「時の過ぎ行くままに」なんてタイトルはとてもおこがましいのだけれど、沢田研二ではないことは火を見るよりも明らかなんである。
いつもの日常にふと季節を感じる瞬間ってないだろうか。
綺麗に言えば仕事の帰路、マンションの植え込みから漂う鼻孔をくすぐるキンモクセイの香りで秋を実感したり。或いは「晴耕雨読」BLOG的に言えば、トイレの便座温度を「中」から「高」にし、ついでに温水温度も「高」にしちゃったりした日には「ああ、冬になったのだなあ」と感じてしまうんである。綺麗に言えば、雨上がりのアスファルトの匂いに夏を想起し、「晴耕雨読」BLOG的に言えば、重い掛け布団をやめて毛布1枚にした時に春の終わりを惜しみ、夏の到来を思う。
北部大会決勝メイツ戦に加え、今日新たに高津ドジャース杯決勝フォルコンズ戦のネタがBLOG倉庫に加わった。でもまだ書けないんである。どちらも印象的な素晴らしいゲームだったから。試合結果ではない。むしろ相手チームへのリスペクト的思いが、筆者をして筆を鈍らせしめているからなんである。書くには結構なエネルギーを要するからなんであった。
と、言うわけで毎度お馴染み「お茶を濁す」作戦に出る「晴耕雨読」BLOGなんである。
先日の強風ではベランダの鉢植えがひっくり返り、長身痩躯の老齢のサボテン(身長約2m)がぶっ倒れていた。仕事をほっぽってAEDで蘇生を試み応急措置を取り、しかるのち仕事部屋に戻りふと窓の外に目をやれば、銀杏の葉が大量に路上に散乱していた。金色の冷たい雨が地表に舞い降りるみたいに。
この山吹色の葉たちがどっさり舗道を埋める時が、筆者の秋と冬の境目を感じるバロメーターなんである。
銀杏のクロームイエローが梢を賑わす頃はまだ秋。はらりぱらり舞い散った時が、本格的冬の到来を人に知らしめるのだった。
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