2016年11月3日木曜日

良い歳の重ね方

人の「誕生日」を教えても罪にはならないが、
人の「生年月日」を言うと、個人情報漏洩だなんて言われかねない。
いやはや困ったもんだの、とかくこの世のは住みにくいになったものである。
てなわけで、有馬フレンズ代表Yanagisawaさんは、今年10月ウン日にウンじゅうウン歳になった...と書いてしまっては実もフタもないではないか。のちに写真にも出て来るのでバラしちゃおう。御年73歳なんであった。それでもいまだに針をも通す正確無比のノックと、子どもたちへの厳しくも愛のある指導、監督を勇退してもチームの心の柱として今なお、その輝きと存在感は健在なんである。筆者は息子娘が入部して以来、親としてまたOBコーチとして約20年来のおつきあいになるが、その20年間少年野球に対する思いはたったの1ミリもブレていない。ここ5,6年間だろうか、毎年「俺はもう代表を辞める」と言うのを筆者は公の場で或いは水面下で必死に慰留に努めてきた。昨年は全国大会出場を果たしたが、それはYさんの長年の夢だった。チーム代表としてそれが叶って本当に良かったと思うのであった。

※ブログ執筆途中ではあるけれど、これはフジTV「アンビリーバボー」の広島カープ黒田の特番を観ながら書いている。今終わった。いちカープファンとしていち黒田ファンとして幾度も涙が頬を伝う。年下なのに自分よりも人生の大先輩のような錯覚に陥る。いや実際そうだと思う。
ところで日本シリーズのこと。ブログであれを思い出し書くことは出来ない。思い出すと頭が痛くなり、書こうとすると手が震えるからだ。

さてそのYanagisawa代表の「お誕生会」的オトナの飲み会が開催された。母マネTomoちゃんが苦労して計画し、加えてOBたちも参加して盛会となったんである。
iPhone7でムービーを撮ったのだが、ここではスマホでは観れないと思うけど、それでもアップしてみる。PCなら正常に観れるはず。
これは会が進行してほどなく経ったころ、突然居酒屋の照明が落ちてバースデーケーキが運ばれて来たシーンである。

OBにも声をかけたらここ数年来のOB母たちがわんさと駆けつけたんであった。元監督のOhtsuboさんも参戦。これもまたY代表の人徳のなせる技であるに違いない。OB母には絶大な人気を誇る代表なんであった。しかし本人はそんなこともあまり意識していないところがYanagisawaさんのYanagisawaさんたる所以(ゆえん)である。この歳になってもまだ煩悩に苛まれている矮小な筆者とは格が違うわけで。
高校生やすでに社会人となったOBの子どもたちからも走り書きのお祝い寄せ書きが届く。

これを皮切りに現役チーム、現役母たち、OB母たちからも続々といろんなプレゼントが手渡しされる。
場は一気にヒートアップ。なにしろAkaneちゃん始めOB母たちの盛り上げ方が上手いのなんの。筆者にとってもここ数年とはいえ、笑いと涙と懐かしくも楽しい時間を共有してきた母たちなのでとても嬉しく思うのだった。

2020年東京五輪のポロシャツも。


それにしても驚いたのは新しくなったiPhone7なんである。先のムービー動画といい、これらの写真といい、iPhoneで撮影したもので実に鮮明である。以前の5ならこんな薄暗い部屋ではとても鮮明な画像は望むべくもなかった。一眼レフで撮ったものと全く遜色ないどころか、下手すりゃそれを凌駕して余あるんであった。びっくらこいてしまう筆者であった。
「ハイハイ撮るよ〜。ほっぺにチューしちゃって」とはやし立てる俺。臆面もなくそれに応えるShinoちゃんとKeiちゃん。OB母たちに囲まれていつもより代表の鼻の下が2cmほど伸びたように思ったのは私だけではあるまい。会の最初にKaneda顧問が乾杯の発声のために立ち上がろうとした時だった。「膝が痛いんだから立たせるなよ〜」と言った。それを聞いた代表がこっそり言った「俺たちはあっちもこっちも立たなくなってしまったなあ」と。筆者とその周りの数人が爆笑ウケる。昔の代表なら厳格で良い意味で頑固オヤジで、そんなことは微塵も言わない人であったが、歳とともに丸くなった。そんなジョークもぽろりと言うようになった。その転機はお孫さんが出来た頃からだったと思う。

生まれてからずっと生涯野球一筋で、羨ましいほどいい感じで歳を重ねてきた人がここにいる。
これからもよろしくお願いします。


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2016年10月31日月曜日

オレンジと新チーム2題

オレンジボール決勝トーナメント初戦なんである。これに優勝(2勝)すれば、来年の東京ドームへ...じゃない、東京ドーム横にあるグランドで上部本大会へ行けるんであった。去年のフレンズ6年生は全国大会という晴れ舞台に立ったわけだけれど、想い起こせば彼らが低学年のころ、このオレンジで東京大会まで行ったのだった。今年のオレンジチームがまさか決勝トーナメントまで行くとは予想外であった。人数もギリギリなのに嬉しい誤算なんである。飛び抜けて上手い子がちょっとはいるけれど、あとは総合力に欠けるきらいがあるのは事実。だってオレンジだもの、それが当たり前なんである。勝つことよりも野球を好きになって欲しいというのが大会の主旨である。しかしやはりやるからにはオレンジと言えど勝ちたいのはどのチームも同じだろう。

第一試合は南菅白幡ジュニアズVS野川レッドパワーズ。南菅白幡ジュニアズはワイルダースとイーグルスとの混成チーム軍団。これがなかなか手強いのだった。結果は6:4でジュニアズ。レッパは善戦およばず敗退。両軍先発投手とベンチ。


バックネット裏に小さな子が野球を観ながら宿題をやっていた...わけではない。
なんとスコアの猛勉強なんであった。その小さなスコアラーは連盟事務局Fijisawaさん(ウルフ)の息子さんであった。その心意気とアカデミックな向学心と野球に向き合う真摯な姿勢に、惜しみない拍手を送りたい。かつてウルフのあのTaiyohくんがそうであったように。オヤジに似ていかにも利発そうな面立ちである。

※ウルフTaiyohくんはジャイアンツJrに選出、更に全日本侍Japan U-12のメンバーにも選ばれた。これを快挙と言わずしてなんと言うのか。

さて、フレンズVS宮崎モンスターズ戦である。あとがつかえているのでサクサク行くぞ。
先発はF=K.Kaito、M=Mitsushimaくん。豪速球がうなりをあげる。


現役オレンジエイジと上級生応援メンバー。28Maedaオヤジと29Nakamuraオヤジコーチ。
監督はKakenoオヤジである。Kakeno、Maedaオヤジともに甲子園球児である。


モンスターズ愛称モンタの捕手Ohtsukaくんはキャッチャーミットではなくグラブで登場。うまいキャッチングと強肩でチームの要を務める。
因にモンタで兄弟でチームに所属した場合、それを称してなんと言うか知っているだろうか。答えは「モンタ&ブラザース」なんである。


これは私見なので反論はあるかもしれない。シートノックを見てそのチームのチカラを推し量るのは少年野球指導陣の常である。特にオレンジなどの場合セカンドとライトや外野を見るとその選手層のパイがおおよそ分かると思うのである。モンタはその点しっかり守備していた。つまり「穴」がない、総合力に長けたチームということだ。

互いに投手戦と言えるだろうか。安打数が少ない。Kaitoは良く投げたと思う。三回にはモンタ主砲に特大のソロホームランが飛び出した。
ピンポイント参戦にて可愛い選手がレフトを守る。Hayashiくんだ。ルールは分からない。デッドボールを食らってもまだ打席に立って次の投球を待つ。審判に優しく促されてやっとこさ一塁へとことこ。実に可愛いし健気だ。これもオレンジの良いところなんであった。


総合力に勝るモンタの勝利。
決勝はジュニアズVSモンスターズとなった。両チーム東京大会を目指して頑張ってほしい。
..................
ぬお〜。さっくり行くはずがやはりコメント書きすぎて長くなっちまった。まだあるんだからして。今度こそ...なんである。
有馬小ドームに帰還し午後は練習試合、お隣横浜の「横浜球友会」戦。このチームはK.Kaitoがかつて所属していたチームである。川崎有馬小から歩いて5歩で横浜なんであった。


5年生以下での純粋新チームでの試合になった。互いに譲らず互角の勝負、と言えば聞こえはいいが、投手戦というか貧打戦というべきか。
有馬ダンシングボーイズ参上か。せ〜の...。試合前のエアー素振り。

スコアラーはOBのMitsuyo母。親子はこうも似るものだろうか。29番Shohtaとのショット。

横浜ベンチ点景ショット。

息詰る攻防戦(?)拮抗した展開に。内容はともあれスコア的に近年こんな試合あったかな。
少年野球には珍しく1:0なんであった。僅か2安打のフレンズが辛勝であった。

昔はよくこのアングルから撮ったものだったけれど、久々にグランドを睥睨(へいげい)する所から。決して今流行(はやり)のドローン撮影ではない。


もし仮に大昔の映画「太陽がいっぱい」の撮影にドローンが使われていたなら、みんな上空を見上げて驚くに違いない。
「あら〜ん!ドロ〜ン?」なんてな。
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