徒然草的、日々雑感的、晴耕雨読的...ブログなんである。日々胸の奥に小さく溜まった思いや感想は誰しもすぐに忘れてしまいがちだけれど、確実に奥の引き出しに眠っているわけで。それが堆積してちょっとずつ大きくなってきた時に、活字にしてみるかなと画策しちゃう今日この頃なんである。
●「なんである体」
なんちゃって。実になんちゃって、なんである。この「晴耕雨読」的昭和的文体「なんである体」は、「ですます体」「文語体」「口語体」などに比肩する画期的文体なんである。初めて「晴耕雨読」を読んだ人は筆者のことを「上から目線でなんて偉そうな人なんでしょ!」「こんな人のブログ、誰が読むもんですか!」と眉をひそめる向きもあるやも知れぬことは百も承知。しかし何回か読めばこれはわざと故意に意図的に使っている書き方だと氷解するに違いないんである。(と、信じたい)実はこれ、筆者の隠れ蓑だ。フツーに書いていると照れちゃってうまく書けないワケで。ブログ開始当初を読み返すと「ですます体」で真面目に書いており、また「筆者」の呼称も「私」だったり「俺」だったり右往左往していて、実に赤面しちゃう。これを軽減してくれるのが「なんである体」なんであると、数年経って発見し、以来この書き方に定着したんであった。
●「なんだ、裸じゃねえか」
先日夜シャワーを浴びて部屋に戻り、暑かったのでしばらくパンイチで一服していた。すると聞き慣れぬiPhoneの着信音が鳴った。パッとみると山形の中学同級だった親友Naotoからだった。一瞬気が動転した。LINEならまだしも夜のこんな時間に電話があるなんて。嫌な予感がしたのには理由がある。山形関係で誰かの身に何かあったのかと。心当たりがあったからだった。慌てて出ると妙な感覚があった。ビデオ通話だったんである。そうと分かると安心してスマホを自分に向けて話した。
「おお〜Makabe、元気だっけが〜」とNaotoがガシガシ笑いながら話してきた。Makabeとは筆者の旧姓である。真壁刀義の真壁なんである。
「お、Naotoか、久しぶりだなあ」
「なんだ、裸じゃねえか」
そーだった、パンイチだったことをすっかり忘れておったワケで。電話の向こうが何やら騒がしいし背景も暗い。飲み屋からだとすぐにわかった。
「ちょっと待ってけろ」と言って彼はスマホを隣にいる人に向けたようだ。
「おお、Makabe、久しぶり、俺誰だか分かるか?」
しばらく見てもわからない。すると彼が言った。
「なんだ、裸じゃねえか」と。
また言われた筆者は自分のスマホを顔だけ映るように角度を調整した。
「俺だよNakaigawaだよ」
氷解した。中学サッカー部の一個先輩だった。筆者がMFで2年の頃、センターバックで3年主将だった。相当昔に東京でNaotoと先輩と飲んだことがあった。今では先輩と言っても後輩からもタメ口で会話される存在だ。因みに同級のNaotoは今は某銀行の関連会社社長(今もか?)で、先輩のNakaigawaさんは元モンテディオ山形のGMであった。モンテディオ前身のNEC山形からJリーグ加盟の黎明期を経験し、その後2度J2からJ1への昇格も果たした。2007から2014年までGMとして手腕を発揮し、その後取締役に退き2019年に退任。(...と、ネットで調べた)
実に懐かしい面々であった。最後にNaotoが「ほれ、もう一人」と言ってまたスマホを隣に向けた。中学同級の店のママAyaちゃんであった。
「あらまあ〜久しぶり。また今度ね」
今度こそ「あらやだ、裸じゃないの」と言われないよーに気をつけたのは言うまでもない。彼女の経営する山形駅前の店から生中継LINEだったワケである。ここでの中学同級生飲み会ブログは過去に何度か書いた。Naotoと「また今度東京で飲もうぜ」「んだなあ」と言ってLINEを切ったのだった。最近仕事で毎週zoomのオンライン会議に慣れてきた筆者ではあるが、突然のLINEビデオ通話に慌てつつも嬉しいひと時であった。
●視点変われば真逆の風景
この話はだいぶ以前にも書いたよーな気がするけれど、話のネガの焼き直し、ブラッシュアップしたこととして再度執筆。世の中には坂道というものが多く存在する。その数は世界中で気が遠くなるほどの数字になるに違いない。まずは目の前の登り坂を登ってみる。坂の中腹に差し掛かり周りの風景も開けてきた。やがてやっと坂を登りきり一息つくワケである。ふと後ろを振り返ると、そこには下り坂が存在しているではないか。登り坂だと思っていた坂は実は同時に下り坂でもあった。言い方を変えれば「登り坂」だと思って登っていた坂は、実は「下り坂」を登っていたことになるとも言えるわけで。視点を変えただけで世界は180度転回する。この話は確か若い頃に読んだ別役実の本に書いてあったように思う(違うかも知れないけど)。これを「くだらねえ話だわいな」と思う方はおそらく「晴耕雨読」的読者層からは逸脱した方に違いない。それもまた正解ではある。
これに続き僕らの世界には実に多くの「視点変われば真逆の風景」があることに気がついたのは最近のことだった。先日Queens母の運転で何度か神奈川大会の遠征に行った。遠くにトンネルが見えた。みるみるうちにトンネルの入り口が迫ってきて、中へ突入しゴーゴーと轟音を聞きながら走行。やがてトンネルの先に小さな光明が見えてきて、出口を出て明るい日差しの中へ。前述の「坂」を読んだ方はお分かりだろーか。ふと後ろを振り返れば今出てきた「出口」は反対車線を走行する車にとってはトンネルの「入り口」なんである。今しがた出口だと思って出たトンネルは、実は視点を変えれば入り口なんであった。出口は入り口、入り口は出口、世の中混沌としているんである。
更には日本の夕日は同時に、どこかの国にとっては朝日なんである。これは意味じくもDA PUMPの「USA」の歌詞にも表現されている。あの歌のあの一節が好きだ。「どっかの夜は昼間〜♪」ってやつ。太陽は鎮座し地球は回る。コペルニクス的転回とガリレオ・ガリレイの地動説的な視点。
転じて。たとえ嫌なことや腹が立つこと、艱難辛苦があっても視点を変えるとふっと心が楽になることがある。最近メチャメチャハマっている「世界の終わり」セカオワ。音楽のアミューズメントパークと評されるけれど、ある歌の歌詞に「彼にとってはそれが正解なんだろう〜♪」というような意味の言葉がある。これが筆者に刺さったワケで。自分の視点だけではなく相手の立場に立った視点を持つことで、おおらかに人を赦(ゆる)すことができる。赦すまで行かなくとも少しは自分のメンタルが救われることもあるのだ。最近観た映画にもそんなセリフがあった気がする。相手と同じ世界に自分を置かず、少しでもいいから自ら自分を上の世界に押し上げて、相手を見下ろしてみると違った視野を得て心が楽になる。
自分を救うために視点を変えてみることは決して悪くない。
●フレンズ体験会のお知らせ6/24
さて最後は現実世界に戻り、今日入手の体験会チラシを掲載。FのNakamura母の毎回の力作である。昔は筆者が何回も作っていたけれど、「出来る」人が出てきたので筆者と同業のNakamura母にお任せして、筆者は近年お役御免となった。こんな地道な父母たちの努力が実って人が集まり、一時期のチーム10名の危機を乗り切った。今や人数が少ないながらもA,Bチーム他ジュニア枠まで作って賑やかに頑張っている。チーム存続の危機に見舞われている他チームも含めて、是非子どもたちには野球(スポーツ)をやってほしいと願うのである。このご時世電話番号は伏せているので、ぜひフレンズHPをどーぞ、なんである。
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