ラベル 遠い記憶 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 遠い記憶 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年11月2日木曜日

ハロウィン+旧交を温める日

 「東京に行くから浅草で飲まないか?」

山形の中学同級だった友人NaotoからのLINEだった。ここで何度か書いている3年9組同級生LINEは今でも生きており、その中の親友だったNaoto、4年ぶりに仕事がらみで東京に行くので、飲もうということになったんである。昨年11月には筆者が山形へ行き、同じ同級のAyaちゃんの店で何人か集って旧交を温めたものである。Naotoとはそれ以来の再会だった。

昨日10/31に浅草(合羽橋)に行くことになり、筆者は乗り換えのため夕まぐれの渋谷で、田園都市線から銀座線に乗り換える。そうだった、今日はハロウィン当日であったことを思いだす。ハロウィンなんて全く興味ないのだが、渋谷の喧騒、大騒ぎは毎年全国ニュースになり、特に今年は「渋谷はハロウィンのイベント会場ではない」と、渋谷区と警視庁総出で規制することになったことは皆さん周知の通り。ちょっと物見遊山的に地上へ出てスクランブルを活写。少年野球戦場カメラマンの血が騒ぐのであった。

「そこの交差点でダンスしてるお兄さん、危険ですから歩道に上がってください!」DJポリスが拡声器でガナった。見るとイキがっているチャラい系の馬鹿者...いや、若者グループ数人がこれ見よがしに車道で下手なダンスを踊っていた。彼らは全く従う様子はなかった。体制に従わないのが青春の証とでも言いたげに。もし迷惑系チューバーの生配信だったなら、全く大迷惑である。

交差点のランドマークだった渋谷TSUTAYAが閉館となったことは、つい最近知った。40代の頃まだ宅配のDISCUSがなかったから、たまにここへ寄って映画DVDを借りて、オシャレにスタバで美味いコーヒーを飲むこともあった。しかしスタバに行ったのは一回きりであった。なぜか?コーヒーは抜群に美味いのだが、ヘビースモーカーにとっては居心地が悪いのである。閉館と言っても来年またリニュアルしてオープンすると知り、少しホッとした。ハチ公周辺はニュースで知っていた通り、フェンスで囲われていた。きっとハチ公もこの期間中は群衆に囲まれることもなく、少しはゆっくり休めるのではないだろうか。フェンスの向こうで誰も見てないからと、ハチ公が横に寝そべってイビキをかいている姿を想像したら、このハロウィン厳重規制もハチ公にとっては悪くないと、ちょっぴり楽しくなったのだった。

人波に揉まれながら、改札場所がすっかり変わった銀座線に乗り込み、ほぼ終点浅草に近い田原町まで車中の人となる。待ち合わせの時間まで早めに着いたので、店の周囲を探索することに。二次会はここが良いぞとか、ここは結構高いなとか、道具街だけに凝った米国製の道具、カッコいいカラビナや米軍が使うような小物が並んだ粋な店とか。ひょいと路地裏の更に裏に入ると、狸の信楽焼がずらり並んだ光景に出くわしたり。うーむ、こーゆーの、好き。

「おう!お待たせ」やっとNaotoがやってきた。Naotoご指名の店は有名な「どぜう飯田屋」だった。歴史の古いドジョウ鍋の名店である。聞けばフーテンの寅さんが大好きで、この店はロケに使われたり、山田洋次監督など、著名人御用達の店だとのこと。

お互いニカニカしながら一年ぶりの対面、結構お高い店だけれど席はほぼ満席。旧友と座敷でサシで乾杯するのは実にいいものであった。この歳になっても離れた友人と旧交を温める機会を持てること自体が、実に幸せなんだなと改めて感じ入ったのであった。

筆者は若い頃仕事の付き合いで「駒形どぜう」で柳川鍋を食したことがあった。味そのものは嫌いではないが、タレが入った熱々の鍋に生きたドジョウを入れて卵で閉じるその様を見て、ドジョウくんが可哀想で、2,3口で箸が止まった記憶がある。しかし今日は「骨抜きどぜう鍋」なるメニューでなかなか悪くなかった。ゴボウと山椒で美味く食することができた。写真はドジョウの唐揚げと卵焼き。

Naotoがお土産を持ってきてくれた。山形の漬物「青菜漬け」と「おみ漬け」だった。驚いた。山形名物おみ漬けは大好きで、11月からが旬、近所のスーパーやコンビニに並ぶ日を虎視眈々と待っていたんである。グッドタイミングである。ちなみに筆者の好きな漬物第一位はこのおみ漬け。日本中の漬物の中で一番美味いと思う。もっとも日本中の漬物を全部食べたことはないが。二番目はこれも山形の「薄皮丸茄子漬け」この二つは一度食べたら病みつきになるんである。メシが何杯でもいけちゃう。ちなみに(昔「晴耕雨読」に書いたけど)世界中で一番好きな果物はこれまた山形のラフランス。もっとも世界中の果物を食べたことはないが。筆者、決して山形観光大使の座を狙っているわけでもないし、山形ふるさとCM出演オファーを期待しているはずもない。仮に山形出身でなくてもこれらは大好きに違いない自信があるんである。Naotoの慧眼(けいがん)と気遣いに感謝であった。

その後は大いに飲み大いに食った...と言いたいけれど、筆者は飲み出すとあまり料理は食べなくなるタイプ。互いの今の仕事や生活や年金の話、ジジイにありがちな持病の話から、ここまでの「来(こ)し方」に至るまで。筆者ふとNaotoに漏らした言葉があった。40,50歳くらいで自分の人生を振り返るなんて青臭いし、分不相応だと思っていたけれど、さすがにこの歳になれば、ちょっとは振り返ることも許される年代になったのかなあと。Naotoは某地銀の取締役まで上り詰めた、同級生の中でも出世頭の筆頭だが、話を聞けばぎりぎりの綱渡りだったらしい。テーブルの端に2本指を立ててトコトコ歩く仕草、一歩間違えて右へ行けば奈落の底、左へ行けば平坦なテーブルの上。人生いろいろなんであった。筆者といえばそれに倣(なら)って言うなら、テーブルの上を歩いたのではなく、ずっとテーブルの下、畳の上を蹴つまづきながら、時に転倒しなんとか一周しようとしている。テーブルの4本の脚の、3本目をターンしたあたりか。お互いにゴールはもうすぐなんだろう。明日かもしれないし、10年後、20年後かもしれない。そんな話ができる同年代の友人がいることは実に幸せなことだ。

上野方面へズンズンずらずら歩いて二軒目の店へ。かなり酔っ払ったけれど、ここでも楽しい時が流れた。楽しくない話題も出した。感じの良いこじんまりした店でスタッフの女の子に撮ってもらった。「フラッシュたいたらダメよ、頭が光って失明しちゃうから」というNaotoのオヤジギャグも添えて。

タクシーで彼の定宿がある上野へ。握手して男同士ハグして別れた。「また飲もうぜ」

筆者は銀座線に乗り込み頭で計算。表参道で乗り換えれば田園都市線で容易に帰れると。程なくして視界がぼやけ睡魔に襲われる。...プッシュー...目を覚ましふと気がつくと電車のドアが閉まる音がする。慌てて駅名を確認すればここは表参道だった。時すでに遅かりし大石内蔵助、であった。仕方なく渋谷で時間をかけて乗り換えることに。

また渋谷スクランブルの喧騒の渦に翻弄される羽目になった。普段のルートは完全に遮断され、至る所に規制線が張られ大きく迂回しないと田園都市線まで行けないのである。警察官が物凄い音量でホイッスルを吹き鳴らす、異様な光景だった。仮装は極端に減ったものの、若干外国人などは仮装してる人もいた。欧米人の家族5人はオレンジ色の着ぐるみ衣装を着て、楽しみに日本へきた様子だったが、小さい男の子は警官の若干狂気じみたホイッスル音に両耳を人差し指で塞いで、額に皺を寄せていた。筆者の見立てではきっとこう思ったに違いない。「ニッポンのハロウィン、もっと楽しいって思ってたのにさ、パパ、話が違うじゃん、ママもうホテルへ帰ろうよ〜」(個人的見解である)...「ボク、ごめんね変な国で。でも本当は良い国なんだよ」

最後に動画をアップしようとしたら容量オーバーで不可。筆者が18歳で上京した当時の渋谷は、この時間は真っ暗でひっそり閑散としていた。今では信じられないだろうけれど。光陰矢のごとし、なんである。

にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村
少年野球ランキング

2023年9月18日月曜日

愛すべき宮前の野郎ども+邂逅記

イキナリの9/12、日の出前の朝焼けの写真から始まる、「晴耕雨読」BLOGなんである。深い意味はない。単に綺麗だったので冒頭で掲載しちゃうのである。

さて昨日日曜は懇親会+川少連決起会なんであった。連盟主催のこういう会食は今年一度復活し、今回2回目である。それまで2,3年コロナ禍で開催されず、実に久しぶりの宴となった。筆者は以前何度も参加し各テーブルを活写、ブログアップもしている。少年野球の写真は数百枚から50枚程度選ぶのは実は大変な神経を使う。それに比べてこんな会食の風景は実に和やかで、手順も分かっているので楽チンだ。およそ100名ほどの大宴会なんである。

県議持田さん挨拶、乾杯の発声はSasakiさん。

そしてMCはレッパのHiranoさん。筆者は初見であるが、すでに前回司会をやって大好評だったらしい。連盟から御指名で2回目ながらもう熟練の錬金術師のような貫禄だ。錬金術師は金を産むが、Hさんは笑いを生むのである。(うまいこと言うなあ)若干噛んでスベるトークもあったが、そーゆー時はあの鬼瓦が笑ったような笑顔でカバーしちゃうのである。「人を見た目で判断してはいけない」とは日本人の美徳であるが、その典型がここにある。およそレッパ軍の男たちはその確率が高いように思うのは筆者だけだろうか。(^-^)自撮りしてみると、あらま、俺の方が顔デカいじゃん!参ったなあ〜。

さてビールをグビリ鮨をパクリと腹を落ち着かせればいよいよ出撃開始。各テーブルをドローンにて巡回飛行。ドローン爆弾は落とさない代わりに群雄割拠、魑魅魍魎どもが蠢(うごめ)くそれぞれの巣窟へ情報収集任務である。しかし男どもが手にしているのは機関銃や手榴弾ではなく、ビールや焼酎である。眉間に皺を寄せるのではなく、目尻の皺を和らげて笑顔で溢れているのである。(うまいこと言うなあ)

各テーブルを掲載。

ここで市議高戸ともこ氏と織田勝久氏からご挨拶。高戸さんはまさに紅一点、掃き溜めに鶴、ラグビー部の部室に女子マネージャー一人、ってゆー状況であった。写真に写っていない人はトイレかタバコまたは筆者の不徳の致すところである。ドローン飛行続行、最後は各チーム事務局の精鋭たち。昔に比べて各チーム事務局担当は結構忙しいし、連盟との連携を図ってもらうには重要なポストなんである。どうかチームの皆さんは事務局担当者の労を労っていただきたいと、切に願う今日この頃なんである。

ここからは連合チームの挨拶。挨拶と言っても堅苦しいものではなく笑顔の登壇である。Queensは川少連では連合扱いで「宮前スマイリーズ」となる。スマイリーズは年に一度だが、Q姫たちのスマイルは年中無休なんである。(うまいこと言うなあ)

続いて単独チームの部。レッパ、花フラ、モンタ、ウルフの名実ともに今季宮前の4強である。今年は突出した限定チームではなく、まさに実力伯仲のこの4者であったと思う。この日ウルフ監督Fukutomeさんから名刺をいただき、筆者も差し上げた。晴れてこれからは「W監督」ではなく「WのFukutome監督」と表記する機会があることであろう。遠く後ろの事務局員がずっと立ちっぱなしなのは申し訳なしであった。

さて最後は各チームから一言。数年前までは登壇してのスピーチだったが、今回は各テーブル、巣窟、陣地、基地からの発信。五十音順だと周知させつつも毎回「グルルルルルルルルルルルル...ジャガジャン、次はどのチームでしょうか?はい、XXXでえ〜す」と繰り返すMCHirano親方が可愛いのである。ではアリコから。

「グルルルルルルルルルルルル...ジャガジャン、次はどのチームでしょうか?はい、有馬フレンズでえ〜す」と。Nakamuraオヤジは例によってテンション高め。エイドリアーーーンと叫んだわけではないが、ロッキーのポーズを披露。周りの監督ShohtaとマネージャーAyumuちゃんは「僕たちこの人と友達じゃありませんから」的な顔で笑っていた。

「ラリルレロ」...大トリはリトルグリーンズと審判部。LGのYamakawaさんとはこの日初めて知り合ったのだが、一期一会、邂逅と言っても良いくらいの偶然の出会いであった。これは後ほど。この後閉会となり、それぞれ帰宅組、二次会突入組となって夜の街へ散っていったのである。

Yamakawaさんとの邂逅(かいこう)記。

この人を初めてみた時瞬間的に「誰かに似てるな」と思った。これは筆者の昔からの癖なんである。酒宴中にYさんから話しかけていただき、まだ少年野球歴1年ながらずっと「晴耕雨読」を見てくださったとのこと。山形出身なんであった。「山形はどちらですか?」となって全然違う市町村だったら「あーーそうなんですか。同郷ですからこれからもよろしくですね」で終わるはずだった。それならば皆さんもよくある話だろう。ところがYさんは筆者と同じ山形市内なんであった。それで急速に話が盛り上がり、実家は何町だの、駅前は今どーなってるだの、昔と今では街並みがどう変わったかだの、話題に尽きないわけで。彼のお母さんが駅前で小料理屋(?)をやっていた話になったので、筆者もここで何度も書いている山形中学同級生39LINEの話をし、駅からすぐのところに同級生の女子(Ayaちゃん)が店をやっていることを伝えたりした。彼は実家が十日町と言うところで、筆者は東原町、わずかに十日町の方が駅に近いわけで、「うちの方が都会だ」と笑って言うYさん。この顔どっかで見たことあるなあと、内心思う筆者。こうして楽しい夜は更けてゆくのであった。写真中央が長身痩躯のYamakawaさん。左端はこれまた山形山寺出身のリトグリ父(御免なさいお名前を失念)。

帰宅後やっと誰に似ているか思い出した。フジテレビ「坂上動物王国」に出てくる「さかがみ家」のスタッフ、古山憲太郎氏なんである。LG関係者なら得心するはずだ。※古山氏のX写真から(旧TW)...X写真と言ってもレントゲン写真ではない。悪しからず。

試しに合成してみた。ほれ、どーよ。まるで兄弟じゃん。

さて、ここで終わったら「邂逅記」とまではいかない。もっと凄い偶然が重なったのである。この話を山形39LINEに簡単に書いたところ、反応があって「イイね!」のスタンプがたくさん返ってきたわけで。その中で前述の駅前で店をやっているAyaちゃんからリプライ。彼女は中学の頃十日町に住んでいて、なんとYamakawaさん実家のお隣だったことが判明!驚愕の事実なんである。彼女のお母さんとYさんのお母さんが仲が良く、Ayaちゃんも何度か駅前の店に行ったとのこと。コロナ禍で閉店となったことをとても残念がっていた。Ayaちゃんが(当然筆者も)中学生の頃は、まだYさんは生まれてない頃だけれど。

いやはや、人と人と人が、どこでどう繋がっているのだろう。皆さんも一生に何度かはこんな偶然の邂逅があるはず。Yakmakawaさんに今度会ったら話そう。また盛り上がっちゃうに違いない。てか、すでに「晴耕雨読」で知ることになるだろうか。

にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村
少年野球ランキング