2016年7月4日月曜日

ふにふにしゅわ〜の快感

「向ヶ丘サンダースって選手何人いるか知ってる?」と筆者。
「えっ?何人だろう...」
「36人だよ」
「さすがあ、そんなにいるんだあ〜」
「『3ダース』だけに36人、....なんちゃって」
..............。歴代父母たちはケタケタ笑ってくれた。
この筆者の必殺の「昭和オヤジギャグ」炸裂は今は昔。かつてフレンズでは何代にも渡って父母たちに言い伝えてきたギャグの伝道師なんであったが、今年は一度も使ってないことに気づいた。今日、ひっそりと誰かに言えば良かったと反省しきりなんであった。
というわけで今日日曜はサンダースと練習試合、合同練習なんである。

フレンズ審判団は主審Kumadaコーチ、二塁Toyodaオヤジ、三塁Yasudaオヤジなんであった。試合前にToyodaオヤジが言った。「あっ、そー言えばこの間のブログに書いてた話、Teshimaさんちでお孫さんが来て、カーペットはがしたり、布団を窓から放り投げたりしたそーですけど、大丈夫だったんですか?」と真顔で訊かれたんである。「えっ!アレ、ジョークだよ。大げさに描くのが「晴耕雨読」じゃん」「なんだ、そーだったんっすか」
恐ろしいことである。筆者はジョークと分かってくれるはずだと思って書いても、案外真面目にとらまえてくれちゃったりされることもあるんだなあと、思いを新たにして楽しくなった。そういえばブラジルワールドカップの年に書いたブログで、私がブラジルへ弾丸ツアーで観戦しに行ったと書いたジョークがあったが、これもあとでKaneda顧問が本気にしていたと分かって大笑いしちゃったこともあった。
Y.Kaitoはまだ2年生である。入部してすぐから毎週熱心に父母ともにフレンズへ来てすぐにチームとも打ち解けてくれて実に頼もしいYasuda夫妻なんである。因にYasuda母も、フレンズ母美女軍団史の1ページにその名を刻むほどの長身のスレンダー美女なんである。

試合はSがSakaiくん、FはShohmaの先発。初回からサンダース軍団は猛打爆発、5本の長
短打で4点先制す。監督は名将Matsuiさんから受け継いだTakeshimaさん。

3回終了時にちょっとスプリンクラー。

久々にAdobePhotoshopでイタズラをしてみた。
これオリジナル写真。ShohmaとToyodaオヤジ。

オヤジ瞬間移動で消える。悟空の瞬間移動みたいに。

Toyoken、おいおい、ピッチャーの前まで塁審が出ていっちゃダメじゃん。

試合はサンダースの圧勝。中でも3番キャッチャーKuramaeくんは圧巻であった。安打製造機とは彼のこと。力のこもったきれいな弧を描き長打を連発。ベンチのKakenoオヤジが言った。「Fにもあんな子が欲しいなあ」スコアラーをやっていた筆者、「うちとあの子をトレードしたら、Kuramaeくん一人で、うちは5人交換だな」そしたら「いやあ、うち、5人じゃあ済まないっしょ」
確かに。他にも素晴らしい選手がいっぱいいたサンダースだった。
フレンズでは夏になると母たちが試合中子どもらの首筋に水のスプレーをシューシューする。あれはまこと気持ちいいんである。体験した人ならお分かりだろう。しかし後ろから何の予告も無しにやられるとこれはめっちゃびっくりするんである。一瞬心臓が止まるかと思うほどなのだ。老齢のコーチにやる時は心してやらねばならぬ。昔、木更津の合宿などではスプレーではなく、冷水を絞ったタオルを面白半分に母たちからさんざんやられたけれど、一瞬「ぬおっ!?」となるが次に「ふにふにしゅわ〜」と気持ちよくなるんであった。真夏の冷たいビールの一口目と同じ快感なんである。

サンダースカメラマンTakahashiさんもセンター外野席からCanonのキャノン砲を構えてのロングショットを撮る。この人も何十年も宮前の少年野球を撮り続ける第一人者である。

試合は終盤Fの打線が繋がりかろうじて1点を返したものの、8:1でサンダース。
試合後は合同練習。実はサンダース、菅生小ドームが建て替えで相当期間グランドが使えないのだった。遊牧民のように流浪(るろう)の民となるサンダース。これから数年間は宮前の他のチームでも同じような建て替え話が出て、明日は我が身となることになるかもしれない。映画「ダンス・ウィズ・ウルブス」のケビン・コスナーのように。あるいはテレ朝「タモリ倶楽部」のロケのように。宮前のチームみんなで協力しあってグランドの貸し借りをうまく共有しあおう。

外野ノックの時に太陽でボールが見にくいことってありませんか?あるよねえ〜。そんな時にコーチはどう指導するんだろうか。筆者は野球経験者ではないが、少年野球コーチとしては何度も外野フライを取ってきた経験から一家言は持っている。

おっ!アレはなんだ?鳥か?飛行機か?

えっ?どこどこ?
飛んでいるのはスーパーマンではない。(※古い人ならワカリマスね?)

ノックの最後はF、Itoh監督のキャッチャーフライノック。
盛大にセンター方向へスペースシャトルを打ち上げていた。バックネット方向ではなく。
こっちを振り向いたItohくん「Tさん、写真撮らないでよ〜」
芸人の熱湯風呂における「押すなよ押すなよ」と同じ「フリ」と解釈した筆者、たっぷりと撮ってやったぞ。(^-^)
キャッチャーKuramaeくんが最後にダイビングキャッチを見せて終了。両チームから拍手喝采だった。

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2016年6月30日木曜日

小説「月に降る雨」9

所長が長い話を終えると彼もまた言い得ぬ疲労感を覚えた。希伊は気丈に言った。
「父は...、いえ、永山剛はその後どうしたんですか」
「乳児院へ行ってまだ生後二ヶ月に満たない女児を里親として引き取ったんです。その後東京で正式に養子にして、法的にはちゃんとした親子の関係になりました」
希伊は全てを理解した。長年胸の奥に沈んでいた冷たく重い氷がやっと溶け出すのを感じた。
「いろいろとありがとうございました」
「いえ、まだ少し調査しきれていない部分もあってここで調査を打ち切ることは本意ではないんですが。もし良かったらお母さんの、あ、いえ、あなたの実母の氷室さんの追跡調査をさせてもらえませんか」
顧客に対する言葉からひとりの女子高生に対する言葉に変えて所長は続けた。
「これは例外中の例外だけどね、お金は要らないよ。そのかわり仕事の合間にしか出来ないので時間はたっぷりかかると思うけどね」
希伊は恐縮して言った。
「ありがとうございます。お任せします。でも私はもう大丈夫です」
席を立ち上がった希伊の背中に所長が言った。
「永山さん、報告書まだ見てないよね。ちょっとその2ページ目を見てごらん」
希伊が怪訝そうにページを繰ってみた。
「お父さんの名前が書いてあるでしょ。氷室伊三郎って。その横に妻の名前が、つまりあなたのお母さんの名前が書いてあるから見てごらん」
ワープロで印字された母の名前を見て希伊の瞼(まぶた)は一瞬で熱を帯び、みるみる大粒の涙が頬を伝い落ちた。
氷室伊三郎の横に記載された名前は氷室希沙子。ふたりの名前の一文字ずつを取って、女の子の名前を「希伊」にしたのだった。

希伊はやっと全てを語り終えた。
「自分が何者かときどき分からなくなる時があるの。両親は育ての親であって本当は他人だった。本当の両親はもうこの世にいないなんて。青臭い言い方だけど、自分はいったいどこから来てどこへ行くんだろうって。独りきりになった時には最悪。もっと最悪な時はね、独りで夜、月を眺めてるとき。自分があの灰色の月にひとりぼっちで置き去りにされたような気になるのよ」
普段は気さくで明るい希伊だが、それは自分の心の闇を糊塗(こと)するために、己を偽って明るく振る舞っていたのだと、龍一は思い至った。
「こんな自分が結婚したり子どもをもうけたりすることに、どうしても違和感を感じるのよ。考え過ぎだと思うよ。自分でも笑っちゃうくらいにね。でもどうしても自分の存在を自分で確認しないうちは、一歩も前に進めないもう一人の私がいるの」

話を聞き終えた龍一は希伊にかける言葉を慎重に選んだ。心の中でいくつもの言葉が溢れるように湧いては消え消えては湧き上がった。最良の言葉を選ぼうとするあまり、結局混沌の渦に足をとられてなんと声をかけていいのかわからなかった。迷った末に言葉ではなく無言のうちに自然と体が動いた。希伊の小柄な体をしっかりと抱きしめるしかなかった。
いつまでそうしていたのだろう。外の雨脚がいっそう激しくなってきた。やっと龍一が口を開いた。
「俺は、今ここにいる希伊のことが好きなんだ。昔のおまえじゃないし、未来の希伊じゃない、今ここにいる希伊がいいんだ。昨日までのことは忘れて今日から俺と一緒に歩いていけばいい」
言いながらすぐに龍一は、ひとつ言葉を間違えたことに気がついた。希伊が言った。
「昨日までのことは忘れて?」

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2016年6月28日火曜日

小説「月に降る雨」8

龍一は希伊の話を静かに聞いていた。窓の外から聞こえて来る雨音は次第に大きくなってきた。細く開けていたガラス窓を閉め切るためにベッドを抜けて立ち上がった。
「希伊、寒くないか」
「うん大丈夫。早くこっちに戻って」
「わかった」
龍一がベッドに戻ると希伊は高校時代に探偵から聞かされた事実を淡々と続けた。

探偵事務所の所長はぬるくなったお茶を口にした。
「永山さん、大丈夫?」
「はい、平気です。続けて下さい」
希伊は言葉とは裏腹に表情は固かった。所長は続けた。
「いろいろ複雑にからんでいて、金沢まで行ってきました。公的機関の個人情報を調査するには限界があってね。その調査報告書には書いてないけど、私の話は多少は想像と類推も含まれているけどそれでもいいかい」
「構いません、お願いします」

金沢の小さな工務店にとっては、東京資本のようなチェーン店の物件は大きな仕事だった。若くして会社を興した氷室伊三郎は、懸命に頑張ってきたものの、経営状況は決して良くなかった。この工事が終わり入金があれば多少ひと息つけるかもしれないと考えて、実直にひたむきに仕事をした。病気がちな妻を元気づけるためにもどんなにきつい徹夜もいとわなかった。しかし理不尽な理由で入金はほとんどなかった。元来馬鹿がつくほど生真面目な性格の伊三郎は崖っぷちに立たされ、眠れない夜を過ごした。それからしばらくして伊三郎は自動車事故で死んだ。夜間ひと気のない山道で急ハンドルを切って転落死したのだった。しかし妻への遺書には真実が書かれてあった。本当は事故に見せかけた自殺だった。保険金で借金をなんとか凌いで病気治療にも当ててほしいと。どうかきみには幸せになってほしいと。そしてこんな男と一緒になった妻への謝罪の言葉が書き綴られてあった。最後の数行は文字が滲んでいた。
しかし保険契約の免責期間がまだ経過していない上に、非情にも保険会社の徹底した調査によって借金返済目的の自殺と判明し保険金はおりなかった。妻も途方に暮れて伊三郎のあとを追うことも何度も考えた。しかしそれが出来ない理由がひとつだけあった。彼女は伊三郎の子を妊娠していたのだった。伊三郎が亡くなってから分かったことだ。もし新しい命が宿ったことを知っていたら伊三郎は自殺を思いとどまったかもしれない。妻は産むことを決心した。

「このへんの調査は少し曖昧なんですが」と所長は希伊に向かって続けた。
永山剛が金沢を訪ねたのは伊三郎が亡くなってだいぶ経ってからだった。
剛は伊三郎の妻に面会を求めて会いに行った。質素なマンションの一室に置かれた遺影を前に、剛はあの時伊三郎を無下に追い返したことを悔やんだ。思いあまって青い顔をした伊三郎の妻に全てを話した。反対に彼女が重篤な病に冒されており、更に妊娠していることも知らされたのだった。
剛はその帰路、全ての責任をとろうと決心した。東京に戻ってからも何度も連絡を入れ、更に幾度か金沢に足も運んだ。剛は生活費から医療費に至るまで金銭的な援助を申し出たのだが、妻は頑として受け入れなかった。それでは伊三郎に顔向けが出来ないと。間接的とはいえ夫を自殺に追い込んだ人のお情けにすがり、妾同然のようなことはできない、そこまで私は落ちぶれてはいないと強く拒んだ。しかし、身寄りがない者同士の結婚だったために、頼りになる親類縁者はほとんどいなかった。
伊三郎が亡くなって行政の生活保護を受けながら八ヶ月が過ぎ、ちいさいけれど元気な女の子が産まれた。しかしほどなくして母は病が急変し入院することになる。その間やむなく地元の乳児院に預けることになった。
「絶対また迎えに来るからね。それまでいい子にしていてね。約束だよ」


しかしその後母は、ちいさな子と交わしたその約束を果たすことはできなかった。


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2016年6月26日日曜日

夏は自家用放水車

近頃辛い酒がなくなったとお嘆きの貴兄へ...
菊正宗、じゃなかった。
近頃少年野球ブログがめっきり減ったとお嘆きの読者貴兄へ...
鷺沼ヤングホークスとの合同練習の日なんであった。公式戦大会を序盤で抜け落ちたチームが、好天の日曜にグランドを持たないことほど悲しいことがこの世にあるだろうか。フレンズは午後ヤングさんにお願いして鷺沼小ドームで一緒に練習させてもらうことになったんである。

ひとはどうして夏の夜のたき火に魅入られるのだろうか。
更に、
ひとはどうして夏の日中の水しぶきに心躍らされるのだろうか。
これは老いも若きも共通のものだ。鷺沼ドームに着くとヤングホークススタッフは消防車から盛大に水を巻き上げていたんである。
ほれ。

さすがはセレブなヤング、消防車からの放水圧はハンパなく凄い。
ほれ。

えっどこに消防車がいるのかって?
チーム予算の潤沢なヤングは、こともあろうにグランド放水に特化した消防車を購入しているんである。その証拠にボディーにはちゃんとヤングのロゴステッカーが貼ってあった。自家用消防車っていったい...。
ほれ。

グランドではA,B別れて練習している。キャッチボール、まずはA。

でもってB。

AノックはフレンズItoh監督。AにはQueensのAyakaもいる。中学OBも手伝いにきた。


おやおや、ヤング総帥のヤングではない監督Kurosuさん。宮前名物監督の名誉のために言っておくが、決して午睡していたわけではない。瞬きの間隔が少し長めだっただけである。

Bは「子どもの教え方がうまい」とKurosuさんが絶賛するSashiki監督。QのYurikoはBの主将を務めるんであった。ファーストはCoo(Kuu)。



Aでは練習試合的紅白戦的ノーアウト1,2塁からのミニゲームを開始。

子どものスポーツ練習は繰り返し集中してやることは良いが、だらだら長くやるのはいけない。このミニゲームのように短期集中するのもいいものだと思った。他のチームと合同練習したりするとコーチとして凄く勉強になることが多い。連合の練習なども同じことが言える。うちの若きコーチたちもただ子どもの合同練習だけじゃなく、指導方法など他チームの見習うべきことはどん欲に火の国九州じゃない、グランド九周じゃない、敵陣急襲じゃない、しっかり吸収して欲しいものである。

16時から今年幹事チームとなったヤング主導で南部リーグ大会の開会式をやった。南部の開会式は毎度ながら実に簡素かつほのぼのとしたものである。
Kurosuさん、有馬子ども会のKawakoshiさんが挨拶。

これの少し前にKurosuさんから言われた。
「フレンズはもうだいたい返し終わったの?」
筆者、
「えっと、そうですね、結構返還しましたね」
まだいくつか県大会の優勝カップなど返しに行かねばならない。
この南部リーグも今日がそうだった。

選手宣誓はヤング主将Kitagawaくんをはじめ各チーム主将がそろい踏みで。


少年少女諸君、思い切り野球を楽しんでほしい。
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