2013年12月22日日曜日

時に言葉に出して言うべきこと

さて2013年有馬フレンズ6年生を送る会、いわゆる卒団式というその年を締めくくる重要なセレモニーである。思えば18年ほど前筆者の息子が入部した頃は、翌年の1月末ころに行われていた。会場は大きな団地の1階にある集会場の畳の部屋であった。翻って今は近隣のオンワード研究所の大バンケットルームである。隔世の感有り。光陰矢の如し。昔も懐かしいが今のこれもまた良し。

例年のように筆者も含め先遣隊が会場準備をし、入口の横には母たち手作りの色紙や贈呈品、筆者の力作記念の写真立てなどがずらりと並ぶ。

Otsubo監督、来賓の織田川崎市議会議員の挨拶、乾杯発声といつものようにレジュメが進む。Nishihara永年司会担当の「それではしばらくご歓談を」となった時が筆者の唯一の酒とメシにありつける時間帯である。15分もすればあとはほとんど席に座ることすらままならない。次のレジュメの打合や微調整、ブログ用写真撮影で忙殺されちゃうからだ。しかし考えてみれば筆者は送る会の委員でもなんでもないんである。ワタクシは名も無き通りすがりの一介のスコアラーに過ぎないのだから。いつの頃からかこんなんなっちゃったわけで、乗りかかった舟というやつか。

成績発表と来季背番号授与は子どもたちの楽しみのひとつだ。今年は徹夜までには至らなかったが、年間成績表をA3で4枚に印刷しA1サイズに貼り合わせ。これを元にマイク片手にステージで司会をする。若い頃は大勢の人前ではアガリ症で、かつ美人を前にすると寡黙になってしまったものだが、これも隔世の感ありで、歳を経るごとにアガることもとんと少なくなった。但し美人を見るといまだに緊張しちゃう筆者なんである。

いつだったかQueensの集まりで鷺沼ヤングホークスのKurosu監督から聞いた話。「俺が60になった時、チームから赤いちゃんちゃんこをもらったんだよ」とニッコニコの笑顔で話していた。この話を聞いた時に、これもKurosu氏の人徳の成せることだし、またヤングの父母たちはなんて素敵なセンスを持っているのだろうと思った。と同時に、転じて俺たちフレンズは70歳Yanagisawa代表、76歳Kanedaコーチにいったいどうしたと言うのだろう。感謝はココロでするものだけれど、時にはそれをきちんとコトバや見えるカタチで伝えることも必要だ。本人たちには内緒のサプライズで、是非今年の送る会では永年勤続表彰的な感謝のしるしを刻んでおきたい。そんな話を10月ころに一部の母たちに話をして提案し当然絶賛の快諾を得て、今年のレジュメに強引に組み込んだのだった。
椅子をふたつ用意し会場を暗転する。前日そんな作文をしそれを読み上げながら会は粛々と進行するのであった。作文の内容はこれだけで一個のブログが書けるほどの内容。文章は短いけれど心を込めて作った。記念品は母たちが選んで買って来たもの。
(※後日談。このブログを読んだQueens新母会会長のKitamatusu母から翌日メールがあった。ちゃんちゃんこは筆者の記憶違いで、真っ赤な特製ヤングホークスTシャツを贈ったのだそうだ。背番号は60。益々素敵な話である。Kitamatsuさんありがとう(^-^))

来季スタッフの発表である。昨年に続きInoueOBコーチから卒業生へのお祝いのプレゼント。特筆は父は卒業すると同時にチームとは縁遠くなってしまうものだが、Mamoruの父コーチSuekiさんは来季も29番をOBコーチとして留任してくれたことだ。昨年のInoueコーチに続き大いに貴重な人材である。(このブログを書いているのは12月21日土曜。この日は日中レクに参加したのち会社に出勤、睡魔と戦いながら深夜仕事をしているSuekiオヤジなんであった)
来季スコアラーの挨拶をしたあとは、筆者はカメラマンであるがゆえ当然このシーンには写ってない。仕方ないので若い頃の写真を中央に載せておこう(^-^)ピースサインでムヒヒ。先日のツーショット写真の正体はこれだ。最近東京ガスの変なCMにも出ている。

卒業生父母からの挨拶がどのチームの卒部式でもハイライトであろうと思う。過去にいくつもの父母の涙を見てきた。来年1月のQueensの卒団式も楽しみである。照明を落し中盤の佳境に入るわけで。
一人卒業生の中でBenは特別の生い立ちがある。詳しくは書けないけれど。それをみな分った上で大人たちは時に厳しく、時に愛情をもって接してきた。その保護者からの手紙をOhmori母が代読。フレンズコーチたちへと我が子Benへの短い文章の二通の手紙。ことにBenへの言葉にはファインダーを通して思わずジンとくるものがあった。

転じて後半は明るく来季の希望にあふれた(?)展開である。新主将10番、副将などの発表、OBの子たちの挨拶と続く。OB主将Takumiもすっかり中学生らしくなり、Shouyaも驚くほど背が伸びた。

背番号授与と一緒に成績表冊子も子らに配られる。熱心に見入る選手たち。数字の羅列では子らにとって面白くないだろうと思い、数年前から写真を多用するスタイルに変えた。昔に比べページ数は格段に増えた。おかげで筆者はこの時季安眠できないでいるけれど、自業自得といえば確かにそうだ。自分で自分の首を絞める、天に向かってつばを吐く...あれ、ちょっと違うか(^-^)
様々な理由がありネットでプリントパックに発注した。やはり格段の仕上がり。全16ページフルカラー厚手用紙36部で¥11,000。これを高いとするか安いとするか。筆者は後者に諸手をあげて軍配を挙げる。

主将副将の挨拶。今年入部したShouとKurumiも17番・18番の背番号をゲット。Shouは抜群の野球センスを持ったRuiのDNAを継承する弟だ。Kurumiは将来女子野球Queensに入りたいのだそうだ。QKoshimizu監督はじめスタッフみな泣いて喜ぶに違いない。少しはQ広報筆者の洗脳教育が実を結んだかもしれない。2年生ながらトミーオヤジ譲りの野球センスの評価は上々である。近い将来この子のQの赤いユニフォーム姿を見れると思うと今からわくわくしちゃうのであった。

恒例の集合写真撮影。土曜開催に起因してか若干(ワカセンではない)、参加人数が少ないのはいた仕方なし。今年もなんとか無事に乗り切った。

このあと有馬の老舗銘店「葵扇寿司」で肉厚の刺身に舌鼓を打ち2次会、更にラーメン屋で3次会になだれ込んだのは言うまでもない。
2013年、今年も暮れなずもうとしている。
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2013年12月19日木曜日

姑息な手段を弄する

一時期に比べればだいぶ仕事も先が見えてきたし、年末のフレンズ関連業務も収束を迎えつつある。とは言うものの、やらねばならぬ事柄はいまだ山積しちゃっているのだった。ことにブログネタもたくさんあるので、一個ずつ書いていこうという意欲はあるのだけれど、写真編集段階で疲れてしまい執筆意欲のほうはこと切れてしまうんである。年賀状などは毎年仕事バージョンと個人バージョンの2種類を作らねばならず、途方に暮れてしまう今日この頃である。

まずは鮮度の高いうちにと先日のフレンズ6年生を送る会の記事を書こうと思い立ち、写真編集まで手をつけたはいいが、やはり途中から意欲が減衰し断念してしまった。これは決して歳のせいではなく、頭の中の些事が整理がつかないままだとニンゲン集中力を欠いてしまうためである。

しかしながらここでいきなり筆を置くわけにもいかないので、送る会の写真を少し掲載してお茶を濁す姑息な手段に転じるのである。
最後の代表の言葉で来季の必勝祈願をしたシーン。土曜のためもあってか参加人数が少し淋しいのが気にはなったが、今年も無事終了。

解散あとのダラダラした時間帯にあちこちで写真を撮るのが恒例である。
フレンズ母四天王と自称する仲良し4人組のショット。こういうパワフルな母たちがどこのチームにも少なからずいるに違いない。指導陣や父コーチたちだけではチーム運営はやっていけない。母たちの支えあってこそのチームである。ただ、パワフル母ちゃんたちが強大な権力を持ち始めると、我々オヤジどもはタジタジとなってしまうこともしばしば。まるで家庭内の縮図を見ているように(^-^)

話はそれるけれど、筆者このブログに自身の写真を載せることを頑に拒んでいるわけではない。掲載されないのは自身の写真そのものが存在しないからにほかならないわけで。今年少年少女野球で数百枚、いや数千枚写真を撮ったけれど、自分が写っているものはたった2枚だけであった。成績表冊子用に撮ったコーチ集合写真の片隅と、送る会の全員集合写真の端っこに納まったものだけである。ん?あと等々力球場でQueensの集合写真の左端に写ったものもあったか。計3枚である。
いつも人の写真を勝手に載せちゃって、自分のものを載せないのはヒトとして平等とは言えないのではないか。男女雇用均等法に抵触するのではないか。なので今回は筆者の写真を載せてしまおうと思う。

二次会は有馬の老舗銘店「葵扇寿司」。フレンズ・QueensOBHarukaの祖父祖母が経営する店である。高校1年になってすっかり大人っぽくなったHarukaも店に寄っていた。
宴会場で興が乗りOhmori母がKasaharaQ代表にLINEで写真を送っちゃうからと、iPhoneで撮ったツーショット写真なんである。30代の頃は竹野内豊似と言われた筆者である。

ではいよいよ公開。

ほれっ(^-^)....まあ、これもそこそこ姑息な手段ではある。
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2013年12月17日火曜日

宮前QueensTV放映

業務連絡。宮前Queens敏腕マネージャーYamaguchiさんから。筆者は一ヶ月前Kasahara代表からのTV放映スケジュールのメールをもらった時点で、速攻iPhoneのカレンダーにアラーム付き予定を入れていたんであった。

川崎市少年野球秋季大会での等々力球場決勝戦、富士見台ウルフ、各区代表6年生連合、そして宮前Queens(宮前スマイリーズ)の試合が、ケーブルTV3社によって放映されるのである。以下、再度業務連絡。

12月16日から20日までの5日間、夜19:00から1時間宮前Queensの優勝の試合が放映。すでに先週6年連合などは観たし、今日はQの試合も観た。あのときの感動が蘇って楽しかったんである。明日から金曜までまだまだ観れちゃうのであるが、もの凄く残念なのはイッツコムなどのケーブルTVと契約してないと観れないのである。筆者は数年前に幸運にもネットプロバイダをイッツコムに変えたので、TVでイッツコムが観れちゃうのである。仕事上高速インターネットがないとストレスが溜まるので変えたのだった。

不幸にもTVで観れないQ関係者は、おそらく誰かに録画してもらいDVDに焼いてもらうのではないのかな。そんな方たちのために広報部長としてはデジカメでTV画面を撮影した画像をいくつかブログアップしちゃおうと思ったんである。デジカメでの動画撮影も考えたがきりがないので断念。以下15枚を厳選し4点にまとめた。




最後の映像に筆者も映っているとはオドロキだった。筆者がTVに出たのはこれで人生3回目である。
一回目は高校時代に、全国高校サッカー選手権大会での見事なボレーシュートを決めた時。パツンパツンのサッカーパンツから○○○がはみ出しそうになっていた。
二回目は42歳の時に、直木賞候補作家として電話を待つ銀座のバーでのマスコミ取材の時。もちろん落選してしまい、その後ホステス相手にクダ巻いたのは言うまでもない。
三回目が今回のイッツコムであった。

....というのは真っ赤な嘘なんである(^-^) 本当は....。
一回目はTBSの番組「クイズ100人に聞きました」で、親戚の応援で観客席で関口宏に振られた時。
二回目は神宮でのヤクルト広島戦を観に行って家に帰り、その晩のプロ野球ニュースを観ていたら、緒方のホームランをレフト外野席で素手で捕ろうとした筆者が、階段で勢い余って5,6段落下してコケたシーンだった。翌日右脚スネが真っ赤に腫れてしまったのは言うまでもない。
そして三回目が今回のイッツコムであった(^-^)/
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2013年12月15日日曜日

小さな燃え尽き症候群


終わった、やっと。燃え尽き症候群というにはいささか大仰だけれど。
2013年卒部式というか、お別れ会というか、卒団式というか、6年を送る会というか、納会というか、忘年会というか、2次会、3次会.....。
なにしろ一年の区切りがおわった。毎年結構つらいので、来年はもう少し簡単にしようと思いつつ様々な準備をするのであるが、逆に良いものを作ろう、創造しようと思うと苦労は増量の一途を辿るんであった。

それでも毎年の楽しみはこの子どもたちからの色紙である。
OBコーチ成り立ての頃は大抵の子の言葉は、
「Tコーチ、バッティングピッチャーをやってくれたり、ノックをやってくれたりしてありがとうございました...」
次第にスコアラーをやるようになってからは、
「Tコーチ、いつも試合でスコアブックをつけてくれてありがとうございました...」
となる。近年になってスコアのことに加え、ブログのことにも触れた文言が増えた。今年の6年生3人からの色紙には全て「ブログを見ることが楽しみでした」という言葉が並んでいた。嬉しいものである。
ただ、嬉しい半面困りものでもある。なぜか。このブログは少年少女野球中心のものではあるが、3,4割は野球以外の個人をめぐるバカでアホなことも書いているわけで。フレンズの子どもも見ているし、Queensの可憐な少女たちも見ているし、更にはQueensの上品な奥様方も見ておられるんであるからして、ゆめゆめ軽い下ネタジョークなどは書けなくなっちゃうんである。一方でオトコどもからは野球以外の話も面白いからそっち方面ももっと書けという、野郎どもの支持率も高いのである。
困ったものである。

母たち手作りの色紙も近年の主流になった。Akane母の刺繍が完成したのは送る会当日の朝5時だったそうだ。また今年は16ページにも及ぶスコアの成績表冊子を、費用対効果を考慮して、思い切ってTVCMでも流れている「ネットでいんさ〜つ」のプリントパックに頼んだ。今までは手作りコピーでやっていたけれどやはりプロの印刷は仕上がりが全然違う。もらった側の印象はいざ知らず、制作者としてはプチ感動ものであった。子どもらに配り皆熱心に読みふける姿を見てると、今までの苦労が早春の渓流の雪溶けのように、ココロのしこりがゆるんと溶けていく気がした。

さてこの送る会や、引出しにあるブログネタはなんとかこれから書いていこうか。
でもとりあえず今晩だけは様々な呪縛から解放されたので、今までのちいさなご褒美に、フランスブルゴーニュ産赤のフルボディー、ラ・ターシュと上質なブルーチーズを買い込み、極上の大人の恋愛映画をDVDで独り楽しむのだった。

.....というのは理想であって。
実際は練習の帰りにコンビニでコンチャイトロのチリワイン698円とチーズ鱈のパックを買い込み、先月TSUTAYAから送られてきてまだ封すら切っていない高村薫原作の映画「レディー・ジョーカー」中編を観る筆者なんである(^-^)/

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2013年12月13日金曜日

敗者の記憶

いつかは書かねばと思う話がある。このところの忙しさとちょっぴり重い内容で、思いのほかペンに手が伸びなかったんであった。
今日少し地獄から生還しつつあったものだから、この隙に書くに至ったわけである。コレを逃したら、じゃあいつ書けるというのか。書けるのはいつ?...「今でしょ!」
Queens6年生最後の試合である。

女子野球年間4大大会の最後、三多摩大会の準決勝。ここまで数々のドラマを演じながら、Qの姫たちは時に圧倒的に、時にギリギリの辛勝で3大会を制覇してきた。ブログには書ききれない裏話、エピソードもある。例えば...。主将Himariが無念の骨折で出場を断念した試合。その試合前のシートノックではKoshimizu監督がいつもの使い慣れた自前のノックバットを使わず、あえてHimariのバットで一球一球、魂を込めてノックをしたこと....などなど。

当時仕事をしながら気が気ではない筆者は、時間帯を見計らってKasahara代表にメールで結果を打診すると、ちょうど僅差の緊迫の場面だった。数十分後代表から1行、メールが来た。
「今年は終わりました」

試合後数日していろんな方へメールしたりいろんな方からメールがきた。試合直後にメールするのは何か、傷口にいらぬ塩をすり込むような罪悪感があったからに他ならない。
もらったメールの中にはYamamatoコーチからの写真があった。晩秋の暮れなずむ暗さの中で撮ったに違いないはずで、光量が足りずに薄黒い画像がどこかこの日の選手たちの心情を逆に見事に表現していたんであった。おそらくは試合後のミーティングでの場面であろうことは容易に想像ができた。うなだれる子どもたち。6年生の子らにはそれぞれの胸に去来する思いが渦巻いていたに違いない。

Qのある人からのメール文が素晴らしかった。彼女たち、特に6年生たちの心情を見事に表した内容....。引用しつつ要約す。負けたことの悔しさよりも、ああ、これで終わったんだ、もうこの仲間たちと野球をすることは出来ないんだ、という思いのほうがあとからこみ上げてきて。涙で言葉を失う6年生たち。それを見て掛ける言葉もなく佇む周囲の小さい子たち。

特に普段から明るくQueensを牽引してきた主将のHimariの心境はいかばかりか。
不慮の事故とはいえ大事な時期に試合に出場出来なかったチームへの責任感。試合に出て全力を出し尽くして負けるよりも、出れずに終わってしまった彼女の忸怩たる思いはいかばかりだろうか。何倍もの辛い気持ちを抱えていたのではないだろうか。号泣するHimariの心情をおもんぱかれば、何も成す術なく声を掛けられずにまた呆然と立ち尽くす大人たち。
YamamotoコーチからのこのHimariの一枚。晩秋の枯れ木を画角に収め、松葉杖で球場をあとにする彼女の姿を捉えた姿は、いかにも言葉よりも多くのことを物語っていたのだった。

それでも明日を向こう。
誤解を恐れずに言うならば、筆者が思うにこの結果は考え方次第でとても良かったことなのではないかと最後に思い至ったんである。
とんとん拍子に勝ちを決めて良い思いをするのももちろん素晴らしいこと。筆者も祝勝会でうまい酒を呑みたかった。でも長い目で見ると、人生思いどうりにならないこともあるのだと、小学生の小さな少女たちのハートで感じること、敗者の気持ちを経験することで人への思いやりの気持ちを持てたであろうこと....。敗者になってしか経験出来ない素晴らしい記憶というものがあるはずだ。
大人になってもこの日の記憶を心の糧とし大切にして欲しい。

++++++++++++++++++++++++++++++

話は違うんである。
仕事とフレンズ送る会の準備で連日深夜まで爆走。プリントパックに頼んだ成績表の印刷も無事届いたようだ。今日はホワイトボードに貼るA1サイズの表彰式成績表の印刷を制作。A3で印刷、4枚貼り合わせてA1サイズに。良い記録を残せなかった卒業生にとってしてみれば、こんな表彰式はやめたほうがいいのかと自問自答しつつ数年過ぎた。
それでも今年もやるのだ。これも明日へ向かっての「敗者の記憶」になって欲しいという思いを抱えて。
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2013年12月8日日曜日

社内広報です。

さてブログ書くことが満杯と言っておきながら、また少し別件のことを書いてしまうのだった。
Queensでは新チームが始動し、今回新たにミズノのミニバッグというものを新調するらしい。購入希望者を募るメールが回って来た。しかし、フレンズでも使っている「らくらく連絡網」では写真などの添付が出来ないので、新母の会のKitamatsu母がバッグの説明に四苦八苦しているようだ。
路傍(ろぼう)で女子供が泣いているのを見捨てておけぬのはニッポン男児の本懐。
筆者も広報部長として新体制での初仕事をしちゃおうじゃないのよ。同じ広報でも、今回は社内広報なんである。
Kitamatsu母にその旨メールして、早速ミズノにアクセス...。ふむふむ。
小さめのエナメルバッグだ。ショルダーにもウェストバッグにもなるベルトが装着され、前面の小物入れ部分は脱着可能らしい。
更に中央にVジャンと同じ「燦然と輝く栄光のQueens」ロゴが鎮座し、左下部分には金糸で筆記体のネームが入るという、豪華版である。

社内広報なのでQ関係者はご確認あれ。
ちなみに筆者、この冬はQのVジャンを大変重宝し、フレンズ行くのもこれで颯爽と行っちゃうのだ。すんげえ温かいし、なんと言っても「燦然と輝く栄光のQueens」ロゴがめちゃカッコイイからだ。フレンズの連中の羨望の眼差しが突き刺さり、痛いのなんのってありゃしないわけで(^-^)
これなんである。
※溜め込んでいるブログネタはまだ仕事とお別れ会の準備でいつになるかはわからない。除夜の鐘を聞きながら書いていたりして...m(_ _)m

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2013年12月6日金曜日

地獄からの弁明

ブログが更新できないでいる。
なぜか? 筆者は今日本にいないからだ。
ぬな、豪勢に海外旅行か? 違う。正確に言うと日本にいないというより、地上にいないんである。以前にも書いたようにこの時季仕事とチームのスコア集計冊子制作が渾然一体、曖昧模糊の地獄に落ち入り、底なしの泥濘に足を取られて、ついにまた地獄の3丁目あたりを徘徊しちゃっているんである。つまり地獄で今、もがきつつ地上からの微かな光に向かって咆哮しているのだった。

Queens6年最後の涙の試合のことや、フレンズ試合ブログ、先日の神木マーキュリーズのことなど、書きたいこと或いは書かねばならぬこと満載ながらも、胸中にしまうこと久しい。そのうち胸の抽斗(ひきだし)が錆びついて開かなくなることが怖いくらいだ。
先日Qの連絡網が回ってきた。来季のスタッフ構成決定のメール。畏れ多くも筆者は広報部長留任とのこと。東京新聞の著作権をめぐりあわや起訴されるかもしれぬ暴挙に出て、Queensの社会的信用失墜のおそれがあり、懲戒解雇も覚悟の上の決断だったのにもかかわらず、CEOのKasahara氏からの直々の一斉メールであった。28番Mochidaコーチは総合コーチにスライド、代わりに経験豊富なYoshida氏に白羽の矢が立ち28番に就任、それに母の会最高顧問は.....。おっと、いけない、内部人事機密をリークしたら「特定秘密保護法案」怒号の中の可決でニッポン当局にタイホされちゃうかもしれぬ。あな、恐ろしや。そしたらまた、Q代表のポケットマネーで1,000万円の保釈金を払ってもらわねばならぬ(^-^)

仕事は都内某所の保育所の設計をしている。普段子どもと接する身であるし、まさに今、筆者のマーゴが3歳であり、0歳児から3歳児までの乳幼児を預かる保育所であるがゆえ、細部にわたり余計に気を遣う設計をしてしまうんである。だから思考時間がかかってしまうわけで。全国的にもそうだが、ここ川崎では先日川崎市長に福田さんが当選し、公約のひとつが「待機児童の解消」。これから公的資金が民間に投入され益々保育所事業は発展する展望がある。
そんなこんなで、本日も仕事のあとフレンズスコア集計冊子デザインをやりーの、風呂入りーの、AM1:30からのブログ執筆となった次第。冊子印刷はフレンズ史上初の印刷会社に発注することとなった。全16ページ36部フルカラー印刷。ちまちまと手作業でやるも良いが、原価と手間ひまを考慮すると、安価なネットで注文したほうが良いとの結論。一週間地獄に落ちて今日やっと原稿完成。明日、ネットで発注の段取りなんである。連盟の20周年記念誌制作当時を彷彿とさせる気分である。

地獄の主、閻魔大王と夜な夜な酒を酌み交わすうちに、三途の川地獄の3丁目も悪くないなと思うことしばしば。酒を呑んで腹を割って話せばヤツも以外にもいい野郎なんである。
しかし、筆者にはやらねばならぬ使命があるのだった。だが、もう少し憎めないヤツとつき合ってやるかと思う今日この頃の筆者なんである。

今、AM2:50。
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