2014年2月1日土曜日

さよなら、ありがとうVol.3

ゆずの「友〜旅立ちの時」からインスパイアされてタイトルとした「さよなら、ありがとう」もいよいよ佳境に入ってきたんである。2013年度宮前Queens卒部式の最終章である。その前にまたまた言い訳タイム。写真は全員分は網羅出来ない。また今回は来賓などの写真も割愛。更にDVD上映時の暗い中での撮影は画質は劣化、暗すぎて明度が足りないので専門の写真加工ソフトで明度を強制的に上げている。う〜ん、一眼レフが欲しいなあ、と思う今日この頃なんである。

JA向丘を借り切っての卒部(団)式はまず照明を落して6年生入場から始まるのが恒例だ。
今季の6年は実に8名。昨年の三冠達成の大きなチカラとなったことは言うまでもない。
下の上部写真左から主将のHimari、Akari、Hinata、Noeri、Misaki、Ichika、Ayano、そして遅くに入部したのにもかかわらずQの貴重な戦力となったYumi。

まずは代表のKasaharaさんの挨拶。
「え〜、いよいよQueensの................。え〜.........。あの〜..........」
どうも様子がおかしいぞ。マイクを持ったらいつもなら朗々と話し始めるKさん、暖気運転抜きでいきなりトップギアに入ったようだ。感極まる一歩手前で声を詰まらせながら挨拶。6年生もそれを察してか神妙な面持ちで話を拝聴する。続くSohma会長、豪傑らしく大きな声で明解に挨拶された。Sohmaさん=豪傑。うんうん、我ながら的を得た言い得て妙な人物形容である。

2013年歴戦を共にしてきたKoshimizu監督、Murataヘッド、Mochida28番コーチ、Kasahara代表から6年生へひそひそ話、じゃない労いの言葉をかけつつ記念品を手渡す。どんだけひそひそ度が高かったかと言うと、ステージ下でカメラを構えていた筆者ですら何を言ってんだか聞こえなかったくらいである。

これに対し6年からひと言。ステージ左手からレンズを向けていたのであるが、子どもの顔とスタンドマイクがカブり良い写真が撮れないと即断し右手に回る。ほっ。なんとか皆のアップが撮れた。広報部長としての職責を全うしなきゃなのだ。

以前Queensの歴史に燦然と輝く主将Meikaの卒部の時にも、Mochidaコーチの「歯が痛い」写真を掲載したのであるが、今年は涙を隠すために帽子をいつもより目深にかぶり、Qのハンドタオルで表情を悟られないように首に巻き付けて6年に声をかける。決して寒くてマフラー代わりにしていたわけではない。

そのMochidaさん渾身の力作DVD(ブルーレイディスク)上映である。1ベルが鳴り、2ベルが響き、映画館にアナウンスされる「間もなく上映開始されます。お客様はすみやかにお席につきますようお願い申し上げます」そして客電が落ち暗転(全て芝居用語)今年もサンダースTsuda一級スコアラー士が馳せ参じ上映開始。モッチーのその全体構成、写真選択、挿入歌、編集アレンジ...どれをとっても一級DVD編集士の名に恥じない出来映えであった。

しんしんと静まり返った中でレンズを会場に向けてもすごく暗いので、皆の表情はほとんど判別できない。肉眼を頼りに見渡すとやがてほどなくしてハンカチで目を抑える母たちが何人も。6年生たちも感極まった様子だった。

こんな反則技は見たことがない。ただでさえ涙もろいのに、これでもかと言わんばかりに、子どもたちの赤ちゃんから幼稚園、幼少時の写真が突然スクリーンに現れた。しばし手にしたカメラを放棄し見入った。やがて理由もなくなぜかスクリーンに透明の液体がゆるゆる降りてきた。眼球が大量の水分を含んで溢れてきたのであった。昨晩写真編集時にも同じ現象が起きた。会長や代表の目も心なしか光っていたと思うのは筆者の見間違いではあるまい。

上映が終わり一転会場が明るくなる。何人もの母たちが涙していた。筆者思い出した。19歳の頃当時つき合っていた彼女と六本木のディスコへ行き、真っ暗い中でチークダンスをやった。最後にDJがイタズラでいきなり照明を全点灯し真昼の明るさに。カップルのほとんどが「チ○ー」していて、皆苦笑いしていた。あのときのなんとも言えない気恥ずかしさを思い出したんである。
これは写真編集していて昨日発見したのであるが、いきなり明るくなって写真の左片隅で監督が慌てて涙を拭くカットが撮れていたんである。(赤い矢印)

ふと6年を見ると仲良し3人組が号泣していた。
筆者ひざまづきローアングルで活写。甲子園で涙を呑んだ球児がグランドの土をかき集める姿を撮影するカメラマンを想起しちゃった。

各テーブルを撮ってみる。和気藹々みんな思い思いの体(てい)で話に花が咲く。

順番は覚えてないけれど、なんと6年生たちからとんでもないサプライズがあった。いきなりHimariがマイクに駆け寄り「呼ばれた人はステージに上がって下さい!」
彼女たちから心のこもった色紙をもらった。(写真は先日のブログに掲載)
監督、29、28、代表、Sasakiさん、Yamaguchiマネージャー、Misaki母会代表、Kitamatsuスコアラー、そしてこともあろうに予想外の筆者。まだ目玉の水分が蒸発しきれてないうちに、追い打ちをかけられた。もうボロボロなんであった。

これについては後日極秘情報を入手。
予想どおりこれはHimariの提案だった。極秘裏に色紙を作成せねばならずアジトを提供したのはYamamoto家であった。しかも材料はYamamotoコーチが全て調達してくれたそうだ。この秘密作戦を知っていたのはHimari母、Akari母、Ichika母のみ。Himariは父でありコーチでもあるMochidaさんに知られまいとして必死だったそうだ。制作は全て子どもたちのみ。オトナ顔負けの素晴らしいものだった。
自宅でどうも様子がおかしいと思った何も知らないMisaki母は、Misakiを拷問にかけて問いつめたそうだが、とうとうMisakiはヒミツを守り通し口を割らなかった。お陰で本当のサプライズ、オドロキの感動をもらったのは言うまでもない。参った。俺たちオトナは全面降伏である。
ありがとう、みんな(^-^)

写真構成とは相前後しちゃう。
6年生の作文発表なのだった。これまた暗転し暗い中ステージでスポットライトを浴びながら、卒部生8人が一人ひとり、朗々とまたは訥々(とつとつ)と中には嗚咽をこらえながらの感動の作文披露。そのあとの照明が全点灯したらやはり何人もの親やコーチたちが涙していた。俺たちが小学生の頃、こんな素晴らしい文章は書けなかった。彼女らは将来全員、芥川賞候補になり得るであろう。

ひとつオトナたちの爆笑を誘った作文があった。Noeriである。少し記憶が曖昧ミーマインだが....。
「.....初めてKasahara代表を見たときはこれはヤバイおじさんだなと思いました。ちょっと怖かったです。でもそのあといっぱいアイスを買ってくれたりして本当は優しい人なんだなと思いました。でもいつも第四公園のオジサンと喧嘩してるのを見て、やっぱりヤバイ人なんだと思いました.....」
これを書きながら思い出してまた爆笑しちゃう筆者なんであった。

さてそろそろ「さよなら、ありがとう」も終盤である。
この作文は深夜の雪国にしんしんと降り積もる牡丹雪のように、心にずしりとくる時間が流れた。Hinataを皮切りに切々と読み上げられる。

原稿用紙に照明が反射し彼女たちの表情を黄金色(こがねいろ)に染め上げる。
或いは夕まぐれの日没の一瞬の黄昏(たそがれ)の輝きのごとく....。

最後は主将Himari。
途中から声にならない声を振り絞り、このQueensの仲間への想い、支えてくれた大人たちへの、或いは父母への感謝の気持ちの吐露。
最後の最後で怪我で無念の思いをした心情。しかし「禍い転じて福となす」キミはやがて中学へ行ったらその意味を古文で習うだろう。怪我の巧妙とはこのことだ。不幸にも怪我でチームに迷惑をかけたと思っているけれど、それによって逆にHimariのためにもチームが一枚岩になったのも事実。それを仲間に思い知らされたキミは幸せ者だ。キミもチームのみんなも、ひとつ大人への階段を一歩踏み進めたことに違いない。

素敵な仲間に囲まれて6年生は巣立つ。
Queensの輝かしい戦績をも凌駕するほど、キミたちの心に残したものは戦績よりももっと大きいはずだ。
我々大人たちからもキミたちに言いたい。

「さよなら、ありがとう」

.............................。
さて、2月8日は三冠達成のご褒美にジョーダンから発した発案に尾ひれ背びれが付き、ついに本当になってしまったお伽噺のような、嘘みたいな本当の話。
お伽噺のようなディズニーランドにQueens子どもたちご招待。会長、Murataコーチのご招待なんである。思い切り楽しんできてほしい。いずれ取材網を駆使して写真を入手しここでもブログアップしちゃいたいと思う筆者である。
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2014年1月31日金曜日

さよなら、ありがとう(中休み)

うぬぬ、やっと今晩は....。

Q卒部式写真加工編集完了後、脱力虚脱、国際電脳的日記執筆不能、
故、茶濁的、国際電脳的日記題名、「別離、感謝(中休)」、戦線離脱的自己逃避....。

なんである(^-^)
上の文章を読み解ける人は文学的素養あり。
写真編集中、お気に入りの一枚があったので、今日はこの写真だけアップしておこうと思う。本編本文は次回へ持ち越しなんであった。
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2014年1月30日木曜日

さよなら、ありがとう(箸休め)

幸いにして今の仕事のスケジュールがクライアントの都合で前に進むことが出来ず、多少夜は時間が取れる状況なんである。TSUTAYAの「半沢直樹」シリーズもあとVol5,6を残すのみとなり、これは来月を待たないと送られてこないからむしろ好都合というもの。写真編集が時間がかかるのでなかなかブログアップできないのであるが、今日はいよいよ本編「卒部式」の写真チョイスまでやった。加工編集は明日のココロなんである。

去年からなんとかブログに書こうと思っている話の抽き出しには、いくつかのネタがしまってある。大抵はそのまま色褪せてしまい、タンスの肥やし状態で賞味期限を過ぎてしまうのだった。しかし、どうしてもいつか書かねばと思っていることがいくつかある。そのひとつのテーマが「少年野球人口の減少」。その具体例が昨年練習試合をやった神木マーキュリーズスタッフとの会話であった。宮前では少年野球をやる子どもの数が確実に減っているようだ。マーキュリーズは今年から人数が激減し、公式戦はおろか練習試合すら出来ない窮地に陥った。そのへんの話はいずれまた。

昔は少年の遊び、スポーツと言えば野球であった。筆者も最初はそのクチだったけれど、いつのまにサッカー小憎で青春を過ごし、今でもサッカー大好きである。Jリーグが発足した翌年は少年のサッカー人口が激増、その半面野球のそれが反比例し落ち込んだ。その後、野茂、イチロー、サムライJAPANの活躍のたびに野球が盛り返し、4年ごとのサッカーW杯開催の熱狂のたびにサッカー人口がそれを凌駕して増える。いまや「将来の夢は?」のアンケートではプロ野球選手ではなく、サッカー選手がトップなんである。筆者はサッカーファンとしては正直嬉しいのであるが、いち少年野球コーチとしてはこの時代の流れに憂いを持っている。マーキュリーズの例は決して人ごとではないんである。フレンズでも近隣のチームでも同じ悩みを共有するチームは多い。昨年、フレンズ飲み会でコーチから青田刈りではないけれど、幼稚園児を集めて楽しい野球教室をやろうかという話も出た。昨日今日もこの野球人口減少テーマ、チーム存続に関連する話でメールが飛び交う。

今年はサッカーW杯なんである。はっきり言おう。田中マーくんのヤンキースでの活躍もすんごく楽しみであるが、W杯はマーくんの100倍楽しみなんである。ましてやACミランの本田もいるし。筆者としては気分は板挟み状態である。両方頑張ってほしいし、両スポーツとも底辺の子どもの人口増につながってほしい。

さて宮前Queensなんである。
女子野球は特別な存在という懸念はいまだ確かに払拭できないけれど、一般人が思っているほどすでにマイナーではないことも事実だ。ここ数年Queensと関わるようになってその思いを強くした。地元の母体チームに所属しながらQに通い女子だけで野球をやるも良し、Qだけに所属して思い切り仲間と楽しくやるも良し、他地区からの受け入れもOK。
少年少女問わず6年生が卒業するこの時期になると、とたんにチーム存続の危機が現実感を帯びて来るところは決して少なくないのである。今はいいけれど、明日は我が身...といったところだ。

このところQueensの活動や卒部式などに関わって来て、女の子ならこの素晴らしいチームで野球をやらない手はないとの思いに至った。
是非宮前Queensへ!(ちなみに美味しいアイスいつでも食べられちゃうんだぜっ)
男子なら地元の野球チームへ。出来れば人数の少ないところへ。レギュラーになれる確率は高いぞ。保証はできないけれどね(^-^)キミの頑張り次第だ。
宮前区神木近辺なら、迷わず神木マーキュリーズへ来たれ!

人数が足らず試合参加は叶わないけれど、それでも活動を休止したわけではないマーキュリーズとは今年、少ない子どもたちを呼んで合同練習を組みたいと思っている。温かく迎えたい。この筆者のささやかな我が儘を聞いてくれないほど、フレンズはココロの狭い矮小なチームではないと自負する。こう見えても筆者、フレンズではスコアラー以外なんの役職もないが、多少の我が儘をきいてくれるほどの年数をチームで過ごして来た来歴がある。
他の宮前の野球チームのみなさんも是非、マーキュリーズ復活のためにご尽力を(^-^)
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2014年1月29日水曜日

さよなら、ありがとうVol.2

25日土曜、さてもう行くか、そろそろ親子野球が始まっちゃう。てくてくバスを乗り継ぎ女子野球とBチームのメッカ、宮崎第4公園スタジアムへ向かうべくバス停へ歩いていた。
iPhoneが鳴った。
「Tさん、今どこですか?お迎えに.....」
Qの母会会長Kitamatsuさんからだった。駅前で待ち合わせしクルマで送迎してもらっちゃったんである。Kitamatsu、Sone両美人妻のお出迎えにいささか緊張恐縮しつつ、球場へ。このあたりの気遣いさすがQueensである。Kasahara代表のDNAが浸透しているせいだろうか。

Queens卒部式の午前中は恒例となった「親子野球大会」と「記録会」である。
フレンズでも毎年やるがあれはいいものだ。筆者は親を卒業して何年も経ち、今では単なるいちOBコーチに過ぎないけれど、親子で野球をやってる姿を観るのはとても良い。子どもたちよりもむしろオトナたちがはしゃいでしまっているところがまた良いよい(^-^)

Qの姫よりも親中心に展開したい。断っておくけれど、例によってほぼ全員の写真を撮ったものの、筆者の腕の未熟さでピンボケや目つむりの写真などは割愛。よって選に漏れた方には申し訳なし。
まずは守備に立つ姿を活写。昨年は第一公園ドームの霜柱が融けてぐにょりぐちょぐちょのグランドコンディションの中での開催となったけれど、今年はほぼ晴天で気持ちのよい朝の親子野球なんである。
おおっ、Koshimizu監督もついに老眼か?眼鏡をかけているではないか。そのフレームはQueensカラーの深紅のレッドという入れ込みようである。
Qの姫たちはみな美人ぞろいである。ゆえにその製造元である母たちも当然美人妻軍団なんであった。更にその伝でいけば当然Qのオヤジたちもなかなかのイイ男がゴロゴロいるんである。


打撃の様子。親が打席に立てばその子どもをマウンドに呼び親子対決とするのは、全国の少年野球でもお馴染みの光景なのではないだろうか。フレンズでもしかり。我々コーチは子どもに向かっては「ほらほら、日頃の恨みを込めて母ちゃんにデッドボール当てちゃえ〜」と言えば、負けじと打席の母は「ぶつけたら今晩メシ抜きだからねっ!」と返す。
Ichikaの祖母さんが会心のクリーンヒットを放ったのは特筆に値する。素晴らしい!

オヤジたちが打席に立つと、どーしてもいいところを見せたくて余計なチカラがハンパなく入ってしまうんである。ゆえにドンピシャなら拍手喝采であるが、逆の場合は苦笑いに甘んじることになる。筆者も昔、有馬小ドームで2,3本柵超えのプールインホームランを打ったことがあるが、それ以外はボテボテの内野ゴロの山であった。今やれと言われればきっと意表をつくバントヒットでしか出塁出来ないかもである。でもやっぱり三振でもいいから強振しちゃうのがオトコなんである。
更に言えば、もし強烈なピッチャー強襲の打球が飛んで、うら若き嫁入り前の娘にキズをつけたら....というココロの隅にある思いもよぎったりして、なかなか本来のバッティングが出来ないんである。
中でも今でも草野球で活躍している「Queensのイイ男ランキング」ベスト3に入るであろうKitamatsu父は本人の意に反する打席であった。めちゃめちゃリキが入っていた。本人めちゃめちゃ悔しがっていた。男ってそんなもんである(^-^)


6年生も負けてはいない。まだまともに100%の運動が出来ない主将Himariは37.5%くらいの力で打撃に参戦。他の6年生も伸び伸び野球を楽しんでいた。
箸が転んでも可笑しい年頃のQの6年。試合終了後子ども軍団とオヤジ軍団とが握手する。Misakiが転んでも可笑しいQの6年である。

記録会である。
遠投、本塁一塁間走、ダイヤモンドのベーランの記録を取る。全力疾走は出来ないHimariは「わたしも走りたいなあ〜」という顔をしつつもどっかり本塁に居座り、皆の応援に専念する。
男の子と違って真剣に走ればもっといい記録が出ると思うのだが、そこはそれ、女子野球である。ちょっと記録のTanaka父に取材したので以下、記録を披露。
●遠投 58m Hinata
●本塁一塁間走 3.84秒 Ayano
●ベーラン 15.88秒 Ayano
むむ、記録会でひとり写真に納まってないな。Yumiはどうしたんだ。筆者のうっかりミスでYumiだけ撮ってないのかと心配になっちゃう。
(※このブログ記事の翌日、Yumiは体調不良で午前中だけお休みだったという情報が入った。どうりでどの写真にもYumiだけが写ってないわけだ)


低学年育成コーチYamamotoさんの指導のもと、5年以下やちびっこたちも参戦。
ダイヤモンドの原石を見るような思いで写真を激写。

次回はいつになることやらの、本編「さよなら、ありがとうVol.3」(卒部式編)
まずはやっぱり膨大な写真編集からなんであった(^-^)/
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2014年1月27日月曜日

さよなら、ありがとうVol1

Queensの卒部式ブログなんである。
昨日は途中退席しヤングのKurosu御大を拉致し一緒に鷺沼のとある飲み屋へ....。
それはともかく今日からQueensブログ執筆に怒濤の勢いでとりかかる....はずであった。
しかしながら例によって、膨大な400〜500枚の写真の選別から加工の工程を抜きにして書くことはあり得ないわけで。途中退席していなかったなら800枚はいっていたはず。2次会のカラオケまで参加していたらAM3時帰還、1,000枚はいったであろうか。
まずは写真から.....。はい、途中で完璧にメゲました。午前中の恒例親子野球の写真選別だけでこと切れてしまったんである。来年もし2次会まで参加するなら、今からジムとボイトレに通い体力を温存して臨まねばならぬ思いを新たにしたわけである。

またしてもお茶を濁すVol1(序章)なんである。
フレンズ練習有馬小ドームから極寒の街を駆け抜け鷺沼セイコーグランドのヤング練習場を経由し帰宅。夕刻から日本酒冷やのコップ酒片手に、Mochidaコーチ生涯渾身の力作Queens2013DVD(ブルーレイ)をGoogleにアクセスして動画をダウンロード。いわゆるクラウドシステムによる共有財産。Macで再生し大音量で独りじっくりと観賞、完勝の場面に再度感傷にひたり....また涙がぽろりひとすじ。何度観ても乾杯したくなり、素晴らしい出来映えに完敗でもある。Mochidaさんはファミマ経営の他にDVD編集制作会社を起ち上げ多角経営化に乗り出しても成功するに違いない。しかしたぶん本人は「もう、死んでもやりたくない」と言うだろうけれど(^-^)
最後の挿入楽曲はMochida母娘が選んだという、ゆずの「友〜旅立ちの時〜」♪
その中の一節を聴いた瞬間、このブログシリーズのタイトルだけは決まった。

「さよなら、ありがとう」

卒部式の最初と最後の写真だけ今回はアップしたい。
見よ!この柔軟な6年生のパフォーマンスのクリエイティビティー。こんな彼女たちのセンスも、2013年の破竹の三冠達成に寄与したに違いないのである。
筆者途中退席する前にSohma会長のご帰還を待ち、満を持して中締め兼ねて集合写真を撮影。約1名、ちょっと目を離すとすぐ暴走する酔っぱらいオヤジに邪魔されるも何枚か撮影したうちの集合写真ベストショット。

このブログを書くにあたり冷蔵庫から氷を持ってきてウィスキーのトリプルロックを作った。あっ!そーだ。Queens恒例の贈呈品があった。お〜!今年はこんな焼酎なんであった。
この一週間くらいで次回Vol2からを書いていきたいと思う筆者なんである。
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2014年1月26日日曜日

涙とありがとう

今日はQueensの6年生お別れ会。
なんて素敵な女の子たちなんだろう。
なんて純真な子どもたちなんだろう。
なんて利発な子たちなんだろう。

いろんな大人たちがステージに上がり、マイクでスピーチ。
自分の番になったけれど、思いの半分も言えずに終わった。
しかしひとつだけ、言い忘れたことがあった。

卒部の彼女たちは思い思いの作文を書いて来て、一人ひとりみな父母やコーチたちに対する感謝の言葉を切々と、時に朗々と時に嗚咽をこらえながら読み上げていた。
彼女たちはおざなりの言葉ではなく、純粋な心で作文したことが伝わってきた。会場にいた誰もがそれを確信したはずだ。照明を落した会場の暗がりから、大人たちのすすり泣く声が聞こえる....。

キミたちが父母や大人たちに感謝する気持ちは十分に伝わった。ありがとう。
逆に俺たちはこう、言いたい。

キミたちがいたからこそ、俺たち大人も感動させてもらったんだよ、と。
この子たちに感謝すべきは我々大人のほうである。

午前様で帰ったのでこのブログの続きはまたいずれ。
写真は親たちも知らないうちに6年生たちだけで企画して贈呈してくれた色紙なんである。
自宅に帰りadidasのバッグから取り出し、ビール片手にもう一度読み返してみる。

目の前のディスプレイの文字がゆるん、と滲んで見えた。
ブログをやっていて良かったと思える、最大の理由がそこにあった。
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2014年1月21日火曜日

ポケベルと名刺

ほっ、まずは第一弾今年のフレンズ名刺制作が終わった。
毎年昨年から役職が変わった者だけ名刺を作り直している。基本的には代表、監督はじめベンチスタッフの面々。これに事務局、副事務局が続く。事務局はベンチスタッフよりもむしろ一番名刺を活用する場があるのではと思う。更に母マネージャーもピンクバージョンにして毎年作っているんである。
あまり使う機会がないかとも思うし、どんだけ活用しているかも怪しいものだが、活用する気になればそれなりに重宝なはず。仕事ならいざしらず、少年野球で名刺を配るというのは一見違和感があるけれど、名前と番号、アドレスの交換の手間が省ける上、相手の印象にも残ると思う。
まあ、半分は遊び心で半分は実用を兼ねて毎年更新しているわけで。特に母マネージャーは、OL時代に自分の名刺を持った人もいれば、生まれて初めて名刺を作ってもらったと感激する人もいて、作る側としても楽しい。

今年は例年になく役職の入れ替わりが多く、7名の名刺を作成。
まずは今年のタスクのひとつを終えてほっとしちゃっているんである。

ここで筆を置こうと思ったら、名刺ネタで突然思い出した。
昔サラリーマンだったころ。携帯もまださほど普及していない頃だったと思う。5,6歳年下の後輩の名刺の消費量がハンパない。あんにゃろは当時流行りだしたフィリピンパブでばんばん配っていたんである。今ならケイタイ赤外線やLINEとかで交換出来るのだが、当時はまだまだ、ポケベルのほうが巾を利かせていたものだ。

残業をしていると毎晩のようにカタコト日本語のフィリピン嬢から電話がかかって来る。
「○○サン、イマスカ〜?ワタシハ、○○デス」
(....ったく、またかよ)「お〜い、○○!またアレから電話だぞ」
あんにゃろが恐縮して言う。
「すんません。いないって言って下さい」
そっち系の飲食店の女性が客の会社に直接電話したらいけないというのは、最低限の不文律だと思うのだが、異国生まれのお嬢さんにはその機微が分らないらしい。或いはニッポンで生きるのに必死でノルマ達成のため同伴をせがんでいたのかもしれない。
男性読者諸兄、胸に手をあてて昔に想いを馳せれば大なり小なり、思い当たるフシがあるのでは?(^-^)/
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