ウチのMacでは、ネットを立ち上げると瞬時に現れるポータルサイトはYahoo!JAPANである。先日朝開いてみたら、面白い映像があった。
あっという間に形を変化する雲をとらえた外国(たぶんイギリス)の動画。これが低空で人間の顔そっくりに変化する。天から巨大な神か悪魔が出現したよう。最後は口を大きくアングリ開いて、地上の人間どもを吸い込んでしまいそうに形が激変、面白かった。
雲の様子を眺めたり写真を撮ったりするのは昔から好きだった。でも雲って誰でも面白い写真が撮れちゃうから、、たまたまその時にそういうシチュエーションにいて、どう感じたかなんである。それを面白いカタチだと認識出来るかどうかだと思う。100人が同時に空を見上げて「今日もクソ暑いなあ〜」と思いながら駅への道を急ぐのが98人くらいだけど、あとの2人くらいは「あっ、あの雲のカタチ面白いっ!」と気づく。そのいわゆる「感性」を持っているかいないかなんである。
先日圧倒的な朝の色彩の「美」を撮ったのがコレ....「眠れぬ夜は」
今日仕事で頭がフル回転している時に、フト窓の外を眺めたらちょっぴり雲の形が良かった。高校野球は終わったけれどまだまだ夏は健在。積乱雲だろうか。肉眼でそれと分るくらいのスピードでゆっくり形を変えてゆく姿を見るのは、小生にとってはちょっとしたコーヒーブレイク。NikonP100でファインダーを覗き数枚撮ってみた。
んん?むむむ?ファインダーの向こうに突然未確認飛行物体が飛び込んできた。
なんとも可愛い、健気(けなげ)な生命の営みであった。肉眼で見るとほんの数秒間の出来事だったけれど、あとで写真をパソコンで拡大し静止画として見てみると、鳥たちそれぞれが一生懸命羽ばたいているのがわかる。秋になると渡り鳥の整然としたV字飛行を見ることがまれにあるけど、この写真のやつらはみんな好き勝手にかつ必至に空を飛んでいる。こいつらウチのチームの子どもたちに似ている...なんて思ったりして。てんでバラバラのくせに目的地はみな同じ。さしずめ整然とした秋の渡り鳥の飛行形態は甲子園の高校球児の入場行進を彷彿(ほうふつ)。
なんだかちょっぴり得したような気分の午後5時であった。
2011年8月25日木曜日
2011年8月24日水曜日
ちっぽけな男の美学
仕事が詰まってきた。アッチを夕方終えて、夕方からコッチを始める、終了は23:30、やっとビールにありつけるぞみたいな。今週末の公式戦でのスコアラーがまた心配。土日の野球に出るためにウィークデイは少しでも仕事を消化せねば。
先ほどビックリ仰天のニュース。島田紳助の芸能界引退。23:00からの各局ニュースをハシゴした。日曜の生放送で自分の胸を指しながら「男には男気スイッチちゅうもんがあるねん」などと言っていたけれど、それが数時間後自分で自分の「男気スイッチ」を自ら押すことになろうとは...。筆者が個人的に付き合いのある、または過去につき合った関西人は、なぜかすごく頭のいい人が多い。島田紳助ももの凄く頭の回転が速く、かつ、人としての義理人情に篤いという印象は今も変わらない。.....ああ、それにしてももったいない。新庄のように阪神辞める宣言から一転して、また復帰なんてえのは彼の場合絶対あり得ないだろうな。
「ちっぽけですけど男の美学を通させて下さい」
彼はTVカメラの前では最大限卑下して言ったであろう「ちっぽけな...」、でも心の中では相当な「男の美学」を十分に意識していたはずだ。
一度でいいから言ってみたいセリフではある。
もう少し脚が長ければ....。もう少し髪の毛があれば......。
もう少し紳助のように面白可笑しく話術に長けていれば、女の子にモテたかも....。
好き嫌い・賛否両論あるだろうけど、どちらかと言えば口ベタな人種の小生にとっては、彼は凄い存在であった。
TV界のビッグネームの突然の引退で思い出したのは、大橋巨泉と上岡龍太郎と久米宏。中でもある意味紳助が抜きん出て「晴天の霹靂」であると思う。まあ、引退しても生活には困らない打算もあるだろうけどね。
日々ちょっとしたことで「日々雑感」なることを思い巡らせることはたましば。
仕事が忙しくなるとそれもなかなか書き連ねることもままならぬ。
また明日からMacと格闘の予定。そんな自分自身が油断したスキをついてブログします。
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先ほどビックリ仰天のニュース。島田紳助の芸能界引退。23:00からの各局ニュースをハシゴした。日曜の生放送で自分の胸を指しながら「男には男気スイッチちゅうもんがあるねん」などと言っていたけれど、それが数時間後自分で自分の「男気スイッチ」を自ら押すことになろうとは...。筆者が個人的に付き合いのある、または過去につき合った関西人は、なぜかすごく頭のいい人が多い。島田紳助ももの凄く頭の回転が速く、かつ、人としての義理人情に篤いという印象は今も変わらない。.....ああ、それにしてももったいない。新庄のように阪神辞める宣言から一転して、また復帰なんてえのは彼の場合絶対あり得ないだろうな。
「ちっぽけですけど男の美学を通させて下さい」
彼はTVカメラの前では最大限卑下して言ったであろう「ちっぽけな...」、でも心の中では相当な「男の美学」を十分に意識していたはずだ。
一度でいいから言ってみたいセリフではある。
もう少し脚が長ければ....。もう少し髪の毛があれば......。
もう少し紳助のように面白可笑しく話術に長けていれば、女の子にモテたかも....。
好き嫌い・賛否両論あるだろうけど、どちらかと言えば口ベタな人種の小生にとっては、彼は凄い存在であった。
TV界のビッグネームの突然の引退で思い出したのは、大橋巨泉と上岡龍太郎と久米宏。中でもある意味紳助が抜きん出て「晴天の霹靂」であると思う。まあ、引退しても生活には困らない打算もあるだろうけどね。
日々ちょっとしたことで「日々雑感」なることを思い巡らせることはたましば。
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2011年8月21日日曜日
魔物の囁き、天使の微笑み
昔からある事象なのに、ここ近年になってこれ見よがしに命名されたものがある。例えば「花粉症」。
あまり詳しくないくせに適当に書くのだから「キミ、そりゃ違うよ」などというツッコミはご勘弁願いたい。太古の昔、たとえば縄文時代から杉の木はワシワシ身を震わせて、その花粉は盛大に宙を舞っていたはずで、なのに縄文人が縄文式土器をこねくりながらクシャミを連発していたという記録はない。たぶん。江戸時代しかり、昭和もそうだ。近年平成になって現代病とでも言えるのだろうか、現代人の体質変化に伴い目ショボの鼻ズル的症状を「花粉症」と名付けたのであろうと推察。いまだに昭和人の筆者の春は安穏と過ごせており、幸いにも平成人のご苦労は知らぬまま今日に至っている。
もうひとつ。「甲子園の魔物」。
好きなくせにあまり詳しくないのだから「オメエ、そりゃ違(ちげ)ぇ〜よ」などというツッコミはご容赦願いたい。高校野球の甲子園大会がいつ頃から始まったのかは知らない。縄文人が土器を製作するかたわら、野球に興じていたという文献はいまだ発見に至ってないので、当時はまだ甲子園すらなかっただろうと想像するに難(かた)くない。おそらく。それでも甲子園の歴史は古いはずだ。そしていつの頃からか高校球児の聖地となり、憧れの大舞台となる。「甲子園には魔物が棲む」という素敵な命名はNHKのアナウンサーなのか朝日新聞の記者なのかは知る由もないが、いつしか巷間(こうかん)まことしやかに囁かれるようになった。
この魔物はゲームの終盤、ことに9回などにふっと、グランドに舞い降りる。残念ながら筆者はヤツの姿を肉眼で目撃したわけではないのであるからして、羽が生えていて「舞い降りる」ことが可能かどうかは定かではないけれど、絶対宙を飛べるに違いないのだ。魔物はほとんどの場合守備についている選手の背後にワッサワッサと降り立ちそっと肩に手を触れ、何事かを囁くだけ。その瞬間、投手なら指先の微妙な変化でいつもなら鋭く曲がるスライダーが、その時だけ甘くど真ん中に入ったりする。野手ならどうということもない凡ゴロをトンネルしたり、一旦グラブに納まったはずの凡フライを土手に当てて落球したり...。そんなひとつのミスから試合が急展開してあらぬ方向へ球児たちを連れていってしまう。ミスだけではない。土のグランドのイレギュラーバウンドだったり。起死回生の一発を打たれた投手にとって、球場を揺るがす観衆の大声援は、自分一人に襲いかかる闇夜の悪魔の咆哮に聞こえたりもするはずだ。
魔物のささやきか、天使の微笑みか。日大三高は後者だったのだろう。特に爆発的な打力を持つチームはなんだかんだ言ってもやはり強い。決勝で青森光星の守備に魔物が降り立ったようには見えなかったけれど、残念なことに天使も微笑んではくれなかったようだ。天使と魔物は共存しない。天使は魔物がいない時だけパタパタやって来る。しかも一人しかいないわけで。東北青森の球児たちは胸を張ってふる里へ凱旋してほしいと思う。おそらくキミたちが思っている以上に、私たちは感動をもらったのだから。
ところで天使に羽が生えていることは誰でも知っている。日本の狭い大阪に棲んでいる魔物と違い、天使に関しては古今東西、世界中にその文献が山のようにあるからだ。天使にとっては羽と頭の輪っかを取ったら、ただの幼稚園児に見えてしまうくらい大事なアイテムなんである。
このように天使の羽の存在は確固たる事実だが、果たして縄文時代にも天使は存在したかどうかを示す有力な物証は得られていない。縄文人が縄文式土器で天使と酒を酌み交わしたという記録が残っていないからではない。なぜならば記録や古文書の存在以前に「縄文人が縄文式土器で天使と酒を酌み交わした」かどうかについての研究をしようとする、気概のある学者が我が国にはいないからである。
あまり詳しくないくせに適当に書くのだから「キミ、そりゃ違うよ」などというツッコミはご勘弁願いたい。太古の昔、たとえば縄文時代から杉の木はワシワシ身を震わせて、その花粉は盛大に宙を舞っていたはずで、なのに縄文人が縄文式土器をこねくりながらクシャミを連発していたという記録はない。たぶん。江戸時代しかり、昭和もそうだ。近年平成になって現代病とでも言えるのだろうか、現代人の体質変化に伴い目ショボの鼻ズル的症状を「花粉症」と名付けたのであろうと推察。いまだに昭和人の筆者の春は安穏と過ごせており、幸いにも平成人のご苦労は知らぬまま今日に至っている。
もうひとつ。「甲子園の魔物」。
好きなくせにあまり詳しくないのだから「オメエ、そりゃ違(ちげ)ぇ〜よ」などというツッコミはご容赦願いたい。高校野球の甲子園大会がいつ頃から始まったのかは知らない。縄文人が土器を製作するかたわら、野球に興じていたという文献はいまだ発見に至ってないので、当時はまだ甲子園すらなかっただろうと想像するに難(かた)くない。おそらく。それでも甲子園の歴史は古いはずだ。そしていつの頃からか高校球児の聖地となり、憧れの大舞台となる。「甲子園には魔物が棲む」という素敵な命名はNHKのアナウンサーなのか朝日新聞の記者なのかは知る由もないが、いつしか巷間(こうかん)まことしやかに囁かれるようになった。
この魔物はゲームの終盤、ことに9回などにふっと、グランドに舞い降りる。残念ながら筆者はヤツの姿を肉眼で目撃したわけではないのであるからして、羽が生えていて「舞い降りる」ことが可能かどうかは定かではないけれど、絶対宙を飛べるに違いないのだ。魔物はほとんどの場合守備についている選手の背後にワッサワッサと降り立ちそっと肩に手を触れ、何事かを囁くだけ。その瞬間、投手なら指先の微妙な変化でいつもなら鋭く曲がるスライダーが、その時だけ甘くど真ん中に入ったりする。野手ならどうということもない凡ゴロをトンネルしたり、一旦グラブに納まったはずの凡フライを土手に当てて落球したり...。そんなひとつのミスから試合が急展開してあらぬ方向へ球児たちを連れていってしまう。ミスだけではない。土のグランドのイレギュラーバウンドだったり。起死回生の一発を打たれた投手にとって、球場を揺るがす観衆の大声援は、自分一人に襲いかかる闇夜の悪魔の咆哮に聞こえたりもするはずだ。
魔物のささやきか、天使の微笑みか。日大三高は後者だったのだろう。特に爆発的な打力を持つチームはなんだかんだ言ってもやはり強い。決勝で青森光星の守備に魔物が降り立ったようには見えなかったけれど、残念なことに天使も微笑んではくれなかったようだ。天使と魔物は共存しない。天使は魔物がいない時だけパタパタやって来る。しかも一人しかいないわけで。東北青森の球児たちは胸を張ってふる里へ凱旋してほしいと思う。おそらくキミたちが思っている以上に、私たちは感動をもらったのだから。
ところで天使に羽が生えていることは誰でも知っている。日本の狭い大阪に棲んでいる魔物と違い、天使に関しては古今東西、世界中にその文献が山のようにあるからだ。天使にとっては羽と頭の輪っかを取ったら、ただの幼稚園児に見えてしまうくらい大事なアイテムなんである。
このように天使の羽の存在は確固たる事実だが、果たして縄文時代にも天使は存在したかどうかを示す有力な物証は得られていない。縄文人が縄文式土器で天使と酒を酌み交わしたという記録が残っていないからではない。なぜならば記録や古文書の存在以前に「縄文人が縄文式土器で天使と酒を酌み交わした」かどうかについての研究をしようとする、気概のある学者が我が国にはいないからである。
2011年8月18日木曜日
恵比寿にてVol.8「切符」
「物干から眺める夕まぐれの景色が好きだった。
「『ひとつ聞いていいかな』と八千代さんは金盥(かなだらい)に洗濯物を畳み入れながら訊(たず)ねた。『ヒロシくんのおとうさんとおかあさんは、どこにいるのかな』広志は少し考えねばならなかった。」
「おめえのおやじはろくでなしで、商売をつぶして借金をこさえたうえに、女と逃げァがった。女手ひとつでガキを育てるのァ大変(てえへん)だろうから、じいちゃんが面倒を見ることにしたんだが、今度はそのおふくろに男ができたとよ。所帯を持つからおめえを欲しいと言って来ァがったが、いくらなんだってそいつァ虫のいい話だ。...中略...おめえには文句もあろうが、文句なら一丁前になってからいくらでも言え。今は了簡(りょうけん)せえ------。」
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恵比寿の町を縁取るように、小高い丘がめぐっている。...中略。...そこは少し前まで進駐軍が接収しており、兵隊の姿はもうなかったが、町なかの中古家具屋やネオン管のまたたく酒場の窓には、まだ彼らの残り香が感じられた。」
浅田次郎著短編集「夕映え天使」(新潮文庫)収蔵「切符」の冒頭から引用。
今日で恵比寿の歯科医へ行くのが最後となる。3月の早春から通い始めて気がつけば蝉の大合唱の季節となった。冷房の効いた電車に乗り込むやいなや、先日購入した浅田次郎のこの文庫本の栞を引いた。
躯中から急速に汗が引くのと同時に、同じ速度でこの本に引き込まれ、浅田さんの文章世界に落ちてゆく自分を感じる。小説の活字を追うことの安心感と安堵感、爽快感と期待感は浅田次郎の小説は他の追随を許さない。どんな長編を読んでも最後の頁が近づくにつれ「やっと読み終える」のではなく「もう終わってしまうのか」との寂寞をすら感じてしまうほどだ。そんな浅田さんの短編集。1964年東京オリンピック当時の恵比寿を舞台にした小説。1964年といえば筆者はやっと幼稚園か小学生であった。恵比寿ということもあり増々引き込まれる。もう少し抜粋引用したい。
「東の空からゆっくりと、夜のしじまの忍び寄る様子も、広志はこの町にきて初めて見た。祖父の家は明治通りの電車道から広尾の丘に駆け登る途中にあった。」
....筆者が22歳の結婚当時住んでいたのがまさにこの文章のくだりにある『広尾の丘に駆け登る』坂の付近であった。
「『ひとつ聞いていいかな』と八千代さんは金盥(かなだらい)に洗濯物を畳み入れながら訊(たず)ねた。『ヒロシくんのおとうさんとおかあさんは、どこにいるのかな』広志は少し考えねばならなかった。」
.....小学生の広志は実の父母が離婚し、祖父に引き取られて二人暮らしの生活である。「広志」とはほとんど浅田さんの子どもの頃をモデルにしている。小学校6年くらいか。祖父の言葉が浅田お得意の江戸弁べらんめえ調で語られる。
「おめえのおやじはろくでなしで、商売をつぶして借金をこさえたうえに、女と逃げァがった。女手ひとつでガキを育てるのァ大変(てえへん)だろうから、じいちゃんが面倒を見ることにしたんだが、今度はそのおふくろに男ができたとよ。所帯を持つからおめえを欲しいと言って来ァがったが、いくらなんだってそいつァ虫のいい話だ。...中略...おめえには文句もあろうが、文句なら一丁前になってからいくらでも言え。今は了簡(りょうけん)せえ------。」
戦争で片足を失った一途で頑固で不器用で、それでいて言葉には出さずとも人として優しい祖父。口数は少ないが口ベタではない。
二階を間借りしている子どものいない若夫婦の綺麗な「おばさん」。やがて亭主と別れることになる八千代さん。
両親の勝手な理由で祖父との同居を余儀なくされつつも、多感な感情を胸に、子どもとしての成長期のひとつの壁を越える主人公の小学生広志。
これに東京オリンピックのアベベのエピソードが絡み、同級生の仲良しの女の子が実は朝鮮人だったことや、少年の淡い恋心、別離の悲哀、戦争の心の傷跡などの様々な要素が、森閑とした森に流れる清流のように、澱みなく渾然一体となって心にしみる逸品である。
筆者は文芸評論家ではない。ましてや人さまに自分の好きな本や映画や音楽を語ることはあっても、無理に奨めたり強要したりするのは本意ではない。こんな話を書いたのは大好きな浅田次郎と大好きな恵比寿とが偶然邂逅し、更に自分が幼かったあの頃の、遠い欠落した記憶の穴を埋めてくれるように、日本や東京の空気感はこうだったのかと、改めて想い巡らせてもらったからである。
最後の恵比寿での歯科治療が終わり、かつて住んでいた「町」の付近、いやもう「街」になってしまったあたりを、この炎天下しばらく徘徊してから帰ったのは言うまでもない。
最後にもうひとつ引用を許されたい。
「オート三輪の後を、広志と千香子はしばらく走った。...中略....八千代さんと菊の花が遠ざかっていく。
『さよなら、さよなら』
息を吐くたびに、広志は叫んだ。叫ぶ声はやがて呟(つぶや)きになり、車が夕闇に紛れてしまうと、広志は『さよなら』と言い続けながら泣いた」
このあと母のくれた「切符」のラストシーンの一文があるのだけれど、それは書けない。書いちゃいけない。
「泣かせの次郎」の真骨頂である。
※本来非営利的個人的ブログであっても、出版物の引用を出版社の許諾なしに用いることは...たぶん、おそらく...いけないことなのでしょう。
でも何か割り切れないものを胸に抱えつつ、えいやっとばかりに引用しちゃいます。世の中のほとんどのWebサイトではみんな承諾無しで勝手にやってるから、ここだって許されるだろうという気持ちではありません。出版社の方がご覧でしたら、叱咤またはアドバイスのコメントいただけたら嬉しい限りです。せめてもの礼儀として新潮社のクレジットは入れておきました。
※昨晩このブログをUPしようとしたら、全く入力出来ない状態に。仕方なくMacのテキストエディットで書いて保存。今もまだBlogger.comではトラブル復旧出来ず。天下のGoogle傘下のブログサービスサイトにしては何もコメントがなく不親切な対応。ヘルプフォーラムで検索してみるとこのトラブル他国でも同様のようです。ただ、書き込む際のエディターを変えてやればなんとかUP出来るとの記事を読み、やっとのことでいつもと違うシステムを利用し書きました。故に上のブログ内の「今日」とは昨日の8月17日(水)のことです。......(18日記)
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2011年8月17日水曜日
魔物が去ったあと
昨日のブログの続き。スコアラーの端くれの戯れ言PART2です。
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どんだけ書いちゃうの〜、ってとこから始まるわけで。
強襲ヒットって何?
強襲と凡打の境界線はどこにあるのだろうか。打球の速さ鋭さと野手の動きとを勘案し、野手のグラブを弾いた場合に強襲安打が記録されるのだと思うけれど、動きの素早い選手が弾いた場合と、動きの鈍い選手がまったりと球を追いかけて弾いた場合とでニュアンスは大きく違う。昔から高校野球を見ていて思うことのひとつだ。ほとんどの場合が「安打」に記録されるはず。つまり太陽が東から昇るという事実と同じくらい明白なエラーでなければ、ほとんど安打になっちゃうのである。
TVを観ていて「うわ〜!エラーしちまったあ」と瞬時に思っても、NHKのアナウンサーの声を聞くと「ただ今の打撃はヒットがつきました」ほどなくして画面は電光掲示板の「H」の数字を映し出す。筆者忸怩たる思い。「今のはいくらなんでもエラーだろうが」こんな場面、結構あるんであるんである。昨日も書いたように投手に被安打がついちゃうのだ。
結局強襲安打と凡打のボンダーライン....いや、ボーダーラインを判断し決めるのはルールブックではなくスコアラーの判断で良いとされている。
筆者は少年野球なので、子どもに希望が持てるような人間的な記録を心がけているつもりだけれど、甘く付けるつもりはない。甘く付けはじめたらそれはもはや記録にはならないからだ。
スコアラーが自チームの守備欄にエラーの「E」と相手打撃欄に四球の「B」をつけるのがどれだけ心苦しいものかを知っている人は、意外に少ないはずだ。世界の人口に対してバチカン市国のそれくらいに少ない。
もっと書くって、いったいどーしたの?
ベンチにいて本塁方向を見つめる。ピッチャーが投げる。バッターは球を見送る。球審の判定はボール! この時皆さんは「えっ?今のがボール?」と審判に文句を言いたくなることってありませんか?「どう見ても今のはストライクだろう」と。ベンチから見ていると高低の差は歴然と分る。ストライクゾーンは胸から下、膝から上が基本ですよね。明らかにその範囲を球が通過したのに判定はボール。そうです、高低ではなく左右のコースが外れているわけです。これはベンチより球審のほうが圧倒的に正確な判断が出来る。文句を言ってはいけません。しかし私は、ベンチから見て左右のコースをある程度判断する要素として、捕手のミットの動きを見ることにしている。高低はストライクでも構えた位置から大きくミットをずらしたり、上体をひねって捕ったり、更にはあろうことか腰や脚を反らせて捕球したりしたら、それは明らかにボール。たまにそれでもストライクと判定したりする球審がいたりすると.....。グッと堪えて....人間だもんね、と思うことにする。
昨日のタイトル「故意か故意じゃないか」からずいぶん話が逸れてしまったけれど。
それにしても高校野球。とうとうベスト8ですね。
今日の何試合かももの凄い試合だった。能代商業とか、涙が出るくらい素晴らしい試合を見せてくれた。
今年はやたらと延長戦が多いと思ったら、史上最多タイの8試合らしい。特に9回表裏になると、「甲子園に棲む魔物」がむっくり顔を出してきて試合をあり得ない展開に変貌させてしまうようだ。私の予想ではあと2試合は延長またはサヨナラがあるに違いないと思う。今年の甲子園の魔物はやたら出たがり屋さんだからだ。魔物に魅入られたチームには気の毒だが、これがあるから高校野球は面白い。この魔物が去ったあとには副産物として「感動」を残していってくれる。
今年はやたらと延長戦が多いと思ったら、史上最多タイの8試合らしい。特に9回表裏になると、「甲子園に棲む魔物」がむっくり顔を出してきて試合をあり得ない展開に変貌させてしまうようだ。私の予想ではあと2試合は延長またはサヨナラがあるに違いないと思う。今年の甲子園の魔物はやたら出たがり屋さんだからだ。魔物に魅入られたチームには気の毒だが、これがあるから高校野球は面白い。この魔物が去ったあとには副産物として「感動」を残していってくれる。
最後まであきらめない気持ち。
仲間を信じる心。
そんな「心のチカラ」がひとつになった時、野球技術だけでは証明できない、とてつもないパワーがナインに宿るのだろう。
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