2012年1月2日月曜日

みんな幸せに

2012年元旦の一日はみなさんどのようにお過ごしでしたでしょうか。

終日正月TV番組を観て、おせち料理を食べて...。
年賀状の返信をしたためて、いそいそとポスト〒へ投函...。
大晦日の晩は寒くて初詣を断念し、元旦に近くの神社へ行った...。
反して。
元旦から初売りの量販店のパートなので、いつもと同じく普通に出勤...。
正月が稼ぎ時の飲食店舗勤務なので、いつもと同じく普通に出勤...。
電車は元旦でも運行しなきゃの公的機関なので、いつもと同じく普通に出勤...。
人それぞれ、本当にお疲れさまです。

筆者はちょっと近くの神社へ散歩しに行った。
散歩と言っても三歩で行ける距離ではないけれど、
30分かかるほどでもないところにある、有馬神明社。
およそ190年前(文政六年)の建立。
案の定すごい行列であった。階段の下から車道まで人の列が続いていた。
AppleStoreのiPhone4s発売日ほどの熱気はないけれど。

ここの急な石段は、毎年フレンズ恒例で練習初めに「階段ダッシュ」をやる所。
たぶん一週間後にブログ記事になるはず。

境内では多くの人々が静かに、しずかに参拝していた。


白髪の70代と思しき老夫婦が愛犬を抱きながら、楽しそうにお互いを写真に撮りあいっこしていた。
「もし良かったらお二人とワンちゃんを一緒に撮ってさしあげましょうか?」
...........と、言ってあげれば良かった。言う気の勇気がなかった。
今になって後悔。

赤と白のコントラストは「ニッポン」を否が応でも彷彿とさせる。

大震災で今でも辛い思いをして暮らしている方に、少しでも早く安心して毎日を送れる日が来ますように。
地球とそこに住む人々みんなが互いに幸せに暮らせますように.....。
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2012年1月1日日曜日

年賀像2012


 2012年 今年もどうぞよろしくお願い致します。

毎年元旦には窓から見える景色を切り取り「年賀像」として掲載。
このアイディアはラクチン、毎年使えるぞっ、ということで今年もコレで。
晴れてて良かった。雨降りじゃあ使えないからね(^^)

大晦日には2011年ブログ掲載写真の、自分的ベストフォトを選んで締めくくろうと画策していたのだけれど、うまい酒を呑み、ダウンタウンの「ガキ使」を観て死ぬかと思うほど笑い、紅白はレディー・ガガとExileだけ観て気がつけば年越しそばと除夜の鐘...。腹の皮がよじれるほど笑ったのは何年ぶりだろうか。
ベストフォトの候補はどんなのがあるだろう。
「額の汗を光らせ力投する投手の姿」...
「ジャストミートで白球を打ち返す素晴らしいバッティングフォーム」...
「もうもうと舞い上がる土煙の中で捕手と激突する果敢なスライディング」...
それとも..............

全く迷わずにこの写真をベスト1に選んじゃうのだ。
年の初めにもう一度ココロをホックリしていただきたい。
今年も少年野球「晴耕雨読」Blogをどうぞよろしくお願いします(^^)/
「七人の子ブタ」2011/10/22
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2011年12月30日金曜日

男たちへの手紙

熊本に、とあるブロガーがいる。
少年野球をはじめ、愛する家族、仕事の地質学、音楽や下ネタから人生の来し方まで、自分の行動や思考の記録を綴ったブログなんである。ひょんなことでこの「hiratakuwa」さんと交流を持つことになった筆者。今回の宮前20周年記念誌刊行に伴い、氏を敬愛する私は熊本へ一冊送付申し上げた。
今朝いつものように、このブログの右のリンクから「1969/04/09に生まれて」に飛んでみたら、ナント送付した記念誌のことが掲載されていたんである。
「素敵な記念誌」....最大の賛辞でした。ありがとうございました。
「1969/04/09に生まれて」 (←クリックでスッ飛んで行きます)

記念誌の連載もvol.5まで掲載。
先日、Nishimura編集長に、このブログの場を提供しちゃうので、編集長自身で編集後記をブログ版で書いて欲しいと打診。記念誌最終ページには絶対、功労者であるNishimuraさんの名前を冠付きで載せるべきと主張したけれど、氏は頑として黒子に徹した。業を煮やした筆者はせめて「思いのたけ」をここで吐露してもらおうと思ったんである。

「おまえの替わりはいくらでもいる」...逆に、
「この人の替わりはこの人しかいない」
もちろん後者である。言い換えればNishimuraさんなくしては、この記念誌は全くの別物になっていたに違いないのだ。
Nishimuraさんが年末の帰省前の昨日、氏からメールが届いた。
それはメールというより、記念誌プロジェクトメンバーへの、
「男たちへの手紙」であった。

執筆=Nishimura・文責=Teshima 以下原文ママ。
(長文なのでお笑い年末特番を観たい方は、トイレ行ってTV終わってから読むことを推奨します)
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「発行終えて、年越えそうで」

記念誌プロジェクトチームの皆さん、いかがお過ごしですか?
早いもので、各チームに1冊600円で買ってもらった20周年記念誌のお披露目をして20日が経とうとしています。
もう後わずかで宮前連盟は21周年を迎えることになりますね。
今のところ悪評を聞く機会が無く、ただし面と向かっての悪評は言いづらいことだろうし、10年後の人たちが評価を下してくれるだろうと、そう思うことにしました。
つまり「歴史の評価を待つ」ということですね。そういう言い方をすればメンバー一同、なかなかの仕事をしたみたいでかっこいいでしょ。
出来れば10年後の「記念誌」の「30年のあゆみ」のページに「2011年12月10日、20周年記念誌発行」と表紙の写真付きで載っけて欲しいものです。
(10周年記念誌のことは、今回の20周年記念誌では「一切」触れませんでしたが…)
もっと欲をいえば今回の「表1・表4と全80ページ」を30周年記念誌に載っけて欲しいものです。
そしたら(たぶん悩み多かりきの)ページ稼げますし、今と10年後のチーム変遷の歴史も(もしそういうことがあれば)良く理解できることと思い
ます。印刷代はかなりアップで、1冊600円ではすまないと思いますが…。

30周年記念誌。
誰が総合的な判断を随時下すか、誰がディレクションをやるのか、誰がアートディレククションやデザインをやってくれるか、写真は誰が撮ってくれるか、コピーは誰が書く?一見地味だけど、コツコツと過去の歴史を紐解いていく作業を誰が、誰が誰がやってくれるのだろうか。
そんなことを考えていると、早く30周年記念誌を見たくなってきました。

「元気でいるか。街にはなれたか。友達できたか。」は、母とさだまさしが良く口にしていました。
「お金はあるか♪」は、母は敢えていつも聞いて来なかったですが。。
金はあまりないけど、明日福岡に帰ります。もちろんまた22年ほど親しんだこの街宮前に戻ります。
ただ福岡に帰る前にアートディレクターでありデザイナーであり、時にはフォトグラファー、コピーライターでもある豊島さんからの宿題をしたためないうちは、新年がいつまでたっても明けないような気がしていて、一筆啓上に至った次第です。

履歴を調べたところ、一年前の今日(2010年12月29日)は豊島さんから目次に使う連盟旗の加工データを送ってもらって、「あれやこれや」といろいろと控えめな意見やお願いをしていました。
それ以降も時には明らかに「無茶な(大変な)」お願いもし、今思うとそのようなお願いを、勇気を持ってし続けて…良かったなぁと...。
その分、先生の気合もウコンの力もサイヤ人がスーパーサイヤ人に進化する如く、ドラゴンボールを7つ集めてしまったが如く、次々と間断なく「傑作数々」の連射でしたからね。ちなみにこの2010年12月29日に初めて「編集長」という名誉あるハンドルネームを賜っているようです。

2010年2月27日、「第一回連盟設立20周年事業に関する理事・事務局員合同会議」というのが、宮前市民館で開かれました。
そこで司会の事務局長が配付した資料。その記念誌担当欄を見て、私は唖然としていました。
遡ること2010年1月30日の連盟役員・副事務会議で、私は笠原副会長の下、「記念誌担当」となり「記念誌担当チームには、フラワーズとフレンズは必ず入れてください」ともお願いしていました。確かにフラワーズもフレンズも、そしてスラッガーズとメイツが、もちろん笠原副会長の名も「理事・事務局員合同会議」での配付資料に刻まれていました。が、私は何故か「イベント担当」に…。その場で事務局長に「何故ですかぁ」ということは大人ですので控えましたが、正式に記念誌担当に変更してもらう(という言い方も元々が記念誌担当でしたので変ですが…)のに3カ月を要しました。

2010年11月7日、宮前市民館で開かれた「実際に記念事業に携わる人たち集合会議」。
事前の根回しもしていないのに私の予想通りのメンバーが集まってくれ、実はこの時点で仕事の半分は終わった感を抱いたものでした。
(豊島さんとはその3年前にフレンズの卒団式で初めてお会いして、「イラストレータ使い」であることも、話しているだけで「正にアートディレクター」だと言う事も、フレンズのホームページで読む「晴耕雨読」を通して、かなりの文章家でもあることも事前に知っていました。が、豊島さんはそれまでの3年で20kgも太ってしまった私のことをすっかり忘れていましたね...)
笠原さんはもちろんのこと、齋藤さん、根本さん、中尾さん、多田井さん、石橋さん、小西さん、荒金さん、井上さん、そして肥後さん…方々の大集合の日でした。

それから時を経た、あの大震災。
記念誌どころではありませんでしたね。こんなことやっている場合かと思った時期もありましたし、それは今でも変わりませんが、その気持ちは別のところにきちんと置いて、今は野球ができる喜びを味わい、そして私たちにできることをやろうと、そう思って歩んできました。
誤解を恐れず敢えていうならば、あの震災を境に記念誌メンバーのチームワークは階段をいくつも昇ったような気がしていました。

ハンドルネーム「社長」は、数々の決断を「瞬時」にしてくれました。トップであるもののあるべき姿です(おこがましいですが…)。
「本部長」と「事務局長」は、過去の歴史を調べ上げ、まとめあげてくれました。本部長とはまるで高校時代の彼女としゃべっているが如く、深夜に1時間以上にも及び話しをした時がありました(たぶん、記念誌仕事はほんの数分で、それ以外の話で盛り上がったような…)。事務局長は、細やかにアンカーマンの役割も務めてくれました。
想定外だったのが、スラッガーズの「肥後之守」。あったかくなった頃の第一公園のバックネット裏で突然奥さん(のちの肥後之守令夫人)を紹介してくれ、以降「記念誌プロジェクトチーム」を一段と盛り上げてくれました。「夫唱婦随」という言葉はこの夫妻のためにあるような、そんな仲間であったことには、誰も異を唱えないでしょう。二人で、区内の大会の歴史やら、イベント時の撮影やら、最後は1,100部にも及ぶ記念誌の納品場所の提供まで進んで買って出てくれ、そしてその重い荷を配付場所まで積み込み運んでもらい、その活躍ぶりをスラッガーズのチームの方々に直に伝えたい位です。
そして「師匠」。傍から見ると、特に忙しくなったような気がしたこの2011年。相変わらずの才能で、数々のプロ裸足の写真の提供に「想定内」ではありますが、感謝しきりです。10月の「国家試験」、「サクラサク」だったことだろうと推測しています。
それから「先生」。もういまさら書かなくてもいいですよね。何かの折りには、いつも相談しますし、お願いをしますからね。

「宮前は人材豊富ですね」。
読売巨人軍、鈴木さんの言葉です。
メンバーで無いにも関わらず、斜め俯瞰から「優勝旗」の写真や「カップ・トロフィー」の写真をスタジオで撮ってくれたメイツ古野さん、ありがとうございました。
ウルフ内田さん、宮前で唯一の1,800万画素のカメラを引っ提げ、毎大会の写真を撮ってくれてありがとうございました。
二人ともに後日談ですが、それぞれがそれにふさわしい職業につかれているとのこと。
まさに「宮前は人材豊富」です。

ハンドルネーム「編集長」として、内緒にしていたことが2つほど...。
1.チーム紹介ページの左上の「帽子の写真」。実は3チームだけ写真の左右の幅が足りなく、バックの芝を合成しています。個別に「校正依頼メール」を送ったので、その3チームはもちろんのこと、今もって誰も気づいていないんじゃないのかな。その3チームを全て当てた人には、私の手作りの「賞状」で、会長にお願いして表彰してもらいたいと思っています。
(ヒント:この記念誌メンバーの所属チームもその3チームの中の1チームです。これが判れば、他の2チームも判るかも?です)
2.最終入稿土壇場で、「ロゴマークの解像度が足りないチームがありますよ」とのメールがデザイナー氏よりあり。久々に怒りまして、トレースを指示。もしそのメールが無かったら、せっかくの記念誌の、中でもそのチームにとってはとても大切な「チーム紹介ページ」を台無しにしていたことでしょう。そのチームの1つが肥後之守のチームのロゴマークだったので、余計に怒髪天でした。そう言った意味では、最後にその確認メールをくれたデザインを担当のけやき平の青木さんにもデザインそのものの質ともども感謝しています。
最終的にこの土壇場でのロゴマークの解像度足りないチームは2チームでした。各チームにロゴマーク送付依頼をし、そのチェックを依頼していたデザイン・印刷担当会社を昨年末に変えた時期と被っていまして、それに起因している私のミスでした。土壇場ながらも完全データで入稿ができ事なきを得た次第でした。。

来年のなるべく早い時期に、記念誌メンバーの「卒団式」をやりましょう。
できれば辰年にちなんで「自分にとってのドラゴンボール(肥後之守令夫人以外は最低限のドラゴンボールはありますからね)」を持って。
社長、差配をお願いしますよ。

では皆さん、素晴らしき2012年となりますように。
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2011年12月29日木曜日

20th記念誌Vol.5序章編

2011年もあと2日余りとなりました。
地球や月や太陽などは、人類の思惑には頓着せず、彼らはせっせと宇宙の摂理に従ってシームレスにくるくる周り巡っているだけなのだけれど。どうしたものか、我々人類の先達が「時間」という概念を発見しちゃったがために、毎年この時期になると慌ただしい、特別な時を過ごすハメになるわけだ。太陽や地球は何の感慨もなく定理に従い規則正しい運動を繰り返すだけなのだけれど、ヒトは特別に厳(おごそ)かな気持ちになったり、または晴れやかな気分になったりと忙しい。
そんな人類の一員である筆者は、この時期のそんな気持ちの起伏が嫌いではない。日本人であることを改めて確認する季節でもある。

そんなこの時期にこのブログでは、こともあろうに年末とは全く関係ない連盟記念誌の連載シリーズを書いてしまうのだ。前回のVol.4では目次編。次の今回のページは各関係者の「あいさつ」のページである。当初いろんな方の「あいさつ」文をいただく案もあったけれど、記念誌ミーティングでそれをバッサリ、シンプルに絞り切ったのは社長こと、Kasahara氏であった。当連盟会長Sohmaさんと、川崎市少年野球連盟会長のMiuraさんだけにしたのである。こういう英断、決断の早さはさすが社長である。
記念誌は公的な刊行物であるとの認識と「オトナ」であることから、この際実名写真入りで掲載しても問題ないでしょう...との筆者の認識から掲載します。

次の4〜5ページは連盟主催による優勝旗と優勝カップである。
「防犯大会」は連盟設立以前からのかなりの歴史ある大会なので、優勝旗が他に比べて色褪せて見える。歴史の重みがあって、そこがいい。これらの撮影は筆者はノータッチだったので、苦労話は編集長のNishimuraさんの弁を待たないとわからないのだけれど、ここはひとつカップに注目いただきたい。
筆者の本業である店舗設計でも経験があるけれど、カメラを向けた被写体が鏡面のような金属体である場合、カメラやカメラマンがそれに写り込んでしまうことがある。これを避けるために白い紙や布でレンズ部分以外を全て覆って撮影するんである。この写真をよーく見るとカップの中心に黒い四角い部分があるけれど、この奥からレンズを構えているのだ。おそらく白い紙でカメラの四方をカバーしたはず。こういう静止画は一見素人にも撮れそうな気がするけれど、スットコドッコイおととい来やがれで、これだけのクオリティーの絵を撮るのは逆に難しいのだ。これは馬絹メイツさんの29番コーチFurunoさんの腕によるもの。記念誌プロジェクトには頼もしいメンバーがいるんである。

ブログを書いてるうちに、30代後半の頃、恵比寿ガーデンプレイス38Fに鮨屋を設計し、その竣工写真に立ち会ったことを想い出した。0時過ぎの深夜。個室を撮影するのにワンカット30分かかる。数アングルのテストのポラを何枚か切って承認、ようやく本番。当時デジカメなどない頃なので通称「バイテン=(8×10)」と呼ばれるごっついカメラを三脚に据えての撮影。
「ハイ、本番行きま〜す....」
との合図で露出時間10秒ほど。その間我々取り巻きは、息を止めてシーンとなる。考えてみればビデオ撮影じゃないのだから音声は入らないわけで、雑談してもいいのだけれど、どういうわけか黙って緊張してしまうのだった。
「ハイ、OKで〜す」とカメラマン。我々は緊張が解けて....
「だは〜っ」と息を吐く。
ワンカットの写真はたった0コンマ数秒で切り取るけれど、そこに至るまでの準備や設営などを考えると膨大な時間が投入されているんである。

次回はいよいよ6,7ページの「少年野球戦国絵巻」編。
でも年も暮れ行くころなのでアップはいつになるやも知れず。
配偶者は今、所用で帰省中。今晩はウィスキー片手にInoueコーチから借りてるDVD、映画「イージーライダー」を観ちゃうのだ。今年10月5日のAppleのスティーブ・ジョブズと同様、昨年好きな俳優デニス・ホッパーも逝去。
う〜ん、「ブルーベルベット」も観たくなってきた。
好きな人がどんどん亡くなっていく近年。それだけ自分も少しずつ「そういう歳」に近づいているのだろうと思う。
実際、まだ若いけどね(^^)
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2011年12月26日月曜日

みんな笑顔で!

みなさんは昨日のイブはどんな晩を過ごしたでしょうか?
私事で恐縮なんであるm(_ _)m
筆者は配偶者と娘夫婦の家で。娘夫の両親も加わり大宴会。
私事で恐縮なんであるm(_ _)m
目に入れてもちっとも痛くないというアレ、Blog初公開なんであるm(_ _)m

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今日、12月25日はチームの最終練習日。
うちは毎年最後の練習日はレクリエーションをやるんである。
最初はドッジボール大会。

大縄飛びなんかもやったりして、子どもたちはメチャ楽しそうだ。

卒業生保護者からの今年の贈呈品は新しい応援幕。グランドデビューした。
その前でみんなでパチリッ!

これも毎年恒例、昼食は母たち手作りカレー大会。
毎年いろんな家庭の味が楽しめるんである。
いつも筆者は子ども用甘口、大人用辛口をよそってもらい、堪能しちゃうのだ。
今年もウマかった、ごちそうさま。

さてこれも例年恒例のメインイベント、子ども対母の試合なのだ。
それにしても今年の母たちはむちゃくちゃヤル気マンマンなんである。試合前には肩ならしにキャッチボールまで始めた。筆者少しでもお手伝いしようと母たちにノックを買って出る。
「一列に並べぇ〜!おめえらエラーしたらグランド10周だかんなっ!」
「ううぃ〜ス!お願いしま〜ス!」
試合開始(^^)

毎年このブログでは母の顔出し写真掲載を躊躇してきたんだけれども、この際テンション上がってるので、まっいっか(^^)
だってみんな読者モデルのような美人ぞろいなんだから(筆者スリ鉢を取り出す)
だってみんな香里奈や松嶋菜々子みたいなんだから(黙ってゴマを投入する)
だってみんな....(必至にスリコギでゴマをスリ潰す)

広報部長・カメラマンとして情けない。
打撃の写真はピントが後方に合ってしまい(広報だけに)、肝心のバッターは若干ピンボケになってしまった。せっかくの美女軍団なのに申し訳ない。
これは全て筆者の不徳の致すところである。
(スリコギ持つ手にそろそろマメが出来る)
しかしみんな笑顔が素敵であった(^^)


毎年見てるけれど、それにしても母たちは予想外に野球がうまかった!マジ。
途中からオヤジたちも参戦し加点するも、結果は15:8で子どもたちの勝利。
子どもも大人も、みんな笑顔で今年最後の楽しい一日であった。

最後に締めくくり、Yanagisawa代表の音頭でマウンドを囲み全員で手締め。

筆者これを見て思った。
連盟記念誌の裏表紙にも使ったアイディア、映画「愛と青春の旅立ち」のラストシーンでの海軍兵学校の学生が帽子を投げ上げるシーンを。
やらせちゃおうっと(^^)
いち、にぃ、さんっ!
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