2019年9月12日木曜日

「最幸のまち」

昨日10日は宮前区少年野球連盟会長、Matsuiさんの発案で開催される懇親会があったんである。今年で2回目、ほぼ高齢化、じゃなかった恒例化の様相を呈してきたんである。
さてただの懇親会ではない。個人情報ウンヌンカンヌンカンヌ映画祭、世知辛いこのご時世、長年このブログでは自主規制として人名はフルネームは避けて、かつローマ字表記にしてあるのだけれど、こと有名人や公人は別である。公人ほど名前が世に出るのはむしろ栄誉だろうう。公人中の公人である川崎市長、福田紀彦さんをお招きしての懇親会なんであった。筆者はMatsui会長からお誘いをいただき、連盟広報(非公式だけど公認)として参加。
それらしくお堅く名付ければ「福田市長を囲む会」とか「市民団体との意見交換会」とかになるんであろうけれど、これはあくまで福田さんのプライベートな和気藹々の懇親会なんである。とは言えしっかりMatsui会長から公園整備のお願いなども聞いていただいているんである。

福田さんは宮前区長沢の出身である。フレンズスタッフの何人かとも仕事上の繋がりがあったり、故前副会長Kasaharaさんや審判Katsugeさんとも交流があったり。またQueensの10th記念誌制作の時も寄稿文を寄せていただいたりもした。今回はSatoh総監を通じてフレンズ40th記念誌にも寄稿文を快諾いただいてるわけで、筆者としてもお礼のご挨拶をしたわけである。参考までにと10年前のモノクロ30th記念誌も手渡ししたりもした。

今でこそマスコミに喧伝されることも少なくなったが、かつて神奈川県では川崎が「待機児童」が400数十名と一番多く、それを就任一年後には公約通りゼロにした功績は、川崎市民にとっては記憶に新しい。新聞かネットニュースで知った記憶があるが「やったね福田さん!」とココロで小さく快哉を叫んだものだった。他にも小児医療費の無償化や中学校給食など数えればキリがない。

筆者の個人的な印象は、これほどウラのない屈託無い笑顔をお持ちの行政の長を知らないというもの。TVなどで垣間見る胡散臭い政治家などは、TVカメラを向けると仏頂面から一転し途端に作ったような「ビジネス笑顔」になるのが透けて見えて、実に辟易するものであるが、福田さんの笑顔は心根が現れるような、周囲を自然に和ませるイイ男の笑顔である。高校大学をアメリカで過ごし、すでに高校三年の時にあることをきっかけに政治家を目指そうと決意したのである。青年の志を今まさに体現している川崎市長福田さんなんであった。
五木寛之著「青年よ荒野をめざせ」的に言えば、かつての青年が川崎という荒野を、肥沃で豊かな地に改革しているのである。

そんな福田さんを囲んで連盟会長、副会長のMatsuiさんとOgasawaraさんのスリーショットをiPhoneでズキュンと狙撃してみる。連盟重鎮の二人である。まるで習字半紙の上下にズシリと老いた、じゃない置いた、重鎮ならぬデカイ文鎮のように。

すると後ろから秘書の方が気を利かせてくれて筆者も一緒にどーぞということになり、狙撃手交代しズキュン。白い半紙に置いた重厚な二つの文鎮、それを上から照らすLED電球のように光り輝く頭の筆者であった。

場所は先日QのMurataさんを囲む退職祝いの会をやった、溝の口丸井のJA焼肉屋さん。
最後はみんなでハイチーズ的、川崎宮前男だらけの集合写真。

お帰りはこちら。ペッパーくんがお見送り。「アリガトウゴザイマシタ」

丸井を出て昨年も撮ったらしい場所でさらに集合写真。酒臭いオッサンどもがワラワラ並んでいると、状況を察してFujisawaさんが近くにいた若い女子に声をかけ、スマホを渡し撮ってもらうことに。その機を見るに敏、風林火山、電光石火のごとく何のためらいもなく女子に声をかける所業を見て思った。さてはFujisawaさん、若い頃の経験値でナンパに慣れているのだなと。オヌシやるのう。(はい、もちろん「個人の見解です」)

今ブログ編集しながらハタと気づいた。
この市長を囲んだ野郎どものバックの丸井の外壁には、奇しくもというか偶然にも「川崎のシンボルマーク」が燦然と輝いていたのだった。しかもど真ん中に。こんな偶然ってあるんだね(^-^)

福田さんが標榜する「最幸のまち」川崎と「少年野球最強のまち」宮前。いやいや、やはり最強よりもそれ以前に「ひとが暮らす最幸のまち」宮前になって欲しいものである。

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