2011年12月29日木曜日

20th記念誌Vol.5序章編

2011年もあと2日余りとなりました。
地球や月や太陽などは、人類の思惑には頓着せず、彼らはせっせと宇宙の摂理に従ってシームレスにくるくる周り巡っているだけなのだけれど。どうしたものか、我々人類の先達が「時間」という概念を発見しちゃったがために、毎年この時期になると慌ただしい、特別な時を過ごすハメになるわけだ。太陽や地球は何の感慨もなく定理に従い規則正しい運動を繰り返すだけなのだけれど、ヒトは特別に厳(おごそ)かな気持ちになったり、または晴れやかな気分になったりと忙しい。
そんな人類の一員である筆者は、この時期のそんな気持ちの起伏が嫌いではない。日本人であることを改めて確認する季節でもある。

そんなこの時期にこのブログでは、こともあろうに年末とは全く関係ない連盟記念誌の連載シリーズを書いてしまうのだ。前回のVol.4では目次編。次の今回のページは各関係者の「あいさつ」のページである。当初いろんな方の「あいさつ」文をいただく案もあったけれど、記念誌ミーティングでそれをバッサリ、シンプルに絞り切ったのは社長こと、Kasahara氏であった。当連盟会長Sohmaさんと、川崎市少年野球連盟会長のMiuraさんだけにしたのである。こういう英断、決断の早さはさすが社長である。
記念誌は公的な刊行物であるとの認識と「オトナ」であることから、この際実名写真入りで掲載しても問題ないでしょう...との筆者の認識から掲載します。

次の4〜5ページは連盟主催による優勝旗と優勝カップである。
「防犯大会」は連盟設立以前からのかなりの歴史ある大会なので、優勝旗が他に比べて色褪せて見える。歴史の重みがあって、そこがいい。これらの撮影は筆者はノータッチだったので、苦労話は編集長のNishimuraさんの弁を待たないとわからないのだけれど、ここはひとつカップに注目いただきたい。
筆者の本業である店舗設計でも経験があるけれど、カメラを向けた被写体が鏡面のような金属体である場合、カメラやカメラマンがそれに写り込んでしまうことがある。これを避けるために白い紙や布でレンズ部分以外を全て覆って撮影するんである。この写真をよーく見るとカップの中心に黒い四角い部分があるけれど、この奥からレンズを構えているのだ。おそらく白い紙でカメラの四方をカバーしたはず。こういう静止画は一見素人にも撮れそうな気がするけれど、スットコドッコイおととい来やがれで、これだけのクオリティーの絵を撮るのは逆に難しいのだ。これは馬絹メイツさんの29番コーチFurunoさんの腕によるもの。記念誌プロジェクトには頼もしいメンバーがいるんである。

ブログを書いてるうちに、30代後半の頃、恵比寿ガーデンプレイス38Fに鮨屋を設計し、その竣工写真に立ち会ったことを想い出した。0時過ぎの深夜。個室を撮影するのにワンカット30分かかる。数アングルのテストのポラを何枚か切って承認、ようやく本番。当時デジカメなどない頃なので通称「バイテン=(8×10)」と呼ばれるごっついカメラを三脚に据えての撮影。
「ハイ、本番行きま〜す....」
との合図で露出時間10秒ほど。その間我々取り巻きは、息を止めてシーンとなる。考えてみればビデオ撮影じゃないのだから音声は入らないわけで、雑談してもいいのだけれど、どういうわけか黙って緊張してしまうのだった。
「ハイ、OKで〜す」とカメラマン。我々は緊張が解けて....
「だは〜っ」と息を吐く。
ワンカットの写真はたった0コンマ数秒で切り取るけれど、そこに至るまでの準備や設営などを考えると膨大な時間が投入されているんである。

次回はいよいよ6,7ページの「少年野球戦国絵巻」編。
でも年も暮れ行くころなのでアップはいつになるやも知れず。
配偶者は今、所用で帰省中。今晩はウィスキー片手にInoueコーチから借りてるDVD、映画「イージーライダー」を観ちゃうのだ。今年10月5日のAppleのスティーブ・ジョブズと同様、昨年好きな俳優デニス・ホッパーも逝去。
う〜ん、「ブルーベルベット」も観たくなってきた。
好きな人がどんどん亡くなっていく近年。それだけ自分も少しずつ「そういう歳」に近づいているのだろうと思う。
実際、まだ若いけどね(^^)
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