2014年12月21日日曜日

多義的な2014年最終戦

月曜にブログを更新したきり今日土曜まで怠けて、いや、どうにも不可抗力で更新出来ずにいたんであった。「6年を送る会」の準備や打合に追われてしまったり、仕事がらみでクライアントと渋谷の古くて狭い焼き鳥屋で飲んで遅くなったり、TSUTAYAで借りたスカーレット・ヨハンソンの映画を観てしまったり....。今日だって日中送る会の成績発表のレジュメと、そのA1サイズの紙出力制作に追われて、夜はToyodaオヤジ推奨のインド映画「きっと、うまくいく」を観たかったんである。
しかし、明日は「送る会」当日。ここでこれを更新しなきゃなんであった。

南部リーグ最終戦。宮前主催の公式戦とは違うけれど、フレンズ的には準公式戦の位置づけであり、卒業生の慰労も兼ねた大会なんである。筆者がフレンズに入る前から野川レッドパワーズが提唱してはじまったんであるからして、かなりの歴史があるのだ。
相手は昔からウチとチームカラーの似ている野川台フォルコンズであった。
最終戦は2試合のカード。第一試合はAチームから。会場は西野川ドーム球場である。

泣いても笑っても6年にとってはこれが長年着慣れたユニフォームを着ての最後の試合。
フォルコンズは今迄のマリナーズ風ロゴを一新して、尚もユニフォームも白一色に変えていた。聞けばこの12月からだと言う。かなり勇気のいる判断ではなかったろうか。しかも帽子のイニシャルマークはぺらりとしたワッペン風ではなく、本格的な刺繍の厚みのあるものだった。かっけーなあ。そーゆーところは筆者目がないのである。

この試合はOhmoriオヤジには最後の息子の試合をゆっくり観てもらうため、筆者がスコアラーをやりベンチ入り。攻守交代の隙にレンズをこっそり向ければ、同じ6年父Toyodaオヤジと並んで、まるで中学思春期の乙女が憧れの男子の活躍を祈るように、両手を合わせて哀しい表情を醸していたんである。
主将サードYuusuke、ファーストHiro、ピッチャーTakutoの6年3人。

対するフォルコンズ。主将Daikiくんの母は最後の試合との想いからか、筆者のレンズの向こうで息子を見つめる眼差しが実に良かった。父のTanakaさんもいつもと違う目線でベンチ入りしていたように思う。
クリーンナップトリオは6年のRyohくん、Daikiくん、Gakuくん、ベンチには遅くに入部したもう一人の6年生の面々。フレンズ6年3人、フォルコンズ4人。このあたりも似たようなチームである所以である。

フレンズの優勢のまま試合は進む。今年3本のホームランを記録しているHiro(+連合でも3本、合計6本)を始め、YuusukeもTakutoも頑張った。本人たちよりもオトナのほうが感無量であったに違いないけれど。Hiroのバットが火を噴きセンターオーバーのツーベース。スコアラーやりながらこういう瞬間をカメラに収める筆者も幸せ者である....。

負けじと死力を尽くすフォルコンズ。試合は伯仲し最終回表を終了しスコアは6:3でフォルコンズのリード。その裏コツコツ加点し反撃したがこのまま終わってしまうかと思いきや、最後の大事な場面で今日ワケあってスタメン落ちしたRuiが満を持しピンチヒッターで打席に入る。ここは新監督Satohの作戦が功を奏した。見事なタイミングでの代打起用であった。
ライト前タイムリー、一挙に逆転、6:7でサヨナラ勝ちのフレンズなんであった。

最後の試合をほぼ勝利を手中にしていたフォルコンズは涙のサヨナラ負け。
試合後は号泣する6年生たち。肩を抱き頭をなでて労う新監督Watanabeさん。
こういう時は一人の人としてカメラを向けていいものか、或いは真実を伝えるために毅然と撮影して良いか迷うのである。結局衝動的にシャッターを切っていた。報道写真のアカデミー賞「ピューリッツアー賞」にはほど遠いけれど、良い絵を撮れた気がした。

さて一気呵成、このあとの同日南部リーグBチーム最終戦決勝ブログなんである。すでに先の新人戦以来5年以下の新チーム体制に入っている各チームなんである。
Aチームでの勝利とは別の緊張感を持って試合開始。

主将でエースはRui、捕手はYuiのルイユイコンビ。舌を噛みそうだ。

フォルコンズベンチではスコアラーが別の母に交代。Tanaka母はお役御免、お疲れさまでした。

グランドは晩秋の日差しも低くなり、むしろ初冬の空気をそこかしこに感じ始めた。
試合詳報は書けない。スコアブックを学校倉庫に忘れたからだった。試合は優位にフレンズがリード。


4年Yuutaは父の転勤で来年からは名古屋へ。今年一年間遠征時のクルマ配車係で活躍したNishikawa母。その見つめる視線の先には代打、Yuuta。結果的にフレンズ最後の打席になった。将来はフレンズの主軸を担う逸材だった。かの地へ行っても頑張ってほしい。

結果南部リーグBでの優勝が決まったフレンズ。長年低迷していた我がフレンズにとって、今年はAB共にめざましい成績を収めてくれた。その有終の美を飾ったような形の新人戦準優勝に続きこの大会のBの優勝。

試合後TanakaさんとNatsuki母が感極まり笑いと涙の最後の談笑。こんな時はむしろ子どもたちの方が冷静なのかもしれない。
結果的に翌週の北部大会決勝が延期となったため、実質この試合が最後となった2014年。
もうすぐ....「So This is クリスマス、andハッピーニューイヤー♪」byジョン・レノン。
その前に明日はいよいよフレンズ年間2大イベントのひとつ、「夏合宿」と双璧の「6年を送る会」なんであった。
先日行われたQueensでの「クリスマス会」のブログはまだもう少し先なんである。
明日酒を呑むための体力を温存するために早めの就寝を心がけたものの、
結局ブログアップの今、AM1:30なんである。

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2014年12月15日月曜日

破顔一笑

時系列上、まだまだ南部リーグVSフォルコンズ戦2試合のブログにはたどり着けない当ブログなんであった。その前に新人戦準優勝の子どもたちも含めた祝賀会の話なんである。昨日渾身のチカラを込めてブログ更新したにもかかわらず、今日もまた腱鞘炎を案じながらキーボードを叩くわけである。自分の全身が削り過ぎた鉛筆になったかのような錯覚を覚えつつ。

会場は地元のファミレス夢庵。
「カンパーーーーイ」Satoh監督の後輩でもあり教え子でもあるチームOBのMasashiも来てくれた。

順々と粛々とわいわいがやがやと各人の挨拶。親からもひと言、子どもも新人戦の感想や来年の抱負を語り、コーチ陣もスピーチした。当然そのほとんどを写真に納めた(収めた?)のであったが、削り過ぎて短くなった鉛筆はすでに鉛筆ホルダーを装着せねばならぬ寸前なわけで、ここはひとつバッサリ多くの写真を割愛せざるを得ないのである。
んなわけで、新人戦のベンチスタッフだけの紹介に留めたい。
監督Satoh、29Tomioka、28Ohshiro、スコアラー部長Ohmori、選手教育コーチItohの面々。最強の布陣である。Ohmoriオヤジは息子Hiroが卒業ゆえ、来季からは晴れてOBコーチとしての活躍が期待される。筆者は来年は彼を、スコアラー部長からスコアラー統括本部長に昇進させようと思っているのだった(^-^)
我が子が卒業したら同時に親も定年退職なんて、そうは問屋が卸さないのだ。すでにOhmori部長の快諾の言質(げんち)を取付けてあるのだ。チームのムードメーカーとしても今後もチームに欠かせない存在のオヤジなんである。

※全世界でたったの6,500万人(推定検証=Nishimura連盟総務部長)しか見ていない「晴耕雨読」だから、ここだけの内緒話だ。新人戦決勝の敗戦後、子らの悔し涙を流す姿を見て、何度も人目をはばからずおいおいと眼鏡の奥で大粒の涙を流していたOhmoriAyumuオヤジ。いつしか涙は渓流から激流に変わり、自分の涙で窒息、溺死しちゃうんではないかと心配するほどだった。そんなクソ真面目なくせに子どものように純粋でいつも破顔一笑の笑顔が絶えないAyumuが俺は好きだ。

フレンズの顔Yanagisawa代表、重鎮Kaneda顧問、2014母マネとして大活躍のNatsuki母のショット。

新人戦でもらった賞品に豪華野球盤ゲームがあった。小さい弟妹含めた選手子どもたちと、代表がジャンケンで雌雄を決する熾烈な争奪戦が始まった。ヌカヨロコビとも知らず一喜一憂する選手の子ら。

結果はまさかのRuiの妹Kokoがゲット。全く野球に興味がない砂場遊び組の彼女が獲得したことで、選手たちが血みどろの戦いを繰り広げて、遺恨と悔恨と羨望と嫉妬を残すよりもむしろ平和的な解決となったんであった(^-^)
これで野球に目覚めてQueensに入ってくれたら大もうけなんであるが、聞くところによると親は女子バスケをやらしたいらしい。未確認情報ではあるが。

最後は恒例集合写真。
シャッターは店の人に頼んだので筆者も納まることが出来た。
「じゃあ、こーこーこーで、コレを押して下さい」
と、伝えてから、はて、立錐の余地もないフレンズ軍団のどこに入ろうか迷った。
「Teshimaさんここ来て、ここ、ここ!」とのお誘い。
ど真ん中へヘッドスライディングして美女たちの中へズルリと入り込んでめでたくシャッターが切られたんであった。

来季もチームのこんな笑顔の写真が何回も撮れたら、この上ない幸せである。
出来ればこれに布製のズシリとした旗なんかが加わっていれば尚最高である。

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日曜深夜の疾走

当ブログ少年野球「晴耕雨読」のアクセス数が一番多いのはなんといっても月曜日なんである。月曜以外でもブログ更新した翌日も多いのであるけれど、やはり週始めの月曜に「どれどれ、「晴耕雨読」はアップしとるんかいな」てな気分で見ていただく読者が多いせいではないだろうか。土日は野球三昧でブログどころではないのだろう。
というわけで、日曜夜は飲み会または仕事がなく、またはナマケ病が発症しない限り、極力更新するよう務めている筆者なんである。

本日は北部大会決勝VS今井西町野球部戦がグランドコンディションにより延期になり、午後爆睡ののち、選挙投票を終え、夕食後からだらだら書いている「晴耕雨読」なんであった。
なのでどこまでイケルか予想出来ずに見切り発車でペンを執る筆者。今回は遡ること数週間前の話ではある。

この時季卒団式・卒部式・お別れ会・納会・忘年会....と目白押しなのは全国どこのチームでも同じであろう。フレンズでは6年生を送る会兼新チーム発足発表会みたいな感じで、この年末の時季にやるわけで。筆者は毎年これに向けてナニかと忙しい。この日は卒業生に送る色紙に貼る、コーチや子どもたちの写真シールの制作を終えた。夕方Queens・Kasaharaさんから連絡網メールが来た。「みなさ〜ん、暇でしょうから飲みに来て下さい。会長と飲んでまーす」みたいな。暇じゃないけど行きますと返信した。そうか、どうせ外出するなら、この色紙写真を母たちに届けてから行くか....。この日は有馬フレンズ母たちが年に一度か二度か三度の恒例「母飲み会」の日なんであった。こういう時は父たちが一致団結しちゃって家でおとなしく子どもらの面倒を見る番なんである。LINEによるとどこかの家で父たちと子らが集まって「たこ焼きパーティー」を開催していたようだ。

てくてく、てくてく。歩いて居酒屋へ。
母飲み会に乱入する俺。
ちょっと心臓ばくばくしちゃう僕。
まるで男子サッカー部員が独りで女子テニス部の更衣室に侵入するような気分であった。
私は空気を読めないタイプではないと自負する。女の園に入り込んでどっかり居座り、のうのうと酒を飲むほど破廉恥漢ではないつもりだ。写真を届けたらすぐに退散するつもりであった。....つもりであった。過去形の記述である。

「わお〜、テッシー来た〜!いえ〜い!」
と、歓迎してくれたのは母Natsuki。飲んじゃう?飲んでけば?飲もうよ〜!
てなわけでオンナどもに拉致されちゃったんである。隅っこで小さくなりビールを1杯。1杯で済むわけなくもう一杯。次第に孤独な中学男子サッカー部員から、古代ローマ帝国の皇帝が美女をはべらせての酒池肉林の宴を開いているような気分になっちゃった。

ほどなくしてQueensに向かうべく中座する旨を彼女たちに宣言。
「おしっ、ブログに載せちゃうぞー」てんで、撮った一枚。はい、ピース!

すこし昔、日本で韓流ブームのきっかけを作った某韓国映画スター。彼が来日するたびにファンに向けて言っていた言葉「ミナサンハ、ボクノ、カゾクデス。ミンナ、愛しているヨー」...当時筆者はなんだかなあ、と思ったんであった。日本の女子が韓流スターになびいているのを、どこかジェラシー半分、こんにゃろー的な気分でいたニッポン男児は筆者も含めて決して少なくなかったのではないか。
しかし、この上の写真に写るフレンズを後方で支えてくれている彼女たち。みんなイイ笑顔の母たちの写真を見ていると、なんだかほのぼのと理由もなく嬉しくなっちゃうのであった。全員とハグしたくなった自分を抑えるのに苦労する僕。かの韓流スターの気持ちがほんの少し分ったような気がした。
「フレンズノハハ、ビジョノミナサン、ボクモ、ミンナ、愛してるヨー」
と、言いたかったが、あにはからんや現実は言えずに居酒屋をあとにしたんである。

ここから時は一週間ほど流れて....。
宮前新人戦準優勝を果たした夜。当然ながら祝勝会をとりあえずオトナだけで開催。この日は宮前クラブの祝勝会があり(先日のブログに掲載)、筆者とOhmori父はこれを終わってから居酒屋その1に遅れて参戦したんである。大江健三郎著「遅れて来た青年」ならぬ、「遅れて来た中年」なんである。それまで母たちもぎゃんぎゃん飲んでたらしいのだが、ちょうど筆者たちと入れ替わりに母たちは全員帰宅したのだった。

ムフフフフ。
期せずしてここからはオヤジ野郎どもだけの大宴会に突入なんであった。
普段クールな六本木ヒルズのIT企業の若き部長Wakamiyaオヤジもノリノリぎゃんぎゃん歌いまくって...。
相変わらずカラオケの間(あい)の手が絶妙な弾丸小憎テツヲもコロコロはしゃぎまくり...。
Nishinakaオヤジのカラオケ定番「金太負けるな」で野郎どもはテンションマックス...。
自ら体育会系を標榜する事務局Tagamiオヤジの得意技は、年下のオヤジや若いオヤジを捕まえてヘッドロックかけながら歌うこと。今夜の標的はIharaオヤジだった...。
立って忌野清志郎を熱唱するNakamuraオヤジ。いつしか野郎どもは全員総立ちの大合唱になっちゃったんである。野郎どもの一人に筆者もいたのは言うまでもない。



このあと解散したのが何時頃かは忘却の彼方。たぶん11時頃だったろうか?
しか〜し...。明日月曜はみんな仕事にもかかわらず、10人ほどの男たちはここからがエンジン全開、フルスロットルで深夜の鷺沼駅前を疾走しちゃうのである。清志郎の「♪....に、なっちまうぜっヘヘイヘイ♪彼女に.....出来ないなんて〜♪」みたいに。駅前の深夜営業の居酒屋へなだれ込みテーブルを占拠した中には、珍しく新監督Satohもいた。普段は飲み会途中でいつのまにか消える「ドロン」する裏技は天下一品の彼も、さすがに今日は監督として低迷するフレンズを、決勝で負けたとはいえ準優勝まで持っていけた安堵感と高揚感から、オヤジ飲み会にここまでつき合ってくれたんであろうと思う。
フレンズ監督再登板で彼もオトナになったなあ、なんてね。試合の采配を見ても数年前に比べてひと回り大人になったと思うのは筆者だけではなかった。
来年は彼の手腕に大いに期待したい。
因に独身OBコーチItohと共に現在嫁さん募集中(?)なんである....かどうかは筆者の知る由もないが(^-^)

さてさて、深夜のその後。酔っぱらった俺たちは更に漆黒の闇を切り裂き暴走、アクセル全開で、3次会4次会へワープしたようなしなかったような....。たぶんしなかったと思うけど。
気がつけば帰宅したのは翌朝4:00頃なんであった(^-^)/



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2014年12月11日木曜日

邂逅と別離

「えーっと、....ほらっ。この子この子」

今日所用がありバスで港北区のセンター南へ行ったんである。筆者バスが好きなんである。時にバスの中で思わぬドラマを目にしたり、微笑ましい場面に出会えたりと、なかなかに面白い。クルマと違い法令遵守のバスの車速ならではの、ゆるやかな窓外の風景も楽しかったりするわけで。

帰りのバスに乗り込んできた中年女性ふたり。筆者の席の少し後ろに陣取ったようだった。顔は見えないが、その会話だけは聞こえてきた。席に座ったとたんに話し始めたのが冒頭の会話なんであった。どうやらスマホの写真を見ながらの話のようだ。すかさずAさんが言う。
「この子は生まれて間もなく死んじゃって....」
筆者、どきりとして、とたんに耳がダンボになっちゃうわけで。
Bさん「あらあ、可哀想に....」
筆者(普通、バスの中で大声でそんな会話するか?)
Aさん「それからこの子は17歳で亡くなってねえ....」
Bさん「あらま、可愛いのに...」
筆者(マジか。どんな不幸を背負ってる家庭なんだ!?)
Aさん「それとほら、この子たちは三つ子で生まれたんだけど、右の子は里子にもらわれて....」
Bさん「へえ〜可愛い」
筆者(えらい多産系の家族だな....奥さん腰大丈夫か?......あいや?....もしや?....そーゆーことか!)

筆者振り返りその主婦に事の真相を問い質したわけではないが、これは明らかに犬の写真を見ての会話なんであった。どうやらAさんは愛犬家で犬が生まれてはあちこちに里子にあげてるみたいだった。今は他界していないがうちの黒猫の「ぴあの」も里子でもらってきたクチなんであった。
ゆるりとした苦笑を胸に、枯れ葉舞い散る冬のバスに揺られながら帰宅したんである。

+++++++++++++++++++++
前置きが長いのは少年野球「晴耕雨読」の常である。許されたしm(_ _)m

そーなんであった。これをお蔵入りにするわけにはいかぬ。宮前少年野球最強連合、川崎市長杯優勝「宮前クラブ」の祝勝会である。会場はQueensMurataコーチの関係で鷺沼JAを確保。関係各界からお祝いに5千人ほどが詰めかけた....わけないか。筆者はフレンズ関係者兼連盟広報として出席。連盟Sohma会長、Kasahara副会長の挨拶で乾杯。

フレンズからは今年の新人戦から再び監督に就任したSatohも出席。かつて歴代宮前連合監督やコーチから可愛がってもらった経緯もあり、他チームの名物監督などとは旧知の仲なんである。フレンズのひとつの特異な自慢はチームOBの選手だった子が、今大人になり母体チームの監督を務めていることだ。OBがコーチ陣に名を連ねているチームは多くあると思うけれど。筆者の息子と同級だったItohも今年からコーチに毎週熱心に来てくれて貢献している。とてもありがたいことだ。

乾杯のあとは各テーブルで大いに盛り上がるのは、こういう酒宴の常である。子どもたちは食べることに夢中で、むしろ大人のほうが盛り上がっちゃうのもこんな場ではどのチームでも見慣れた光景だ。

恒例の親子でのスピーチ。見て聞いているのは楽しいものだ。
怒濤の宮前戦士20名と親たちの写真4連発なんである。例によって1組につき4,5枚撮っている。その中でベストチョイスの基準は、奥方様が目をつぶっていたりしたものは速攻排除。なるべく女性がイイ表情をしているものを選択している。なぜならあとが怖いから。それとやはり女性や子どもが良い表情をしている写真は全世界共通で、結果明るく綺麗な写真になるんである。こういう時の写真の筆者なりの極意は、女性または子どもが笑った瞬間を狙ってシャッターを切ることだ。笑顔は世界を救うのである。




宴も高輪、プリンスホテル....おっと違った、宴もタケナワなんである。
ここでサプライズプレゼンテーションがあった。有名人、または公人と判断した時は実名でここに載せることをお許し願いたい。(※前田さんご本人には承諾を得ていないがお許し頂けるだろう)
チームにはJohjiくんの父、前田政二さんがいるんである。実は吉本興行の芸人さんである。てゆーか、来歴は吉本総合芸能学院、通称NSCの第一期生であり、「30年にひとつの逸材」のダウンタウンと同期で今でも親交も篤く、現在はNSCで教鞭をとるかたわら、M-1グランプリなどお笑い番組の放送作家としても活躍している人物なんであった。ウィキペディアにも載っている。
以前から気にはなっている人であった。だってこの風貌、これだけでお笑い芸人としては最高の資質を持っているではないか。一見ちょっと怖そうだけれど、その表情の中や目尻のシワには人なつこいお笑いの源泉があるように思える。(偉そうに書いてすんまへん)

その前田さんがマイクを取った。さすがは人前でマイクを持つことに場慣れしたプロ。軽妙な話術で会場を盛り上げる。
事務所にあるものや広い交友関係からいろんなサプライズなモノを持って来て、大判ブルマー...じゃない、大盤振る舞いしちゃったんである。
母マネージャーとして活躍してくれたTanaka母、「チームを大いに盛り上げてくれたで賞」のTaisei母、同じくモリモリ母ことNatsukiが選ばれた。欣喜雀躍、ふたりは腕を組んで踊りだす始末(^-^)

交友関係からプロ野球関連のレアなグッズをMatsui監督、Sohma会長、Kasahara副会長へ贈呈。こちらも大いに盛り上がった。プロ選手のサインボールは子どもらでジャンケン大会。TanakaさんのDaikiがゲット。いやはや「持ってる」ねえ、この子。

最後は監督とベンチスタッフの挨拶。Murataさん始め関係各者もマイクを持つ。神妙にかつ笑いもありーの、聞き入る会場。こんな時はチームの垣根を越えていろんな大人たちが少年野球を支えていることを、ファインダーを通じて実感するシーンでもある。

締めである。これで2014年の子どもと大人の絆はとりあえずはお別れだ。ジャイアンツJrに選抜された選手3名は年末に大一番が待っているけれど。
連合で出会えた人との輪はひとつの邂逅(かいこう)と言えるだろう。子どもも大人もこれからの一生の想い出になるに違いない。
Tanaka母が締めに指名されて。女性がこれをやるのも一興である。
ズームアップしたレンズの向こうの彼女の目に、微かに光るものを発見したのはおそらく筆者だけに違いない。

帰り際田園都市線鷺沼JA4階の窓から睥睨した駅前の冬の一枚の絵。iPhoneで撮影したのだが、窓は結露して中央部をキコキコ拭いてかろうじて撮った。そのために偶然周囲が結露でいい具合にボケてくれて、中央のクリスマスイルミネーションが際立った絵になった。

もうすぐクリスマスですね(^-^)

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2014年12月9日火曜日

新しい風の予感

宮前区新人戦、沈み行く夕陽の逆光の中での閉会式なんであった。
優勝は泣く子も黙る「富士見台ウルフ少年野球クラブ」
長机の上に燦然と輝くトロフィー、楯たちが整列。
今まではこれを見ても何の感慨もなく無機物のひとつとして撮影していたのであったけれど、今日は違った。

準優勝は「有馬フレンズ」我がチームなんである。毎大会1,2回戦で消えてゆくのが当たり前になって我が身に染み付いていた筆者には、そのトロフィーはあまりに眩しかったんである。
3位は「馬絹メイツ」その昔このあたりでは、馬の産地だったという古文書(こもんじょ)がある。この馬絹も有馬も地名の由来はここから来ているらしい。有馬のすぐ近隣の馬絹メイツなんである。
※因に筆者制作の初代チームロゴにギリシャ神話のペガサスをモチーフにしているのは、この「馬」からのインスピレーションによる。
恒例の協力母たちによるメダル授与。

惜しくも4位に甘んじた「鷺沼ヤングホークス」名物監督Kurosuさん率いる名門常勝チームである。女子野球Queensへの貢献度も、女の子供給保有率ダントツの一位チームである。
解散総選挙公示直後の選挙活動も手伝い、閉会式にもかかわらず来賓ほか多くの議員さんも参列。

式のあとは決勝、準決勝に残った4チームだけで内野を一周して閉幕。

優勝を逃したものの感涙のあとに、ふつふつと胸に湧き起こる準優勝の歓喜。
思い思いの体(てい)で写真撮影の母たち。
ナゼかガッツポーズを取っちゃうShohgo父の本名Tetsueo、愛称てっちゃん。
父の転勤で今年いっぱいでフレンズナインとお別れするYuuta。
昨年から3年生ながらめきめきと頭角を現し、将来はフレンズの中核を担うはずであった左腕の子だった。他チームからもよく「あの子凄いね」と筆者は嬉しい声を聞いていたんであった。今年度4年ながらBチームでの登板試合数はダントツの数であった。
父が記念にと思ったのだろう。フレンズのプラカードと共に息子と一緒の写真を。
来年名古屋の地に行っても是非野球を続けて頑張って欲しい。

お定(き)まりの記念撮影。
セオリーに従い最初は背番号を背負った指導陣と選手たちで。
次は父母含め全員で。
大人たちに呼びかける。「全員入って〜!」路傍を歩く野良犬やブロック塀で日向ぼっこする野良猫も招集したいくらいだった。
筆者はいつも撮影者なのでこういう時は絵の中にいないことが多い。
連盟総務部長兼Web広報担当部長のNishimuraさんが、公式HPのためにたまたま撮影していた。「Nさん、ちょっといいですか?」カメラを渡し撮影を頼んだんであった。

ウルフを母体チームとしウルフ愛はいまだ胸に熱い想いを持っているN氏。でも同時に筆者には自称「フレンズファン」と公言してはばからない。Nishimuraさん、
「はい、いいですか〜!撮りますよ〜」
ハイチーズとか言うかと思いきや、氏の口から発せられた言葉は.....
「来年は優勝するぞー!お〜!」
それにつられて思わず良い笑顔でのシャッターが切られた。
来年は「群雄割拠」
抜きつ抜かれつ、2015は全チーム熾烈な熱い宮前であって欲しい。
もちろんその中でフレンズが旋風を巻き起こすことを祈願して....。

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2014年12月8日月曜日

優秀と憂愁の有終

この一週間はなんてったってアイドルならぬ、なんてったって2014成績表冊子印刷に向けて渾身のチカラを込めて編集作業に没頭していたんであった。やっと土曜にアップしCMでお馴染みプリントパックにWeb入稿を果たし、脱稿したのである。椅子に座り詰めで筆者のケツも脱肛しちゃうかと思ったほどだった。

おっといけない、昨日は祝勝会で興が乗りオヤジどもと鷺沼で4次会まで飲んだくれて帰宅は午前3:00なんであった。ブログはさっさと書いて寝なきゃなんである。

ブログ写真ネタフォルダには、新人戦閉会式、オヤジ飲み会、宮前クラブ祝勝会、新人戦祝勝会、更に今日の南部リーグA最終戦、南部リーグB優勝....と、とんでもなく在庫を抱えて黒字倒産寸前なんである。まずは時系列的、コペルニクス的回転的、コンプライアンス遵守的法則に従い、粛々とブログ執筆に邁進すべきなんであるが、今日は発作的に本日のネタを簡潔に書いて完結したい。

南部リーグAチームの最終戦、イコール6年生の最後の試合である。
その後南部Bの決勝戦も行われた。

うちのフレンズではおそらくナンバー1のイケメン選手、6年Takutoがいる。
線が細くおとなしい性格のメンズなんである。今日写真を整理していて気がついた。
錦織圭と似てなくね?

更に今日の南部リーグ相手チーム、野川台フォルコンズにはとんでもない美少女がいたんである。筆者フレンズスコアラーコーチ兼、連盟広報部長兼、Queens広報部長を兼任している身である。(※半分は自称である)ゆえに相手チームに女子がいればQueensの血が騒ぐのだった。是非将来はQに入部勧誘したい。聞けばやはりハーフの子だった。
なんとも爽やかな愛くるしい笑顔は、Queensの赤いユニフォームもきっと似合うに違いない。
ダレノガレ明美いや、ホラン千秋に似ているではないか。
もっともこのタレントらよりもずっと可愛いのであるからこの子に失礼か(^-^)
(女子ゆえに公的了解を得てないので名前は伏せたい)

++++++++++++++++++++++
この日の執筆はいつになるやも知れずの「晴耕雨読」なんである。

秋の日差しを背景にネット裏からレンズを向ければ、
思わず知らず偶然の白い光がグランドを射抜いていた。

秋の定番写真アイテム、銀杏の樹の木漏れ陽もここ西野川ドームにも
日本中平等に射し込んでいたんである。

フォルコンズの6年生4人は最終戦で負けて号泣していた。
ぐっと胸に迫るものがあった。
反してフレンズは次戦のBチームでの優勝。
恒例のエールを送ったあとの帽子投げ。

今年も師走。
もう少しで2014年も、それぞれの人の胸の中で暮れようとしている。

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