2025年11月10日月曜日

「晴耕雨読」的妄想が暴走

 今日日曜は雨天のため新人戦はリスケとなった。おっと、今、日テレで渡辺謙出演のトーク番組を観ていたが、謙さんが言った言葉にテロップが付いた「...そんな時は針が触れちゃうんだな」と書いてあった。瞬時に間違いであると思った。テロップを書く人は知らないのだろうか。今のクルマはデジタル表示でメーターに針がない。謙さんが言わんとしたことを書けば「...そんな時は針が振れちゃうんだな」ではないか。「触れる」ではなく「振れる」。ある限界以上のエネルギーを放出する時に言う比喩的文言で、「メーターの針を振り切る」という言葉。それを「針に触れる」っていったい。チクリと痛いだけじゃないか。文脈から判断すれば「振れる」なんであろう。若い人がテロップの文を書いていて、こういうボキャブラリーを持ち合わせていないのであれば、それを年配の上司なりがチェックしなきゃと思う。その際に『おいおい、こりゃ違うぞ。「触れる」ではなく「振れる」と書き直せ』とだけ指導してはいけない。ちゃんと謙さんの年代と昔のクルマのメーターと、そんな背景をきちんと説明してほしい。

これは少年野球監督コーチが「ダメだ、ボールを捕る時はこうしろ」と、結果だけを言って指導するのも同じだと思う。なぜこうしなきゃいけないかの、その理由を子どもに分かりやすく示して、初めて野球の指導をしたと言える。ああせい、こうせいと言っただけで指導を「したつもりになっている」人は、本当のコーチとは言えない。野球に限らずスポーツ全体に言えることではないだろうか。たまに「1を言ったら10を知る」ようなオトナな5,6年生もいるけれど、その他多くのそうじゃない子には「1を言っても0.5しか分からない」場合が多い。理由がわからなくても繰り返し繰り返し練習すれば、上手くなるかもしれないけれど、理由が理解できていればもっと早く確実に上手くなるのではないだろうか。

なーんて、偉そうに書いてる自分も自省しなきゃである。上記の考えはフレンズコーチをやっていた100万年前から胸に抱いている考えなんであった。ゴロを捕る際のグラブの構え方が発端である。当時フレンズレジェンド代表Yanagisawaさんの背中を見て学んだのだった。

さて、新人戦試合延期なので今回は日々雑感ブログを。

2,3週間前に雨の翌日の第一公園球場へ行った時。昨晩激しい雨だったのでさすがの水はけの良い第一でも、果たしてどうしたものかと。うーむ。またしても「晴耕雨読」的連想妄想癖が頭をもたげる。レフト外野に川の跡が。

まるでアイスランドの大自然のよう。

角度を変えて撮ってみると。

まるでユタ州のグランドキャニオンのよう。見目(みめ)麗(うるわ)しいご婦人が乗った郵便配達の馬車を狙う盗賊が、山の上から駆け降りてきて、それを迎え撃つ孤高の用心棒ガンマンが馬車の上からライフルをぶっ放す。盗賊のカシラは銃弾のベルトをタスキ掛けに掛けているに違いない。顔はアブラギッシュで顔面ヒゲだらけの小太り男だ。なんて、第一公園のグランドを見て妄想が暴走する。

話変わって。有馬中央公園。筆者の行きつけのスナックならぬ、行きつけの公園なんである。ベンチに腰掛けると妙な忘れものがあったので、親切心からに木にかけておいた。わかるかな?もっと寄ってみる。わかるかな?

もっともっと寄ってみる。わかったでしょ。...コワっ(^-^)

今はもうブライトンVSクリスタルパレス戦をTV観戦。三苫薫が怪我でいないのがとても虚しい午前0時。

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