2010年4月14日水曜日

333と6666



仕事の見切りをつけたらフレンズ記念誌の見積とスケジュールをたててと、...
などと思っていたら仕事の電話。夕方から急遽麻布の現場と恵比寿で打合に出かけることに。東麻布から見上げて思わずパシャリ!東京タワーは夜景に限る。
昭和33年生まれの男が33歳の3月3日に333mの東京タワーに上ってみる...というアホなプランを本気で考えたことが昔、あった。
実現出来なかった。33歳のその日は鷺沼の病院で診察を受けていた記憶があるのみ。看護師のオバチャンと世間話をしていたような...。
そのあと恵比寿で21:00から打合。去年のブログでも何度か大好きな街として書いたけど(恵比寿にて)いつ来てもホッとするね。歩いている途中恵比寿ガーデンプレイス横のイルミネーションにレンズを向けてパシャリ!クリスマスでもないのに人はなんでこんなに夜景のイルミに魅力を感じるのだろう。


因に恵比寿ガーデンプレイスの38階にある鮨屋さんは小生のデザイン・設計。
あの時は本格的に飲食店舗の設計を覚えた頃で、苦労と喜びがないまぜになって感慨深いものがある。懐かしい。
先日このブログのアクセスが5555になったのを書いたことがある(5555ありがとう!
ムフフ、今日は6666のカウンターのデスクトップの絵を撮影に成功。
これからもよろしくお願いします(^^)

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2010年4月13日火曜日

母は強し.2

昨日の続き...
このブログでグズグズ言っても始まらないし、
フレンズ歴の長い年長者(?)である自分にも、皆をうまく啓蒙出来なかった責任はある...と思う。こんなことを言うとアンタ何様?と言われるかもしれないが、小生が動いていなければ、今頃はまだゼロの状態...う〜ん、やめよう!
清濁合わせ呑めるオトナになんなきゃだ。
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頭のどこかにモヤット感を抱えつつも、とりあえず実行委員が父母会に承認され、正式にキックオフになった。小生の大きな狙いのひとつはチーム全体に事の大きさを認知してもらうことと、委員メンバー人選の承認を得ることだ。チームに諮らず勝手にメンバーを組んで勝手に具体的に企画を進めたら、のちのち紛糾するに違いないしね。そう言う意味ではホッとして会を終了。
校門の外で一服し、ふと後ろを振り返るとそこには母たちの数人ずつの小山が出来ていて何やら喧(かまびす)しい。
早速、記念誌の広告資金集めの打合!
このスピード感、このチームワーク!
プチ感動しちゃった。ああだこーだ言うばかりで行動は他人任せの野郎どもとは大違い。(ウチにはいないけどね...?)
誰かオヤジコーチが「母のチームワークは抜群だけど、子どもの野球のチームワークがイマイチなんだよなあ」なんて言って爆笑。話がぽんぽん小気味よく進んでる様子。速攻TコーチもTeshimaDesignWorksで広告主に。28番Kコーチも自分の会社の野球チームから全ページブチ抜きの大スポンサーになる。
母たちのチームワークに脱帽。


お決まりの居酒屋その1でYYG2(ワイワイガヤガヤ)やったあと、帰宅。それから昨日のブログを書いた。
ん、そーだ今日父母会にこの為にわざわざ来てくれたOB母Yさんにお礼をしとこうと思い、携帯メールをぷちぷち打った。程なくYさんから返ってきた文面を引用。(本人から了承済み)
「...30周年記念は、フレンズ母メンバーが若い方々が多く、ポジティブでイイ感じですね(Vサイン絵文字)私もお手伝い出来ることがありましたら、いつでもご連絡下さ〜い(ニッコリ絵文字)...」
小生...アリガトウ!(m(_ _)mの顔文字)


更に今日月曜日...。
この広告に関して早くも「お願いの案内状」をExcelで作成し、校正を依頼してきた実行委員O母。携帯とPCメール数回のやりとりで応えた。
小生の大好きな石田依良の小説「池袋ウェストゲートパーク」のスピード感に若干似てる展開。
ほぼ毎日、日中の仕事を切り上げてから夜フレンズの仕事。スコアのまとめやらブログやら、なんやら...。
Wワーカホリック。ウカウカしてられないぜぃ。
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2010年4月12日月曜日

母は強し

西有馬小学校にもしっかり春はやって来ていた。
昨年のちょうど今頃、このブログを書き始めた時にエントリーしたのがコレ。
「西有馬小の春」
「春の来ない冬はない」「朝が来ない夜はない」なんて言われる世知辛い昨今に希望を持たすコトバは数多あるけれど、こうして毎年花壇の花を見て「春」を目の当たりにすると、ココロの底がほっくりするのは小生だけではあるまい。
そんな学校の校庭で今日は初めての発見。
生まれて初めてキツツキなる鳥を見た。子どもの頃ディズニーアニメが大好きだった頃、キツツキといえば...そうウッドペッカーみたいな赤青黄色のまるで信号機みたいなヤツ。


実際にはどうなんだろうとGoogleしてみた。いるいるいろんなヤツが。例えば...。


今日見かけたキツツキも「コゲラ」という名のキツツキの仲間らしい。これ。ウッドペッカーに比べたら若干地味だけどね。


写真ではうまく伝わらないけど、間違いなくコイツだ。超速でカツカツコツコツ木を突ついているのを見ていると、こっちの脳みそがズレてしまう気分になるカワイイやつ。


先日チームロゴのステッカーの話を書いた。今日は満を持してInoueコーチがNIKEのエナメルバッグに搭載して登場。更に制作者(ボク)立ち会いのもとに、愛車HONDAステップワゴンのリアのどこに貼るかでさんざん悩んだ挙げ句、ここに決定。ビシリと決まった。すんげえ〜嬉しい(^^)
こんなちっぽけなステッカー一枚でも、この「輪」が広がりチーム全体の「」になれば本望である。


そして....。
有馬フレンズ30周年記念事業について父母会を開催。
言いたいことの半分も言えなかったかもしれない。
伝えたかったことの1/4も伝わらなかったかもしれない。
言うだけなら誰にでも出来る。俺も向こう側に座って好きに意見を言えるのならこんな楽なことはなかっただろう。
誰かがやらねばという思いから委員会を起ち上げたけれど、正直ジレンマに陥り忸怩たる思いもした。
でもこんなことがありつつも、終了後大いに感動した場面もあった。
母たちのチームワークとパワーである。
7月までの無謀に近い短い時間の中でもこれなら行けるぞ...と。
この続きはまたいずれ(^^)
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2010年4月10日土曜日

若くてピッチピチの...adidas



本日の練習試合は対諏訪ウィングス。高津のチームであるがなんと監督は子どもの頃はこの有馬小学校の出身とのこと。こんなこともあるんですねえ。
試合は...エースKawaharaが三本間にはさまれキャッチャーにタッチアウトの際、本人のよけそこないで脚を怪我。交代の2番手ピッチャーはMuroi。調整なしの突然の登板となった。もっとも調整しても変わらないと思うが。スコアは情けなや...。先週もそうだったけど、今年は代わりの投手がいないのが難点。エースが打ち込まれた時、または連投だった時など不安材料はいっぱい。
打撃ではOtoのバッティングがちょっぴり光ってた。初回の打席にはセンター横へのツーベース。今回も1回表裏だけKaneda師匠にスコアをお願いし、小生はネット裏からカメラを向けていたのだけど、Otoのバットは当たった瞬間ピタリと止まっていた。球威に負けている証拠。しかし腕力とミート力でヒット。これに腰の回転が加わればもっと遠くへ飛ばせるのだが。BestPlayer賞というより印象に残った選手はOtoに決定。また、先週に続きOhtakeの2安打、Inoueのツーベースヒットなども飛び出した。春になってやっと目が覚めたのなら万歳だね。
写真はいつものベンチからのアングルではつまらないので、これからもいろいろな角度から挑戦したいが...その前にいいデジカメ欲しいなあ。一人ひとり連写してバッティングフォームを子どもらに見せてやりたいものだ。


さて小生は高校までサッカー小僧だった。当時スポーツ用品メーカーはMizunoなど聞いたこともなく、アシックスは鬼塚タイガーで、マンダムは丹頂チックだった。マンダムはちゃうか(^^)ナイキに至っては全く生まれてなかった。サッカー小僧の憧れは1にadidas、2にPumaの二大メーカー品。というわけで先日10年近く使い込んだショルダーバッグがとうとうブチ切れてお釈迦様。ボロボロになるまで使ったので本人もこの世に思い残すことはあるまい。待ってましたといわんばかりに憧れのadidasのエナメルバッグを購入。これ...長年連れ添った古女房と別れて、若いピッチピチのとびきりイイ女に乗り換えるようで良心の呵責がないではないが...。
早速フレンズステッカーをペタリ。ロゴのピンクと散った桜のそれとが微妙にいいバランス。
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王、長島よりも...

連日マスコミで木村拓哉コーチの詳細報道を目にするたび、涙腺の弱い僕はいちいちジュンワリきてしまって仕方がない。
自分のことだけで精一杯のはずなのに、周りの後輩を見て気遣える度量の深さ。
度量の深い人とは、何も大きく構えてデンと座っていることではなく、本当は木村氏のような人のことを指して言うのだと改めて認識した僕。
著名人が亡くなると「偉大な人を亡くした」または「惜しい人を亡くした」と言われることが多い。
さしずめ王、長島なら前者で木村氏なら後者だろう。
ニュースを見るにつけ、自分が死んだ時は氏のように「惜しい人を亡くした」と言われるような「ひと」になりたいと切に思う。


もっとも、「偉大な人」にはなれないし、なりたいとも思わないけれど。

2010年4月7日水曜日

哀悼

木村拓哉コーチが帰らぬひととなってしまいました。
古巣広島の、しかもカープの新球場で倒れ、広島の病院で亡くなられたのは単なる偶然ではなく、何かの縁を感じざるを得ません。
チームの枠を超え、多くの野球ファンに愛された選手だったと思います。
ご冥福をお祈りします......

2010年4月6日火曜日

男・37歳

木村拓哉=元広島カープ・現巨人守備走塁コーチ。
カープファンである小生にとっても、少年野球に携わる一コーチである筆者にとってもショッキングなニュースでした。1972年4月15日生まれ。一週間後には誕生日を控え、今年コーチに転身しこれから男盛りを迎えようとしている37歳。筆者も37の時に仕事の転機を経験してるゆえ、余計に心配で仕方がない。
なぜ昨日遅い時間に下のブログをアップしたばかりなのに、急遽今朝またこのブログを書いているかと言えば、かにさんのブログ「台風一過」でこれを目にしたから。
「祈」
木村拓哉氏に千羽鶴を折るような気持ちで制作したであろうバナーを、敢えて無断で拝借したい。文面では触れていないけど、きっとかにさんもそれを望んでいると思います。
一刻も早い快復を祈りつつ...。