2016年5月19日木曜日

小説「月に降る雨」1

「今日は何にするかなあ。AランBランもなんだかなあ、飽きちゃったしな」
メニューを見ながら、そうひとりごちたのは神島龍一の上司、鈴木部長だった。Aランとはその店の肉をメインとした「Aランチ定食」のことで、この他にも肉を魚に変えたBランチ、ついでに言えばCランチはカレーかパスタどちらかを選べるものまである。もちろんこの定食の他にもアラカルトでかなりの数のメニューが用意されている。
「定食は飽きたけど定食以外のヤツは高けえしな。なんだかなあ」
なんだかなあは、鈴木の口癖だ。以前会社の仲間と部長と数人でこのレストランに来た時も鈴木は言った。
「Aラン、Bラン、Cラン今日はどれにしよっかな。はあ、なんだかなあ」
龍一は思った。孝雄さんはいつもなんだかなあを連発する人だな。

龍一の会社は社員数80名ほどの業界では中堅どころの内装建築会社なのだが、社長の鈴木浩二始め役員の鈴木誠、総務の鈴木八重子、設計部の鈴木恭子、そして同じ設計部部長の鈴木孝雄、この他にも他部署に4人ほどいる。その昔渋谷のスクランブルで石を投げればかなりの確率でデザイナー志望の若者に当たると揶揄されたものだが、龍一の会社の「鈴木」の人口密度はちょっと異常なのだ。鈴木以外にも斉藤姓は4名、山本は3名。役員の鈴木誠のコネクションで入った工事部3課の鈴木卓也に至っては、忘年会の帰りに酔った勢いで社内のマドンナと言われた沖縄出身24歳の具志堅祥子とねんごろになり、半年の交際を経て結婚するまでに至ったせいで、希少価値の具志堅が消滅しただでさえ多すぎる鈴木が増殖することになった。そんな訳で比較的アットホームな龍一の会社では、鈴木さんと呼べば数人が返事をしてしまう環境の中、いつの間にか姓ではなく下の名前で呼ぶのが慣例となったのである。部下が上司に対して「孝雄さん」と呼んでも全く不自然ではない社風なのだ。

「孝雄さんはいっつもなんだかなあを言いますね」
一瞬怒ったような怪訝そうな色を顔に浮かべた孝雄だったが
「あっ、そう言われればそうかあ。参ったなあ」と右手で後頭部をかく仕草をしてみせるところが、いかにも憎めない昭和オヤジなのだ。
「Aラン、Bラン、Cランか。僕高知で高校まで野球をやっていたんですけど、Bランって言うとなんかベーランを思い出すんですよ」
「はあ?何?ベーランって」
ますます怪訝そうな表情で言葉を返す孝雄だった。


龍一は小中高と野球に没頭し、高知の野球でそこそこ名の売れた公立高校を卒業後、東京の中堅的な私大へ進学したものの2年の終わりに退学を決意、いわゆる大学中退組だった。サークルに入り野球は続け、夜は池袋の飲食店でバイトし、そこで知り合った女の子とつき合うようになったどこにでもいる凡庸な青年だったのだが、ある晩、郷里にいる祖父から受け継いだ果物店を細々と営む年老いた親の学費の負担を思った時、突然雷に打たれたように中退を決意した。事後報告で高知に電話で伝えたとき、父の博之に開口一番ばかやろうと怒鳴られた。しかし手短にその動機を話すと博之は電話口で絶句し無言の空気が双方の受話器の間を流れた。龍一は父のその無言によって初めて、父に恥をかかせてしまったことに気がついたのだった。本当の理由を言うことが必ずしも相手を喜ばすことにはならないと若くして龍一は悟り、ひとこと「ごめん」と言葉を伝え静かに受話器を置いた。

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小説1なんであった。名前はまだない。
昨日ファミレスで昼食を摂った時に思い立ち、突然発作的に小説の出だしだけを書いてみた。筆者個人とは全く別の創造の話であり、続編が書けるかどうかは保証の限りではない。小説のタイトルもプロットも構成も人物造形も最後のオチも何も考えずに書き出したもの。数年前にここで発作的に「サンドストーム...」とかなんとかの小説を冒頭だけ書いて、その後梨の礫(つぶて)でそのまま放置した前科があるので、今回も先は全くの不透明。
少しでも反響があれば、続きを書いてみようかと思うけれど、それこそトンネルの先は真っ暗で不透明なんである。
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