2017年2月8日水曜日

「傷だらけの天使」

ずいぶん昔にもここで書いたけれど、「傷だらけの天使」なんである。
筆者田舎の高校生だった頃に、このドラマを見てなんてカッコいいんだろうと大感激したものであった。これを観て更に高校3年の頃「俺たちの旅」という中村雅俊のドラマで東京への憧れはピークに達したのであった。もちろん「太陽にほえろ」もそのひとつであるし、「前略おふくろ様」もそうだった。

「傷だらけの天使」が今日2/7火曜からBS12で再放送なんであった。今日新聞で知った。放映の前にショーケンこと萩原健一のインタビューがあって、当時のエピソードを語っていた。ショーケンの弟分が水谷豊。「アニキ〜」「なんだよ、アキラ」の掛け合いが絶妙だった。この頃水谷豊は芸能界に辟易していて、、このドラマが終わったら芸能界を引退し田舎へ帰ってしまおうと思っていたのだそうだ。初めて知った。もしそうなったら今頃テレ朝の「相棒」は誰が主役をやっていたのだろうか。それにしてもショーケンは相変わらずカッコいいではないか。ショーケンに憧れた田舎の青年は上京した19の秋に、バイトで知り合い出来たばかりのカノジョと一緒に原宿へ行き、古着屋で革ジャンを購入したのだった。新宿でのバイト代の残りがぶっ飛んでしまった。しばらくは毎日四畳半のアパートでインスタントラーメンで凌いだ覚えがある。
ところで筆者の兄貴はオサム(修)とアキラ(晃)という名前である。萩原健一のドラマでの役名は修、弟分の水谷豊のそれは「亨」と書いてアキラと読む。しかも筆者の下の名前は亨なんである。読みはトオルではあるけれど。「修と亨」「オサムとアキラ」奇妙な偶然なんであった。
21時から第一話が始まった。懐かしい。マニアックなファンにはドラマ冒頭の朝食のシーンは特に有名である。
新聞をナプキン替わりにして、トマトやコンビーフやソーセージをかじっては牛乳で流し込む。うっわ〜、これだけでもたまらんわ〜(^-^)
第一話に骨折しちゃう小学生が出て来る。どこかで見たような顔だな...。今をときめく子役時代の坂上忍であった。他にもおどろおどろしい岸田今日子、ズラをかぶった岸田森、坊主頭の金子信夫など癖のある役者ばかり。エレキギターで始まるテーマ音楽は大野克夫、井上堯之バンド。ルパン三世のテーマ、沢田研二。今回初めて知ったけれど、衣装担当は菊池武夫だったそうだ。筆者の好きなブランド「TAKEO KIKUCHI」(TK)のデザイナーなんであった。メンズBIGI、重ね重ね懐かしいわけで。

代々木駅からすぐの古いビルの屋上にあるペントハウスが、木暮修(ショーケン)の住居としてロケに使われた場所。ここ数年何度かそのビルの前を通るたびに上を見上げたものだった。
この半分朽ち果てたビルを見上げるたびに、あの頃の田舎の高校生だった青かった自分を想い起こすのだった。

※一枚目写真はWiki2012年撮影から。右奥に見えるのはNTTドコモ代々木ビル。
※二枚目は2010年筆者撮影のもの。ショーケン、オサムちゃんのペントハウスがかろうじて見える。
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2017年2月6日月曜日

小説「月に雨降る」36

翌日の土曜日は遅くまで寝てしまった。昨晩黒坂と別れたあとバーMakiに行って、真壁相手に深夜まで飲んで軽い二日酔いだった。いつになく早いピッチの酒に真壁は何かを感じたようだったが、最後まで龍一の胸の内を詮索することはなかった。
昼近くになってから起きて歯を磨いていると、サチコがみゃあと鳴いて、ゆっくりと歩み寄り、龍一の足元を八の字を描くようにくるりと回ったあと、しっぽをふくらはぎにしゅるりと絡ませてきた。竹に絡む朝顔のつるみたいに。希伊が姿を消した朝、捨て猫として偶然拾い希伊の分身として飼ってきたのがサチコだった。あれから十五、六年。猫としてはとうに寿命を過ぎていたが、どうにか元気に生きていた。とは言えさすがに子猫の時のように家中を駆け回るようなことはなく、終日目をつぶり穏やかに寝ていることが多くなった。ご飯の時間になっても若い頃のようにまん丸な目をこれ以上開けないというほど見開いてねだることはもうなく、ゆっくりと少しだけ食べて多くを残し、そのまままたお気に入りの場所を探して丸くなって寝てしまうのが日常となった。人間も動物もものを食べなくなったら死期が近いことは知っている。緩やかに、しかし確実に彼女の人生の黄昏の時が近づいているのを龍一は感じずにはいられなかった。この子を失った時の自分が想像出来なかった。いや想像することをあえて避けようとしている自分がいる。思わず抱き上げて頰ずりをした。以前は命の存在感を伴った重みがあったのに、今は古いバスタオルを丸めたような軽さだった。
「まだまだ元気で生きてくれよ、なあサチコ」
独り言を言っていると背後から声がした。
「お父さん、早く洗面台空けてよお。今からデートなんだから」
「何っ、今なんつったおまえ。で、で、で、デートと抜かしおったか」
「そうだよ。ひーちゃんと美咲と三人で遊びに行くんだよ」
驚かしやがって。いくら時代が進んだとはいえ、小学生で男とデートはあるまいと分かっていても一瞬うろたえてしまった。今日は少年野球チームのグランドが取れずに、珍しく練習は休みだった。火曜日に連絡網のメールが来ていたのを思い出した。娘の所属するチームには他にひーちゃんと美咲という二人の女の子がいて三人とも大の仲良しだった。遊ぶといってもいつもマックでハンバーガーを食べたり、プリクラで写真を撮ったりと小学生らしく他愛のないものだった。以前酔った勢いで龍一もチームの父親同士でプリクラを撮ったことがあったが、娘が撮ってきたプリクラを見せてもらうと、当時と比べて日進月歩、撮影技術が劇的に進化していて、とてつもなく可愛く撮れることに驚いたものだった。目は異様に大きくリカちゃん人形のように、顔は皺が全くなく唇には口紅まで表現されている。これを「盛る」というのだそうだ。キャバクラ嬢が人間技とは思えないほどの化粧とヘアメイクを盛っているのはテレビなどで知ってはいたが、それと自分の娘の姿がだぶって見えた時、龍一はぶるぶると自分の妄想を打ち消した。最近のネットの調査では小学生の将来なりたい職業の上位に男子は「ユーチューバー」女子は「キャバクラ嬢」と載っていたのを知り、愕然としたものだ。全くもって妙な時代になったものだ。
「気をつけて行けよ」
どこに行く?誰と行く?何時頃帰る?遅れるときは必ず連絡入れろよ、と娘の安否を気遣うつもりがその実、自分を安心させるための方便であることに気づき、のど元まで出かかった言葉を飲み込んだ。最近親父から小言を言われると露骨に嫌な顔をするようになった。そんな年頃なのだろうと龍一は思ってはいたが、しかし深読みすれば母親がいないせいなのかもしれないと思い直す。この子から母親を奪ったのは、俺と元嫁の大人の勝手な事情からだ。すまないと改めて思った。でもあのまま生活を続けていればいずれ家庭は崩壊していたに違いない。そうならずに済んだことは小学生の彼女にはまだ分かるまい。大人になってから理解してくれるだろう、たぶん。

龍一は財布からささやかな小遣いを渡し娘を送り出した。そんな時サチコも玄関まで行って娘を送り出すようにみゃあとひとこと鳴いて、またよろよろとリビングに戻って丸くなるのだった。
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2017年2月4日土曜日

梅にメジロ

筆者は自宅を仕事場にしている個人事業者である。かなり昔に連日家に閉じこもりっきりで仕事に没頭していたら、こともあろうに脚がむくんできてブヨブヨのプヨプヨのプニプニになっちゃったことがあった。調べたら体内の老廃物が下の脚に溜まってしまい、皮膚を指で押しても元に戻らない症状で、あとになって知ったことだけれどいわゆる「エコノミー症候群」に近いもので、悪くすれば死に至る病気の前兆だったんである。速攻仕事の椅子を買い替えて(それまで使っていた椅子はとにかく腰が痛くなったこともあり)、なるべく15分でも30分でも散歩をして脚の血流を促進するように心がけたんである。以来、脚の症状は改善したものの、相変わらず会社勤めのサラリーマンや外出することの多い主婦などに比べれば、極度の運動不足であることは否めないわけで。少年野球でも運動不足がたたって若い頃のように動き回ることが出来なくなった。精神的には子どもと変わらない気持ちなのだけれど、体がついて行けない。今度鉄棒で逆上がりに挑戦してみっか。根拠のない自信だけは旺盛なんであった。
昔大きなプロジェクト設計を請け負った時は、何週間も終日椅子に座った状態でMacと格闘していた。たまに表に出ると太陽の眩しさが心地よく、反面ふらふらしながら歩いた記憶がある。「エコノミー症候群」予備軍の時代だった。あれは恵比寿の事務所を引き払い、所轄の税務署にも事業所を渋谷から川崎に登録し直した頃だった。
なので今でも終日座りっぱなしの日もあるけれど、なるべく30分から1時間くらいは外を歩くようにしているんである。

前置きが長いのは「晴耕雨読」BLOGの悪癖であって、ご笑納いただきたし。
今、熱海のリゾートマンションの規模の大きい和食レストランの実施設計をしており、やはり時間を気にしながらの毎日なんである。しかし今日も近くを歩き回ることにした。サラリーマンの通勤時間は格好の運動時間と今になっては思える。自分もあの朝の地獄のラッシュアワーを何十年も経験しているが、ある意味ちょっと羨ましいのであった。ラッシュアワーは百害あって一利無し....いや一利はあるけれどね(^-^)※オトナのオトコならワカリマスネ?

というわけで、今日もちょいと歩き回ったんである。やっと写真掲載コーナーなんである。
古来からある「梅にウグイス」という言葉は間違いとまでいかないまでも、「梅」と言えばメジロなんであった。春を告げる鳥の二大勢力代表格はウグイスとメジロ。ウグイスはめっちゃ警戒心が強く滅多に人前に姿をさらすことはない。間近で「ホーホケキョ」と鳴き声を聞いて目を皿にしても発見出来ないのが常。対してメジロは警戒心が弱く人前でも平気でぴーぴー鳴いているわけで。メジロをウグイスと間違えるのはウグイス色という色は、実はメジロの抹茶のような色と勘違いしているんである。実際のウグイスの色はくすんだ茶色なんである。メジロの体毛の色がいわゆる「ウグイス色」なんであった。

近くの「梅公園」に行った。数日前からメジロが来ていることは認知しており、iPhoneでアップで撮ったのだけれど、画像がすこぶるよろしくない。今日は一眼レフ持参で行ってみたら...。
そしたらバッチグーなんであった。
ほれこの通り目の周りが白いメジロなんである。因にメジロは枝などに群れをなして押し合いへし合い並ぶことから、「目白押し」という言葉が生まれたらしい。

レンズを通してヤツと目が合ってしまった。
「どこ見てんのよお〜!」
コンビニのレジのお姉さんの、豊満な胸元を凝視するオッサンに反撃するお姉さんの心の叫びのように。
どん兵衛さんのように愛情込めて「こんにゃろ、とっ捕まえて食っちまうぞ」と思ったらすぐに飛んで行ってしまった。ニンゲンの男女関係にも通底する理論なんであった。二枚目は飛び立つ瞬間の羽のブレを捉えた一瞬。

「梅は咲いたか桜はまだかいな」的なブログを以前も書いたけれど、まさに今がそーなんであった。隣では紅梅も満開。

メジロは梅の蜜が大好物らしい。一心不乱に梅の蜜を搾取しまくっていた。梅の立場からすれば「受粉」に協力してくれる貴重な鳥なわけで、どんなに突つかれても梅はなすがままだった。メジロのくちばしの周りは花粉だらけで、まるで離乳食を終えて初めてスパゲッティナポリタンを食べた幼児の口の周りみたいだった。甘い蜜を供給するかわりに、花粉を運んでもらい種の保存を維持しようとする。これまたニンゲンの生態系、いや性態系に似ている。

有馬梅公園は今、直径5メートルくらいの巨大なコンクリートの建造物を設置。何か新しい遊具を建設中らしい。ただいま「絶賛工事中」なんであった。

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2017年2月2日木曜日

川崎少年野球ブログのこと

少年野球ブログランキングというのがあって、全国の少年野球ブログにアクセス数などでランキングをつけちゃうサイトなんである。
以前にも書いた覚えがあるけれど、例えば「晴耕雨読」が登録しているサイトは、「にほんブログ村」という超巨大なランキングサイトがある。ありとあらゆるカテゴリーのブログを種類分けし、細分化した果てにあるのが少年野球ブログというカテゴリー。野球のカテゴリーだけでも8177サイト。例えば「旅行」に関するブログだと37350サイトが登録。全てのブログ数はいったいいくつ登録されてるんだろうか。何十万ものサイトがあるに違いない。

この中のひとつに少年野球ブログのカテゴリーがあり、その少年野球だけでも615サイトなんである。筆者がここに登録した時は確か400前後だったかな。ランキングの仕組みはこのページの左側または記事の最後にあるアイコンをクリックすると、ポイントが加算されて順位が上がるみたいである。(スマホではそのアイコンが表示されないかも。Webヴァージョンで見れば出て来るはず)
因に「少年野球ブログ」の他にも「野球コーチブログ」のカテゴリーにも参加している。

筆者オリジナルで作ったリンクバナーはこれ。

さて、そこでちょっぴり誇らしいことなんである。
この少年野球「晴耕雨読」は1,2年前は全国ランキングで1位から5位くらいの常連であった。共にランキング上位で頑張っていたのが同じ川崎中原区の「今井西町少年野球野球部」さん。かつて何度か試合もさせていただき、試合の合間に談笑し互いのブログのことで盛り上がったこともあるんである。
そして昨年宮前区からも参戦してきたのが「野川レッドパワーズ」
ほほう、レッパさんも「にほんブログ村」に登録したんだ、と思うのもつかの間、あっと言う間にランキング上位に登り詰めた。
何が誇らしく嬉しいかと言えば、全国615個あるサイトの中で上位10位以内に川崎の少年野球ブログが3個も入っていることだった。昨年一瞬ではあったけれど、1,2,3位にレッパ、今井西町、「晴耕雨読」の川崎勢がワンツースリーフィニッシュを決めたことがあったように記憶する。まるで陸上個人競技で金銀銅メダルを全て日本人が取ったような気分だった。(夢で見たのかな?)
今はこんな感じ。毎日コロコロ順位は変動相場制である。

当「晴耕雨読」はしばらく更新しないとあっと言う間に下位へ転落する。但し「にほんブログ村」にはアクセス数のランキングの他にも「注目記事」というランキングもあって、どういうシステムで人気順を決めているのかは謎に包まれているのだけれど、そこでは常時そこそこ上位に入るんである。サイトの担当者が目を皿のようにして毎日615個のブログをチェックして、良いと思ったブログをピックアップしているんであろうか。ましてや全部のカテゴリーに至っては目を通すことは不可能であろう。そんなバカな。もしそうなら、筆者その担当に就職したいものだ。履歴書を送ろうかなってもんだ。
昔椎名誠の小説で「ひたすら本を読むことでお金がもらえる夢のような職業」の話があったが、タイトルは忘れた。それを本当に実現させたのが「本の雑誌」という書評雑誌。編集長椎名誠で、発行人目黒考二。今や書評家の第一人者でペンネームは北上次郎氏なんである。
但し当然ながら小説「月に雨降る」は少年野球とは全く関係ないのでランキングではさっぱりではあるけれど。因に近い将来には、小説は小説投稿専門サイトに最初の1話から載せてみようかと考えている。そういうサイトなら、ずずずずいっと、連続して読めるはず。一度がっつり推敲(すいこう)と校正をかけて贅肉を落とし、または文章を上乗せしつつ。小説「月に雨降る」はきっちりと推敲もせずに勢いで載せているきらいがあるんであった。特に「てにをは」はあちこち破綻しているんである。同じような文章表現も多々あるし。
話は横道だけれど、先日村上春樹の「職業としての小説家」という文庫本を読んだ。長編小説を書くのに半年かかり、そのあと気が遠くなるような推敲と校正を何十回も重ねて(バッサリ削除したり、ガッツリ書き加えたりして)約1,2年かけて一冊の本を上梓するのだそうだ。
(※2月24日には氏の新刊本が発刊予定。今からワクドキ嬉しくて仕方ないんである)

それはともかく、川崎の少年野球ブログが躍進していることは喜ばしいことだ。自分の「晴耕雨読」の順位もちょっぴりは気になるところではあるけれど、順位が落ちても別に構わない。ただ、あまりにも下落しちゃったらブログを書くモチベーションもなくなってしまうので、出来れば「お気に召したらポチクリを!→」と少年野球ブログリンクのアイコンをクリックしてもらえたら嬉しい。

最後にレッパ(宮前なので敬称略)と今井西町さんのリンクを張っておくので、もしよろしければ、ポチクリどーぞ、なんである。

「野川レッドパワーズ」
http://blog.livedoor.jp/redpowers_n/

「今井西町少年野球部」
http://westcitybb.blog136.fc2.com

勢い余ってこちらもどーぞ!連盟事務局の至宝、Nishimuraさんの丹青込めたHP。
「宮前区少年野球連盟」
http://www.miyamaejbl.com/index.html

勢い余ったついでにこちらもどーぞ!公的な情報満載である。
「川崎市少年野球連盟学童部」
https://kawasakijbl.wixsite.com/kjbl
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2017年1月31日火曜日

小説「月に雨降る」35

黒坂の長い話を聞き終えると龍一は言った。
「それで私の名前と会社の番号を知っていたんですね」
「そうです」
「でもなぜ、今頃になって」
「長年探偵事務所をやっていた新宿のビルが老朽化で取り壊しになりましてね、まとまった金も入る予定で。いい機会だから年も年だし思い切って廃業して、鎌倉へ引っ越すことにしたんです。古民家を借りてのんびりやろうかなと。ゆくゆくは一階を改装してカフェにしようかとも考えてます。それで先日事務所の資料を整理していると、キャビネットの奥から今回のファイルが見つかりまして。希伊さんのことを神島さんにお伝えしようか迷いました。あれから相当な年月が経ってますから、興味がなく電話口で断られると思ってたんですが、希伊さんのことを思うとささやかな情報ですがお役に立てればと思いまして」
黒坂は誠実な人柄なのだろう。一見取っつきにくい風体ではあったが、やはり人を外見で判断してはいけないのだった。
「役に立つどころかとても貴重なお話でした。希伊は当時金沢にいたんですね」
あのあとすぐに金沢へ発ったのだろうか。身寄りのない彼女はそのあと何をどうして生きてきたのだろうか。
「はい。ただし物的証拠はありません。管理所のおばさんの話と私の類推ですので。でも伊達にこの年までこの稼業をやっていたわけではありませんよ。おそらく九割方間違いないと思います。ただ、現在も金沢にいるかどうかは分かりません」
「ありがとうございます」
龍一は自分でも驚くほどに舌が滑らかに回り始めた。
「わたし実はお恥ずかしい話ですが...」
龍一は初対面の相手であるにもかかわらず、今までの希伊との関係性や消息を絶ってからの自分のこと、結婚し離婚し、二人の子の父親であること、にもかかわらず最近どうしても希伊のことが頭から離れなくなってしまったことなどを吐露した。希伊とのことは学生時代からの親友でバーの店主真壁にだけは話したのだったが、今の自分の抱えている思いを誰かに話すことによって、自分の心の立ち位置を確認したかったのかもしれない。
逆に今度は聞き手に回った黒坂はじっと龍一の話を黙って聞いた。
「そこまで一人の女性に思いを寄せることが出来る相手がいるなんて、実に素晴らしいことですね。希伊さんも可愛い子だった。もっとも私は女子高生の頃の彼女しか知りませんが」
柔和な笑みを浮かべた黒坂に龍一は訊いた。
「黒坂さんは独身なんですか」
生活臭さが全くない印象だったのである程度は予想していたことだったが。
「ええ」と言ってひと呼吸おいてから黒坂は言った。
「若い頃一度結婚しました。男の子もできました。子どもが小学3年生の時に少年野球の遠征試合の帰り、妻の運転する車が事故にあってね。妻に過失はなかったんですが。予定では私が車出しをするはずだったんですが、急な仕事で出かけてしまい、免許取りたての妻が車を運転することになって。知らせを聞いて病院に駆けつけた時は、冷たい霊安室で妻も子どもも白い布がかぶせてありました。自分を責めました。来る日も来る日も。周囲からはおまえのせいじゃない、自分を責めることはないとさんざん言われましたが、私は聞く耳を持ちませんでした。以来、もう結婚など絶対するものかと」
龍一は言葉を失った。
「幸せを手に入れたことを数値にすると仮に百としますね。でもその幸せを失った時は百の何倍もの悲しみが襲うことになるんです。幸せが大きければ大きいほどその不幸せの倍数は正比例して膨れあがっていく。二倍にも五倍にも十倍にも。百の幸せの陰では千の不幸が舌なめずりをしてこちらをうかがっているんです。薄くてもろい壁の裏でね。わかりますか」
「はい。わかるような気がします」
「でもね、神島さん。私のように悲しみを怖れて幸せを諦める必要はありません。私は弱い人間でした。人には誰でも幸せを求める権利があります。同時に人には誰でも幸せを求める努力をすべきだと思います。幸せの権利。それを自ら放棄することは、つまらない人生を選んだことになります」
心が熱くなった。つまらない人生。自分の人生に欠けていたものが何だったのかを改めて知らされた。結果を怖れず金沢へ行こうと決意した。ここ数週間のあいだ頭の片隅に思い描いていたことだったが、黒坂が背中を押してくれた。しかし金沢へ行くにはひとつ大きなハードルを越えなければいけないと龍一は思っている。自分に対してけじめをつけなければ行ってはいけないとまで考えていた。それは恭子とのことだった。

鎌倉で店をやる時は是非自分に声をかけて欲しい、お礼に何か出来ることがあれば個人的に協力したいと黒坂に伝え、二人は席を立った。

喫茶店を出るとすっかり暗くなった恵比寿の夜空に、ナイフで切り取ったような下弦の白い月が凛と浮かんでいた。遠い記憶の中の雨が降りそそぐ月が、龍一の胸の中で間近に迫ってきた。
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