2017年5月17日水曜日

ロードショウはどーでしょう?

前回ブログでも書いたように、お蔵入りさせるには惜しいと思われるネタがデスクトップ冷蔵庫に保存されており、今回は一気に二つのネタを解凍し蘇生させ「晴耕雨読」のまな板に載せるのである。一週間はとうに経っているので「賞味期限」は過ぎたけれど、ラベルを見たら「消費期限」はまだ大丈夫なんであった。時間が過ぎてから二つ同時に掲載するのは、あたかも客の入らない地方の映画館で、大昔の怪獣映画二本抱き合わせで上映するみたいである。「ゴジラ対モスラ」と「ガメラ対ギャオス」の豪華二本立てなんである。

まずは桜咲く頃、だいぶ前のQueens第一公園での練習試合。相手は闘将Abe監督、またの名を「連合艦隊司令長官」率いる松風スラッガーズ。筆者がプロデューサーなら戦争映画で中井貴一あたりと兄弟役で共演させたいくらいである。
筆者がグランドへ赴いた時にはQのAkaneが母体チームの松風打線をきりきり舞いさせていたらしい。以下Q全員の写真は撮ったのだけれど、全部掲載は無理なので良く撮れたものだけに限定して掲載。



ここへなんとHimariが来ていたんである。有馬中学を卒業して晴れて某東京の某青山の某学院高校に進学し、入学までの春休みを満喫しちゃう期間なんであった。HimariとはLINEで繋がっていてタイムLINEの動画制作苦労話などをして盛り上がった。あの動画を見たらこの子は天才かと思っちゃうほどの多才で才色兼備、天真爛漫Qレジェンドの2013年主将なんである。
硬式女子野球オール京急仕込みの安定した捕手姿のHimari。会長と談笑するMochida親子。久々Mochida母と会ったら、会長とビミョーにシャツがカブっていた。


この日は本当に地球の公転が好転したらしく荒天ではなく好天で、空も澄んで高天であった。桜の花びらが舞い散る頃だった。グランドの地表付近でローアングルで撮ると、花びらがころころひらひら、陽光を反射して煌(きら)めきながら転がってゆく。まるで大地にジルコニアか真珠をバケツでばらまいたように。

Qライオンズ杯前の練習試合。勝敗はともかく両チームともに健闘したんであった。


映画館「晴耕雨読館」、上映一本目最後のエンディングロールでオマケなんである。
監督Abeちゃんを撮ったカット。さて下の二枚の間違い探しなんである。間違いは一個だけ。賢明な読者諸賢にはもちろんすぐに気づかれるであろう。答が分かった人は次回どこかで筆者に会った時に、そっと耳打ちして欲しい。
正解者にはもれなく筆者からハグをプレゼントしちゃうんである。
※Abeちゃんのノックバットがヒント。

...............
ロードショウ二本目はどーでしょう?

5月5日はフレンズで恒例のカレー大会と記録会が行われた。これも毎年ブログに書いているけれど、この各家庭のカレーを楽しむのが筆者大好きなんである。世の一般的なお父さんはほとんど配偶者の作るカレーを食ってその一生を終えることになるのが一般的だ。しかし人生の中でフレンズのいろんな家庭の味を味わうことが出来るのは、「人生は一度きり」という観点からしてみれば、実に楽しいことである。だから筆者は毎年フレンズ母が作る何種類ものカレーを交互に味わうのが好きなんである。十数年食べてきてみんなうまかった。それに各家庭でおかずを一品持ち寄るのも慣習となった。(Qの新年会でも同じだ)
この場を借りて(子ども、父、コーチも代表して)、筆者から母たちへ「ありがとう。ごちそうさま」でした。


このあと記録会と親子野球大会となった。
親も子も全員を撮ったけれど一本目と同じく写真掲載は厳選した数枚のみ。しかし写真がもったいないのでそれぞれの親子や父母の写真は、Nikonのストレージサービスにアップさせてフレンズ関係者だけにLINEでURLを送ったんである。昔はこのやり方をフレンズやQueensでもよくやったのだが、ブログを書いて更にNikonにアップするのが煩雑でここ数年はやっていなかったんであった。久々に共有ファイルストレージを活用したのだった。

以下、普段ブログに載らない小さい子などを中心に掲載。


遠投記録。子どものあとに父母もみなでやったんである。中でもOBコーチのKazuの遠投は圧巻であった。ホームからセンター方向へ投げるんであるけれど、白球はぎゅんぎゅんきゅるきゅる青空を切り裂いて飛行し、計測不能の歴代最長不倒距離を記録。東京ドームで例えればおそらくSECOMのミスターの看板を越えて天幕を突き破り、丸ノ内線の改札口まで到達したほどに違いない。
対してGakuのおばあちゃん。若いっ!頭が下がるほどアグレッシブで元気なんである。Kazuとの年齢差やいかほどであろうか。



運動会お父さんあるある、なんである。Toyodaオヤジがバッターで二塁を陥れようと激走するも直前で脚がもつれて転倒、「ヒザ神」という芸人がいるが彼は「秘技ヒザスライディング」でセーフなんであった。その昔筆者も息子がまだ小さいころに西有馬小での町内運動会の「お父さんリレー競技」に参加したのだが、最終コーナーを曲がりきれずに、衆人環視のもと大転倒しちゃったことがある。気持ちは前に行くのに、脚はマンガのように空回りしてもつれてコケてしまった。
Toyodaオヤジの周りの子どもたちが苦笑しているのが秀逸な一枚となった。ヒザに月のクレーターほどの大きな穴が開いたのは言うまでもない。母たちも爆笑であった。


円陣を組んでエンジンをかけ、規制を無視して奇声をあげる母チームのオンナたち。監督はいわずもがなNatsuki母。監督兼天性のチームのムードメーカーなんである。

.........
さて客電が灯って「晴耕雨読館」は明るくなった。
今回のQとFの「晴耕雨読」的二本立てロードショウはどーでしょう?
小説「月に雨降る」は次回分は書きあがっているものの、その次の展開に逡巡しており停滞ぎみなんである。
冷蔵庫にはもう2個ほどネタが保管されている。
次はどれを解凍しよっか?
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2017年5月15日月曜日

中学男子、バトンをつなぐ

昔ある企業の事件で問題になった「3秒ルール」というのがあった。食材を厨房の床に落としても3秒以内に拾ってしまえば、素知らぬふりで調理に戻せる、とかいうものであった。今思い出したぞ。大昔学生時代に筆者がバイトしていた新宿のステーキパブなんか、そんなの当たり前だった。もの凄いデカいフライパンで5,6枚一気にステーキを焼く。スピード勝負で忙しい時間帯は厨房内は戦争だったから、片面焼いてから一枚ずつ返すことはせず、フライパンを両手で持っていっぺんに返すんである。勢い余ってごくまれに一枚くらい落ちちゃう。但しちゃんと水洗いしてから焼いたのだけれど。先輩社員のコックのせいにはしたくないけれど、当時の社員が洗ってすぐフライパンに戻すのを見てそれが当たり前だと思っていた、そんな時代であった。もし筆者が有名なタレントでSNSでこんな話を書いたら速攻芸能界から干されて自粛謹慎、TV復帰までに数ヶ月かかっちゃうのだろうか。18,19歳の時のバイトの話なので時効かなと思い書いてしまったんである。よもや宮前少年野球連盟から干されることはなかろうて。

昔の話なんであった。
このブログではたびたび触れているように「3秒ルール」ならぬ「一週間ルール」というのを自分に課しているわけで。試合等のネタ写真が溜まってブログアップ出来ない場合、一部例外を除き、一週間以内に書けなければほぼ「お蔵入り」となってしまう。それでも書かなきゃと思う写真はMacのデスクトップの隅っこにいつまでも浮遊していることになる。一週間過ぎてもいつかアップしようと思うものである。それでも駄目な時はいよいよ外付けハードディスクの奥、薄暗い倉庫の、更に奥の収納棚の段ボール箱にひっそりと保管されるのだった。
そんなふうにまだデスクトップ上にアップ出来ていないネタ写真フォルダがいくつかある。5月5日のフレンズのカレー大会&記録会のネタなどがそうだ。
さて本日の北部大会Bの試合はといえば、まだ新鮮な食材として仕入れたばかりで適正音頭を保ちつつ冷蔵庫に保管している。しかしこれを調理する前にもうひとつ新鮮なネタが今日同時に入ったのである。「川崎市立有馬中学体育祭」なんであった。
西有馬小での北部大会中に隙を見て隣の有中に行ってみた。数年前ここへ来た時にカメラ持参で来たら、校門受付で名前と生徒との関係とカメラの品名を書かされたことがあった。理由は推して知るべし。この時代はカメラを持った不埒な大馬鹿野郎が徘徊するからである。それを未然に防止する一助ということは理解できるけれどでも、ちょっと善良ないち市民としては正直不愉快な思いをしたのだった。純粋にフレンズOBの子を写真に撮って、親たちにあげたり、ブログに書くだけなのに、何やら罪人扱いされたようで。受付の父母も「決まりなので」と筆者に申し訳なさそうにしていて、それがまた可哀想だった。時代の趨勢というか仕方ないことなのだろうけれど。

過去にそんな経験があったので今日は最後の男子のリレーだけを観に行ったんである。リレーは体育祭における最後の華である。騎馬戦とともに全国の運動会で一番盛り上がる競技だろう。
ここでまた問題なんであった。宮前少年野球のチームを問わずいろんな子を写真に撮ってブログアップするのにも結構気を使って書いたりするんだけれど(前回ブログ参照)、ましてや中学の見知らぬ子たちを載せては本来いけないんである。営利目的や誹謗中傷や悪意がなくなおかつその被写体が一人だけクローズアップされておらず、更に著名人でなければ、しかもその親から「個人情報の侵害だ」と訴えがなければ、たぶんOKなんである。数年前に宮前在住の弁護士をしている方から「Tさんのブログは法に照らして問題ありません」と救済の長文メールをいただき精神的に助かったことがあった。(これも昔のブログに掲載)
「個人情報保護」は時代の趨勢だし大いに大事なことだけれど、異常にやたらと「個人情報保護」を声高に叫ぶ素人の人の気が知れないと思うことがある。フルネームや住所、電話番号まで記載してるわけじゃないんだし。その内容とケースバイケースではないだろうか。反対に「うちの子をブログに載せていただきありがとう」とあとで感謝されることのほうが圧倒的に多いし、子どもも見て楽しんでいますと、言われることがどれほどこのブログの励みになっていることだろうか。
シャワーを浴びて頭髪のハゲが増すのは極力抑えたいが、励ましの言葉はシャワーのように浴びたいのがブロガーの常である。

なので中学男子の力強い走りをまずは数枚。
男子は200mを×4名でバトンを繋ぐ。直線コースからファインダーを覗いて待っていると、いきなり猛スピードで男子の大群がコーナーから直線へ飛び込んでくる。ぎゅんぎゅんこっちへ迫って来る。みな必死の形相でたとえ顔が歪んでいてもそれはカッコいい真剣な表情なんである。子どもからオトナになりつつある過渡期の男子特有の、イイ男の顔をしているではないか。


有馬中はだいたいが鷺沼ヤング、アリコ、フレンズの鷺小、西有馬小、有馬小の子らがいる。当然そのOBが走るわけで。これも中学体育祭あるあるだけれど、リレー選手の選抜は野球部、サッカー部、陸上部の「日本三大がっつり走る部活」の選手から選ばれることが多いのが常だ。
筆者目が悪いので誰が走っているか判別出来ないから、とにかく闇雲にシャッターを切ることにした。誰か必ず写っているだろうと。でもって有中三校区の面々が撮れたんであった。
アリコのHayateくん。野球部である。既報の全国大会では大活躍であった。
(※以下、他にも野球関係のヤング、アリコの子がどこかに写っているとも思うのだけれど、筆者には分からないのが残念)

馬絹メイツからこちら校区へ越して来たRyohtaくん。彼はシニアのほうへ進んだ。宮前連合時代に知り合いになったHazama夫妻を想い出す。フレンズのRuiやYuiたちと仲良く下校する姿を何度か見かけたことがある。
更にこのカットにはフレンズのTaichiが写っており、またヤングのSashikiくん(Queensユリッチの兄)、同じくヤングHiratsukaくんも同じ野球部でしのぎを削っていた。野球部率の高さハンパねえ〜。


フレンズのRui&Yui。こちらも一昨年の全国大会での不動のバッテリー、ふたりとも今は東京のボーイズへ行き頑張っている。


最後はQueens主将Ayakaの兄ヤングOBのKurashigeくんの激走。Ayakaは母似だが彼は父そっくりである。彼も野球部で先の全国大会ではフレンズHiroとともにクリーンナップトリオの一角を担い大活躍であった。


これでやっとブログアップし寝ようと思ったんである。
しかし上の最後の写真を見てまた想い出した昔の小話をひとつ書いてから。
目の前で一人の子が転倒した。廻りの大人たちからは思わず「頑張れ〜」とその子に温かい声がかかったんであった。
そう、17,8年前のあの時もそうだった....。
(大昔にも一度書いたことがあるけれど)

あの時の有馬中体育祭は途中からひどい雨だった。

最後の男子リレーの時はグランド状態はとても走れるようなコンディションではなく、ズルズルにぬかるんでいた。それでも皆必死でバトンをつなぎ走る、走る。ある走者が見事に転倒してしまった。みるみるうちに引き離される。なんとか立ち上がって次に繋いだ。しかしその差は圧倒的で、最後尾に甘んじることは歴然だった。仕方のないことだ。
いよいよアンカーがバトンを受けスタートした。彼の前のランナーはすでに遥か前方で次々にゴールしていく。まだ走り始めたばかりなのにトラックにはもう誰もいない、彼独りだった。違う意味で「独走」となった。それでも孤独に全力で走った。大観衆からは声援と拍手が涌き起こる。
やがてあと少しでゴールは目の前だ。拍手が鳴り止まない。そしてゴール直前になって私は我が目を疑った。

こともあろうに彼はゴール寸前にヘッドスライディングをぶちかましてくれたんであった。見事に泥の上を滑りながらゴールを割った。頭から泥だらけになって立ち上がる彼に、温かい笑いと拍手が惜しみなく降り注がれた。
このアンカーの大馬鹿野郎は筆者の息子、有中野球部の二番手ピッチャーなんであった(^-^)
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