「ドコソコにて」シリーズ第2弾なんである。別にシリーズ化しているわけではないけれど。土曜日は兼ねてからの所用がありフレンズには行けず、久々の銀座へ向かった。
想い起こせばこの銀座での仕事は若い頃からいくつかあったわけで、近年では4丁目の三越のリニュアル、アイスクリームのHG銀座店、昨年は老舗シューズメーカーY屋の店舗の設計もやった。記憶にあるだけで7,8件はやっただろうか。ただしデザインからではなく実施設計。ミリ単位での詳細設計やクライアントに関することをブログネタにすればオモシロ話が満載なんであるけれど、コンプライアンスの関係でつまびらかに出来ないことも多い。守秘義務があるからであった。
所用の前に銀座に来たならばここへ寄るのが常。Appleストア銀座。折しも世間はAppleWatch発表で湧いているわけで見に行かないわけにはいかないのだ。筆者は世界シェアがWindowsとIBMが世界を席巻していた頃、Appleが三流パソコンメーカーだった頃からのファンなんである。今や世界一の企業になっちゃったけれど。そういえば大阪のAppleストアの仕事も数年前にやったことがあった。憧れのあのAppleの仕事だ、歯を食いしばって徹夜したこともある。夜中の2時に担当者とメールのやりとりもしばしば。(Appleから請け負ったクライアントとの)
何の変哲もないのっぺらぼうの店内のシンプルな造作物。しかしその断面内部構造は想像を絶するほどの緻密な計算と部品によって成り立っていたんである。スティーブ・ジョブスの名言「Macはシンプルで美しくなければならない。それは人の目に触れない内部構造においても美しくなくてはならない」と言って、ICチップの配列の美しさにまでこだわったんである。贅肉を極限までそぎ落し、しかも最強最速のコンピュータを作った。そんなことを想い起こした。
ストアではAppleWatchに人々が群がっていたのは言うまでもない。このディスプレイテーブルも実は見えない部分でしっかり設計されているんである。最低でも数万円、写真のようなEDITIONタイプは数十万から数百万するらしい。
所用を終えて銀座通りを歩いてみる。ホコ天であった。銀座ホコ天は4丁目から京橋方面へは何度もあるが、8丁目への新橋方向へは何年ぶりか。
歩いていると妙に視界が開けて明るいゾーンに出くわした。驚いた。銀座松坂屋が取り壊されてばっくり穴が開いたような空間で、建設の槌音高く巨大クレーン車の首が乱立していたんである。若い頃筆者は学生を終えてのち1年ほどここの近くの銀座のバーで、アメリカ留学資金を貯めるためにアルバイトをやっていた。二十歳そこそこの若造の、結婚前のことである。当時この松坂屋にも思い入れがあった。それがすっからかんになっていたんである。なんだかなあ〜。ココロにもぽっかり穴があいたような気分であった。
それにしてもなんであった。
去年あたりから日本への海外からの観光客が激増し、巷には外国人観光客が溢れていることは周知のこと。確かにその現象は顕著である。アジア圏、西欧からもどっと押し寄せてきているのはみなさんもご存知であろう。筆者は日本が閉ざされた島国根性に汲々とするよりは、広く国際社会に馴染み日本人がワールドスタンダード的にグローバルな感覚を身につけられるという意味で、外国人が日本を訪れることに大歓迎である。更に私たちは国際社会で恥ずかしくない日本になるために努力をすべきで、それを啓蒙する意味においてもだ。
特に中国人富裕層の「爆買い」がマスコミを賑わす格好のネタになったことは記憶に新しい。しかし皆さんも感じているように、この中国人観光客には参った(^-^)
この銀座ホコ天でも大挙して闊歩していた。すれ違ったときに耳に届く会話は日本語よりも圧倒的にチャイニーズのほうが多かったんである。ここまでとは...。
日本人ならば道路を歩いていて正面から鉢合わせになった時は、他人同士でもお互いに道を譲り合い「あっ、ごめんなさい」などと軽く会釈しながら通り過ぎるのは日常である。日本人独特の「奥ゆかしさ」であろうか。彼らは違った。ぶつかりそうになった時によけるという概念がないかのようだ。ラグビーで言えば筆者はボールを持ったフォワードのように、声高に押し寄せる敵を避けながらジグザグ走行し前進するんであった。
昨年仕事をやった婦人シューズの老舗Y屋を見ておこうとその店頭で手を後ろに組み静かに中を観察していた。
ふむふむこんな感じになったのか。ここは図面どおりだが、ここは現場でやむなく変更になったのだな....。
.....と、後ろからドヤドヤやってきたんであるチャイニーズ団体の方たちが。まるでコンビニに入るような気軽さで。リーダー格(?)のオジサンは頭からつま先まで高級ブランドで身を固めたのは一目瞭然。しかし全体のコーディネートはバラバラで一貫性がなく、盆と正月が一緒にやってきたチンドン屋みたいだった。「コーディネートはこうでねえと」という日本のダジャレオヤジギャグの金字塔を知らないようだ。苦笑しながら銀座をあとにする。写真は4丁目交差点。
(※アパルトヘイト的、「JapaneseOnly」的な人種差別の意は全くない。事実を感じたままに書き綴った感想である。あしからず)
しかしなんであるの反面教師。
昭和時代の日本人は西欧において同じ目でもって見られていたことを忘れてはいけないのではないだろうか。ドブネズミ色のスーツに牛乳瓶の底のような眼鏡に首からカメラをぶらさげて、マナーを守らず世界を闊歩していたわけで。「無知は罪である」って誰の言葉だっけか?日本人を揶揄する「イエローモンキー」や尻軽女子の「イエローキャブ」なんて呼ばれた時代もあった。筆者は子どもだったからあとから知ったことだが、子ども心に同じ日本人として恥ずかしかったような記憶がある。
ここまで書いて思いだした。
かく言う私も恥ずかしい経験があった。エラそうに人のことは言えないか。
20代のころパリに兄貴がいたこともあり、フランスとイギリスへ行ったんである。パリから帰国の際に空港の免税店で、会社の女の子とかにお土産のシャネルのNo.5(一番ちっちゃい小瓶)を買うのに時間をくってしまい、あろうことか飛行機に乗り込むのがギリギリの最後の乗客になってしまった。
あのときの免税店の女の子のジャップを見下した目線と、スチュワーデスの眉間にシワを寄せて睨みつけた顔は今でも忘れていない。
傲慢にならず、日本人としての恥を忘れず、かといって西欧に臆することなく...。
そんなJapaneseになりたい。
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