2015年12月23日水曜日

最終戦は雨を凌駕する笑顔

先日の日曜はご存知6年生を送る会に身を投じ、のちに二次会を経て酩酊、仲間と夜ラーメンをすすり帰宅したのだった。
ということは、つまり、「下町ロケット」最終回は見とらんのか?
見とらんのである。
しかし、ちゃんとちゃんとの味の素、しっかり録画しておるんである。
今、それを右目で観ながら、左目でMacの投稿画面を捉えつつブログ開始なんである。
本当は椅子にどっかり居座って、ビールをどぶんと呑みながら、どっぷりドラマに浸りたいのが本音なんだけれど、背に腹は変えられぬ。ながら族さながら、二足のわらじ的わたしなんである。

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北部大会決勝に続き高津ドジャース杯決勝なんであった。
その日は冷たい雨がそぼ降る中、多摩川河川敷スタジアムに参集、寒い曇天とは裏腹に熱いゲームが展開されたんである。
(※昨晩南部リーグ決勝と誤記。俺もとうとうヤキが回ったか。FのUさん、貴重なご指摘ありがとうございます。m(_ _)m12/23PM訂正)

試合会場に向かう道すがら偶然相手チームの野川台フォルコンズさんの母スコアラーさんらと一緒になった。フォルコンズさんは美人母の宝庫として筆者は以前から認識していたんであるが、それを再認識させられるのであった。「晴耕雨読」ブログの話になり、過分のお誉めの言葉を頂戴し正直、めっちゃ嬉しかった。しかもこちらの文章の意図するところを深く理解して頂いていたのには驚き、更に嬉しかったんであった。

さて毎度ながら前置きの長い「晴耕雨読」なんである。ここからはすでに有名無実となってしまった「一気呵成」と行きたい。「下町ロケット」も後半戦に入ってきたんである。
美人母と談笑しながらふとニコタマの高層マンション群を見上げると、今大会の決勝を盛り上げるかのように巨大な横断幕が掲げられていたのだった。(^-^)

ここまでタイムラグ40分。「下町ロケット」に見入ってしまい40分ブログの筆が止まってしまっていた。針の止まった大きなのっぽの古時計みたいに....。
さて鋭意「晴耕雨読」再開なんである。
一度は止まった心臓がガウディによって再び蘇生するように...。


試合経過は割愛したい。試合の数字の羅列よりも互いに切磋琢磨し、もっと人としての素敵なゲームだったから。先日のメイツ戦同様、フォルコンズの中には連合繋がりの見知った子の顔が笑顔で躍動していた。
筆者雨に濡れながら多摩川の土手に登りスタジアムを俯瞰、久しぶりにミニチュア効果の写真を撮ってみる。

試合途中フォルコンズ軍団に笑みが漏れた。理由は忘れたが、こんな笑顔が見られるのがこの時季の大会の良いところ。ピッチャーと監督Watanabeさんのベンチの笑顔が印象的だった。

試合途中我がフレンズ美女母代表OB、Natsukiと、フォルコンズ美女母代表Tanaka母が歓談する姿を激撮してみる。こちらも雨天を吹き飛ばす明るい太陽のような笑顔。


結果はフレンズが優勝。3番Yuiが大暴れ、4番Hajimeも共にそれぞれ3打点を記録。
しかし、お互いに記録よりも記憶に残るゲームだったのではないだろうか。特に6年生父母たちにとっては。
この「愛と青春の日々」的な帽子投げは、今年何回目であろうか。幸せなことである。

閉会式。
MVPはフレンズの主将Rui。彼はこの1年チームを引っぱり、本当によく頑張った。
恒例試合後の集合写真。互いに本塁をバックに和気藹々(あいあい)と撮影。
親たちがこぞってカメラを手にわらわら参集する。微笑ましい光景、野球のみならず全国あらゆる少年少女のスポーツに関わる親たちの本能がそうさせるのであろう。

フォルコンズの写真は筆者が、フレンズのそれはフォルコンズUeshimaさんが。互いのカメラを交換しあいながら撮影。おかげで筆者もフレンズの輪の中に無事収まることが出来た。

「下町...」の勧善懲悪に胸がすく思いをしながら、時に涙腺を緩めながら筆を止めつつも、なんとか今年の野球試合関連ブログが完遂した。

ここから以降の少年野球「晴耕雨読」BLOGは試合とは無縁の、「6年送る会」及び日々の由無しごとにゆったりと緩急取り混ぜ、年末から正月までの短い期間を過ごすことになるんであった。
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2015年12月22日火曜日

その涙にエールを

やっと終わったというべきか、とうとう終わってしまった、というべきか、ソクラテスもプラトンも知らないうちに、昨日「6年生を送る会」が終わった。筆者よりも卒業生父母たちの感慨はひとしおだろう。そのへんのブログはまたいずれ。少なくとも来年になっちゃう前には仕上げたい。なぜなら今年の年末年始はいよいよ宮前Queensの記念誌デザインに本格着手せねばならないからである。正直言うと自分の中での制作スケジュールが大幅に狂い、焦燥感にかられて夜中にハッと目が覚めてしまうくらい、ヤバイんである。マジ。

今日はかねてからの懸案事項であった2試合分のブログのうちのひとつ、なんである。
書きたいことはテンコ盛りなれど、諸般の事情により「文章短め写真多め」でお許し願いたい。吉野家で「ご飯少なめ、ツユダクで」みたいに。すでに賞味期限は過ぎた感はあるけれど、消費期限はまだのはず。

一気呵成に「さあ、行きましょう!」

北部大会決勝戦VS馬絹メイツ戦なんである。監督Kimuraさん、ベンチコーチFukahoriさん、Yokoseさんなどの面々。連合でも大活躍を見せたHazama君やFukahori君などの姿も見える。










初回Mに先制点を許し、その後更に3回には追加点を取られ2:0。ナニかシーズン中と違和感があるFナイン。その理由は筆者のみならず誰もが分かっていたはずだ。燃え尽き症候群的にF選手たちはすっかり気が緩んでいたのだった。
ここで満を持して監督Satohが喝を入れる。「おまえら、中学行っても野球やるんだろ!こんな野球やってたら、中学になっても野球やる資格ねえよ。繋ぐ野球を忘れるな。相手チームは真剣に野球やってるじゃないか」
(※筆者註:一部始終をスコアラーをやって脇で聞いていたのだったが、ほんの少しだけ脚色を加えた文章にした。けれどこれ、ほとんどそのまんまである)
これが母たちにも伝播(でんぱ)したのだろうか、それまで椅子に座ってノンビリ観戦していた母たちまでが一列に並び、シーズン中のように応援し始めた。(本来は楽しくノンビリ観戦でも良いのかもしれない大会ではあるんだけれど)

このSatohマジックが炸裂した。俄然、ナインたちは目の色が変わり、一瞬にして骨髄に血が通ったようであった。
特に小さいカラダながら下位打線で今年貴重な犠打王にもなったKyohsuke。なんとか次に繋げようという思いから、ボールカウントを判断しバントの構えから小さい体躯を更に小さくして四球狙いのバッティングフォーム。ヤツの野球に対する真摯な姿を見た気がする。
更にYuiが満員のプール席に飛び込む起死回生の柵越えのホームラン。今年何本目だろうか、電卓が要るほどだ。

このあと北部大会史上に残る(かどうかは知らねども)、大接戦が展開したのである。
7回終了時2:2の同点、雌雄を決する決勝戦で特別延長に突入した。
Mは8回表2点奪取。湧きに湧くメイツナインとそれ以上にテンションMAXの親たち。後日談で聞いたのではあるけれど、最後の大会で強豪フレンズを撃破し念願の優勝を勝ち取り有終の美を飾れるとの思いから、父母たちは爆発的な喜びようなのだった。その思い、すんごく良く分かる。昨年の新人戦のウルフVSフレンズがそうだったから。

しかし結果は非情にもその裏Fが、実力でねじ伏せたのではなく、勝利をもらったカタチでのサヨナラゲームなんであった。
試合後Kimura監督にも言ったのだが、筆者は正直、試合途中で「ウチが負けた」と思ったのだった。
フレンズの優勝を祝う気持ちよりもむしろ、メイツの素晴らしい健闘ぶりに心からエールを送りたい。
試合後、円陣を解いたメイツの子らの幾人もが泣いていた姿が胸に迫ってきたのだった。

※「ご飯少なめ、ツユダクで」とならず、やっぱりそこそこの文章量になってしまった。
書いているうちに熱くなっちゃう悪いクセなんである。今日もこんな時間になっちゃった。高津ドジャース杯決勝戦VSフォルコンズはまたいずれ、なんである。
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2015年12月20日日曜日

要領の悪いヤツ

今日は夕方5時まで仕事をし、明日のフレンズ「6年生を送る会」の最後の仕事、10人分の写真立てのセットアップと、成績発表のA1サイズのフリップを作るのだった。楽勝だ。勝算はあった....9時頃までは....。これが終わったらTSUTAYAのまだ封を開けてない映画「海街ダイアリー」でも観ちゃおっかな〜、なんて。

10個作った写真立てに妙に引っかかるものがあった。
9人はフレンズ伝統のピンストライプユニフォームを着てのものだが、一人Kohkiだけセカンドユニフォームなんであった。うーん、これは可哀想か。悩んだ末に作り直そうと。この期に及んで1月から12月までの膨大な写真群をひも解きKohkiだけに特化した縦縞ユニの写真を大捜索。彼は左打者ゆえ打席に立った顔を捉えるには3塁側から撮らねばならぬ。ほとんどは右が多いのでだいたい1塁側から撮るため数が少ない。しかも小さいときからのクセで、打つ瞬間球筋を見極めるために顔を極端に下向きにするため、表情を捉えてるものが少ない。ほとんどヘルメットしか見えてこないのだった。たまに顔が写った写真があっても望遠で捉えてるがゆえに、パソコンで引き延ばすと画像が粗く「ガギガギ」になっちゃう。
2時間ほど格闘し、諦めたんであった。
もう今日の明日だし明日このブログを見るチーム関係者は少ないはずだから、もうブログで公開しても大勢に影響はなかろう。毎年1個1個渾身のチカラを込めて作る記念品なんである。Kohki親子には明日謝ろうと思う。

ここで寝るつもりだった。
夕方作った年間成績のA1サイズの紙に貼った黒い短冊状の紙。「じゃーーーん!」とか言いながらめくるTV番組などでもフリップ的なやっているアレである。今年は時間がなくて、かつ、スマートにやろうと黒い紙を住友3Mの仮止め用「スプレーのり」で貼った。その昔若い頃、仕事のプレゼンでさんざん死ぬほど使ったスグレものなんである。
寝る前にちょっと試験的に剥がしてみるかっつうの。
「じゃーーーん!」...綺麗にペリッ...と行くはずだった。

あにはからんや、「バリベリびらびらガッサガサ」

ああ、なんちゅうことだ!
思わず腰が抜けてへたりこんで地中深く沈み込み、勢い余ってブラジルまで沈下し貫通しちゃいそうになった。
ベースの紙まで剥がれて持っていかれてしまった。これでは明日使えないわけで。
「ぐしゃんぐしゃんの、ぎろんぎろんの、ぺこんぺこん」に丸めてやった。

明日早起きしてもう一度作り直す決意を胸に、いっそ自虐的にブログに書いてやれと思い、筆を執った次第なんである。
好きな女性に僕はそんなつもりはないのに、不用意なニュアンスの言葉を送ったがために、大いなる誤解を招き嫌われる...要領の悪い、不器用なヤツ。指先は人並みはずれて器用なのに。中学生の頃からそうだった。最後の土壇場で逃げられちゃう、そんなことを想いだした(^-^)

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2015年12月17日木曜日

トンネルを抜けると...

...そこは雪国だった。

先日来からの懸案事項的ミッションインポッシブルであった、6年生の写真立てが完成しちゃったんである。毎年2,3人であるが今年は10名の大所帯。その子の1年間のベストショットを膨大な写真倉庫から選択し、更に限られたスペースに加工編集して配置、今日全員分の写真用紙出力まで終えたのだった。
長いトンネルの先にようやく一条の光明が射してきたんである。あとは額縁にセットするのみ。...と言ってもまだ成績発表のA1サイズの表を作らねば、なんである。

今日、年間成績の各項目や各賞選出選手について、Yanagisawa代表にFAXを送り、電話で了解を得た。A3サイズ4枚出力しA1に繋ぎ合わせる作業を土曜までに完遂せねばならぬ。これは1日あれば出来る勝算を得たわけで。

筆者の子どもが小学生の頃は、このクリスマス時季ともなれば親も一緒にワクドキしたものだった。コートの襟を立てて達郎の「クリスマス・イブ」を巷で耳に届けば、ココロが浮き立つような高揚感があったものである。渋谷のスクランブルを渡れば誰彼となくハグしたくなるような、独特のテンション、空気感があったものだ。

しかし、いつの頃からかクリスマスよりも、例年の少年野球のルーティンワークに身を粉にするのが当たり前になっちまった。年末の厳かなこの時季、粉骨砕身夜ごと悶々、額に見えない汗をかきながら、カラダと脳味噌をフル稼働するのはちょっと疲れるけれど、これが出来るうちが「華」だと自分に言い聞かせる今日この頃なんである。


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