ひと言申し上げたいんである。デザイン・設計業界の端くれとして。
この話は、筆者を取り巻く状況がフレンズの大きな大会が目白押しでずっと書けなかったんである。
今何かと話題になっている2020年東京オリンピックの新国立競技場問題。工事見積が膨大に膨れ上がりザハ・ハディドデザインを白紙撤回したことは記憶に新しい。記憶に新しいというにはまだまだホットな最近の話である。2,500億超の根拠にも疑問があるが、これまでにザハ事務所側に支払った数十億単位のデザイン料は国民の血税から拠出されており、それは全て水泡と帰した。これだけでも我々は怒りを露にしなければいけないのだけれど、時間がないのでその次の策をどうするかでやっきになっており、もはやそれどころではない。
なぜこんなにも迷走したのか。それはある報道によると、デザイン事務所のデザインとそれを具現化するための設計とこれを見積もる建設業者の3者が勝手に一人歩きし、統括されていなかったという要因があるのだそうだ。統括するのは国である。だから3者には責任はないとは言えないけれど、責任者不在のまま今度は「デザインビルド」方式で新たなスタートを切るという。2020年までに完工させるには設計と施工を分けないで一括で請け負うこの方式でないと間に合わないらしい。「デザインビルド」とはいわゆるデザイン設計も施工も1社に任せるやりかたである。業界では「設計施工」とか「責任施工」という。日本の建設会社は世界的にも非常に優秀なので、それも一計かとは思う反面、設計事務所と施工会社が分離されず、1社独占による利権や既得権益的な懸念が払拭できないおそれもある。おそらく1社とはいえ、結果的には国家的事業なので、JV(ジョイントベンチャー)を組んで数社での施工になると思うけれど、とても面白くない。デザインや設計だけに特化し生業(なりわい)としている企業は出る幕がないことになるからだ。
筆者は建築業界の中の、店舗設計業界の中の、更に個人設計事務所なので、サハラ砂漠の砂粒ひとつに過ぎないけれど、今回の迷走ぶりには忸怩たる思いを抱えて、連日の報道を横目に仕事と野球に没頭していたんであった。
池井戸潤著作「鉄の骨」では日本の建設業界の談合体質をテーマに描いたものだったが、それを脱却した(?)今、世界に誇れる日本の設計施工のデザイン力と技術力に期待したい。
金をかければ良いデザインを実現出来るとは限らず、逆に金がなくても良いデザインを具現化出来ることもある。但し理想と現実は相反し、悲しいかなほとんどの場合、金がモノを言うけれど。
ここで終わらないんである。もうひとつ。
世間を騒がせている東京オリンピックのもうひとつの話と言えば、佐野氏のロゴマークデザイン。昨日やっとデザインコンペの際の最初の原型と経緯が公表された。こちらも前出建築同様、共通項は「デザイン」なので筆者には他人事とは思えず、ずっと興味を持って報道に接していた。
初めて見たあと、ベルギーの劇場ロゴマークデザインサイドからクレームがついて、二つのエンブレムを見比べた時の筆者の経験値から第一印象を言っちゃう。
「似ているけれど盗作ではない」
佐野氏が本当にベルギーのデザインを見たことがなく、全く独創的に作ったのかどうかは、もちろん知る由もない。(※サントリーのトートバッグは正真正銘の正々堂々たるパクリである。言い訳は出来ないくらいに)....ただ言えることはこの程度で盗作と言われたら、世の中盗作だらけになっちゃう。日本語に比べて英字は圧倒的にシンプルなため、TOKYOの「T」に特化して何かをデザインしようと思ったら、1万個のデザインの中で数十個くらいは類似するものが出て来るのは自明の理。ましてや佐野氏の当初のデザインは全くベルギーとは似ていないものだった。
筆者も含めて何かをデザインする場合、頭の中で独自に創造し突然天から降りて来る場合もあれば、参考にいろんなデザインに接してインスピレーションを得て、その原型にリスペクトしつつも自分なりにアレンジしてオリジナリティーを加え、より良いと思えるものに仕上げることも多々ある。そんな場合に「似ている」と言われることもあろうか。もちろん「偶然の一致」というケースもあるだろうけれど。
強烈なコンセプトの元、シンプルになればなるほどデザインの方向性は絞られてくるので、撹拌・咀嚼・濾過されてビーカーに落ちて来たものは似ている傾向になるのは否めない。
オリンピックにまつわる建築とグラフィックの問題2題であった。
筆者商業建築(店舗)もグラフィックも両方やっているので、敏感に反応しちゃったんである。表参道を歩いていたらモデル級の美女とすれ違った時みたいに。
どちらかと言うと己の立場からして、デザイナー側を擁護する形となったことは否めないけれど、ちょっと似てるくらいですぐ「盗作」とか言わないでもらいたいものだ、ということ。店舗デザイン業界なんかは、流行りの居酒屋チェーンなんかどれもこれも「パクリ」になってしまう。実際大手2社で店舗の類似デザインで法廷闘争もあった。本当のパクリもあれば、時流に乗ったデザインという言い方も出来るわけで。
最後に蛇足なんである。
下は昔の日本工業規格の旧「JIS」マーク。懐かしいなあ。小学生の時分、鉛筆なんかに刻印されていたのを想起するわけで。
「JIS」とはJapanese Industrial Standardsの略。
この昔のマークを一新するため11年前に新しいデザインを公募、デザインコンペをしたんである。筆者がまだ恵比寿に事務所を持っていた頃だった。興味を持った筆者も応募したんであった。何十枚も描いたラフデッサンから数点を選び、更にふるいにかけて1点に絞り制作。当時すでにパソコンで自在に描ける時代だったけれど、筆者はまだパソコン黎明期(れいめいき)、手描きのペンで作った記憶がある。
コンペに当選し現行広く国内に流布されているデザインが下の左。右が筆者の応募作。
誰がどう見ても左を選ぶだろう。右は稚拙で完成度が低くバランスも悪い。自分で言うのもなんだけれど、筆者が選者ならやはり左を選ぶに違いない。
しかし、負け惜しみではないけれど、自分で最後の3案に絞った中にこの現行JISマークと全く同じデザインがあったのだった。左の当選作を見た時は我が目を疑ったほどだ。応募するにあたり、それを自分で落したことが悔やまれるけれど、所詮それも含めて当時の筆者の幼さが成せる技なんだと、今にして思う。
それにしても左のJのハネから時計回りに円弧を描いていくデザインは全く同じなんである。おそらく全国から何点もの似たようなデザインの応募があったろうと思う。
シンプルになればなるほど似てしまうものなんである。
(※このJISマークがらみの話は、以前「晴耕雨読」でも書いた記憶があり、検索してみたら5年前にも同じようなことを書いていた。やっぱし)
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こんばんは。
返信削除JISマークが変わったことを知りませんでした。!(^^)!
改めて手元の鉛筆や文具品を調べたら、ホッチキスの針の箱まで旧マークでした。鉛筆は40年も50年も前のものですから当然ですが、身の回りに現在のマークがついたものが見当たりません。トホホ
半世紀近く前の鉛筆は孫が珍しがって何箱も持っていきました。旧マークでもよかったのにぃー
小野口さん、お久しぶりです。
返信削除そう言われてみて、私も身の回りのモノを見てみましたが、確かにJISマークのついた製品が見つからず。
昔はもっと見かけたような気がしますよね。
かろうじてカップラーメンにあったのはJISではなくJASマークを発見。日本農業規格でした。
鉛筆はもう使いませんが、それを見たら昔のJISがありました。
虫眼鏡でないと分からなかったけれど(^-^)