2011年3月15日火曜日

出来たてのパン

筆者の配偶者の姉、つまり義姉はあの阪神淡路大震災を体験した。夫の赴任先の神戸での経験だった。
私も朝、TVで高速道路が湾曲し崩落した映像を観たときは義姉のことを瞬時に思い愕然とした。幸い義姉は死ぬ思いをしたけれど、堅牢なマンション住まいだったがために怪我もなく済んだそうだ。後日談だけど、あれ以来自分の人生観がガラリと変わってしまったそうだ。しかし、家の中はあらゆるモノが床に散乱し、酒瓶も全て割れたので復旧後もしばらくは部屋から酒の匂いが抜けずに閉口したそうな。
それからたしか1年後のことだったと思う。神戸の義姉から突然パンが送られて来た。朝、復興した街の一角で営むパン屋さんを通りかかった時、出来立てのパンを見て衝動的に買ったものらしい。...おかげさまでこんなに元気になったよ...ということを出来立てのパンに託して伝えたかったようだ。おそらくウチへ送るだけじゃなく、出来ることなら全国の人たちに送って伝えたかったに違いない。

その義姉は数年後、今度は盛岡に転居。数年前の南部地震も経験することになる。
更に今度の東日本大震災。日曜になって、現地に設置された災害用特別公衆電話から連絡があった。「とりあえず元気」だと。携帯が壊れたのかどうか、電話番号を暗記していたのが唯一ウチだったらしい。我々は携帯の短縮番号に慣れてしまって、いざという時、電話しようにもどこにも連絡できない状況というのも想定しなきゃと思った次第。
みなさんはご自分の携帯をなくしたとき、自宅電話が不通のとき、奥さんや子どもの携帯番号を言えますか?
(※私の場合は....全くわかりません)

日はまた昇る。
夜明けのない夜はない。
春がやってこない冬はない.....。
被災地の方々、どうかがんばってください。

日はまた昇る


がんばれ東北。
自分にできるちっぽけなこと。
イギリスの新聞が日本の大地震に対して、「がんばれ日本。がんばれ東北」という日本語入りの日の丸マークを作って掲載しているのを、昨日TVで観た。
ちょっぴりあやかって私も作ってみた。
今のAC公共広告機構のCMでは
「心は誰にも見えないけれど、心遣いは見える」
「思いは見えないけれど、思いやりは誰にでも見える」
という秀逸なコピーライトが流れている。祈るだけでも十分だけど、何か見えるカタチにしたかった。
力を合わせて頑張ろう...の力ってなんだろう?
肉体的な意味での力よりも、つまるところ人の心のチカラなのではないだろうか。

2011年3月13日日曜日

心のチカラ

車が泳ぐ。家が走る。船が登る。街が消える。
あり得ない言葉の表現が、次々と目にする映像とともに現実のものとなる。
山形、岩手、宮城には親類縁者、友人知人がいる。近しい親類とは今晩になってやっと安否が確認できた。少し安心したものの、被災地の映像をみると未だ心は晴れない。

昨晩は会社で泊まりを覚悟したけれど、東京メトロ半蔵門線と東急田園都市線がふたつとも偶然いち早く運行再開したので、幸運にも夜遅く電車で帰れた。車中は満員地獄だったけれど。駅からのバスは無料運行していて、深夜1:00に帰還。
今日になって終日TVで被災映像を見るにつけ、いかに関東の自分たちはちっぽけな被害で済んだのかを思い知ることになる。
写真は地震直後に外へ出た時に携帯で撮ったもの。車が停まり、人が道路にわらわら出ていた。この数時間後には車が数珠つなぎになり、舗道には徒歩で帰宅の人が溢れることになる。

どうか一人でも多くの命が助かりますように。
日本の国力と、人の心のチカラが試される時。

2011年3月11日金曜日

逃げろ!

「おっ地震だ」.....
関東の人には慣れたものである。

「ちょっと長いんじゃねえ?」
関東の人でもあまり慣れてない長さと強さ。

「これはヤバイよ!逃げよう!」
関東の人でなくともあわててビルの外へ。

道路には人があふれていた。
身の危険を感じたこんな地震は初めてだ。
今は会社でこのブログを書いている。
東京から神奈川川崎の自宅まで歩くことも考えたけれど、結局会社に釘付け。
地下鉄が一部運行開始の情報。
赤坂まで歩いて銀座線に乗り渋谷までなら行けそうだ。駒澤大学の息子のマンションまで歩き、
泊めてもらう手もあるが、息子と電話が通じない。


家族関係に100回ほど電話コールして、やっと繋がり安否の確認はできたからまあ良しとするか。
息子からはメールが来ただけで電話がダメだが。
もう少し待ってみるか。
最悪は会社に泊まりか...。

偶然の出逢い

筆者はインテリアデザインが本業。店舗の設計である。
チーム内ではコーチ兼スコアラー兼...何かとチームロゴや募集ポスターや冊子類のデザインをやっているけど。それがためにグラフィックデザイナーと思ってる人もいるようだ。連盟記念誌でもどっぷりグラフィックデザインをやってるし。

ここ数日、本業の店舗設計業で、東京大田区蒲田に小さな居酒屋の設計で現場に赴くことしきり。今日も消防検査の立ち会いで蒲田の現場へ。港や船をモチーフにした意図的に安っぽいデザインにした海鮮居酒屋である。
明日オープンを控え、最後のチェックで店舗の外で現場をにらみながら電話をかける。携帯のフリップを閉じて、フト向こうから歩いてくるサラリーマンの二人連れに目がいった。
筆者視力が悪い。そのくせ眼鏡もコンタクトもしない。どっかで見たことあるオヤジだなあと、目を細め焦点を合わせてみる。
なんとウチのチームの29番コーチOtsuboさんだった。声をかけた。
彼は最初何の事かわからないような怪訝な表情だったけど、すぐに笑顔になり立ち話。とある超一流企業(F)に勤務する彼の会社が蒲田にあったのだ。

そのあと現場監督など数人と昼メシ。
この現場を仕切った監督と話をしたら、彼も若い頃数年間蒲田のその一流企業(F)に勤めていたのだそうな。
いやはや街角の偶然の出逢いは、小生たくさんあるけど、今日は面白い一日だった。もっと面白い偶然の出逢いの話もあるけど、いつかまた書いてみよう。
たぶんみなさんもこんな偶然の一つや二つ、いや三つ四つあることでしょうね。