2011年12月14日水曜日

20th記念誌Vol.2表紙

昨年の我がチーム30周年記念誌デザインの時の表紙は、ほぼ全ページ出来上がりに近づき、ほとんど最後の段階での制作であった。けれどこの連盟20th記念誌ではかなり早い段階でのデザインを迫られた。鬼編・Nishimura編集長の命(めい)である。逆らうわけにはいかぬ。

私の場合、グラフィックデザインや本業の店舗デザインにも共通して言えるのは、すぐにアイディアが浮かんでサックサクに行けちゃう場合と、いつまでも「降臨」がなく時間ばかりが過ぎていく場合と2分される。この一番重要な表紙デザインは後者のほうであった。そーゆー時はとにかく頭に浮かんだインスピレーションをラフでがしがし描いていく。片っ端から、がしがし...がしがし....。
.....が、しかし。
描いても描いてもダメな時は、酒呑んで寝る。
昨晩は良いと思ったものでも、翌朝ラフスケッチを見てみたらガッカリするものもある。そーゆーのはダメだ。翌朝見ても「やっぱいいじゃん」と思えるものだけを残していくんである。

次の写真はそのラフスケッチ集。
1は大好きな映画「愛と青春の旅立ち」のラストシーンからインスパイアードされたアイディア。(これはのちに裏表紙となる)
4は随分前にこのブログでも紹介したけれど、娘の少年野球時代の5年生の時の写真からのアイディアエスキース。
良かったらクリック→「娘女妻母」
5は描きながら「こいつはダメだな」と思いながら描いたもの。しかし、この絵から次の発想につながることになる。
7の絵がそうだ。
描いてる途中から頭の隅に電気が走る。ストーリーがむくむく勝手に湧き上がる。0.9のシャーペンを持つ手が勝手に走り出す瞬間を感じる。

7を描き終わる前にすでに「これで決まった」との確信を得る。
宮前区少年野球のメッカは第一公園野球場。そのピッチャーマウンドは皆の憧れでもあるわけで。球場の中心でもあり、宮前連盟を象徴する意味もある。更にマウンドは盛り上がっていることから、山の頂上=頂点=本丸=勝利なんて発想にもつながってきた。その頂点を目指して全20チームが攻め上がる絵が浮かぶ。周りに各チームのヘルメットを配置する。当然「円」を形成することになった。この円もチームワークの「輪」=「和」とした。お互いライバルでありながらも、野球を通じて人と人との和を大切にして欲しいとの願いを込める。
「おいおい、それって後づけの理屈じゃねえの?」
とお思いの貴兄、時にそーゆーこともたましばあるけれど、この時は本当に手の動きと頭のストーリーが同時進行していたんである。ラフをスキャンしてMacで色をザックリ彩色。
これらを記念誌メンバーの何度目かの会議にプレゼン。プレゼンには手法と順番と言葉の「キレ」がモノを言う。このアイディアを採用させるために、流れをコントロールするわけだ。思惑どおりにメンバーから賛同を得られた。

このスケッチを元に全チームが集合する大会日程を睨み、後日写真撮影の段取り。Kasahara社長、Nishimura編集長立ち会いのもと。
N編集長、プロ級カメラマンの花の台フラワーズNemoto師匠を中心に、大勢の記念誌メンバーによって撮影する。私は参加出来なかった(Vol?裏表紙編でも書く予定)
その写真がこれ。改めて写真は光と陰がいかに重要かと思い知らされる。
さすがは師匠のレンズと腕の差を思い知らされた。
この段階ではヘルメのリトグリさんのロゴが古いのと、2チームのロゴが貼ってなかった。

この写真を中心に表紙デザインを更に進める。
でも、でも、でも......なんか足りない....。
悪く言えば、マウンドの周りにヘルメを置いてみました的、安易な発想に見えちゃわないだろうか....。
悶々とした夜を過ごす。悶々とした夜は酒を呑んで寝るのだ。
酒を呑むと違う意味で悶々としちゃうこともあるから油断禁物なのだが(^^)

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う〜む、0:00から過去のフォルダをひっくり返し写真加工を始めて軽〜く1時間くらいでブログアップとの算段はもはやご破算、時計をチラ見すればもう泣く子も眠る午前2:30。
この続編は次回ということでご勘弁なんである。
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2011年12月13日火曜日

連盟設立20周年記念誌Vol.1

連盟20th記念誌がとうとう出来ちゃったんである。

今日じっくり鑑賞した。
全80ページ....1ページずつ......ゆっくり.....酒を呑みながら....1時間かけて。

これからこのブログでJPGなどで紹介しながら、編集・制作にまつわる話を書いていこうと思う。
不定期的に、不連続的に......。

それにしても、

連盟20th記念誌がとうとう出来ちゃったんである。

3杯目のグラスを空にし、裏表紙を閉じた時、
天高く舞い上がった21チームの帽子の写真が、
ゆらゆらと涙腺のゆるんだ目には渾然一体となって、ひとつの塊に見えていた。
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2011年12月11日日曜日

記録が記憶を呼び覚ます

昨日のブログで偶然、若いころ天文ファンだったことを書いた。
20代前半の頃がピーク。結婚し恵比寿から2軒目に引っ越した、当時住んでいた桜新町の借家から深夜タクシーに乗り駒沢公園へ。毛布にくるんだバズーカ砲のような天体望遠鏡を運転席まで伸ばして積み込んだものだ。

約25年前のハレー彗星の時なんである。
周りに光のない環境でないと観れないので、暗闇を手に入れられる駒沢公園まで行ったのだった。一晩中天体望遠鏡にセットしたカメラをハレーに合わせて追尾調整しながら、夢中で一眼レフ(もちろん当時は銀版フィルムKodakASA1600)のシャッターを切った。
その時の一番の想い出は...。

配偶者が作ってくれた熱いコーヒーと尻のポケットに入れたIWハーパー。
夜中はハーパーをストレートでちびちび舐めて天空をあおぎ過ごした。
途中近所の男子高校生3人組がハレー見物に来たのだった。真っ暗闇の中、懐中電灯の光を頼りにわらわら彼らがやって来た。
「あの〜すいません...ハレー彗星観てるんですか?」
「そうだよ。コレ、観てみるかい?」
順番に望遠鏡を覗く。次々と歓声が上がった...とまではいかなかった。
天候条件が悪くハレーなのかどうかすら怪しく、微かにしか視認出来なかったからだ。
それでもかなり感動したらしく(筆者が一番感動したのだが)、テンションが上がっていた。
「熱いコーヒーあるけど、良かったら飲む?」
「いただきます!」
3人に分けてあげた。そのうちのひとりの子が言った。
「うわ〜、コーヒーのブラックって初めて飲んだけど、こんなにうまいもんだとは知らなかったです!」
高校生たちは筆者に何度も感謝の言葉を口にし、ちゅんちゅん雀の鳴き始めた朝に自宅へ帰っていった。

さてそんな記憶を再生しながらの、今日の皆既月食だった。
デジイチ(デジタル一眼レフカメラ)なら最高の写真が撮れただろうこの日。
コンデジ(コンパクトデジタルカメラ)しかない筆者にはこれが精一杯の釣果。
皆既中と皆既後半の写真。71枚を撮ってもせいぜいベストの数枚はこんなものだった。
デジタルに記録された写真もいいけれど、アナログに記憶されたあの時の高校生とのふれあいの想い出が、今晩は頭の記憶領域を占めていた。

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2011年12月9日金曜日

「幽体離脱」写真撮影成功?!

筆者は「霊」という存在を信じないほうだ。でもあっても邪魔にはならないし、信じる人のことは決して否定はしない。昔の会社の女の子の部下にメチャメチャ「霊が見える」という子がいた。渋谷のスクランブルを横断すると、行き交う人の肩口にソレが見えるらしい。彼女が嘘を言ってるとは全然思わない。単に彼女には「見えて」筆者には残念ながら「見えない」だけのことなんである。「見えない・感じない」ことに私はとても満足している。なぜならひとたび自分にも「見えて」しまったら、おそらくは気が狂ってしまうだろうからだ。あな恐ろしや、なんである。
ただし筆者、宇宙人の存在は絶対信じるヒトである。客寄せパンダ的UFOのTV特番「衝撃映像」には笑うしかないのであるけれども、純粋に宇宙人(彼らから見れば我々地球人が宇宙人であるけれど)は、いるはず...いや、存在しなきゃいけないのだ。なぜならもし彼らの存在を否定するならば、宇宙に我々地球人が存在していることの説明に困ってしまうからだ。宇宙人を否定することは、とりもなおさず、人間の存在を否定することに他ならない。空想科学的願望&実戦的科学理論からそう信じるのである。これは天文学大好きだった田舎の中学生の頃からの持論なんである。

いけない、いけない。話が逸れてしまったではないか。
今、一週間後に控えた「6年生を送る会」に向けてアクセル全開である。6人の卒業生に送る恒例の「写真スタンド」の制作が終わった。1月から11月まで撮り溜めた膨大な写真の数々を一枚一枚チェックして、その子のベストな写真を数葉選ぶ。ひとつの写真スタンドに7枚を厳選。集合写真と打撃、守備に際立ったものを抽出するんである。監督コーチとの写真、親子の写真に加えて。
その抽出作業中こんな写真を発見。
ボールとバットの邂逅の場面。「一期一会」の瞬間。今年一枚だけこういう写真を撮れたことがあり、以前ブログにも書いたけれど、今回は2枚も収穫しちゃったんである。
AのShouyaとBのOtoである。
予想するにAは残念ながら振り遅れでサードゴロ(しかも高いボール球)、Bは残念ながらすくい上げてピッチャーフライであろうか。(フォームは最高だが)

フト気づいた。よーく見てみると、ボールの画像が変である。ABの「一期一会」の瞬間を拡大してみた。
Aの写真はC球の縫い目に当たる部分もハッキリとグニャリと歪んで見えている。更にBは....。
当たった瞬間のボールから、次に弾かれた弾道へ移らんとするの一瞬の画像を切り取っていた。
まるで軟球から魂が抜けてゆく「幽体離脱」のようだ。
少なくとも「ザ・たっち」の「ゆーたいーりだつー!」よりはリアルなんである。正月の餅がぷっくり膨れ上がったようでもあるけれど。
「霊」の存在は信じないけれど(信じたくないけれど)、ちょっと妙な気分になれる一枚の写真ではある。(^^)/
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2011年12月8日木曜日

ことごとく佳境に入る

いろんな事どもが佳境に入って来た。佳境を過ぎすでに頂上に到達せんとするものもある。スコアブックの年間成績表制作しかり、新応援幕制作しかり。応援幕は卒業生を「送る会」でのお披露目となるので今はここでは詳細は掲載出来ない。これからは卒業生への記念写真スタンドの制作や送る会へ向けての諸々の仕事がいまだ山積。

佳境を過ぎて頂上が見えてきたもののひとつに、宮前少年野球連盟設立20周年記念誌がある。これも今週10日に各チームに配付となるため、まだ内容は掲載できないんである。各チームが持ち帰り選手や父母、コーチングスタッフに配付され、その1ページ目をめくった瞬間に完結となる。我がフレンズでは筆者が画策し各人への配付を翌日曜にせずあえて一週間ずらし、ハレの舞台「送る会」でのお披露目となる。いずれ記念誌のページもこのブログで紹介したい。

そのプロジェクトチーム全員が渾身の力を込めて作った記念誌が今日、メンバーのHigo邸に納品された。1000部を軽く超える冊数の梱包は、その重みでHigo氏の豪邸の離れの床を抜け落ち地面にめりこみ、地球の裏側ブラジルまで届かんとするのである。ブラジル国民はいきなり地面から日本の冊子の塊が突き抜けてくるものだから、きっと驚くに違いない。なぜそんなに重いのか。質量の重さ以上に編集長をはじめとする制作メンバーの努力の積み重ねの重みがあるからだ。

Higoさんから納品の第一報がメンバー全員へのメーリングリストの電波に乗る。
承諾なしで引用しちゃうのだ。
「おはようございます。松風Higo父です。20周年記念誌22ケース、無事到着しました。一つ開けて中身を見たい衝動にかられ、自問自答している次第です。
Saitohさんやっぱりジープの出動お願いします」
写メ付きであった。

日通が深夜に新幹線の車両を極秘に道路輸送するがごとく、この記念誌も編集長が綿密に輸送計画を策定し、メンバーのSaitoh本部長所有の軽トラ...いやジープ...いやハマーに白羽の矢が立ったのであった。ハマーには「越乃寒梅」「雪中梅」などの素敵な文字が描かれてあるのだ。
本部長から速攻電撃の返信メール。
「Saitohです。了解しました。」
ラジャーなんである。
筆者もたまらず携帯のキーを打ち込む。
「どーにもこーにも、Teshimaです。
Higoさん、ナイスショットの写真ありがとうございます(^O^)/
とうとう来ましたねえ。小学校の下駄箱のようであります。一つ中を開けたら靴の横にバレンタインチョコが入ってるかもしれませんよf^_^;
写メを見た編集長は、今頃涙ぐんでいるに違いありません(^O^)」

ほどなくして、またHigoさんのメールが携帯を鳴らす。
「お疲れ様です。Higo父です!Nishimuraさんからの指令で、一箱開け、チェックしましたが、本当にいい出来で、感動ものです!」

夜になり美人愛妻の待つ自宅へご帰還の編集長PCからやっとメールあり。
「Higoさん。
ちゃんと一梱包に50部入ってて、乱丁・落丁も無かったわけですね。
確認ありがとうございました。
Saitohさん。
明後日よろしくお願いします。
積み込む前に中身見たら、涙で前が見えず運転できないかも知れません。
事故起こさないように気をつけてください。
Teshimaさん。
昼間写メ見ました(Higoさんは、見た目や雰囲気とは全く異なり細やかで、メーリングリストでは届かない私の携帯メールにも送ってくれてました。)
ちょうど大手町駅構内の雑踏の中で携帯に没頭しながら歩いてたら、とても大きなお姉さんとぶつかってしまい、吹っ飛ばされて泣きそうになりました...。」

編集長。「とても大きなお姉さん」のほうの怪我よりも、編集長の安否と愛用のメガネとiPhoneが壊れなかったかどうかが気にかかるTです(^^)
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