筆者は「霊」という存在を信じないほうだ。でもあっても邪魔にはならないし、信じる人のことは決して否定はしない。昔の会社の女の子の部下にメチャメチャ「霊が見える」という子がいた。渋谷のスクランブルを横断すると、行き交う人の肩口にソレが見えるらしい。彼女が嘘を言ってるとは全然思わない。単に彼女には「見えて」筆者には残念ながら「見えない」だけのことなんである。「見えない・感じない」ことに私はとても満足している。なぜならひとたび自分にも「見えて」しまったら、おそらくは気が狂ってしまうだろうからだ。あな恐ろしや、なんである。
ただし筆者、宇宙人の存在は絶対信じるヒトである。客寄せパンダ的UFOのTV特番「衝撃映像」には笑うしかないのであるけれども、純粋に宇宙人(彼らから見れば我々地球人が宇宙人であるけれど)は、いるはず...いや、存在しなきゃいけないのだ。なぜならもし彼らの存在を否定するならば、宇宙に我々地球人が存在していることの説明に困ってしまうからだ。宇宙人を否定することは、とりもなおさず、人間の存在を否定することに他ならない。空想科学的願望&実戦的科学理論からそう信じるのである。これは天文学大好きだった田舎の中学生の頃からの持論なんである。
いけない、いけない。話が逸れてしまったではないか。
今、一週間後に控えた「6年生を送る会」に向けてアクセル全開である。6人の卒業生に送る恒例の「写真スタンド」の制作が終わった。1月から11月まで撮り溜めた膨大な写真の数々を一枚一枚チェックして、その子のベストな写真を数葉選ぶ。ひとつの写真スタンドに7枚を厳選。集合写真と打撃、守備に際立ったものを抽出するんである。監督コーチとの写真、親子の写真に加えて。
その抽出作業中こんな写真を発見。
ボールとバットの邂逅の場面。「一期一会」の瞬間。今年一枚だけこういう写真を撮れたことがあり、以前ブログにも書いたけれど、今回は2枚も収穫しちゃったんである。
AのShouyaとBのOtoである。
予想するにAは残念ながら振り遅れでサードゴロ(しかも高いボール球)、Bは残念ながらすくい上げてピッチャーフライであろうか。(フォームは最高だが)
フト気づいた。よーく見てみると、ボールの画像が変である。ABの「一期一会」の瞬間を拡大してみた。
Aの写真はC球の縫い目に当たる部分もハッキリとグニャリと歪んで見えている。更にBは....。
当たった瞬間のボールから、次に弾かれた弾道へ移らんとするの一瞬の画像を切り取っていた。
まるで軟球から魂が抜けてゆく「幽体離脱」のようだ。
少なくとも「ザ・たっち」の「ゆーたいーりだつー!」よりはリアルなんである。正月の餅がぷっくり膨れ上がったようでもあるけれど。
「霊」の存在は信じないけれど(信じたくないけれど)、ちょっと妙な気分になれる一枚の写真ではある。(^^)/
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