2016年5月24日火曜日

小説「月に降る雨」2

龍一は高知を出る時親からの仕送りは自ら断り、東京での生活費はこの夜のバイトで自分で稼いでいた。大学を中退した翌日から店長に頼み込み、飲食店の夜だけだったバイトをランチタイムから通しで入ることにした。ほぼ終日池袋でバイトに明け暮れることになる。おかげで収入は増え中退から10ヶ月後の新年には、今まで過ごして来た江古田のアパートを引き払いちょっと広めの中野坂上に転居した。「龍一、大学辞めたんだったら、このままうちに来ないか」店長からは正社員にならないかとの誘いもあった。

ここのバイトで知り合った永山希伊(きい)とは、中退後も何の問題もなく付き合いが続いていた。希伊は東京生まれ東京育ち、関西以西から上京してきた曾祖父の代から東京だったと言うから、「三代続けば江戸っ子」の言葉に従うならばいわゆる生粋の江戸っ子と言っても良い。戦後の闇市で怪しい食材を調理して屋台で提供するうちに人気を博し、その資金を元に様々な物資を米軍から調達し、高値で売りつけた。ちょっとした財を成した実家は、その後商才があったのだろう、有名飲食店を次々と傘下に収めて、今では誰もが知っている全国と海外に700店舗を展開する飲食チェーンを経営する、資本金50億社員数1100名の一部上場企業の創業家だった。本来ならば希伊は大金持ちのお嬢様で何不自由なく暮らせる娘であったはずだが、厳格な母の教育の賜物か、一般女性よりも自分に対してストイックで、一本筋の通った娘に成長した。体の中心に透明の鉄パイプを仕込んだように。容貌はとびきりの美人とはいえないまでも、街ですれ違った女の子に男が一瞬どきりとして振り返るような、言いようのない色気を感じさせる、そんな娘(こ)だった。良家の子女であることは周囲に一切明かさず、普段は明るい性格で男女ともに人望もあり人気者だ。そんな彼女があとからアルバイトで入って、龍一が先輩として接しているうちに恋に落ちるには時間がかからなかった。しかし龍一よりも先に恋心を持ったのは希伊のほうだった。

有名大学の2年生だったとき、親の反対を押し切り実家の豪邸を飛び出しバイトで一人暮らしをする希伊には、誰にも言えない心の闇を抱えていたのだった。希伊の明るい笑顔が好きだった龍一だが、ふとした時に見せる、無防備な横顔に暗い陰りが浮かぶのが以前から気になっていた。付き合い始めて互いのアパートを行き来するようになり、次第に何度もベッドを共にするようになってから、龍一はある晩、希伊が家を出た理由を訊いたことがあったのだが、希伊は生い立ち以外のその理由は頑(かたくな)に話そうとはしなかった。龍一のような平凡に生きて来た若者には想像できないような理由があるのだろうと思った。
「わかった。今は無理に訊こうとは思わない。でもいつか俺に話してくれる時がきたら、ちょっと嬉しいな」

薄明かりの部屋の中でその言葉が受け手を捜して宙に浮かんでいる。狭いベッドに横になった隣の希伊をそっと見ると、彼女は唇を噛み締め、目尻から伝い落ちる一筋の光るものが枕を濡らしていた。視線を感じとった希伊は、傷ついた子猫が何かにすがるような目をするように、ゆっくりと静かに、龍一の胸に抱きついてきたのだった。

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