2015年2月28日土曜日

怒り心頭、怒髪天

この一週間U君のあまりに悲惨で悲しい事件をメディア報道で接するたびに、胸が締めつけられる思いだ。島のみんなに愛された少年が夢と希望を胸に川崎に来て、こんなひどいことになるなんて誰が想像したろうか。川崎に住む者として、また子どもに接する少年野球に携わる者として、どうにもやりきれない思いだ。

今日やっと18歳17歳の3人の容疑者が逮捕された。「松本サリン」の教訓もあり、まだ確定されたわけではないから早計なことは言えないが、それにしても怒りで腹わたが煮えくり返るとはこのことだ。未成年の犯人(であろう)に対する怒りはやがてその親に対するそれに変わる。親はいったいなにやってんだ!(怒).....これ以上書くと怒り心頭、言葉を選ばず暴走しそうなのでやめておくけれど。
U君のご冥福をお祈りさせていただきたい。
人の親ならば同じ思いを抱くのではないだろうか。
(※上記記事に一部不適切と思われる文章を削除。思慮のない記述を自省し深謝いたします3/1記)
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先日のQueens2014卒部式。
午前の部はなんとか先日アップ出来た。今回はまだ午後の部までには至らない。なぜなら写真量がハンパない。なるべく自分を苦しめないように少なめに撮ったのに枚数は326枚。その中でブログ掲載用候補に絞ったのが71枚。それらを更に編集合成レイアウトして、やっと15枚にまとめた。この作業で本日の脳内バッテリーは19%になり、突然ブラックアウトしちゃうのだった。再起動するにはまず頭にコンセントをつないでじっと待つしかないんである。

近いうちにアップしたいけれど、追い打ちをかけるように週末はまたいろいろあるんである。とりあえず今日はその編集後の、15点に凝縮したデスクトップフォルダのスナップショットをアップしちゃう。
近日公開、なんである。
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2015年2月27日金曜日

悲哀辛痛

「悲哀辛痛」なんてゆう四字熟語はこの世に存在しない。
けれど、私の今の気分を表現すればこの4字に集約できる。
昨日TコーチからLINEが入った。その文章は「Tさん、突然すみません。私事なんですが....」で始まる長文であった。

青天の霹靂とはこのこと。
大手の会社員にはつきものの転勤.......である。

今はまだ心の収拾がつかない。
哀しいけれど、受け入れるしかないんだろう。
チームにとってどんなに必要な男であり、その家族であったか、
横からいきなり殴られたように、それを改めて思い知らされた現実。

チームの俺たちも辛いけれど、
一番辛いのは、とりもなおさず、Tさん家族だろう。

4月の転勤までにまだ一ヶ月の猶予がある。
いずれまたこのことは書くつもりだ。
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2015年2月25日水曜日

Queens2014卒部式:前編

...なんである。Queensのような少女野球では大会が多くなるのは秋から冬にかけて。少年野球ではシーズンが終わった年末などに6年生の卒部式(卒団式、送る会、お別れ会、納会...いろいろ呼び名はあるけれど)をやっちゃうことが多いけれど、Queensでは年明けて1月から2月あたりに開催する。昔のフレンズも1月末にやっていた。

午前中はどのチームでもお馴染み「親子野球大会」的な和気藹々の試合である。
午後は本番卒部式なんであったが、両方合わせて膨大な写真量となった。なので午前野球=前編として、余計な文章抜きで写真中心に掲載しちゃう。166枚の中から厳選40枚を抽出し、それを怒濤のスピード編集にて9点に凝縮。写真原本を見てどこをどうトリミングするかを瞬時に判断し、それら4,5枚をどう配置組み合わせて1枚に収めるかを電光石火の作業で完成させちゃうんである。
時間がなく忙しいことを理由に職人の仕事が甘くなることを、業界用語で「手が荒くなった」という。もしかしたら筆者も近年のこの作業、そうなっちゃったかもしれないけれど、それなりに考えてやっているんである。

Queens=Established2007。創設は2007年である。グランドに行くと妙齢の女の子がセカンド塁審を務めていた。訊けばQueens第一期生で初代主将の女の子なんであった。中学高校と野球を続けて、今は東京女子体育大学の学生である。打席ではさすがのアスリートぶりのスィングを見せてくれた。

「勇気凛々、瑠璃の色」とは筆者の尊敬する作家、浅田次郎の名エッセイだ。その「勇気凛々」のロゴを背中に背負っているのは、今季主将のFuuko。この子の笑顔はどんなに落ち込んでいる大人でも、瞬時に明るくさせてしまう魔法を持っている。楽しくて苦しかった一年間であったろう。お疲れさま。

名審判という人がいる。子どもがなかなか出塁できないことに業を煮やしたか、或いは大サービスを思いついたか、OBの一塁塁審Satohオヤジ、子どもが打って一塁へ、どうにかセーフにしてあげようと、こともあろうにベースを手で持って3メートル本塁方向へ移動させてしまったんである。公明正大を旨とする審判にあるまじき暴挙に出た。一塁手ポッチャリーズOgawaオヤジが背後の異変に気づくも時既に遅し、見事セーフとなった。場内大爆笑。(^-^)

親子野球の真骨頂、投手対バッターは親子での対決が基本である。それぞれ笑顔で、または照れながら野球を楽しむ。

大人も子どもも入り乱れ時間は過ぎる。フレンズでもいつもそうだけれど、どちらかと言えば子どもよりもオトナのほうが楽しんじゃっている。良いことだ。


後半は記録会である。ホームから一塁への走塁時間。ベーランでの一周タイム。それに遠投記録である。宮前少年野球を巣立ったOBがQueensコーチとして来てくれている。子らにとってはちょっと歳の離れた「お兄ちゃん」的存在。その三羽ガラスの若いコーチもベーランに挑戦。なかなかの走塁を見せてくれた。


お昼が近づきお開き。午後からのグリーンカップ初戦のため、フレンズと宮崎モンスターズが参集してきた。その結果は前回書いたとおりである。このあと筆者はQueensジャンパーを脱ぎ、FriendsVジャンに着替えFマークの帽子でベンチ入りしたんであった。
試合後はまたQueensの卒部式にいそいそと出かける私。もちろんその時はまたFからQueensのMマーク帽子に変えたのは言うまでもない。
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2015年2月23日月曜日

早春の輝き

陽の光が反射するとき、
夏のそれは激しい輝き、
秋のそれは穏やかな輝き、
冬はといえば厳しい輝き、となるだろうか。
そして早春のそれは柔らかな輝き、と表現したいものだ。
柔らかな光がヘルメに反射して、春が近いことを私に教えてくれた。

いよいよ2015少年野球シーズンの幕開けである。
グリーンスポーツ主催のグリーンカップはプロ野球で言えばオープン戦のような位置づけと筆者は勝手に思っている。連盟主催の大会が公式戦であるならば、これは準公式戦的な色合いがある。フレンズスコアラー部では練習試合以外の「○○大会」と冠の付くものは全て「公式戦」のカテゴリーに入る。今シーズンをある程度占うまたは互いの腹の探り合い的な要素もあるだろうか。ただ少年野球ゆえに「大会」と名のつくものである以上は負けて良いわけがない。やる以上は勝つことが大事だ。フレンズも弱小だったころからその心意気だけはあったのだけれど、初戦または2回戦敗退とどうにも実力が空回りすることが多かった。

2月21日。いよいよ少年野球対外試合解禁日にいきなりの大会初日なんである。
対するはGaun監督率いる宮崎モンスターズ。赤い「怪物」チームなんである。

先発MはエースMorishita君、重そうな速球を投げ込む文字通り「怪物」くん。フレンズは球の速さもさることながらこの重い球に力負けしたのかキリキリ舞いであった。予想以上に打てないんである。

Fの先発は主将のエースRui。バッテリーを組むのは一見中学生と見まごうばかりのYuiとの、RuiYuiコンビである。昨年もAでこのバッテリーで通して来た。
Fは全く打てなかったんである。先制点と追加の2点目も安打ではなく相手失策がらみで得たもの。終盤かろうじて内野安打とピッチャー強襲安打の2本のみだった。
強いて言えばRuiがM打線を1安打のみに抑えて完投完封したことが光ったことだけれど、「打てない病」をいきなりシーズン初頭に露呈しちゃったんである。
しかし今年はこんなものではないと自負はするものの、けっして巷間真(まこと)しやかに噂されている、今年はフレンズさん行くんじゃあないの?なんてゆー話は、開けてみなければ分らないのが少年野球を地でいく結果なんであった。

出鼻をくじかれる。良いことである。
子どもも親も我々コーチ陣も、これを謙虚に真摯に受け止めて、2回戦に臨むべきだ。筆者は去年から常々そう思っている。


シーズンいきなり気持ちのいいプレーもあった。
筆者にとっては3本の快打よりも好きなのは、少年野球ではプロ野球ほど見られない「ダブルプレー」いわゆるゲッツーである。4番Katahira君が安打で出塁したがそれを次打者の打撃で4-6-3のWプレーの完成。閉塞感の漂う試合内容だっただけにこれは爽快であった。
RuiのピッチングとこのWプレーの二つは早春の風の中でキラリと輝いていた。
2:0の辛勝。次を頑張ろう。

さてこのあと筆者は、夕方からのQueens卒部式にまだ時間があるので、第一公園ドームで2試合目を少し観戦することに。
カードは宮崎台シャークスVS南野川ブルーアローズ。
Sは今年人数が少なく連盟登録は厳しい状況だ。なので現6年生を加える代わりに6年生は右打者は左打席で、左打者は右打席で打つということを条件に、本大会に参加。とっても良い大岡裁き的柔軟な特別ルールだと思う。対するBも昨年は市大会まで行った闘将Yoshida監督率いる強豪であるが、新チームでは人数が激減し十数人のしかも低学年中心のメンバー構成となってしまった。つい近年まで弱小チームであり、人数も少ないFの筆者が言うのは大変おこがましいのだけれど、是非共に頑張ってほしい。Fは今年はちやほやされているけれど、明日は我が身、来年は全く同じ状況になるのは今から分っている筆者なんである....。


このあと筆者はQueensの卒部式へ行ったんである。
そのあたりのブログはまた次回なんであった。
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ところで余談なのだ。
前回ブログでもお知らせした通り、本日の東京マラソンに参加した43歳29番Tomiokaコーチ。筆者は急遽日曜仕事になって終日フジTVを付けていた。適当な時間にフレンズLINEにTオヤジのことをアップ。午後になってマラソンを終えた当人からLINEがあった。目標の時間はクリア出来なかったものの、完走は果たしたと。最後の2kmは脚が痛くなり走れず....しかしゴールは果たしたと。
素晴らしいことである。大いにエールを送りたい。
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2015年2月22日日曜日

あったかいんだから〜♪

今日は盛りだくさん、ネギだく、ツユだく、汗だくな一日なんであった。
女子野球宮前Queens卒部式である。今は帰宅してAM1:30過ぎ。詳報はまたいずれの機会に譲るとして。とりあえずの集合写真だけアップしちゃう。

二次会は鷺沼駅前居酒屋2号でオヤジどもだけで乾杯。
みんな実にハートが温かいんである。Queensの父母、コーチングスタッフ、連盟関係etc...。

どうしてこうも男というものは、酒を飲んだあとラーメン的な温かい汁ものが欲しくなるんだろうか。帰りの道すがらコンビニ寄って即席味噌汁を買い込んだ。
白く立ちのぼる湯気を見ていたら、例のフレーズが浮かんで来た。

「あったか↗いんだから〜♪」
Queensブログはこの一週間以内に書く所存なんである。
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2015年2月21日土曜日

アラフォー男の挑戦


筆者年齢は不肖であるふうにブログを書いているんである。清水(しみず、ではない)の舞台から飛び降りる覚悟で50代であることは認めようではないか。しかしココロの中は時に自分でも「アホか!」というくらいに、中学高校男子的なガキくさいところもある。いわゆる「気持ちだけは若いけれど体がついていかない」という典型的なオッサンなんであった。「俺だってフレンズ入ったアラフォーの若い頃は、外野守備でダイビングキャッチやったり、延々とノックをやったりしちゃったんだかんね」と言いたいが、言えない。なぜなら懐古的にそれを言った時点で自分をジジイと自ら認めたことになるからである。「俺の若い頃は...」を連発するようになってはおしまいだ、というオトコの美学を以て世間と対峙していたんであるが、だが最近は愚痴っぽくポロリとこぼしたくなったりして。ポロリとこぼしても楽しいのは芸能人水泳大会くらいなのものである。
言い訳はいくらでもある。40代のころから肩から腕の神経に痛みが走るようになり慢性化、当然の帰結としてグランドに出て動くことがめっぽう減り、それが運動不足になって更に腰を痛めてますますの悪循環・負の連鎖、近年は小指骨折と人差し指先っちょ切断がトラウマになり、とうとうボールを握ることすら機会が減ったんである。
それでも鉄棒懸垂と逆上がり、腕立て腹筋背筋はまだ出来る自信がある。サッカー小僧だったのでスライディングだってお手の物である....が、怪我や腰を痛める映像がチラリと頭をかすめた瞬間、恐怖で出来なくなっちゃうんであった。

先日グランドの砂場の鉄棒で、子どもたちを前に逆上がりを難なくこなすオヤジがいた。
それを遠目に見ていた筆者は「俺もいっちょやったるかい」的な気分になったけれど、前述の理由によってただただ目を細めてニコニコ見守る筆者なんであった。

テメエのことを延々書いておきながらやっと本題である。
その鉄棒の彼がフレンズ29番コーチ、トミーことTomiokaオヤジなんである。このブログでもたびたび登場しているので、今更その人となりや来歴などは割愛しよう。あえて四字熟語で言えば「熱血指導・清廉潔白・職人気質」の一本気な真っすぐなオトコなんである。かといって堅物ではない。酒は苦手だが酒宴でのノリは飲ん兵衛に負けない。更に言えば美人妻を伴侶にし一男一女の父でもある。かつてプロ野球3球団のテストを受けたこともある実力を伴った野球バカなんである。

その彼がナント、今週末の「東京マラソン」に出場するのだ。毎年かなりの応募倍率であるが幸運にも出場権をゲットしたんである。昨年から子どもと一緒に帰宅後の夜のジョギングなど練習準備はやってきたようだ。今日そのゼッケンがフレンズLINEにアップされた。(※今後LINEにアップされた画像はこんなふうにLINEキャラを添付することでその証としたい)

本人はタイムよりも謙虚にただただ完走することを目指しているらしい。
LINEで筆者が「おっしゃ、「晴耕雨読」に告知しちゃうかんね」と書いたら「完走出来なかったらめっちゃ恥ずかしいやん」と返って来た。
そんなことはない。
タイムや完走することよりももっと素晴らしいことがある。
それはアラフォー男が自分の限界に挑みそれに挑戦するその「姿勢」である。その心意気がどうにも素晴らしいではないか。

結果はどうあれ頑張ってほしい。その姿を子どもらにも見てほしい。
もしかして次期オリンピックマラソン選手候補に抜擢されちゃって、フレンズに来れなくなったら.....。
それは困る。
現フレンズには欠かせないコーチだからね(^-^)
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2015年2月19日木曜日

コトバ

普段、日常、毎日、常日頃、言葉に接する機会はもの凄く多いものである。
朝刊の中の文字、駅のアナウンス、隣りの乗客の話し声、iPhoneで聴いている音楽の歌詞、朝礼の挨拶、仕事の打合や会議、書類やメール文章、TVから流れるドラマのセリフやニュースのアナウンス、家族の会話、雑誌の中の記事、.......更に、自分の頭の中で、音声に出さなくとも心の中に浮かんでは消える言葉の数々。例えば今、このブログをここまで読みながら、読者諸兄は頭の中で「あんだよー、今回も野球ネタじゃなくて、難しそうな話だなあ」とか、或いは「おっ、今日はやっと更新してんじゃん、ナニナニ、今回は言葉の話か...」と思ったに違いないんである。電車の中のスマホかPCを起動したついでに。

でしょ?

そう考えれば人間は実に言葉に囲まれながら、あるいは言葉に励まされながら、時には言葉に翻弄されながら、或いは言葉に傷つけられながら、逆に言葉で人を傷つけていることに自分でも気づかずに、この日常を過ごしているのである。日常で言葉に接することなくいる状況は夢を見ていない時間帯の睡眠中くらいのものである。
休日に独り。新聞もTVもラジオも雑誌も見ず、何も考えず無言のまま頭をカラッポにしてボーっとして青空を見ている。そこに「言葉」は皆無だろうか?答えは「否」である。なぜなら心の中で「抜けるような青空だなあ。気持ちいいなあ」なんて無意識のうちに、自ら頭の中で言葉を発しているからだ。ボーッとしていつつも「抜けるような青空だなあ。気持ちいいなあ」という言葉に人間は接しているのだった。
このブログを書いていて途中からこの事実を発見した筆者は今、愕然としてしまったんである。この発見は少なくともSTAP細胞発見よりは信憑性があるはずだ。ノーベル言葉学賞受賞の期待は薄いけれど。

こんなふうに筆者は「言葉」が大好きなんであった。いちいち言葉が気になって仕方がなく愛しているんである。
昨年朝日新聞朝刊の『天声人語』に載っていた文章を一部引用させていただく。
本来こーゆー時は著作権法上出典の日付けなども明記すべきだが、忘れちゃったのでゴメンなさい。(写真に埋め込まれている日付け情報を見ると、2014年7月17日であった)また本来新聞記事の写真をブログなどに掲載するには、新聞社にお金を払って借用したのち載せなきゃいけないんであるけれど。
ブロガーの皆さん知ってました?

『.......父親と息子が車に乗っていて事故を起こし、大けがをして彼らは別々の病院に運ばれた。父と離ればなれになった息子が搬送された病院で、担当に出て来た医師がこう言った。
「これは私の息子です!」....』

ちょっとしたミステリー仕立ての話のようでもある。
みなさん解は分りますか?答えは簡単。その医師は息子の母親だったのだ。
「医師」イコール「男性」という思い込みが、簡単な話を複雑にしてしまう....という『天声人語』なんであった。

そこで思い当たることがあった。昔から書きたかったことである。

「女流作家」と言うが、男流作家とは言わない。
「女流カメラマン」と言うが、男流カメラマンとは言わない。
「女性議員」と言うが、男性議員とは言わない。
「女性ガードマン」と言うが、男性ガードマンとは言わない。
更には「女社長」「女教師」「女盗賊」...枚挙に暇(いとま)無し。

昔こういう言葉に対して男女平等同権を訴える女性グループ団体(?)が猛然と抗議したことがある。女性蔑視の言葉であると。
それは違う。
書くことを日頃のルーティンワークとしている筆者に反論の余地を与えて下さるならば、これは差別ではなく区別なんである。誤解を招かないための。
先の天声人語の「医師」が男性という思い込みを避けるためにも、「女医」という言葉をあえて使うわけで。
言葉って面白くも難しいのであった。
逆に言えば難しいからこそ面白いんである。

そこから派生しての話。
昔は「助教授」今は「准教授」
助教授を英語にすると「アシスタント・プロフェッサー」となるんだそうな。助教授は決して教授のアシスタントではないとの、憤懣やるかたなき風潮から確固たる地位を明示するために「准教授」となったんである。

「ある看護師Aが同僚の看護師Bと飲みに行った。深夜になり終電もなくなったのでAが「俺んちに泊まっていくか?」となり、二人はAの家に行って朝まで一緒に過ごした」
という文章で、つい二人は男同士という誤解を持ちつつ読んだ読者もいるだろう。B看護師は女性である。お持ち帰りしちゃったんであった。
昔は「看護婦」今は男も女も「看護師」
男女の別なく職業の貴餞(きせん)なく、男女平等の観点から生まれた言葉であろう。

100年後の将来、医学がめっちゃ進歩して、いつか男も子どもを産めるようになったら、(そんな未来は御免願いたいが)「妊婦」は「妊夫」となってしまうんではないか。
「主婦」に対して昨今「主夫」という言葉が市民権を得たように。

「言葉って面白いですね、それではサヨナラ、サヨナラ」(^-^)/
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