村山実杯は川崎地区の少年野球46チームが参加する、27年の歴史を持つ実に大きな大会なんである。あの阪神タイガースの村山実氏の名を冠した、各区入り乱れての他流試合とも言える群雄割拠的ビッグタイトルなのだ。
ついに決勝まで登り詰めたフレンズ。筆者はスコアラーを務める。今年のフレンズの優勝を応援してくれていた故笠原さんのために、試合前テーブルに献花した。もし連盟、審判団からおとがめがあればベンチの地面に置くつもりであったが、最後まで何もなく無事一緒に試合に臨むことが出来たのだった。
本部席ではすでに準決勝で散ってしまったウルフが、同じようにチームとして献花をしていた。その昔は「ウルフの歩くピッチングマシン」の異名を取ったGotohさんのお顔も見えた。Gotohさんのバッティングピッチャーの勇姿を記憶している人も、宮前では少なくなったであろうか。
決勝戦ならではの試合前の選手挨拶。大舞台慣れしていないとはいえ、フレンズナインも少しは経験してきた。緊張で黙りこくって言葉をなくす子はもういない。それどころかなかなか立派な姿になってきたものだ。
対戦相手の南生田ウィングスの戦士たちもにこやかに声を張る。あの名門常勝富士見台ウルフを準決勝で撃破した強豪である。後援の宮前審判団はKosaka審判部長、Hayashi副部長始め豪華ラインナップ。
はい、そーなんである。試合中の写真はないんである。スコアラーなので。
なので文章で濃厚にいく。
初回FはShohgoが相手の度胆を抜くスリーベースヒットを放つが無得点。
反対にその裏先発FのRuiは緊張からか珍しく制球に苦しみ、ボールが先行四球と死球のランナーを3番Horieくんに返されて2失点。不安な立上がりとなった。子どもは緊張で調子が狂うことがあっても顔に出さないことがある。決して責めてはいけない。信じることだ。
Fは初回4四死球に続き2回裏にも2個の四球に相手W打線の猛爆が続き4失点。
早くも6:0の大差がつく。さすがにベンチや応援席にも暗雲が垂れ込める。しかし回はまだ浅い。今のフレンズなら諦めるには100万年早いってもんだ。諦めずこつこつ1点ずつ返せと、不機嫌な監督がぼそりナインに言う。
4回やっと1点を返し6:1となった次の5回のF軍の攻撃。
前回も書いたがこんな時に下位打線がやってくれた。7番Kyohが先頭でヒット出塁すると、8,9番が連続内野安打で無死満塁、相手失策に乗じてShohgo適時打、更に4番主砲Hajimeのセンターオーバー2点タイムリー、Kohkiのヒットなどで一挙7得点6:8と、とうとうゲームをひっくり返したんである。湧きに湧くフレンズ軍団。スコアラーのくせに冷静さを欠いて筆者の声も若干枯れぎみであった。
ところが全く同じパターンで巻き返してきた南生田W。下位打線の3人が安打で出塁しなんと2点奪取。8:8の同点、また試合を振り出しに戻してしまった。
しかーーーーし、なんであった。
6回表Fは一死後1番に打順が回る好打順。Ruiが脚で稼いだ内野安打と四球、それを主砲Hajimeの強烈な3塁打とKohkiの単打などで3点勝ち越し。8:11となったのだった。
点に火がつくと書いて点火と言う。
線に火がつくのは導火線。
打線に点火され導火線で火を繋ぎ、最後はダイナマイトが爆発し得点する。野球の得点方法の理想的パターンである。今のフレンズ打線はこれを具現化している。但し有頂天になるには1000万年早いってもんだ。
最終回Wに1点を返されたが、立ち上がり不調だったRuiは見事に蘇り抑えた。
9:11の大逆転、死闘の打撃戦を制した。
優勝...........。
この子らに最後の帽子投げをやらせてあげられて本当に良かった。
そして指導者は驕り高ぶらず、むしろ感動をくれた子どもたちに感謝しなければいけない。野球をやっているのは指導者ではなく子どもらなのだから。
現監督Satohが6年生だった黄金時代にこの村山杯で優勝。1994年のことである。実に21年ぶりの冠奪還なんである。また宮前公式大会優勝の二文字を最後に目にしたのは、2002年の連盟事務局Nishiharaさんの息子の時代に防犯大会での優勝。
私はフレンズに関わって約20年。フリーコーチになってからは16年。
2002年以来13年間この「公式大会優勝」を待ち続けたことになる。男は相手がどんなにイイ女でも待ち合わせに遅れてきて13年間待つことはない。忠犬ハチ公だって主人の帰りを13年待つことは不可能である。
十数年ぶりの「優勝」という言葉の心地よい響きに私の脳は痺れて、しばらくベンチに茫然と佇むのであった。
閉会式はなんとも気持ちよいままに粛々と進んで行く。各チーム、ノーサイドである。
各賞選手にRuiが選ばれた。大会通じて満場一致であろうと思う。サンダース(Queens)のAyaも受賞。蒼い空の上から笠原さんもニンマリしているはずだ。
幹事チームであるウルフの昨年父母のみなさん、お疲れさまでした。ありがとう。感謝。
持田県議と全員で記念撮影。
寡黙なくせに陽気な縁の下の力持ち的存在の28番Ohshiroコーチが、サプライズで男たちに呼びかけ、監督Satohを胴上げしちゃったんである。ちょっと重そうだった(^-^)
更にYanagisawa代表も。
優勝への思いは数年間子らをチームに預けて一緒に活動している親たちもそうだが、筆者のような長年渇望してきたコーチにはその優勝への思いの深さが違うのである。チームと共にどん底を這ってきた経験を持つ者にしかわからない感慨という重みがあるからだった。短編小説の厚みと百科事典の重みとの差があるのだ。
そんな筆者を遥かに凌ぐ重たい思いがあったであろう、代表なんである。創成期からチームを指導し見守り続けてきた人だ。Yanagisawa代表の前では青二才の筆者なんぞが歴史の感慨を語るのは1億年早いってもんだ、なんである。
代表の胸に去来するものはいったい何だったろうか....。
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