2026年4月24日金曜日

悠久の琉球へ

 今日NETFLIXからリマインドメールが来て、「栄光のバックホーム」が鑑賞解禁となったとのこと。宮前の馬絹メイツOBくんが主演で阪神選手の実話に基づく映画である。このほかにも観たい映画リストは膨らむ一方で、日常茶飯の些事(さじ)も山積しているわけで。よほど「栄光のバックホーム」を観ようかと食指が動いたのだが、今日これを書かねばいつ書くのだ、「今でしょ」と己にハッパをかける。「これ」とは先日の沖縄紀行であった。紀行と言うほどのものではなく、単なる出張ついでの沖縄話ではある。

数年前大分別府の案件で現場調査に赴いたことはすでにブログに書いたけれど、それと同じクライアントが、今回の沖縄の案件で筆者を招いていただいたんである。彼は東京本社在籍時に何物件か大きな案件を筆者に任せてくれて、それ以来の付き合いだった。郷里の福岡支社に転勤となってからも、未だに仕事のお付き合いが続いている。電話とFAXの時代では無理だが、今はネットでオンライン会議で打合ができるわけで、遠隔でも十分仕事ができる時代になった。オンライン会議では3時間くらい打合することも珍しくない。

今回も現場調査というより現場視察で沖縄へ。3年ぶりの羽田は変わってないが、チケット予約入手方法は主にPCとスマホでやることになった。日本人が発明したQRコードは世界中で大活躍である。行きはANAでスマホでダイレクトチェックイン。

筆者新幹線で西へ行く際に席を指定するときは、行きは右の窓際、帰りは左と決めている。同じく飛行機もそうなんである。ワカリマスネ。富士山が望める席なんである。富士山を見るたびになぜか気持ちが落ち着き、柔和な気分になるのだった。当日の天候は曇りだった。離陸して上昇し雲に入ると視界は真っ白に。しばらくして雲を抜けたので窓外に目をやると、いきなりの富士山だった。上空も薄曇りだったので視界は全体が灰色の世界だったが、雲海の上に見える富士も乙なものだった。この瞬間インスタにあげる文言が浮かんだのだった。

「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」

「雲海を抜けるとそこには富士山がいた」

夕刻那覇へ到着しクライアント支社がある国際通り近くのホテルへ。クライアントのメールでは前乗りで夕食をいかがですかとの内容だった。てっきり福岡担当2名と筆者の3名での会食かと思ったら、沖縄支社のスタッフほぼ総出での飲み会となったんである。全員と名刺交換し近くの行きつけの居酒屋へ。「食わず嫌い」だった泡盛を初めて飲んだが、実に美味かった。

酒を介してスタッフとあっという間に距離が縮まり、時間もあっという間に過ぎていった。楽しい会食だった。解散後まだ飲み足りない筆者はぶらりホテル近くの小さな店へ。地元の見知らぬ店で飲むことは、旅の一つの楽しみである。島ラッキョと島豆腐、実に美味かった。この後フラフラになりながらホテルのベッドに倒れ込んだ。気がついたら0時すぎ。軽くシャワーを浴びて再び熟睡。

翌日の写真はない。全く観光などの暇はないし、終日仕事だったから。クライアント大勢と那覇から恩納村へ車で1時間弱。近くには有名な万座ビーチもある。午前は現場視察、昼食を挟んで午後は事務所で顔を突き合わせて綿密な図面打合。昼食は万座ビーチの観光施設のレストランへ行った。初めて沖縄そばを食す。沖縄そばとソーキそばは一緒だと思っていたが、そうじゃないことをスタッフに聞かされて初めて知った。沖縄の人を敵に回すことを承知で正直に言おう。美味いか不味いかと言われれば、淡麗なスープと肉はやや美味いに属するが、麺は...。まるでカップ麺のうどんのようで残念だった。丸亀製麺のアサリうどんと、沖縄ソーキそばどっちを選ぶかと言われたら、1億%自信を持って前者を選ぶ。(あくまで個人的感想です)

現場は巨大な外資系高級リゾート施設である。コンドミニアム、ホテル、結婚式場、その他etcが独立して聳え立ち、美しい海岸を俯瞰する建設途上にあって、すでにその威容が見てとれた。その一角のレストラン内装設計が筆者の守備範囲である。通常のレストラン設計の展開図は2,3枚も描けば事足りるのだが、ここは30枚の展開図を描いた。デザインは海外のデザイナーで、クライアント側で英文を翻訳し、筆者に仕事を依頼している。デザインのクオリティーも高度で、内容も微細な図面である。プレス発表もしてるし公然のプロジェクトだが、守秘義務があるのでこれ以上は書けないし、写真も撮影禁止だった。来年完工予定なり。

夕方那覇へ帰り解散となった。筆者はホテルへの途上、TVでよく見る国際通りを散策。どこかアーリーアメリカンな雰囲気と沖縄の土着感がないまぜになった、なんとも言えない混沌とした空気感である。

家の守り神シーサーが散見される。近代的なオフィスビルの玄関口にも左右にシーサーが両脇にガッチリ鎮座している。本土の狛犬は神社にしかないけれど、これは民家など至る所に設置されていた。

一本路地に入るとこんなラーメン店が。すぐに連想したのは「ガチャピン・ムック」のムックである。

翌日は帰路に着く前に首里城復興見学へ。建築業界の端くれとしてはこれは外せないわけで。首里城公園入り口付近のコンクリート建物。那覇の建物はコンクリート造が多く、その多くが燻んだ灰色で経年劣化が甚だしい。これは戦後焼け野原となって住宅を消失した那覇で、住宅建設が急務となったのだが、米軍がコンクリートや鉄筋を安く提供し、木材を本土から取り寄せるより安く済むことからコンクリート建設が広まったのだった。しかし塗装しても海風の塩害ですぐにボロボロ剥がれ落ち、メンテ費用がかかるのでコンクリート打ち放しの建築が多く造られた。黒ずんだカビや蔦が絡まる家屋がほとんどである。この写真の建物は建築デザイナーが造った建物であろうことは容易に想像がつく。いい味を醸し出している。

復興中の首里城本丸よりも、筆者が驚き感嘆したのは城壁の石垣だった。今日のブログを書く目的はこの石垣にあったと言っても過言ではない。本土の城の石垣も素晴らしいけれど、ここの石積みは目をみはるものだった。5,6角形の石を現場でノミで削り出して加工し、一個一個現場合わせしつつ組み合わせるのである。通常の城の石垣は石と石の間に太い目地を設けて、緩衝地帯を形成し調整しつつ組み上げる。しかしここは「アソビ」がゼロで、目地は皆無なのに石同士がピタリと密着している。車のアクセルを1ミリ踏んだだけであっという間に時速100kmに達するくらいアソビがないのである。専門用語で「無目」目地なしを意味する。しかも単純な四角形ではなく5,6 角形同士である。石は琉球石灰岩という柔らかい石で、今回の案件のホテル外壁にも使用されている。当時の石工職人の途方もない苦労と、精確な技術は驚愕驚嘆であり賞賛に値する。当時の悠久の琉球に想いを馳せれば、気が遠くなりそうなのだった。これが延々と連綿と果てしなく続くんである。

いよいよ首里城復興であった。TVニュースで火災により消失しつつある映像を見た時は、愕然としたものだった。本土の寺社仏閣は「侘び寂び」の無彩色が多いが(日光東照宮などは別)、これの色彩は独特の極彩色、おそらく大陸の影響があるのだろう。台湾中国韓国に通じる色彩である。巨大な棟瓦(むねがわら)と鬼瓦。

沖縄唯一の鉄道施設、ゆいレール(モノレール)で那覇空港へ。空港の飛行機はいつ見ていても飽きないものだ。特に離着陸の様子もそうだが、ちっちゃい作業員が細々と課せられた仕事を黙々とこなしている姿を見るのも好きだ。いつ見ても飛行機ってカッケえなあと思いつつ、搭乗ゲートへ。帰りはJAL便にて帰還し自宅へはリムジンバス。その晩はサッカープレミアリーグ、ブライトンの試合を23時から観戦したのだった。

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