ゆずの「友〜旅立ちの時」からインスパイアされてタイトルとした「さよなら、ありがとう」もいよいよ佳境に入ってきたんである。2013年度宮前Queens卒部式の最終章である。その前にまたまた言い訳タイム。写真は全員分は網羅出来ない。また今回は来賓などの写真も割愛。更にDVD上映時の暗い中での撮影は画質は劣化、暗すぎて明度が足りないので専門の写真加工ソフトで明度を強制的に上げている。う〜ん、一眼レフが欲しいなあ、と思う今日この頃なんである。
JA向丘を借り切っての卒部(団)式はまず照明を落して6年生入場から始まるのが恒例だ。
今季の6年は実に8名。昨年の三冠達成の大きなチカラとなったことは言うまでもない。
下の上部写真左から主将のHimari、Akari、Hinata、Noeri、Misaki、Ichika、Ayano、そして遅くに入部したのにもかかわらずQの貴重な戦力となったYumi。
まずは代表のKasaharaさんの挨拶。
「え〜、いよいよQueensの................。え〜.........。あの〜..........」
どうも様子がおかしいぞ。マイクを持ったらいつもなら朗々と話し始めるKさん、暖気運転抜きでいきなりトップギアに入ったようだ。感極まる一歩手前で声を詰まらせながら挨拶。6年生もそれを察してか神妙な面持ちで話を拝聴する。続くSohma会長、豪傑らしく大きな声で明解に挨拶された。Sohmaさん=豪傑。うんうん、我ながら的を得た言い得て妙な人物形容である。
2013年歴戦を共にしてきたKoshimizu監督、Murataヘッド、Mochida28番コーチ、Kasahara代表から6年生へひそひそ話、じゃない労いの言葉をかけつつ記念品を手渡す。どんだけひそひそ度が高かったかと言うと、ステージ下でカメラを構えていた筆者ですら何を言ってんだか聞こえなかったくらいである。
これに対し6年からひと言。ステージ左手からレンズを向けていたのであるが、子どもの顔とスタンドマイクがカブり良い写真が撮れないと即断し右手に回る。ほっ。なんとか皆のアップが撮れた。広報部長としての職責を全うしなきゃなのだ。
以前Queensの歴史に燦然と輝く主将Meikaの卒部の時にも、Mochidaコーチの「歯が痛い」写真を掲載したのであるが、今年は涙を隠すために帽子をいつもより目深にかぶり、Qのハンドタオルで表情を悟られないように首に巻き付けて6年に声をかける。決して寒くてマフラー代わりにしていたわけではない。
そのMochidaさん渾身の力作DVD(ブルーレイディスク)上映である。1ベルが鳴り、2ベルが響き、映画館にアナウンスされる「間もなく上映開始されます。お客様はすみやかにお席につきますようお願い申し上げます」そして客電が落ち暗転(全て芝居用語)今年もサンダースTsuda一級スコアラー士が馳せ参じ上映開始。モッチーのその全体構成、写真選択、挿入歌、編集アレンジ...どれをとっても一級DVD編集士の名に恥じない出来映えであった。
しんしんと静まり返った中でレンズを会場に向けてもすごく暗いので、皆の表情はほとんど判別できない。肉眼を頼りに見渡すとやがてほどなくしてハンカチで目を抑える母たちが何人も。6年生たちも感極まった様子だった。
こんな反則技は見たことがない。ただでさえ涙もろいのに、これでもかと言わんばかりに、子どもたちの赤ちゃんから幼稚園、幼少時の写真が突然スクリーンに現れた。しばし手にしたカメラを放棄し見入った。やがて理由もなくなぜかスクリーンに透明の液体がゆるゆる降りてきた。眼球が大量の水分を含んで溢れてきたのであった。昨晩写真編集時にも同じ現象が起きた。会長や代表の目も心なしか光っていたと思うのは筆者の見間違いではあるまい。
上映が終わり一転会場が明るくなる。何人もの母たちが涙していた。筆者思い出した。19歳の頃当時つき合っていた彼女と六本木のディスコへ行き、真っ暗い中でチークダンスをやった。最後にDJがイタズラでいきなり照明を全点灯し真昼の明るさに。カップルのほとんどが「チ○ー」していて、皆苦笑いしていた。あのときのなんとも言えない気恥ずかしさを思い出したんである。
これは写真編集していて昨日発見したのであるが、いきなり明るくなって写真の左片隅で監督が慌てて涙を拭くカットが撮れていたんである。(赤い矢印)
ふと6年を見ると仲良し3人組が号泣していた。
筆者ひざまづきローアングルで活写。甲子園で涙を呑んだ球児がグランドの土をかき集める姿を撮影するカメラマンを想起しちゃった。
各テーブルを撮ってみる。和気藹々みんな思い思いの体(てい)で話に花が咲く。
順番は覚えてないけれど、なんと6年生たちからとんでもないサプライズがあった。いきなりHimariがマイクに駆け寄り「呼ばれた人はステージに上がって下さい!」
彼女たちから心のこもった色紙をもらった。(写真は先日のブログに掲載)
監督、29、28、代表、Sasakiさん、Yamaguchiマネージャー、Misaki母会代表、Kitamatsuスコアラー、そしてこともあろうに予想外の筆者。まだ目玉の水分が蒸発しきれてないうちに、追い打ちをかけられた。もうボロボロなんであった。
これについては後日極秘情報を入手。
予想どおりこれはHimariの提案だった。極秘裏に色紙を作成せねばならずアジトを提供したのはYamamoto家であった。しかも材料はYamamotoコーチが全て調達してくれたそうだ。この秘密作戦を知っていたのはHimari母、Akari母、Ichika母のみ。Himariは父でありコーチでもあるMochidaさんに知られまいとして必死だったそうだ。制作は全て子どもたちのみ。オトナ顔負けの素晴らしいものだった。
自宅でどうも様子がおかしいと思った何も知らないMisaki母は、Misakiを拷問にかけて問いつめたそうだが、とうとうMisakiはヒミツを守り通し口を割らなかった。お陰で本当のサプライズ、オドロキの感動をもらったのは言うまでもない。参った。俺たちオトナは全面降伏である。
ありがとう、みんな(^-^)
写真構成とは相前後しちゃう。
6年生の作文発表なのだった。これまた暗転し暗い中ステージでスポットライトを浴びながら、卒部生8人が一人ひとり、朗々とまたは訥々(とつとつ)と中には嗚咽をこらえながらの感動の作文披露。そのあとの照明が全点灯したらやはり何人もの親やコーチたちが涙していた。俺たちが小学生の頃、こんな素晴らしい文章は書けなかった。彼女らは将来全員、芥川賞候補になり得るであろう。
ひとつオトナたちの爆笑を誘った作文があった。Noeriである。少し記憶が曖昧ミーマインだが....。
「.....初めてKasahara代表を見たときはこれはヤバイおじさんだなと思いました。ちょっと怖かったです。でもそのあといっぱいアイスを買ってくれたりして本当は優しい人なんだなと思いました。でもいつも第四公園のオジサンと喧嘩してるのを見て、やっぱりヤバイ人なんだと思いました.....」
これを書きながら思い出してまた爆笑しちゃう筆者なんであった。
さてそろそろ「さよなら、ありがとう」も終盤である。
この作文は深夜の雪国にしんしんと降り積もる牡丹雪のように、心にずしりとくる時間が流れた。Hinataを皮切りに切々と読み上げられる。
原稿用紙に照明が反射し彼女たちの表情を黄金色(こがねいろ)に染め上げる。
或いは夕まぐれの日没の一瞬の黄昏(たそがれ)の輝きのごとく....。
最後は主将Himari。
途中から声にならない声を振り絞り、このQueensの仲間への想い、支えてくれた大人たちへの、或いは父母への感謝の気持ちの吐露。
最後の最後で怪我で無念の思いをした心情。しかし「禍い転じて福となす」キミはやがて中学へ行ったらその意味を古文で習うだろう。怪我の巧妙とはこのことだ。不幸にも怪我でチームに迷惑をかけたと思っているけれど、それによって逆にHimariのためにもチームが一枚岩になったのも事実。それを仲間に思い知らされたキミは幸せ者だ。キミもチームのみんなも、ひとつ大人への階段を一歩踏み進めたことに違いない。
素敵な仲間に囲まれて6年生は巣立つ。
Queensの輝かしい戦績をも凌駕するほど、キミたちの心に残したものは戦績よりももっと大きいはずだ。
我々大人たちからもキミたちに言いたい。
「さよなら、ありがとう」
.............................。
さて、2月8日は三冠達成のご褒美にジョーダンから発した発案に尾ひれ背びれが付き、ついに本当になってしまったお伽噺のような、嘘みたいな本当の話。
お伽噺のようなディズニーランドにQueens子どもたちご招待。会長、Murataコーチのご招待なんである。思い切り楽しんできてほしい。いずれ取材網を駆使して写真を入手しここでもブログアップしちゃいたいと思う筆者である。
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