2023年1月27日金曜日

果たして「正しい」とは何か

 本当はイケナイんである。法的に訴えられたらグーの音も出ないほど敗色は濃厚。しかし法的にはNGでも人道的倫理的にはお許しくだされと、日本を代表する大新聞に対し、当方は名も無き市井(しせい)の善良な悪意なき個人ブロガーとの対比を鑑みて、清水(きよみず)から飛び降りる気持ちで画像を載せてしまう。

※出典 朝日新聞2023年1月25日朝刊

繰り返し「本当はイケナイんである。」大昔、当「晴耕雨読」に「スカイツリーと中秋の名月」を撮った朝日の記事画像を載せた後、朝日新聞本社に直接メールでその是非を問い合わせたことがある。誹謗中傷でないこと。私利私欲のためでないこと。営利目的でないこと。ひいては広く新聞文化の宣伝にも供与し得る内容であること...etc。返信があった。ダメとのことだった。載せる場合は出典を明記すること、事前に知らせること、新聞の写真は有償で頒布するから購入すべし、との素っ気ない内容だった。おそらく担当者も気持ちは看過し了承したかったと思うけれど、法令遵守の精神や社の方針や著作権などが絡むため苦渋の返答だったはずである。「質問されたら拒否せざるを得ない」ことって世の中には実に多い。転じて言えば「質問されなければ見て見ぬふりで看過」してもらえるわけで。罪のない駐車違反は見過ごすが、一旦通報されたら重い腰をあげて取り締まざるを得ないみたいな。そこに乗じて著作権や肖像権や所有権を侵(おか)してはならないことを肝に銘じて、あえて記事画像を掲載したんである。ちなみにこの「晴耕雨読」では頻繁に「宮前タウンニュース」の記事画像を載せている。これも何年も昔にタウンニュース社にメールで問い合わせたことがある。宮前支局からのその返答は...。快諾であった。出典さえ明記して頂けたら大いに結構、とのこと。地元に寄り添うタウン誌ならではの方針に感動すら覚えた記憶がある。地元宮前を盛り上げていこうと気概を新たにしたものだった。あれから数年経ってQueensの父Jinushiさんと邂逅(かいこう)したのは何かの巡り合わせであろうか。

さて本題。昨日朝コーヒーを啜りながらこの朝刊記事を目にして食い入るように読んだ。滋賀県にある「多賀少年野球クラブ」の記事だ。高円宮賜杯全日本学童の全国大会で2018、2019年に連覇したチームの監督さんの取材だった。我がフレンズが2015年にベスト16、翌年富士見台ウルフが3位となったその数年後の覇者である。全文は上の画像を拡大して読んでほしいけれど、筆者的に注視したのは下の画像の赤枠部分である。

「自分は正しい」と思っても存外そーでもないことってあるものだ。くだらない話をすれば目玉焼きは絶対醤油と思い、日本人なら全て醤油だろうと思ったら大間違い。地域によってはソース派も多くいるわけで。ちなみに筆者は絶対醤油派である。更に白身はしっかり焼き目がついていつつ黄身は半熟が望ましい。

かつては日本の少年野球指導(中学高校も)では当たり前となっていた、罵声と怒号と根性の常識。筆者も昭和のそれで育ったクチである。今では現代の風潮と時代の趨勢(すうせい)で、転換を余儀なくされていることは皆さん周知の通り。この監督さんも然り。指導方針について保護者に無記名アンケートを取ったところ....。それまで高円宮賜杯準優勝や県大会優勝の常連という成績もあって「方針は今のままで大丈夫です」と回答がくることを予想していたそうだ。ところが回答は予想外のもので「ボロッかすに言われた」のだった。この監督さんの偉いところは己の考えを転換しより良い方向へ自分を変えた点にあると思う。チームを変える前にまず自分を変えたところが素晴らしい。年を重ねたいっぱしの大人なら、妙なプライドが邪魔をして素直に聞き入れることには抵抗があるはずだ。年を取れば取るほどそれは硬化する。精神の動脈硬化。それを乗り越えて良いチーム、強いチームにするために奮闘した話が記事に載っている。「楽しい野球と勝つ野球」を両立させているのだった。

今の野球指導者は自身の信念を持って子どもの指導に当たっている人がほとんどだと思う。筆者はフレンズやQueens含めて宮前で何人もそんな人たちを知っている。しかし全国には漫然と仕方なくやっている人もいるかもしれない。それらの区別なく、「自分は正しい」との思いを今一度見つめ直し大きな心で指導に当たっていただきたいと思う。その結果「やはり自分は間違ってない」と判断できたなら大いに突き進むべきであろう。

「楽しい野球と勝つための厳しい野球」には二律背反的表裏一体の危うさが潜んでいる。筆者は何も「ひたすら楽しい野球」に無条件で賛同するわけではない。強いて言えば「厳しさの中に楽しさも混在する」または「楽しい中でも時に厳しく集中する」そのバランスが大事だと思う。ただし「厳しい」というのは決して「怒号罵声」とイコールではないことは大人ならとっくに理解して然るべきだ。罵声や怒号を浴びせて指導した気になっている指導者がいるとすれば、それは大人の自己満足の骨頂と言えよう。転じて誤解を恐れず言うならば、厳しい言葉が「罵声怒号」などではなく、愛情のある指導だと子供や保護者に理解されれば、それは素敵な関係であると思う。

こんなに長く書くつもりはなかった。「じゃあ、お前は何様か」との誹(そし)りは甘んじて受けたい。これは反面教師なんである。この朝日の記事を読んで「自分は正しい」と思っていることも今一度自分の胸に手を当て、心に照らして襟を正したいと思う、年を重ねたオッサンのブログなんである。そんな思いを新たにさせてくれた朝日新聞の少年野球に特化した記事と記者さんに感謝したい。QRコードでWeb版の記事が読めるのだが、深掘りしたいと思いアクセスすると、本文は途中から有料版になって断念したんである。断念と残念は表裏一体なんであった。

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