翌朝会社のデスクの電話が鳴った。
「はい、T&Dです」
「もしもし、私、トラスト探偵事務所の黒坂と申します。そちらに神島さんという方はおられるでしょうか」
電話をとった恭子は驚いた。探偵事務所っていったい何?リュウさんに何の用だろう。心がざわめきながら龍一に電話を取り次いだ。
「神島さん、黒坂さんという方からお電話です」
「ん、誰?」
眉間に皺を寄せてiMacのVectorWorksと格闘していた龍一が言った。
「探偵事務所の方だそうですけど」
探偵事務所?黒坂?怪訝な表情で受話器を持ち上げた。
「はい、神島ですが」
「初めまして、トラスト探偵事務所の黒坂と申します。神島龍一さんでいらっしゃいますね」
「ええ、はい、そうですが」
「単刀直入に申し上げます。永山希伊さんのことをご存知ですよね」
龍一は一瞬相手が言っていることが理解出来なかった。
きい?希伊?
誰だこいつは。動悸が早まるのを感じた。
「もしよろしければ、一度お会いして彼女のことでお話ししたいと思ってお電話差し上げました」
龍一の返事は心の動揺とは裏腹に勝手に口をついて出た。
「はい。もちろん」
仕事を早々に切り上げて、約束の恵比寿駅前の喫茶店に入った。黒坂はすでにコーヒーをすすりながら待っていた。黒いロングコートと赤いスェットシャツにストーンウォッシュジーンズ、真っ赤なスニーカーを履き、薄いグレーのサングラスを掛けた初老の男だった。短く刈り込んだ頭には白いものがだいぶ混じっていた。年の頃はすでに50代半ばだろうか。街で見かけた他人ならば一瞥して胡散臭い男と決めつけているはずだ。だが電話での丁寧で柔らかい物腰が印象に残っていたので、人を見かけだけで判断してはいけないことを自分に言い聞かせた。互いに名刺交換を済ませると、龍一は勢い込んで言った。
「希伊のことでお話があるそうで。いったいどういうことですか」
「私は永山希伊さんが高校生の時に調査を依頼された探偵で黒坂と申します」
瞬時に記憶が蘇る。あの日の晩、希伊が自分の生い立ちを初めて龍一に語った時、高校三年生の時分に探偵に依頼して出自を調査してもらったと言っていた。あのときの探偵がなぜ今頃俺に連絡をして来たのだろう。希伊の名前を出されて動悸が早まる。
「15、6年前に希伊からある話を聞いた時に、探偵さんに依頼したと言ってましたが、それが黒坂さんなんですね」
「そうです。神島さんはすでに希伊さんの生い立ちの話は知ってらっしゃるのですね」
「はい、おおよそのことは彼女から聞いて知ってます」
「では話は早い」
「でもどうして私のことを知っているんですか」
それには答えず煙草をもみ消して黒坂は話し始めた。
「希伊さんに調査報告をして実際的には私の仕事はそこで終わったわけですが、まだ高校生だった彼女の放心したような顔を見ると、どうにもいたたまれなくなりましてね。機会があれば仕事抜きでも協力してあげたいと思ったんです。でも日々の忙しさにかまけて、その思いはすっかり引き出しの奥にしまい込んだままでした」
龍一は質問をはさまず黙って聞くことにした。
「それから何年経った頃でしょうか。たぶん7、8年は過ぎていたと思いますが」
すぐに逆算してみる。その頃なら希伊が龍一のもとを去ってまだ間もないはずだ。龍一が煙草に火をつけると、黒沢もショートホープとジッポーを取り出した。
「仕事の関係で富山へ出張があったんです。二泊したあと明日帰京するという時になってふと思い出した。希伊さんの生まれが隣の石川県の金沢だったことをね。幸い翌日は休みだったので、帰る前に金沢へ寄ってみようと思ったんです。いや、でも、これといった当てはなかったんですが」
龍一は黒坂の話がこのあとどう展開していくのか全く分からぬまま、ひとことも聞き逃すまいと目の前の男の顔をまっすぐ見つめた。
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