛の快諾を得て、今年のレジュメに強引に組み込んだのだった。
椅子をふたつ用意し会場を暗転する。前日そんな作文をしそれを読み上げながら会は粛々と進行するのであった。作文の内容はこれだけで一個のブログが書けるほどの内容。文章は短いけれど心を込めて作った。記念品は母たちが選んで買って来たもの。
(※後日談。このブログを読んだQueens新母会会長のKitamatusu母から翌日メールがあった。ちゃんちゃんこは筆者の記憶違いで、真っ赤な特製ヤングホークスTシャツを贈ったのだそうだ。背番号は60。益々素敵な話である。Kitamatsuさんありがとう(^-^))

来季スタッフの発表である。昨年に続きInoueOBコーチから卒業生へのお祝いのプレゼント。特筆は父は卒業すると同時にチームとは縁遠くなってしまうものだが、Mamoruの父コーチSuekiさんは来季も29番をOBコーチとして留任してくれたことだ。昨年のInoueコーチに続き大いに貴重な人材である。(このブログを書いているのは12月21日土曜。この日は日中レクに参加したのち会社に出勤、睡魔と戦いながら深夜仕事をしているSuekiオヤジなんであった)
来季スコアラーの挨拶をしたあとは、筆者はカメラマンであるがゆえ当然このシーンには写ってない。仕方ないので若い頃の写真を中央に載せておこう(^-^)ピースサインでムヒヒ。先日のツーショット写真の正体はこれだ。最近東京ガスの変なCMにも出ている。

卒業生父母からの挨拶がどのチームの卒部式でもハイライトであろうと思う。過去にいくつもの父母の涙を見てきた。来年1月のQueensの卒団式も楽しみである。照明を落し中盤の佳境に入るわけで。
一人卒業生の中でBenは特別の生い立ちがある。詳しくは書けないけれど。それをみな分った上で大人たちは時に厳しく、時に愛情をもって接してきた。その保護者からの手紙をOhmori母が代読。フレンズコーチたちへと我が子Benへの短い文章の二通の手紙。ことにBenへの言葉にはファインダーを通して思わずジンとくるものがあった。

転じて後半は明るく来季の希望にあふれた(?)展開である。新主将10番、副将などの発表、OBの子たちの挨拶と続く。OB主将Takumiもすっかり中学生らしくなり、Shouyaも驚くほど背が伸びた。

背番号授与と一緒に成績表冊子も子らに配られる。熱心に見入る選手たち。数字の羅列では子らにとって面白くないだろうと思い、数年前から写真を多用するスタイルに変えた。昔に比べページ数は格段に増えた。おかげで筆者はこの時季安眠できないでいるけれど、自業自得といえば確かにそうだ。自分で自分の首を絞める、天に向かってつばを吐く...あれ、ちょっと違うか(^-^)
様々な理由がありネットでプリントパックに発注した。やはり格段の仕上がり。全16ページフルカラー厚手用紙36部で¥11,000。これを高いとするか安いとするか。筆者は後者に諸手をあげて軍配を挙げる。

主将副将の挨拶。今年入部したShouとKurumiも17番・18番の背番号をゲット。Shouは抜群の野球センスを持ったRuiのDNAを継承する弟だ。Kurumiは将来女子野球Queensに入りたいのだそうだ。QKoshimizu監督はじめスタッフみな泣いて喜ぶに違いない。少しはQ広報筆者の洗脳教育が実を結んだかもしれない。2年生ながらトミーオヤジ譲りの野球センスの評価は上々である。近い将来この子のQの赤いユニフォーム姿を見れると思うと今からわくわくしちゃうのであった。

恒例の集合写真撮影。土曜開催に起因してか若干(ワカセンではない)、参加人数が少ないのはいた仕方なし。今年もなんとか無事に乗り切った。

このあと有馬の老舗銘店「葵扇寿司」で肉厚の刺身に舌鼓を打ち2次会、更にラーメン屋で3次会になだれ込んだのは言うまでもない。
2013年、今年も暮れなずもうとしている。
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村