2011年3月22日火曜日

今、自分に出来ること

久々に野球に行けると思ったら朝からの雨が路面をたたく音、早々に中止の連絡網メールが携帯を鳴らす。それではと記念誌の仕事に取りかかるために、Macを起動...。
起動画面を見ていると突然また「天から降って」きた。
昨日のブログの一文。連盟に対しての提案、要望、希望、切望、渇望...。
今、自分に出来る事があったではないか!
早速携帯のフリップを開けて黙々とキーを打つ。主なターゲットはこのブログでも最多出演男優賞の記念誌のNishimura編集長だ。こういう時の文章はつるつると打てるもの。このブログの昨日の記事URLをコピペして送信。メールは全14名ほどに一斉送信される。
ここからが電光石火だった。私やNiさん、Kaさん始め終日メールが20通近くやりとりされ、結果、良い意味で強制的に連盟会長の腰を持ち上げることに成功、これを受けKasahara社長の大ナタを振るう英断のもと、「東北大震災特別募金」活動が決定し、宮前全20チームに公式の連絡網が流れるまでに至った。感謝!

被災地は今は野球どころではない。生きるための温かい食べ物と毛布が必要だ。
それを買うためと輸送するためのお金が必要だ。今は。
時間が経ち、東北の地のグランドにも希望の陽が射しはじめたころ、野球少年少女に大好きな野球をもう一度始められるようにグローブを届けたい。

昨日のブログにも書いた80歳と16歳。
ニュースなどでもうご存知ですね。16歳の子は中学時代野球部だったそうだ。
彼が警察に言った最初の言葉が、「祖母を助けて欲しい」...。
祖母がTVカメラに言った言葉が「孫はどうなりましたか?」...。
そのニュース映像を見ていた私は、TV画面が上から温かい液体で滲んできて直視出来なかった。
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2011年3月20日日曜日

おばあちゃんと男子高校生

今日は本当に暖かい一日だった。昨日今日と自宅で仕事。朝から窓を開けてパソコンに向かえるほど暖かかった。教育委員会からの通達で小学校の施設開放は一時禁止となったけれど、先日グランド使用は再開されたので野球練習も可能に。私は仕事で土日はつぶれたから同じであるが、子どもにとっては何より嬉しいことだろう。ただ、まだ体育館は使用不可らしい。屋内であることの危険性と、電気を消耗する観点からだろうね、たぶん。

27日に行う予定だった宮前区少年野球連盟の20周年記念イベントも、世情を考慮し無期延期となった。今後は状況を見ながら開催時期を決定するらしい。我々記念誌プロジェクトも各チームから生え抜きの優秀な(?)カメラマンを十数名投入し、当日の模様をフィルムに収め...じゃなかった、デジカメだからこういう場合なんと言うのだろう?「当日の模様を記録媒体に収める」じゃあ味もソッケもないし。昨日の呑み残しのコップ酒をなめてみたら水のようだったのと同じ。その予定も自粛ムードで当分延期となったわけだ。もし近い将来開催されるならば、いつもの10円募金とは別に、東北大震災の特別募金を実施してほしい。宮前のみならず横の連携をとって他区も巻込み、川崎少年野球全体でウェーブを起こしてほしいものだ。更に一年後、街が復興し野球が出来るようになったらもう一度実施して今度は集まった募金を義援金ではなく、東北の少年少女たちにグローブやバットを届けられたらいいな。メーカーやスポーツショップとも協賛してもいいし。
Ka社長、Ni編集長、連盟への働きかけいかがですか?
そのKaさんは、仕事で被災地へこれから現地入り。不眠不休でそれどころではない状況だけれど...。

自粛の空気。
TVも震災時にはCMなしで通し、少し経ってからCMの代わりにAC公共広告機構の例の映像が流される。さすがに最近は食傷気味だ。みのもんたは一週間のうち最も長時間TVに出たタレントとして世界のギネスブックに載ったらしいけど、今回のACの映像に出て来る、電車で妊婦に席を譲れなかった男の子が、おばあちゃんに階段で手を差しのべる...みなさんお馴染みのあの男子高校生の彼が、この一週間で最もTVで観た人になるのでは。次点でこれに枝野さんも追随するか。
あの一連のCMはもういい加減にしてくれという苦情もあると聞く。私ならそれならいっそ、過去のACの優れたCMを一挙に流してくれたら全部観たいと思ったけれどね。

偶然にも上記の公共広告機構のCMのことを思っていたら、夕方驚きと嬉しいニュースが飛び込んできた。石巻で80歳のおばあちゃんと16歳の孫が奇跡的に救助された。私のようにあのCMとダブらせて思った人はあまりいないと思うけど、でも少しはいると思う。
暗く不安な状況には変わりないけれど、その中で胸の底辺のあたりにホッと、温かいものが降りて来たような知らせであった。
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2011年3月19日土曜日

唖然呆然憤然悄然...

今日面白くない話を聞いた。うちの配偶者が聞いた話。品不足の嵐吹き荒れる首都圏だけれど、ここ川崎宮前区も例外ではない。クルマで10分も走れば横浜のコーナンがある。家内の知り合いがそこへ行って、カセットコンロのボンベをなんと60本買ったという。しかもそれを鬼の首を取ったように自慢げに話したらしい。
唖然を通りこして呆然、そのあと憤然とし、最後は悄然としてしまった。
こんな状況下多少の蓄えは理解できるが、必要以上にモノを買い占めることによって、その反動で困る人々が存在することに気がつかないのであろうか。向こう1年間、真夏でも毎日アツアツの鍋を囲んで、熱燗でも飲んでろって話です。
そのオバサン、お願いだから60本のうちの50本、いや30本でもいいから被災地へ救援物資として送って下さい。

仕事帰りの駅へ向かう地下道。寒風吹きすさぶ東京の地上から地下へ降りるとホッとする。暖かいからだ。ところが節電にて照明は通常の明るさの半分ほどであろうか。人もまばらなことも手伝い、心なしか体感温度は地上と変わらぬ寒さを感じる。
でもでも、被災地でいまだ行方不明者になってる方は、暗黒の底で冷たい瓦礫の下、未だに無念の思いを胸に静かに眠っているに違いない。それを思えば寒い東京の地下道はとたんに温暖な南の楽園に思えてくる。

ちょっと一息の画像を掲載。
先日神保町の交差点で信号待ちの折り、ふと下を見ていて発見した。
モルタルで固めた地面の一角。(クリックすると大きく見れます)おそらくはモルタルがまだ乾ききらぬうちに、散歩途中の犬君がスタコラサッサと踏んづけてしまったのでしょうね。犬君のその後モルタルが肉球に付着したであろう困難に思いを馳せれば可哀想なのだけど、思わず笑える一コマです。
こんな時だからこそちょっぴりだけ癒されてもらったら本望です。

2011年3月18日金曜日

男どもは垣根を越えて

長文です。
宮前区少年野球連盟20周年記念誌プロジェクトチーム。
これにまつわる話は何度かこのブログで書いた。Ka社長とNi編集局長以下、4チームからなるオヤジ連合軍団である。それぞれの仕事をこなしつつ今日まできた。連絡網は双方向通信のメーリングリスト。先日もNiさんとのやりとりをここで紹介。
震災から数日。記念誌自体の連絡内容をはるかに凌駕したのは、もちろん震災の話。
チームの垣根を越えて、オヤジたちの思いはひとつであった。
メールを見ていて是非これをここで引用、紹介したいという欲求にかられる。
※引用・一部削除・加筆及び文責は私。ほとんど原文のままです。


●記念誌の皆様…地震は大丈夫でしたか?親戚や親類知人に不幸のないことをお祈りしてます。さて私のことなんですが…ご存じのように仕事柄しばらくの間野球どころではなくなってしまいました。会社はパニック、頭も体も精神的にもパニックの状態です。(....中略)いろいろとご迷惑をお掛けいたしますが宜しくお願い申し上げますm(__)m...Ka

●私も、バタバタです。(...中略)みなさんおむすびやらお弁当やら、お菓子やら、すごい勢いで購入していきます。そんなに買わなくてもいいのではないかと、正直思ってしまいます。被災者の方々は、ちょっぴり供給される食事を、分け合っているのでしょうから...でも、頑張りましょう。何とか、乗り切りましょう。...Hi

●日々のマスコミ報道を見るにつけ、Hさんも実感されてる通り「ほんとにこんなこんなことやってていいの・・」と思いながら過ごしています。(...中略)私の会社では、昇給・賞与にも影響を与えそうですが、そんなことを心配している者は誰もおらず、皆が「今、メディアに対して、突き詰めれば被災者の皆様に対して出来ること」に微力ながら邁進しています。Tさんのブログ「心のチカラ」を皆で実践していきましょう。...Ni

●Sです。(...中略)追跡調査、了解致しました。明日からサザエさんの三河屋さんばりの自転車配達を考えなくては....。...Sa

●Naです。(...中略)そんなに買ってどうするのかと正直思ってしまいますね。皆、本当に必要なものは何なのか考えた方が良いでしょうね。...Na

●FのTです。今朝、T交差点のガソリンスタンドは朝の6:00から56台も並んでいました。思わず数えて嫌気が差して並ぶのを断念。(...中略)最悪、ガス欠の場合はFのM酒店でアルコール純度の高い酒を入れて車を走らせます。...Ta

●今日は久々に家に帰ってきました(=_=;)
私はあと何日か経ったら…被災地にライフラインが整ったら向こうへ行かなくてはなりません(>_<)
社員も二人亡くなり家族も亡くなっている状況です。
東北支社や東北の各営業所は応援を求めてるのに未だ駆けつけられないこの虚しさ...Ka

●Neです。(...中略)皆さんお元気ですか?
この数日は、夢であってほしいと思うことの連続ですね。今、東電は色々と叩かれています。でも、当たり前ですが彼らも必至だと思います。(中略)東電の下請け、孫請けの兵隊たちが命がけで戦っているわけですが....。とにかく、そういった兵隊たちがこれからの日本の運命を背負っているかと思うと、とにかく応援したいです。(...中略)
そして、被災者の方々に少しでも早く平和で幸せな日々が戻ることを願っています。 頑張れニッポン!...Ne

●Kaさん...と書きだしたら、地震となりました。(...中略)昼間も書きましたが、野球は二の次で今を大事にしてください。
私が言うのも僭越ですが、何とかなるメンバーに恵まれてるじゃないですか!大丈夫です!!...Ni

●MのHです。(...中略)この記念誌担当プロジェクトの人で、食品購入で困ったら(夫婦共働きなどで)ご一報下さい。...Hi

●Tです。うちのカメラマンメンバーの一人は東電社員です。不眠不休で頑張ってるようです。元気づけようと、先日のNeさんのメールを無断で転送してやりましたm(__)m私も同じ思いを持っていたので。
翌朝彼から返信あり、とても元気づけられた!とありました。ありがとうございました。あの日のみんなのメールを近いうちブログに引用したいと思います。...Te

●皆々様、お疲れ様です。MのIです。(...中略)昨日、仕入のために、富士宮まで行ってきました。富士宮も震度6前後の地震がありました。(...中略)自衛隊車輌の隊列、福岡ナンバーの消防の隊列に遭遇しました。頭が下がる限りでした。オールジャパン体制、私は凄いなと思いました。そして感謝ならびに応援するのみです。...I

こんな感じです。
計画停電や節電で供給されなかった電力は、カタチを変えて被災地の方たちにそっくり配給されていると思うことにしましょう。
10個の電池を買ったつもりになって5個に抑えておきましょう。買わなかった残りの5個は、カタチを変えて被災地の方たちにそっくり配給されていると思うことにしましょう。

愛する人の命を失った被災地の人々の気持ちを思えば、停電や品不足や電車遅延ごときで目くじら立てて右往左往している人たちは、自らを嘲笑・自省すべきだと思います。
と、私は思うのですが...。

2011年3月15日火曜日

出来たてのパン

筆者の配偶者の姉、つまり義姉はあの阪神淡路大震災を体験した。夫の赴任先の神戸での経験だった。
私も朝、TVで高速道路が湾曲し崩落した映像を観たときは義姉のことを瞬時に思い愕然とした。幸い義姉は死ぬ思いをしたけれど、堅牢なマンション住まいだったがために怪我もなく済んだそうだ。後日談だけど、あれ以来自分の人生観がガラリと変わってしまったそうだ。しかし、家の中はあらゆるモノが床に散乱し、酒瓶も全て割れたので復旧後もしばらくは部屋から酒の匂いが抜けずに閉口したそうな。
それからたしか1年後のことだったと思う。神戸の義姉から突然パンが送られて来た。朝、復興した街の一角で営むパン屋さんを通りかかった時、出来立てのパンを見て衝動的に買ったものらしい。...おかげさまでこんなに元気になったよ...ということを出来立てのパンに託して伝えたかったようだ。おそらくウチへ送るだけじゃなく、出来ることなら全国の人たちに送って伝えたかったに違いない。

その義姉は数年後、今度は盛岡に転居。数年前の南部地震も経験することになる。
更に今度の東日本大震災。日曜になって、現地に設置された災害用特別公衆電話から連絡があった。「とりあえず元気」だと。携帯が壊れたのかどうか、電話番号を暗記していたのが唯一ウチだったらしい。我々は携帯の短縮番号に慣れてしまって、いざという時、電話しようにもどこにも連絡できない状況というのも想定しなきゃと思った次第。
みなさんはご自分の携帯をなくしたとき、自宅電話が不通のとき、奥さんや子どもの携帯番号を言えますか?
(※私の場合は....全くわかりません)

日はまた昇る。
夜明けのない夜はない。
春がやってこない冬はない.....。
被災地の方々、どうかがんばってください。

日はまた昇る


がんばれ東北。
自分にできるちっぽけなこと。
イギリスの新聞が日本の大地震に対して、「がんばれ日本。がんばれ東北」という日本語入りの日の丸マークを作って掲載しているのを、昨日TVで観た。
ちょっぴりあやかって私も作ってみた。
今のAC公共広告機構のCMでは
「心は誰にも見えないけれど、心遣いは見える」
「思いは見えないけれど、思いやりは誰にでも見える」
という秀逸なコピーライトが流れている。祈るだけでも十分だけど、何か見えるカタチにしたかった。
力を合わせて頑張ろう...の力ってなんだろう?
肉体的な意味での力よりも、つまるところ人の心のチカラなのではないだろうか。

2011年3月13日日曜日

心のチカラ

車が泳ぐ。家が走る。船が登る。街が消える。
あり得ない言葉の表現が、次々と目にする映像とともに現実のものとなる。
山形、岩手、宮城には親類縁者、友人知人がいる。近しい親類とは今晩になってやっと安否が確認できた。少し安心したものの、被災地の映像をみると未だ心は晴れない。

昨晩は会社で泊まりを覚悟したけれど、東京メトロ半蔵門線と東急田園都市線がふたつとも偶然いち早く運行再開したので、幸運にも夜遅く電車で帰れた。車中は満員地獄だったけれど。駅からのバスは無料運行していて、深夜1:00に帰還。
今日になって終日TVで被災映像を見るにつけ、いかに関東の自分たちはちっぽけな被害で済んだのかを思い知ることになる。
写真は地震直後に外へ出た時に携帯で撮ったもの。車が停まり、人が道路にわらわら出ていた。この数時間後には車が数珠つなぎになり、舗道には徒歩で帰宅の人が溢れることになる。

どうか一人でも多くの命が助かりますように。
日本の国力と、人の心のチカラが試される時。