今年に入って幸か不幸か、仕事が緩やかになってしまった。自営業者としては生活の不安を頭の片隅に感じながらも、もう一方で、しめしめこの間隙を縫って一気にフレンズ記念誌を進めていけるぞ、やっちゃえニッサン!と悪魔の囁きが聞こえてくる。そんなわけで罪の意識に苛まれながらも、朝から記念誌制作を頑張っているのだった。フリーランサーとしては自由と恐怖が紙一重の綱渡り。
対談ページ作成中、DVDチーム母からの確認問い合わせのLINE、年代と写真の整合性の確認。記念誌チーム母からも広告校正結果の資料がどっさり怒涛のメール。修正と差し替えの暗澹たる煩雑な思いに囚われながらも、頑張ってくれている母スタッフに大いに感謝。これを無くして記念誌制作はありえないわけで。結果少しは誤記があったとしても記録である以上、間違いのないように精査しブラッシュアップしなければ、記念誌クオリティーの差が歴然となる。仮に誰も気づかないような箇所であったとしてもだ。更に夜はQueens卒団式DVDに使用する自撮り写真も撮って、Q母にLINEで送る。ナイスなアイディアに敬服するも、普段筆者は人の写真ばかり撮って自分の写真はほとんどないから、自撮りなるものは実に照れ臭いものである。お〜し、今年はツイッター、FB、インスタ、果てはYouTubeでもやっちゃうかナって...まあ絶対無理だわな。ブログだけで精一杯であるからして。
さて「対談ページ」である。対談と言うよりは三者座談会。ここではまだ内容は詳(つまび)らかにはできないが、「フレンズLegend」と言うタイトルで筆者を含めて座談会を開き、それを記念誌に掲載するという企画ページを画策。会話の内容をボイレコとビデオに録って母たちにテキストデータ化してもらう。「テープ回してないやろな!?」この場合、回さなきゃならないんである。届いたのはA4サイズで数十枚のテキストデータ。母たちはもの凄い苦労をしてPCと格闘してくれた。これを2ページに圧縮...は到底無理で、急遽4ページに増やしたものの、圧倒的にバッサリ削除割愛を余儀なくされる。レジェンドYanagisawa代表の会話の中で、創立当時のフレンズと有馬小の関わりに興味を抱いた。筆者のデザイナー兼記者魂が疼く。これは絶対当時の写真を挿入したい。フレンズ創立昭和55年あたりのたった5,6cm程度の白黒写真でいい。ネットで二日かけて散々検索したものの、当該写真はヒットせず。
有馬在住フレンズとーちゃんずOBに助けを求め、たどり着いたのが有馬小PTA会長でもありフレンズ28番Maedaさんであった。灯台下暗し。昨日成り行きと事の顛末、要望、コンセプトを話したら、今日速攻で学校へ行って当時の有馬小10周年記念誌(昭和56年)を借りて来てもらったのだった。
フレンズ記念誌を抜きにしても、実に素敵な素晴らしい冊子だった。学校の沿革だけに固執せず、子どもたちが住んでいる地元の有馬の歴史を丹念に深掘りし、子ども向けにわかりやすく、自然と子らへの教育へと繋げている編集方針は見事だった。Maedaさんから朝受け取ってすぐに、貴重で膨大な写真と文章に、食い入るように一気読みしちゃったのだった。
この中の一枚の写真を記念誌に掲載予定である。
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