2016年6月6日月曜日

「友だち」と「仲間」

このところフレンズは5,6年と4年以下が別行動の週末が多い。そーなんである。低学年大会にフレンズは馬絹メイツとタッグを組んで参加することになったんである。お互いに低学年は少人数同士、近隣メイツさんからお声をかけていただき、実現の運びとなった。今年の大会では全15チーム中、唯一連合チームなんである。でもって、本日午後は有馬小でグランドを持っているフレンズがメイツ4年生以下と練習、反対に第一公園を持っているメイツさんがフレンズ5,6年を迎えて合同練習となったんであった。(※以下時々相手チームに敬称「○○さん」は文脈からして省略することあり)
筆者思った。フレンズを直訳すれば「友だち」、メイツのそれは「仲間」。ベストフレンドやクラスメイトなんて言うではないか。ちなみに「スクールメイツ」には二つの意味がある。ひとつは「学校の仲間」、もうひとつは「テニスウェアを着てポンポンを持ちアイドルの後ろでパタパタ踊りまくる女子バックダンサーの団体の名称」更にこの地域、宮前の大昔は馬の産地か牧場があったとかで、馬にちなんだ地名があるんである。有馬フレンズと馬絹メイツ。

とりあえず5,6年の第一公園ドームへ、ぶんぶん、ぶるぶる、ぶろろろろ〜。


着くなりKimura監督としばし談笑。Kimuraさんは青森の出身でこちらへ転勤になって、息子さんがメイツにお世話になって以来、10年ほどBとAの監督業を受けているのだそうだ。筆者も東北の産で山形を出て約40年ではあるけれど、Kimuraさんは全く訛りを感じさせず、むしろ南方系の方かと思っていた。今年主将になったのは息子さんだった。

和気あいあいの中互いのチーム同士での会話。フリーバッティングでMの5年生の子が素晴らしい打撃を披露していた。Fの監督Itohが「ウチにもらっちゃおうかな」と言えばすかさずKimuraさんが「じゃあ、うちはフレンズのShohmaもらおっと」

厳しい叱咤の言葉を大声で発しながらシートノック。しかしその心の内側から少年野球に対する子どもたちへの愛情がにじみ出る指導と筆者は感じた。子どもたちからの信頼も厚そうだ。あっと言う間にFの子らの名前も覚えて「セカンドKunji!カバー走れっ!」何度か繰り返してやっと出来た。「いいぞKunji、やれば出来るじゃん」叱って褒める。人心掌握術に長(た)けた人なんだろう。

普段の公式戦ではバックネット裏からの撮影は御法度である。「そうだ!京都へ行こう」ではなく、そーだ、ネット裏から撮ってみちゃおう、なんである。この写真紅白戦のKimuraくんのマウンドを撮ったもの。周囲にあるドーム状の黒い陰はなんでしょうか?10秒以内に答えよ。来年の東大入試に出る問題かもしれない。

はい、時間切れ。
正解はアンパイヤの黒いジャージの脚なんである。バックネットの地面すれすれにカメラを置き超ローアングルで撮影。

昨年のメイツの名選手、OBのRyohtaくんが来た。今は都筑ボーイズに通っている。一段と背が伸びたように思うし、すっかり中学生らしくなった。特に長い脚の太ももあたりがアスリートっぽくなって頼もしく見える。彼に限らず小学生からいきなり硬球のシニアやボーイズに行けば辛いことや挫折しそうになることもあると思うけれど、宮前のOB諸君、頑張って欲しいものだ。Kimura監督の粋なはからいで代打の切り札で打席に。ちょっと気負ったかな。昨年ブログで紹介したけれど、母は関東キー局の女子アナ顔負けの美人さんである。

..........
さてさて、50馬力の愛馬を駆って有馬小ドームへ、ぶんぶん、ぶるぶる、ぶろろろろ〜。
こちらでは低学年大会に向けて4年以下の練習風景。
こっちもフレンズOB、ShohgoとHajimeが手伝いに来ていた。

ライトの守備。Fの1年生Haruがメイツの子に。「もっと腰を落とせよ」

Mのライトくん「おい、何すんだよっ」
Haruは知らんぷり。

にらみあう二人。一触即発?...かどうだったかは筆者は知らない。遠くて会話は聞こえないからだ。
これもまた小さい子同士の良い経験だろう。二人はこのあとも普通におしゃべりしまくっていた(^-^)

連合チーム「フレンズメイツ」としての監督はFのKakenoくん。フレンズ伝説のOBである。29番はメイツの....。大会冊子を解読してみたが漢字が読めない。月曜19時フジテレビのネプリーグの漢字問題では、ほぼ最終関門までイケル筆者なんであるが、最後で沈没する。筆者でもこれは観念せざるを得ない。近くにいたおしゃれなメイツ美人母軍団の一人に訊いてみたら、偶然29番コーチ氏の奥さんだった。「私の夫です。これTsuzuranukiって読みます」と。ここでは特別な場合を除き漢字で実名記名は避ける方針なので、書けないのが残念だ。はて寺社仏閣の建築用語のようでもあるし、由緒正しい公家の末裔のような名前の響きもあるし。珍しい人名に接すると興味が湧いてしょうがない筆者。「つづら折り(織り?)」の「つづら」かと思ってネットで調べたら当たらずとも遠からずであった。
何やら若い監督コーチたちで戦略会議か。


最後に昔はメイツの監督をずっとやっていらしたSuzukiさんに声をかけて話してみた。メイツの栄枯盛衰を見てこられた方だ。訊いてみたらメイツ歴は26年。筆者がF歴20年だから大先輩である。FのKakenoくんの現役時代も知っていた。Fの代表Yanagisawaさんがほぼ36年、他にも宮前では未だに少年野球に携わっている指導者のお歴々がいる。実にありがたいことである。
かつては鮮やかなメイツブルーであったであろう帽子を見れば、それは100年続くうなぎのタレを連錦と守り続けている老舗のような、いぶし銀の輝きすら放っていた。年下で初対面の筆者にも腰が低く丁寧な応対をしていただいたんであった。

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2016年6月2日木曜日

返還と奪取

本日、前監督Satohくんから吉報が届いた。フレンズLINEにアップされた文言はこうだった。

『昨年の有馬フレンズの活躍に伴いまして、[平成27年度川崎市スポーツ協会・奨励チーム]として表彰されることになりました。

川崎市のスポーツ協会表彰規定に基づき決定致しました。』

つまりは昨年の偉業に対して表彰してもらえるとのこと。我がチームながら、改めて昨年のフレンズに感謝なんである。

更にこれは昨年から巷間(こうかん)まことしやかに囁かれたことではあるけれど、今年は数々の返還行脚(あんぎゃ)が待っているんであった。
東有馬のNakamura副事務の会社に保管されている、昨年のトロフィーや楯を愛おしく抱える、NakamuraオヤジとToyodaオヤジ。

これをいつかまたフレンズが奪取したいものだ。
もしそれが叶わぬものならば、せめて宮前勢に持ち帰ってもらいたい。
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2016年6月1日水曜日

小説「月に降る雨」4-A

龍一が中野坂上のアパートに越したのをきっかけに、まるで吸い寄せられるように希伊はここで同棲することになった。ある日曜日の午後突然引っ越し業者がやって来て、決して多くはない荷物を部屋に運び込むのを唖然と見ていると、ほどなくしてショートカットの髪を汗で額に張り付かせた希伊がにっこり笑いながら言った。
「来ちゃったよ」
龍一はびっくりしながらも、この瞬間を楽しんでいる自分を発見した。可愛い猫が背後の高い棚から突然肩に飛び降りてきたように。そっか、今日から希伊と一緒に暮らすんだ。悪くない。
「それにしてもいきなりすぎじゃんよ。前もって連絡くれればいいのに」
「ほう、前もって連絡してたらどうしてた、リュウ?公衆電話代がもったいないじゃん」下から上目遣いで見上げる希伊のいたずらっぽい目に若干うろたえながら
「前もって連絡くれてたら....んまあ、変わんないか」と言って希伊を見ると、彼女はすでに業者へ向かって勝手知ったる狭い部屋に、あれを置いてこれを運んでと指示を飛ばしていた。「聞いてねえのかよ」
そんなある五月の晴れた日曜から二人の同棲は始まったのだった。

いろんなところへ行った。場所はどうでも良かった。近くの公園だったり遊園地だったり神宮での野球観戦だったり。時には金沢へ二泊三日の遠征に出かけたりもした。また時には部屋を一歩も出ず、一日中裸で抱き合ったり。二人の心と躯の距離は以前にもまして縮まり、熱したフライパンにバターをふた切れ落としたように、熱く解け合うような濃密なな一年間が過ぎた。ときどき激しく口喧嘩をしたこともあったが、互いに心が離れることは決してなく、このままずっとこの暮らしを続けたいと思うようになった。
その間、龍一も希伊もバイトを懸命に続けた。すでに店では二人の仲を知らぬ者はいなかった。皆に愛され祝福されていた。店長に至っては、きみたち結婚するときは俺に仲人やらせろよ、と強要するくらいに。「俺が今独身でカミさんと出会ってなくて子ども四人もいなかったなら、絶対きいちゃんにプロポーズしてるんだがな」と、九十キロの体躯をわっさわさ揺らして言った。破顔一笑龍一は希伊を振り返った。
「希伊、どうする?」にこにこしながら希伊が返す。
「店長。お言葉は嬉しいんですが、絶対無理っす」
「おいおい絶対はねえだろう、絶対は」
バイト仲間同士でも池袋の店が終わったあと新宿歌舞伎町まで行き、何度か朝まで飲んだこともある。「自分もいつかリュウさんときいさんみたいなカップルになりたいっす」と、今年専門学校二年生のバイト後輩に言われたこともあった。
「ダメダメ。おまえはちゃんと学校出て、ちゃんと就職してちゃんとした社会人になってから。俺みたいなバイトの不安定な立ち位置じゃあ、結婚なんて無理だぜ」
「いやいや、結婚なんて言ってないっすよ。彼女を作るならきいさんみたいな人がいいかなあって」
そうか、俺、結婚のことまで希伊とのことを考えているのだなと、はからずも思い知らされた龍一だった。今までも考えなかったわけではない。しかし、バイトの身ではどこかの会社の社員になって安定した生活を保証されている者に比べたら、まだまだ無理だと思っていた。その時ふと龍一は思った。『まだまだ...?』まだって、じゃあいつまで?龍一の胸の奥にぽっと熱い炎が灯った。希伊との今の暮らしのことばかりしか頭になくて、今日よりも明日のことに思いが至らなかった自分を恥じた。
「神島さん、何難しい顔してんすか。希伊さん、俺、なんか怒らせちゃったかな」
希伊はビールのお代わりを店員に頼んでから
「気にしない気にしない。リュウがこういう時って、なんか別のことに頭が飛んでる証拠なのよ」
後輩と希伊のその会話すら聞こえていない龍一だった。

翌日曜にコンビニへ行き履歴書を買った。消費税が3%から5%に上がっていた。その足で丸ノ内線で新宿まで出向き履歴書用の写真も撮ってきた。新宿西口は立錐(りっすい)の余地もないほど超高層ビルが林立していた。ビルの隙間から見上げる四角い空は、都会にしては珍しいほどの雲ひとつない紺碧だった。この年の十一月にサッカー日本代表がアジア最終予選で、悲願のワールドカップ・フランス大会初出場を決めることになる。
そんな1997年だった。

.....................

今日やっと分かったんである、ポチクリが少ない理由が。PCならば記事の下に「いいね」的なボタンがあるのだけれど。最近はスマホで見る人が圧倒的に多い。スマホではこのボタンが表示されないんであった。画面最下部の「ウェブバージョンに切り替える」にすれば、PCで見るのと同じ画面に変わる。そこの下にひっそりとポチクリボタンがあるのだが...。

次回は「小説4ーB」
こういう余計なあとがきは無しで掲載しちゃう。
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2016年5月31日火曜日

風を切る喜び

万年人手不足に悩む田舎の繁忙期の農家のように、少年野球チームにおいても部員不足は深刻な悩みなんである。フレンズにおいてはもう何年になるだろうか、ほぼ慢性化しちゃっている。そんな中、昨年の全国まで行った成績は、強豪マンモスチームのそれと違い大快挙と言っても過言ではない。しかし人数不足はチームによってまちまちではある。Queensは毎年少人数、ヤングホークスも徐々に減りつつあり、先日Kurosu監督のボヤキにも一段と拍車がかかっていた。また記憶に新しいのは神木マーキュリーズの人数激減による休部。今年満を持して復活したことは、本当におめでとうと、申し上げたい。片やいつも大人数を抱えるチームも存在するわけで。野球人気とサッカー人気の上下動で少年野球人口が左右されることは、よく喧伝(けんでん)されること。でもたとえ野球人気が下火の時代であっても、東京あたりは1チーム内で各学年で一個のチームを作っちゃうくらいな地域もあるんである。

さて、そんな時どのチームでもやるのが「体験会」である。今回は西有馬小で開催。Nakamura副事務局の努力には全く頭が下がる。今年2月に開催した時の反省点や改良点を見いだし、チーム全体に投げかけ討論し、チラシを配り(父母で)今回の開催までこぎつけたんであった。子どもの人数確保は日々の活動をやる上では危機感がなくて、今ひとつ本気になれないものであろう。しかし中長期的展望とリスクマネジメントを掛け合わせた時に、にわかに喫緊(きっきん)の課題であることに気がつかねばならない。昨年の春県大会優勝でお祭り騒ぎだったフレンズの中で、筆者は密かに人数が激減する来年のことに思いを馳せ、憂いていたんであった。そもそも野球人気以前に、地域の子どもの数自体のパイが小さいので、憂いにも勢いがついてしまうというものだ。

学校に行くと昨年勢いで作ったチームのノボリが翻っていた。実に懐かしいし誇らしい気分にもなる。良いアイディアだと思った。Shohtaが持っているバットは爪楊枝ではない。超小型の金属バットなんである。世の中にこんなちっちゃい金属バットが存在するとは思わなかった。

西有馬から5人来てくれたんである(来ていただいた)。これだけでもものすごくありがたし。チームメンバー、監督コーチ、代表から挨拶。更に来てくれた5名からも自己紹介。最初は親御さんもちょっと緊張ぎみだった。
(※お断り。まだフレンズの一員ではないのに、勝手に写真を掲載することをお許しくだされまし)


ランニング、準備運動、キャッチボールは低学年の子らと一緒に。
ティーバッティングは初心者には最もわくわくするイベントであろうか。みんな結構うまくミートしていた。そのたびにフレンズ母から拍手喝采なんである。

前回の反省を踏まえて、今回は監督コーチ自ら基本を伝授。本来なら練習なので練習着になっても良いのだが、そこを敢えて選手や監督にユニフォームを着てもらい実行したんである。

今度は打ったら走る。何しろ走る。走ることは全てのスポーツの原点である。大空のもと走ることの楽しさ、風の匂いを感じ取り、風が頬を打ち、風を切る喜びを感じてもらえたら体験会は83%成功したようなものだ。

最後はAチームの子らを呼び寄せて試合前のシートノックを披露。こんなに凄いプレイヤーになれちゃうんだぞ、と思ってもらいたくて。模範演技的なつもりで提案したのだったけれど、ヤツらポロポロしちゃってからに、全然模範になってなかったわいな(^-^)それでも投げるボールスピードは圧倒的に速く、見学した子らは目を丸くしていた。しめしめ、なんである。
後日談ではかなり好評を博したようである。筆者の目からみても体験会の子どもたちは目が生き生きしていたように思うんである。


写真的蛇足的景品的オマケなんである。
これはオレンジボール。
いわばミカンだ。

んでもって、これは...。
夏ミカンなんであった。

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息子からの手紙

うっかり八兵衛なんであった。
歳を重ねるごとに自分の誕生日なんか失念してしまうものなんである。昨日まで、今日5月30日が筆者の誕生日だったことを忘れていた。うっかり八兵衛にもほどがあるってもんだ。それだけ自分に対して興味がなくなったということだろうか。「自分はいったい何者で、どこから来てどこへ行くのだ」という青臭い哲学的命題に、この年齢になっても悶々とした日々を過ごしているのに、これはいったいどうしたことだろう。

自分のわずかな経験と過去と現在の交友関係を基本食材にして、あらん限りの調味料を振りかけながら、美味しい小説を供出しようと意気込むあまり、駄文の汚名を甘んじて受けることになりそうな予兆に苛(さいな)まれながら、それでもなお筆が止まらないのだった。今日400字詰め原稿用紙に換算して21ページまで書き終えた。

そんな小説を書いていた時、前回ブログのコメント欄に「J2」なる人物から書き込みがあった。
J2とは筆者の息子である。監督Itohくんと同期でフレンズ黄金期に5年生の終わりにたまたま「ボウフラのように湧いて」入部して、翌年親子ともども素晴らしい経験をさせてもらったものだった。ライパチくんではあったけれど、大師球場でホームランを打ったこともある。現在はIT企業に就職、大手町の某銀行に出向社員として働く、一男(いちなん)の父親になった31歳の野郎である。当時の子どもだったことを想起すれば全く信じがたいことだ。

彼に少年野球ブログを書いていることは昔から言ってあったけれど、かつての「愚息」がこのオヤジのブログを読んでいるとは知らなんだ。
普段ここではなるべく息子・娘の話は極力控えようと、肝に銘じている筆者なんであるが、まあ、今回くらいは良いではないかと翻意(ほんい)して、愚息からのコメントを掲載しちゃう。

この場を借りて「ありがとう」

以下、コメント欄から引用。

テッシーさま
お誕生日おめでとうございます。

Kurosu監督が現役なことにも驚くけど、20年程前のフレンズにボウフラのように涌いたライパチ少年の、当時まともにグローブも填めなかった父親がコーチを続けていることに改めて吃驚仰天です。

新連載の小説はどっかで一度、完成したものを出版社に送ってみては?
かつて貴殿のご令息がそうであったように...。

フレンズに、連載に、陰ながらご健闘を祈ったり端折ったりいたします。
また指を切り落としたりしないよう(こう書くと誤解を生むけど)どうかご自愛くださいませ。
J2 


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