2013年11月21日木曜日

One for All,All for One

筆者のささやかな至福の時間の過ごし方といえば、煙草の吸えるカフェに入り熱いエスプレッソとともに、夕暮れの1時間、好きな小説を渾身のチカラを込めて読書することなんである。カフェはドトールよりはエクセシオールが良い。エクセシオールよりはプロントがベターだ。更にプロントよりはサンマルクか上島珈琲店がベストなんである。横浜のセンター北にある上島珈琲店はお気に入りのひとつだ。

今日、所用があり北ではなくセンター南に行ってきた。南にもお気に入りのカフェがあるのだが、仕事の関係でそこでゆっくり出来ないのがわかっていたから、往復のバスの中で渾身のチカラを込めて読書したのは言うまでもない。

先日のブログで言葉が足りなかったことを後悔しているんである。
スーツという鎧をまとったサラリーマンの休日のファッションを揶揄した。スネ毛丸出し短パンでヨレヨレTシャツだと....。自省の念。まさに筆者の夏はこれなんであった。言いたかったことは決して「スネ毛丸出し短パンでヨレヨレTシャツ」が悪いのではなく、それでも似合う自分でなければならないという、アイデンティティーのことを言いたかったんであった。

こんな話を思い出したのはセンター南にあるスポーツオーソリティーに入った時。筆者はニッポン人の「もったいない主義」の具現者なので、ジャージなどは膝やケツがテカンテカンになるまで着倒すほうだ。セレブなQ代表Kさんとは正反対である。それでもいい加減もうひとつの野球用ジャージが欲しくなりスポーツ用品店に行ったのだった。数日前から思っていた本当の目的は別なんであったけれど。
サッカー小憎の筆者はadidasしか目に入らない。adidasコーナーで半額セールをやっていたので嬉々として一も二もなく購入したのは言うまでもない。

さてここからが本題なんである(^-^)
帰りしな駅前のローマのコロシアムを模したすり鉢状の広場で、5,6人の少年たちが楽しそうに簡単な野球遊びをやっていた。思わず麻袋を頭からズッポリかぶせて拉致し、フレンズに連行しようかという欲求をかろうじて抑えつつ、しばらく眺めていたんである。
この時ふと、なぜか3年前に作った記念誌の1ページが脳裏をよぎった。

「宮前区少年野球連盟20周年記念誌」
筆者の自分少年野球史上大きな転換期となった仕事であった。このプロジェクトチームで連盟や他チームの多くの人たちと巡り会い、自分やチームの小ささを自認するに至ったんであった。とりわけKasahara副会長やNishimura事務局との邂逅は特筆である。Kasaharaさんとはその後のQueensとの出会いに繋がるわけで、本当に人と人との繋がりは面白いことこのうえない。

その記念誌で鬼編集長Nishimuraさんからの命を受け、恥ずかしながら書きしたためた「詩」がある。
夕暮れの広場で野球少年たちを見ているうちに湧いて来た思いは、先日からブログに書いているけれど、Queensの大黒柱の主将が大けがをして6年最後の大会を前に涙を呑んだこと、しかしそれを機に逆にチームがますます結束し奇跡のプレーや、感動的な試合で子どものみならず大人たちも「ひとつ」の輪になったこと。そんな思いの延長線上にあの「詩」が浮かんできたのであった。キーワードは「言葉の力」「絆」「仲間」「ひと」「誇り」....更に言えば「One for All,All for One」

2012年2月の小ブログに掲載したものを僭越ながら、身の程知らずの臆面もなく再掲載したい。最後の数行は多少難解かもしれないけれど、未来の子どもたちへエールを贈ったものである。

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  未来の記憶ノート      T.Teshima

あの日のことをぼくは忘れない
大事な試合 最後の守備 緊張の場面
うなりをあげて迫る白球 ボールはグローブを弾いた
ぼくのエラーでチームは敗けた
涙をこらえ自分の影を踏みつけながら駆け戻るベンチ
みんなの顔が見られない そんな時誰かがぼくの肩をたたいて言った
「ドンマイッ!つぎ、がんばろう!」
あのときの仲間をぼくは忘れない

あの日のことをおまえは憶えているか
初めて買ったグローブ 父さんとの初めてのキャッチボール
ワンバウンドが顔に当たり おおげさに泣き出した
「やきゅうなんて、やだっ」グローブを投げ出し家へかけもどる
その晩おまえの寝顔の横には 
大事そうに置かれたぴかぴかのちいさなグローブ
翌朝目を輝かせて言った「お父さん、キャッチボールやろう!」
あの時の瞳を父さんは忘れない

あの日のことをあなたは憶えているかしら
早起きして作ったお弁当は今日はちょっと特別
だってこの日は六年最後の試合と私の誕生日が重なって
玄関を出て行くあなたの背中は何か言いたそうだったね
青の空 樹々は緑 白球が伸びやかな弧を描く
私にとっても今日が最後の応援
チームは勝ったのに 打てなかったあなたはどこか淋しそう
「誕生日のお祝いにヒット1本プレゼントしたかったけど...ごめん」
母さんはホームラン100本分くらい嬉しかったよ 涙がでるほど
あのときの言葉を母さんは忘れない

やがて少年少女(キミ)は二十歳(オトナ)になるだろう

あの頃の太陽(ひ)の光と渡る風の匂い

星が語る言葉は 記憶の海の想い出ノート

仲間(ともだち)、家族、人とひと 人の光はキミの影を強くする

絆なんて言葉は似合わなくてもいい でも

ただ キミが人を信じられるひとになろう

ただ キミは人に信じられるひとになろう

ちょっとずつ記憶を重ねていこう

目の前に広がる 白紙の海の 未来ノート

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2013年11月18日月曜日

立ち姿凛として

このブログのアクセス数が一番高いのは毎週月曜日と相場が決まっているんである。おそらく土日は少年野球で自宅のパソコンを開く機会もなく、家族団らんに現を抜かしているから....おっと、失敬。
だからその勢い余ってかどうかは知らず、月曜朝の通勤電車のスマホで、朝礼後のメールチェックのあとに、昼休みメシを食って帰った会社でネットを起動し......、或いは、ダンナと子どもを送り出したあとパソコンを起動した主婦、或いはパートに行く前の中途半端な空き時間にアクセスしてみる....。そんな感じで月曜はアクセスが多いのだろうと想像す。
週末に書いたQueensの「最高の仲間、最強のチーム」。この記事のあとも読んで欲しいナリ、なのだ。

それはともかく。
土曜は南部リーグA、松風スラッガーズ戦であった。
身長差も試合前の姿勢の良さも圧倒的に松風に軍配。筆者競馬はやらないが、松風が大本命ならフレンズは大穴というところか。しかしてその結果は....。

写真右上は試合直前の普通の円陣。そして試合後にもエールを送るための円陣を組む。その試合後の円陣が組まれた時に、以前もやったけれど筆者子どもたちの中へ割って入り、地面すれすれから上へ向かってシャッターを切った。「オラオラ〜、写真撮るぞ〜」と言ったら、わらわら、ずんずんあっと言うまに円陣がせばまりオシクラマンジュウ状態なんであった。それが下の写真である。

試合中の点景。珍しくフレンズ所属Nishi審判員がやってきて真ん中のマスクをかぶった。

松風さんとは連盟記念誌関係つながりでHigoさんや超ベテランUrabeさん、更にハイパー超ベテランKuriharaさんなどと知己である。因にHigoさんの奥方さまは美人さんなんである(^-^)昨年筆者の娘の娘が重病に陥った時、心温まるメールをいただいたりして。ポークビッツHigoちゃんはシニアに進み1年生ですでに背番号をもらっているそうだ。
そして最近のブログにも登場しているAbeさんがいる。5年連合の名将監督である。この日は審判員としてやってきた。
この商売柄、審判は星の数ほど見てきたが、Abeさんほど背筋のピンと張った、凛とした立ち姿をしている人は少ないはずだ。コールのタイミングとその動作、どれをとっても一級品の風格なんである。こんな審判にジャッジされたらベンチは何も言えないであろう。
筆者の持論であるが、球審はマスクとプロテクターなどで身を固めるがゆえに、極論すれば誰でもカッコ良く見えるもの。しかし、塁審は球審に比べて裸同然みたいなものだ。そういう時にこそ本当にカッコいいかどうかが問われるものだ。
あたかも平日はスーツにネクタイで身を飾っていても、休日になるとスネ毛むき出し短パンにヨレヨレTシャツでがっかりしちゃうサラリーマンが実に多いのと似ている。
ネクタイが似合っても休日の私服もセンスが良いとは限らない。逆に休日の私服のセンスが良い男は、スーツを着たらもっとカッコイイ、というのが筆者の持論なんである。

写真上の一枚を見て思った。
まるで邦画の戦争映画に出て来る戦艦の艦長役のようだ。沈没寸前のシーンである。
「俺の言うことを心して聞けっ!貴様らは家族のもとへ生きて還るんだぞ。即刻ボートへ乗り退散せよ。これは命令だっ」
「か、か、か、艦長はどうなさるおつもりですかっ!」
「黙れっ。貴様ら死ぬんじゃないぞ!約束を果たせなかったならあの世から化けて出てやるから覚悟しろっ。俺はここに最後まで残る。なぜならここが俺の家だからだ」
「自分も残りますっ! か、か、艦長〜!ううううっ........」(若い士官たちは膝から崩れ落ちてみな号泣しちゃうのだった...)
....みたいな。
そんな風貌である。さしずめ主演は三船一郎か中井貴一、またはAbeちゃんといったところか(^-^)/

さてもう一枚。バランスの絶妙な一枚が撮れた。

これを見て少年野球に関わる人なら何のシーンかすぐに分るはず。スクイズ失敗の瞬間なんであった。5人の人が写っている。まず左から投球と同時にスタートを切った3塁走者。スクイズバントを失敗し打ち上げてしまった打者。瞬時にマスクを取り打球を見上げる捕手。同じく球審(ちょっと違う方向を見ているが(^-^))。右は3塁コーチャーである。
結果はファウルフライに終わり難を逃れたフレンズである。いや、難を逃れたのは松風か?

試合は以外にも1:5でフレンズの勝利であった。近年のこの時季のデータを顧みれば、内容も悪くないと思う。まだまだどーなるかは分らないが。
来年に大いに期待したくなる内容でもあった。
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2013年11月16日土曜日

最高の仲間、最強のチーム


本日、病院に行った際にひまりから皆さんに伝言を預かりました。
携帯を持っていない子達もいるので、私のiPhoneから送信させて頂きますね。
ベットの上で泣きながら打っていたものです。その姿にさすがに私も涙しました
どうぞ子供達にお伝え下さい
+++++++++++++++++++++++

この文章で始まるQueens主将HimariのMochida母から、何十人ものメンバーへ一斉メールが届いた。昨晩のことである。
瞬時にブログへ転載したいと思った。しかし、純粋な気持ちで書き綴った少女の思いを、ネット上のブログに載せることで何かを汚してしまうのではないか。どこか薄い文章になってしまわないか。筆者しばらく逡巡したのちに了解が得られれば載せようと決意。Mochida母に返信する。そして今日母と本人からの了解をもらった。「豊島さんにお任せします」と。
普段は「晴耕雨読」では人名を英文で表記しているが、極力原文を尊重したいので数文字の校正を除き、ほとんどそのまま掲載する。文責筆者。
以下、前出母からの文面に続き、Himariから「みんな」へのメールである。
+++++++++++++++++++++++

心配かけてごめんね…。

私は、まだ入院してて応援しに行けないけど今のQueensなら私がいなくても絶対に勝てるよ!!皆からの私のお母さんあてに書いたメール全部見させてもらいました。皆がこんなに心配してくれていると思うと心苦しくてたまりません。
準決勝・決勝は、もしかしたら私も応援に行けると思います。私がいないQueensでもやっぱり優勝してほしいです!!明日は、ひなた投手といちか捕手の最強バッテリーで頑張って下さい!
今のQueensは、無敵ですっ!!ベイガーで戦ったときの茨城のピッチャーは、少しタイミングがとりずらいかもしれません。だけど皆なら打てると思います!!

6年の皆へ!!
本当にごめんね…。
明日は、あかり・ひなたをはじめ、6年全員で声を出してね!!
内野手は、外野にアウトカウントを伝えるように!!だけどまず声を出すのは、周りが一番見渡せるいちかのキャッチャーかな!!いちかが声を出して指示をしないと点がからむミスが出てくるかもしれないから。Queensの方が技術的に上だから、緊張しないで楽に!!

5年の皆へ!!
明日は、誰が出るか分からないけどとにかく自分が出るときのためにモチベーション上げて!!あと、出ない人もピッチャーを見てタイミングをとっとくようにね!!でる人は、5年の中から2人しかいないけどその人たちは、同じ学年でも出てない人がいるんだからその人たちのためにも全力プレーで代表っていう自覚を持とうね!!

4年以下の皆へ!!
4年以下の皆は、試合に出るのは、ちょっとむずかしいかもしれないからベンチで皆を盛り上げてね!!
皆のサポートが大事になってくるからねっ!!スタメンの皆がバッティングの準備をしてるときに少し声をかけるだけでもスタメンの皆がモチベーション上がると思うよ!!

監督・コーチへ!!
本当にこんな大切な試合の前に大ケガしてしまいすみません。今は、もうこんな言葉しか出てこないのですが、ただ優勝してほしい!!それだけです。
監督・コーチからのメールを拝見して、涙が出てきました。本当に申し訳ありません。監督のさいはいで勝てた試合も数えきれないほどあり、本当にここまでこれたことに感謝しています。
明日は、頑張って下さい!

お母さん・お父さんがたへ!!
こんな大切な試合の前に心配をかけてしまい申し訳ありません。
早くリハビリなどにはげんで1日でも早く皆に会えたらいいと思っています!!
明日は、私の事は、気にしないでQueensの応援にはげんで下さい!
それだけでも私は、キャプテンとして嬉しいです!!!!言いたいことは、それだけです!!明日は、頑張って下さい!
優勝して下さい!
ひまり より
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はからずも、読んでる途中から、瞼の裏が熱くなってしまい.....。
オトナのみなさん。胸に手を当てて思い出してほしい。自分が小学6年生だった子どもの頃を。こんな素晴らしい文章を書けただろうか。否(いな)である。
ずば抜けたその文章力もさることながら、内容がいい。キャプテンシーに満ちた仲間を鼓舞するものから、戦略的な的確な指示、小さい子を思いやる言葉...。そして監督コーチ始め大人たちへの感謝と謝罪の気持ち。不慮の事故でありHimariも誰も悪くないのにだ。むしろ彼女は下級生をかばおうとして転倒し骨折に至ったのである。
このメールを一読のあと、風呂上がりにもう一度熟読し、再度胸にこみ上げるものがあった。

これには後日談がある。
いや、後日談というには軽すぎるかつ、素敵すぎるエピソードだ。今日は女子野球にとっては最後の大舞台「三多摩大会」の初日である。Himariの思いを胸にQueensが大暴れして、初戦東京のオール目黒渋谷連合チームに23:1の圧勝。2戦目は横浜ベイスターズガールズで苦戦を強いられた茨城の代表チームにも10:5の快勝だった。

筆者は応援に行けずフレンズ仕事があり、有馬のグランドから元気玉を発射して気を送っていたんであった。Q関係者からの何度かのメールのやりとりの事実を統合して、かつほんの少しだけ筆者の思い入れを加味して書けばこうなるんである。

病院で独り心の応援をしているHimariの代わりに、彼女の10番をつけたユニフォームがベンチに飾ってある。しかも6年生はみなHimariのバチコンとバットを使って打席に臨んだのだ。
「アジアの大砲」という言葉がある。我がQueensには力はあるのになかなか結果が出せない、沈黙の大砲を持った子がいる。Misakiだ。Himariとは同じ学校で家も近所の親友なんである。彼女がHimariのバットを握り打席に立つ。

カキーン!

バットが火を噴いた。
まるでHimariが「大丈夫!!Misakiなら絶対打てるから!!」とバットを伝わって囁いてきたかのようだった。フルスィング。白球は大きな弧を描いてみるみる小さくなってゆく。
あれだけ打てなかったMisakiが奇跡のホームランを放った。
やっと打てたという安堵感、達成感、そして試合に出られなかったHimariの代わりに打てたんだという思い、本塁を踏む時には一気に涙がこみ上げベースが滲んで見えた。
大拍手で迎えるギャラリーの母たちも手を取り合い号泣してしまった。

Queensの快進撃のこの結果にはもうひとつの意義がある。
Himariは学校で友人と遊んでいて骨折してしまったのだが、きっとその友人は自責の念にかられて逆に心に悔恨の傷を負ったままで過ごしているのではないだろうか。Himariの抜けた今日のQの勝利は、その子の心の負担を少しでも軽くしてくれたに違いない、と思うのである。筆者の穿(うが)った見方だろうか。

「最高の仲間、最強のチーム」
このブログタイトルは、今日の日中Mochida父28番コーチからの返信メールを読んだ時に閃いたものだった。

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2013年11月15日金曜日

地獄への往復切符

毎年この時季になると、スコア集計の地獄に堕ちてゆき、毎晩夜中は閻魔大王に睨まれながら三途の川でキーボードを叩いていることになっている....と毎年この時季になるとブログに書いてしまうのが通例になってしまったんである。

やった者でなければこの苦労は分るまいて。一年分の全選手の成績を集計するのは、子どもたちの発奮材料になり、またその冊子は6年生を送る会で配付されるので、「想い出のアルバム」的な写真の要素もたくさん盛り込むようになった。親や子にとっては在籍したぶんの数年間にわたる数冊の想い出の記録となるわけだが、代表やKanedaさん、監督、筆者のような子どもが卒業したあともフレンズに来ているフリーコーチが手にする冊子は、もう十数冊にもなるんであった。

スコア集計項目のトップは、卒業生全員の入部から卒業までのプロ野球風に言うと「生涯成績」がくる。例えば3年生の時にBチームで5打席だけ立った三振の山の打撃成績から、6年生Aチームでの活躍まで、全ての打撃成績を網羅し生涯平均打率や安打数、塁打数、盗塁数などの総計なども算出する。投手成績もある。勝ち負け数、投球数から被安打数、防御率まで盛りだくさんなんである。
因に2010年成績表によると投手Kawaharaの2年間の全投球数は4997球も投げていた。強豪チームなら試合数は飛躍的に多くなるので、そのエースはもっと投げているに違いない。フレンズ黄金期のチーム勝率は9割を超えた時代もあった。
今は昔。国破れて山河あり、強者どもが夢のあと、盛者必衰の理(ことわり)あり...ってか(^-^)

これらの成績冊子を筆者の息子が卒業する前年の1995年から保管している。3年分ほど手元にないが床に並べてみたら、なかなかの壮観である。筆者がこれらを作るようになったのは2009年からであった。
スコア集計が終わったあとは、Ohmori父にExcel入力を頼むので去年あたりから少し楽になったんであるが、その後この冊子の原稿制作でまた地獄から這い上がれなくなるのだった。原稿制作は表紙からA,Bチーム個人成績表、チーム成績、全試合のスコアボード、想い出のアルバム、当該年度の子どもとコーチの名簿など全部で15ページにもなる。12月に入り一週間でやんなきゃなんである。
毎年11月ころから地獄に堕ちていると、次第に閻魔大王とも仲良くなり、「うおりゃ〜おめえ、また墜ちてきやがったな。待ってたぞ。ちょっと酒でも呑んでいけ」と言って酒宴を開いてくれるようになった。

もうじき、またヤツの顔を見に、地獄への切符を手に旅に出なきゃならない筆者なんである。差し入れに酒でも持っていってやるとすっか。ヤツに酒を呑ますと、ただでさえ赤い顔が、ますます爆発的に赤くなっちゃうんである。機嫌良く寝込んだところで、隙をみて12月中旬には地獄から這い上がり脱出するのだ。
「地獄への片道切符」ではなくちゃんと往復切符を購入しているので、大丈夫なんである。
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体の痛み、心の痛み

一大事とはこのことだ。Queens主将Himariが足を骨折してしまった。
学校で友達と遊んでいて倒れそうになった時に近くにいた1年生にぶつかりそうになり、とっさにその下級生にぶつかってはいけないと思い、かばおうとして妙な転び方をしてしまったらしい。かかとの骨折だった。全治3,4ヶ月...。

週末には三多摩大会が待っていた。野球が出来ないことはもちろんだが、これから完治までには治療とリハビリの気が遠くなるような時間が待っているはずだ。本人の悔しさはいかばかりか。更に大会を前に怪我で出場を断念しチームに迷惑をかけたと思うであろう、ご両親の辛さも断腸の思いに違いない。普段から周囲への気遣いを絶やさないMochida夫妻のこと。心中察するに余りある。

うまく書けない...。
小学6年生の女の子の思いや、ご両親の心情や、Queensの純粋な大会への意気込みやらが錯綜して渾然一体となり、複雑に絡んだ糸を解きほぐすことが困難なように、うまく書けないんである。
結論から言えば...。QueensはHimariのためにも勝つことが、彼女への最大の良薬になるに違いないということ。勝利の報告が出来て、少しでもHimariと親の心の負担を減らすことが出来れば、きっと彼女にもあの素敵な笑顔が戻るはずだ。

フレンズでも最近同じようなことがあった。
名誉ある5年連合チームに選ばれ活躍を期待されたHiroが、参加直前にやはり足を骨折して全てを棒に振ってしまった。親は宮前に迷惑をかける結果になると思い、一度は連合を辞退したが、決まったことを覆すことは出来ずにそのままメンバーに。試合には出れないけれど、松葉杖の彼と母はずっと連合練習に通い続けた。そこで得るものが大きかったようだ。いち母体チームでは体験できない経験をし、心の栄養になったようだった。医師に全治3か月と言われた彼は、かろうじて新人戦に代打で出たが、まだリハビリ中である。

Himariは今、病院だろうか、それとも自宅のベッドか.....。
と、思いながらこのブログを書いていたら、たった今Mochida母から関係者への一斉メールが飛び込んできた。
聖マリで予想以上に手術に時間がかかり19時から数時間かかって今やっと終わったそうだ。
今深夜23時過ぎ。Himariは昨日の午前からとにかく激痛との闘いで泣き叫び疲れ果ててしまうくらいだった。術後麻酔が切れてまた痛みが襲ってくるとのこと。オトナは体の痛みもココロの痛みも嫌と言うほどさんざん経験済みだが、ちいさな小学生の少女のそれはいかばかりであろうか。それを思っただけでもやはり心が痛む。

ひーちゃん。
キミには素晴らしいおとうさん、おかあさんと、Himariを応援してるオトナがたくさんいるよ。オジサンも大勢のキミの大ファンのひとりだ。
そしてチームメイトのみんなが笑顔で待っている。きっとみんなはキミのぶんまで試合を頑張ってくれるに違いない。
がんばれ、Himari。
がんばれQueens。
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