ロスタイムあと2分.....。
日本らしくないカウンターからの2得点だったけれど、
劣勢を跳ね返しての素晴らしい試合。
ますます楽しみになってきたぞ!
頑張れニッポン、おめでとう、なでしこJAPAN!
AM2:48。
2:0で強豪ブラジルに勝利!
連日寝不足で困るんである(^^)/
2012年8月4日土曜日
2012年8月3日金曜日
蝉はどうした?
(画像:ハウリンウルフさんブログより)
2012年夏、今年の蝉はどうしたんだろう!?
先月から薄々感じてはいたけれど、今年は8月になって暑くなればごっそり鳴き始めるんだろうと思っていた。でも今日までまだ2,3回しか聞いたことがない。遠くから風に乗って一匹のアブラゼミの声を微かに聞いたりと、寂しいったらありゃしない。ニッポンの正しい夏の夜は、うるさいほどの蝉の声と、蚊取り線香のキンチョーの夏なんである。むむむ、今気づいたぞ。今年は蚊もさっぱりおらんぞ!あれれそう言えば窓からいきなりぶ〜んと飛び込んでくる可愛いカナブンや憎っくきゴキブリも見ないし。今年は実に正しくないニッポンの夏なんである。どしちゃったんだろうか。7年前の夏オスメスたちの交尾数が少なかったのかなあ。だとすれば蝉界のオスにも草食系男子が増えていたことになる。
※
アブラゼミってなんでアブラゼミと言うのだろう。ネットでWikiすればすぐわかることだろうけど、ここはあえて調べない。なので筆者独自の解釈を開陳してみたい。
アブラゼミのアブラとは、浅学な一般人には「アブラ=油」と思ってしまいがちだが、そこが素人の浅はかさなんである。アブラゼミは実はアメリカからの外来種であり、1861年3月4日、ケンタッキー州の山奥で発見されたものだ。のちに第16代合衆国大統領となったリンカーンの出身地であることから、リンカーンのフルネーム、アブラハム・リンカーン(またはエイブラハム)に因んで「アブラゼミ」となったのだ。ではなぜ「アブラハムゼミ」とならなかったかと言うと、単に語呂が良いという理由で短縮して「アブラゼミ」となったんである。
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2012年夏、今年の蝉はどうしたんだろう!?
先月から薄々感じてはいたけれど、今年は8月になって暑くなればごっそり鳴き始めるんだろうと思っていた。でも今日までまだ2,3回しか聞いたことがない。遠くから風に乗って一匹のアブラゼミの声を微かに聞いたりと、寂しいったらありゃしない。ニッポンの正しい夏の夜は、うるさいほどの蝉の声と、蚊取り線香のキンチョーの夏なんである。むむむ、今気づいたぞ。今年は蚊もさっぱりおらんぞ!あれれそう言えば窓からいきなりぶ〜んと飛び込んでくる可愛いカナブンや憎っくきゴキブリも見ないし。今年は実に正しくないニッポンの夏なんである。どしちゃったんだろうか。7年前の夏オスメスたちの交尾数が少なかったのかなあ。だとすれば蝉界のオスにも草食系男子が増えていたことになる。
※
アブラゼミってなんでアブラゼミと言うのだろう。ネットでWikiすればすぐわかることだろうけど、ここはあえて調べない。なので筆者独自の解釈を開陳してみたい。
アブラゼミのアブラとは、浅学な一般人には「アブラ=油」と思ってしまいがちだが、そこが素人の浅はかさなんである。アブラゼミは実はアメリカからの外来種であり、1861年3月4日、ケンタッキー州の山奥で発見されたものだ。のちに第16代合衆国大統領となったリンカーンの出身地であることから、リンカーンのフルネーム、アブラハム・リンカーン(またはエイブラハム)に因んで「アブラゼミ」となったのだ。ではなぜ「アブラハムゼミ」とならなかったかと言うと、単に語呂が良いという理由で短縮して「アブラゼミ」となったんである。
クマゼミってなんでクマゼミと言うのだろう。ネットでWikiすればすぐわかることだろうけど、ここはあえて調べない。なので筆者独自の解釈を開陳してみたい、Part2。
クマゼミのクマとは、浅学な一般人には「クマ=熊」と思ってしまいがちだが、そこが素人の浅はかさなんである。クマゼミは実は熊本を棲息地とする国内種であり、思いのほか以外なことであるがつい近年1969年4月9日、熊本市の郊外で発見されたものだ。熊本であることから、熊本に因んで「クマゼミ」となったのだ。ではなぜ「クマモトゼミ」とならなかったかと言うと、単に「クマモトゼミ」では語呂が悪いという理由で短縮して「クマゼミ」となったんである。
アブラゼミ、クマゼミと来たところで、最後に蝉と会話が出来る筆者が、普段から懇意にしている蝉さんから聞いた秘密事項に関する問題である。
「新宿の隣り町に棲息する蝉はナニカ?」
...........................................................................チッチッチッ、チーン!時間です。
答えは、
「ヨヨギゼミ」なんである。語呂が悪いという理由で短縮して「代ゼミ」となったんである。
※筆者註:文中※印以降フィクションの記述あり。良い子のみんなはこの論述を鵜呑みにして夏休みの自由研究に取り入れてはならない。あしからず(^^)/
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2012年8月2日木曜日
Hey!JUDO
やはり今日も21時頃図面データをクライアントに送り、あとはまったりと五輪中継を観戦。卓球も悪くないがやはり柔道のほうにチャンネルを合わせてしまう。
筆者、高校は生粋の公立男子校でいわゆる文武両道の県立山形南高校。体育の時間は柔道が必修科目だった。筆者の担任は体育教師であり柔道顧問のバリバリの国○舘出身の先生であった。「絵に描いたような」という表現がこれほど似合うヤツもいまいという、ずんぐりむっくり角刈り直情径行型の先生。「文武」の文がなく武だけの人。2年生あたりからチョイワルオヤジならぬちょい悪高校生のガキだった筆者は、ヤツに仲間とともにゲンコツで幾度も殴られた。鼻の奥がツーンとするくらいに。受験シーズンにはみんなで「スベリ止めでも絶対、国○舘だけは受けねえべよ」と誓いあったものである。しかし腹を割って話してみると見かけによらず、実に気持ちの良いハートのある男であった。赴任当時はこの先生のことを皆でバカにしたり半面怖れていたりしたが、だんだんココロの距離が縮まり、卒業の頃はなんだか友達のような感じで気持ちが通じ合うようになった。
歳を経て大人になり、更に人の親になって初めてわかることがいくつもある。
殴られたほうも痛いが、殴ったほうも痛いのだということを。ココロの痛みはむしろ殴ったほうが痛いことすらある。
「Hatakeyama先生。お元気ですか?当時はごめんなさい。殴ってくれてありがとう、とすら思えるような歳になりました。僕ら仲間数人が学園祭翌日に謹慎処分をくらった時、職員室で拳(こぶし)を振り上げた先生の目の奥に、涙が光っていたのを記憶しています...。
ありがとうございました」
日本中の生徒のみならず教師も荒れた時代はそのずっとあとだ。筆者はまだ良い時代に思春期を過ごしたと今になって思う。
話は一転して柔道である。というかJUDOの雑感。オリンピックだからね。
背中に張られた国別の表記が気になる。「JPN」はJAPAN。他にKORやらITAやらFRAやらRUSやらHUNやらNEDやら...。NEDはネーデルランド=オランダ。日本での通称が世界では通用しない。イギリスだってイギリスなんて英語は世界には存在しないわけで。そのうち「AKB」なんてゼッケンを付けて出てくる国があっても誰も分らないかもしれない。
「掛け逃げ」で「指導1」が入る。これはいいことだ。技を掛けた振りをしてすぐ腹這いになり防御にはいるアレ。時間稼ぎで勝ちを狙うのは、「潔し」を旨とする日本人気質にそぐわない。それにしても一瞬嫌な場面があった。死闘の末、両者寝転んだまま時間切れで相手国が勝った。日本人選手はうずくまったまま。相手選手(中国か韓国)も仰向けに寝た状態。しばらくそのままだったが、そのうち相手国選手はあろうことか、「早くどけよ!」と言わんばかりに日本人選手の肩を右足で押しのけるようにして、足蹴にしたんである。柔道の世界では当たり前のことなのかどうかは知らないけれど、見ていて「敗者に対してなんちゅうことすんねん!」と思わず、核ミサイルの発射スイッチに手を伸ばしかけたのだった。
逆に清々しいのは、ある女子黒人選手が試合後の相手への礼、後ろに下がっての礼、階段を降りる前の礼の三つをきちんとこなしていたこと。とかく外国人選手は最後の礼を忘れがち、というかする気がないことが多い。そんな中で勝っても負けてもきちんと挨拶する選手を見ると、どこの国関係なく「次も、頑張れよ」と心でエールを送ってしまうんである。
子どもの野球でも同じだなと、ふと少年野球コーチ目線に戻ってしまった。
あれ、もう寝なきゃの時間だけれど、気がつけば中継はサッカー男子ホンジュラス戦。グループ1位通過がかかっている。ブラジル戦なら確実に観るだろうけれど、観るか寝るかはもう一杯呑んでから考えようっと(^^)/
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筆者、高校は生粋の公立男子校でいわゆる文武両道の県立山形南高校。体育の時間は柔道が必修科目だった。筆者の担任は体育教師であり柔道顧問のバリバリの国○舘出身の先生であった。「絵に描いたような」という表現がこれほど似合うヤツもいまいという、ずんぐりむっくり角刈り直情径行型の先生。「文武」の文がなく武だけの人。2年生あたりからチョイワルオヤジならぬちょい悪高校生のガキだった筆者は、ヤツに仲間とともにゲンコツで幾度も殴られた。鼻の奥がツーンとするくらいに。受験シーズンにはみんなで「スベリ止めでも絶対、国○舘だけは受けねえべよ」と誓いあったものである。しかし腹を割って話してみると見かけによらず、実に気持ちの良いハートのある男であった。赴任当時はこの先生のことを皆でバカにしたり半面怖れていたりしたが、だんだんココロの距離が縮まり、卒業の頃はなんだか友達のような感じで気持ちが通じ合うようになった。
歳を経て大人になり、更に人の親になって初めてわかることがいくつもある。
殴られたほうも痛いが、殴ったほうも痛いのだということを。ココロの痛みはむしろ殴ったほうが痛いことすらある。
「Hatakeyama先生。お元気ですか?当時はごめんなさい。殴ってくれてありがとう、とすら思えるような歳になりました。僕ら仲間数人が学園祭翌日に謹慎処分をくらった時、職員室で拳(こぶし)を振り上げた先生の目の奥に、涙が光っていたのを記憶しています...。
ありがとうございました」
日本中の生徒のみならず教師も荒れた時代はそのずっとあとだ。筆者はまだ良い時代に思春期を過ごしたと今になって思う。
話は一転して柔道である。というかJUDOの雑感。オリンピックだからね。
背中に張られた国別の表記が気になる。「JPN」はJAPAN。他にKORやらITAやらFRAやらRUSやらHUNやらNEDやら...。NEDはネーデルランド=オランダ。日本での通称が世界では通用しない。イギリスだってイギリスなんて英語は世界には存在しないわけで。そのうち「AKB」なんてゼッケンを付けて出てくる国があっても誰も分らないかもしれない。
「掛け逃げ」で「指導1」が入る。これはいいことだ。技を掛けた振りをしてすぐ腹這いになり防御にはいるアレ。時間稼ぎで勝ちを狙うのは、「潔し」を旨とする日本人気質にそぐわない。それにしても一瞬嫌な場面があった。死闘の末、両者寝転んだまま時間切れで相手国が勝った。日本人選手はうずくまったまま。相手選手(中国か韓国)も仰向けに寝た状態。しばらくそのままだったが、そのうち相手国選手はあろうことか、「早くどけよ!」と言わんばかりに日本人選手の肩を右足で押しのけるようにして、足蹴にしたんである。柔道の世界では当たり前のことなのかどうかは知らないけれど、見ていて「敗者に対してなんちゅうことすんねん!」と思わず、核ミサイルの発射スイッチに手を伸ばしかけたのだった。
逆に清々しいのは、ある女子黒人選手が試合後の相手への礼、後ろに下がっての礼、階段を降りる前の礼の三つをきちんとこなしていたこと。とかく外国人選手は最後の礼を忘れがち、というかする気がないことが多い。そんな中で勝っても負けてもきちんと挨拶する選手を見ると、どこの国関係なく「次も、頑張れよ」と心でエールを送ってしまうんである。
子どもの野球でも同じだなと、ふと少年野球コーチ目線に戻ってしまった。
あれ、もう寝なきゃの時間だけれど、気がつけば中継はサッカー男子ホンジュラス戦。グループ1位通過がかかっている。ブラジル戦なら確実に観るだろうけれど、観るか寝るかはもう一杯呑んでから考えようっと(^^)/
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2012年7月30日月曜日
夏の日の記憶
日本列島連日猛暑の折り、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうかと訊くまでもなく、この暑さに辟易していらっしゃることは容易に想像出来る今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか?
まずは暑気払いを兼ねて一発この写真を。
真夏に担々麺を食って、その合間に飲んだ冷たい麦茶が喉を下っていくような気分だ。
今日は合宿最終日、筆者の経験から想像すると午前中グランドで練習し、一旦宿へ引き上げ風呂と昼メシ(たぶんカレーライスだ)。午後民宿のご主人へ一同挨拶しバスで一路川崎へ....。
朝からうだる暑さの中おもむろに冷蔵庫から保冷剤を取り出し、伊衛門手ぬぐいで包んで頭に巻き付け、今日もMacと対峙する。ほどなくして、来たきた今日も、Inoueコーチから写真が続々と。
まずは山中湖畔での朝の集合写真。ラジオ体操のあとだろうか。毎年撮っているがビミョーにみんな眠そうな表情ではある。
おっとこの写真は記憶にないぞ。どこか別のグランドへ行ったのだろうか。
これも恒例山中湖の民宿の前で撮影。ここはメシがうまいんである。大きい民宿なので朝飯時には全国から来た他のチームもいる。数年前はどこかの大学の男女テニス部の学生がいた。(一人メッチャ可愛いコがいた...というのは筆者の遠い記憶なんである)
この写真は年末の成績表に使おうっと。
帰路の途中では「風穴・氷穴」に立ち寄る。10数年前オヤジコーチの頃も一度行ったことがある。冒頭に掲げたこのヒンヤリ氷の写真は氷穴でのものだろう。結構狭い穴を進んで行く途中にあったと思う。少年の夏の日のささやかな記憶に残るだろうか。
数年前に参加した合宿の時、シニアから借りたマイクロバスで行ったことがある。運転手はガタイもデカけりゃココロも大きいYanagisakiコーチ。往復の道中ビールは飲めないし、何より多くの人命を預かるわけでその使命感には頭が下がる思いだった。
今年もマイクロバスを借りての合宿。ハーレーライダーInoueコーチの運転である。心からご苦労を労(ねぎら)いたい。お疲れさまでした。
井上陽水の「少年時代」、山下達郎の「さよなら夏の日」を口ずさむには、まだまだこの夏の太陽は元気すぎる。
夏は始まったばかり。
子どもたちには、少年の日の記憶をこれからいくつも刻んでいってほしい。
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まずは暑気払いを兼ねて一発この写真を。
真夏に担々麺を食って、その合間に飲んだ冷たい麦茶が喉を下っていくような気分だ。
今日は合宿最終日、筆者の経験から想像すると午前中グランドで練習し、一旦宿へ引き上げ風呂と昼メシ(たぶんカレーライスだ)。午後民宿のご主人へ一同挨拶しバスで一路川崎へ....。
朝からうだる暑さの中おもむろに冷蔵庫から保冷剤を取り出し、伊衛門手ぬぐいで包んで頭に巻き付け、今日もMacと対峙する。ほどなくして、来たきた今日も、Inoueコーチから写真が続々と。
まずは山中湖畔での朝の集合写真。ラジオ体操のあとだろうか。毎年撮っているがビミョーにみんな眠そうな表情ではある。
おっとこの写真は記憶にないぞ。どこか別のグランドへ行ったのだろうか。
これも恒例山中湖の民宿の前で撮影。ここはメシがうまいんである。大きい民宿なので朝飯時には全国から来た他のチームもいる。数年前はどこかの大学の男女テニス部の学生がいた。(一人メッチャ可愛いコがいた...というのは筆者の遠い記憶なんである)
この写真は年末の成績表に使おうっと。
帰路の途中では「風穴・氷穴」に立ち寄る。10数年前オヤジコーチの頃も一度行ったことがある。冒頭に掲げたこのヒンヤリ氷の写真は氷穴でのものだろう。結構狭い穴を進んで行く途中にあったと思う。少年の夏の日のささやかな記憶に残るだろうか。
数年前に参加した合宿の時、シニアから借りたマイクロバスで行ったことがある。運転手はガタイもデカけりゃココロも大きいYanagisakiコーチ。往復の道中ビールは飲めないし、何より多くの人命を預かるわけでその使命感には頭が下がる思いだった。
今年もマイクロバスを借りての合宿。ハーレーライダーInoueコーチの運転である。心からご苦労を労(ねぎら)いたい。お疲れさまでした。
井上陽水の「少年時代」、山下達郎の「さよなら夏の日」を口ずさむには、まだまだこの夏の太陽は元気すぎる。
夏は始まったばかり。
子どもたちには、少年の日の記憶をこれからいくつも刻んでいってほしい。
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LIVEサッカー・決勝T進出!
フレンズ合宿のブログアップしたあと、五輪のサッカー男子中継にのめり込んで今は2:42。永井のゴールで1:0で日本。決勝トーナメント進出は目の前....。
時間よ止まるな!
あと1分!
..........
ロスタイム突入、3分。
..........あっぶねえーーーー!!!
あと10秒!
..........
やった!勝ったあーーーーー!!!
やっと寝ます...。
時間よ止まるな!
あと1分!
..........
ロスタイム突入、3分。
..........あっぶねえーーーー!!!
あと10秒!
..........
やった!勝ったあーーーーー!!!
やっと寝ます...。
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