小学校4,5年生の頃、創作の作文を書く宿題が出たことがあった。小学生なりに「物語」を書きなさいというものだった。
当時の筆者は図書室で読んだ本と言えば、HONDA創業者、本田宗一郎の伝記(まだ存命なのに伝記と言ってもいいのだろうか。いわゆる人物伝に近いのもだったか)や、怪盗ルパンと名探偵シャーロック・ホームズなどの子供向けの本だった。今でも書店に並んでいるものだ。更に親父が毎月取っていたリーダーズ・ダイジェストをぱらぱらめくり、読めない漢字は飛ばして見ているうちに、ほとんど読めないながらも外国の雰囲気などに接することになった。TVも当時は多くの外国ドラマが放映されており、大人が観るアメリカの白黒映像のドラマに夢中になったものだった。「名犬ラッシー」「ララミー牧場」「コンバット」「逃亡者」...次第にカラーになり「奥様は魔女」「サンダーバード」「スパイ大作戦」「0011ナポレオン・ソロ」「謎の円盤UFO」....。枚挙にいとまがないとはこのこと。この何十倍ものタイトルを今でも列挙出来る。それは地域巡回文庫と国会図書館との差くらいあるんである。もしくはイナバ物置とAmazonの倉庫くらいの差があるのだ。
そんなわけで筆者は多少外国かぶれ、いや外国に憧れる少年だったかもしれない。同年代ならば理解を得られるはずだ。小学生時分に処女作となる物語を書いた内容は、アメリカを舞台にしたもので、主人公が確かジョンというベタな名前の若者と、彼が飼っている犬との冒険譚というか愛情物語みたいなお話だったと記憶するわけで。
それ以来中学高校と小説らしきものは書いたことがなく、もっぱら読むほうに傾注し埋没することになった。この頃の思春期は勉強は試験の2,3日前に徹夜でやった以外は、サッカーのことと友達と遊ぶことと、そして昼も夜も女の子のことで頭がいっぱいだった。(オトコならワカリマスネ?)
その「ジョンと犬の物語」的な小学校作文以来の小説を書いちゃっている、無謀にも。途中で挫折するかもしれないし素人が書く駄文に終始する危険も孕(はら)んでいるのだけれど、とりあえずまだ頭の中のエンジンはガス欠にならず走っているので、「小説3」...と行ってみるかと思うのであった。今日「小説2」の「いいね」的な「ポチクリ」が大量7個に増えていたのでにわかに嬉しくなり、これが走るためのガソリンになるんである。小説を書くモチベーションとなるガソリンの単位はポチクリ。略して「ポチ」。7ポチクリ=7ポチあればとりあえず「小説3」までは走行可能となった。ありがとうなんです。
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さてBLOG本分の少年野球、少女野球にここから戻るのだった。
宮前Queens10周年記念誌を誌上公開すると言っておきながら、日常の些事(さじ)にかまけておったら、とんと失念してしまっていた。ゆえに突然再開しちゃうんである。
前回は4月8日のブログで記念誌P6-7の寄稿文で終わった。この次のページは川崎市長福田さんと、宮前区長野本さんからのもの。裏話なのでここでは書けないけれど、普通これだけの公人がいち団体に寄稿文を書くことは凄く困難を伴うんである。局地的私的な団体ではなく宮前区内全域からの女子を集めたQueensだからこそなし得た快挙かもしれない。
川崎市少年野球連盟の(前)会長三浦雅昭さんからの寄稿文。更に読売巨人軍 野球振興部長の鈴木丈介さんから。Queensの存在は故笠原さん抜きでは語られないのだけれど、同時にその黎明期において笠原さんと巨人鈴木さんとの交遊関係もまた、然りなんである。快く引き受けていただいた。整然としてかつ誠意のこもった文章はその人となりを彷彿とするものである。寄稿文を寄せて下さった方々、ありがとうございました。更に交渉窓口となったQのKurashige母にもありがとう。
Qのお母さんたちの協力なくして記念誌は語れないわけで。10年間の「あゆみ」を取材し年号などの数字に間違いがないかどうかまで含めて、大変な努力の結果テキストを送信してもらった。中心となったのはスナ母こと、Kitamatsu母であった。
年代順に文章の要約と写真で当時の集合写真をリンクさせた。編集長(筆者)はこのページのラフエスキースを作るあたりから「OGたちにも喜んでもらえるような記念誌にしよう」と少し方向転換したのであった。
編集会議では発行人であるMurata代表から「宮前少年野球連盟20周年記念誌」と同じく、母体チームのイラストマップを作りたいとの声があった。幸い連盟記念誌でのイラストマップの制作者は筆者であり、所有権はないけれど著作権は保持しているはずだし、Queensは連盟と一心同体的な位置関係でもあったので、文科省特許庁文化庁に精査を請うまでもなく、即決、連盟の時のデータを流用加工することにした。
女子らしくベースをピンクに変えたり、OGたちの所属母体チームの検証、修正決定と細部に至るまで制作には時間が要したけれど、作るのが楽しかったのも事実。例によって個人情報保護の観点から名字はボカシを入れて下の名前だけ明示。Qでは下の名前で選手を呼ぶ伝統があるので尚更である。参考までに連盟記念誌のページも掲載しちゃう。Queensバージョンにするために細かな修正を相当やった。戦国時代風の匂いを消し去り、今風にアレンジ。当時は神木マーキュリーズがあって向ヶ丘キッズはまだなかった。
これを作って気がついたのは、田園都市線を境に北部が圧倒的に多く、下半分の南部はヤングは例外として圧倒的に少ないのである。ヤングがQueens姫輩出の宝庫であることはこれを見れば一目瞭然。またKurosu監督の鼻息が荒くなりそうだ。「ヘンな話、歴代Queensの子をいっぱい出してるのはウチだかんね!」なんてね。我がフレンズからは三期生の「記録よりも記憶に残る選手」だったHaruka以来皆無。毎年自チームの人数存続さえ四苦八苦しているのだから無理もない。
(※連盟記念誌のページ全文は連盟HPからリンクで見ることが出来る。Nishimura鬼編集長の粋な計らいである)
10年の各期のページである。人名、読みがな、各数字、Queensのその年のトピックスに加えて当時の日本のトピックスも加えた。(フレンズ30周年記念誌でも用いたアイディアではある)これはなるべく女子スポーツの話題を中心にするように編集長から激が飛ぶ(?)艱難辛苦、切磋琢磨して精査の上膨大なテキストデータが上がって来た。今期母会代表のImanishi母を中心に作ってもらったものである。微に入り細にわたる検証作業と英断と独断とが交錯し時間を刻んでいくんである。
デザイン的には各ページに必ずQueensイメージカラーの「レッド&ブルー」を帯状に配した。全体に統一感を持たせるために。入稿ギリまで名前と写真と数字の整合性に細心の注意を要したコーナーであった。
(※当初名前が見えるページは掲載しないと宣言したものの、やはり全ページ掲載しないわけにはいかない。そこで子どもには名前公開に留意しボカシを入れた。しかし大人ならまあ良いだろうと安易な判断のもとボカシは入れてない。この場合に限って大人の名をネット上で公開することで犯罪に発展するとは思えないからとの判断もある)
では一気に10年分、今期のページも含めて。
なんとかQueens記念誌掲載ブログも中盤まで終えた。
残すは8,9回の終盤戦。戦いはもう少し続くのであった。いつかまた、この続きを...。
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この度、福岡市でプロジェクトチームを作り少年野球の疑問に挑戦するという企画を始めました。
返信削除いまだに暴言・暴力が当たり前の少年野球界に、元プロ野球選手を含む6名が立ち上がりました。
この活動を広く世間に発信していきたいと考えております。
プロジェクトは以下のとおりです。
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