人の「生年月日」を言うと、個人情報漏洩だなんて言われかねない。
いやはや困ったもんだの、とかくこの世のは住みにくいになったものである。
てなわけで、有馬フレンズ代表Yanagisawaさんは、今年10月ウン日にウンじゅうウン歳になった...と書いてしまっては実もフタもないではないか。のちに写真にも出て来るのでバラしちゃおう。御年73歳なんであった。それでもいまだに針をも通す正確無比のノックと、子どもたちへの厳しくも愛のある指導、監督を勇退してもチームの心の柱として今なお、その輝きと存在感は健在なんである。筆者は息子娘が入部して以来、親としてまたOBコーチとして約20年来のおつきあいになるが、その20年間少年野球に対する思いはたったの1ミリもブレていない。ここ5,6年間だろうか、毎年「俺はもう代表を辞める」と言うのを筆者は公の場で或いは水面下で必死に慰留に努めてきた。昨年は全国大会出場を果たしたが、それはYさんの長年の夢だった。チーム代表としてそれが叶って本当に良かったと思うのであった。
※ブログ執筆途中ではあるけれど、これはフジTV「アンビリーバボー」の広島カープ黒田の特番を観ながら書いている。今終わった。いちカープファンとしていち黒田ファンとして幾度も涙が頬を伝う。年下なのに自分よりも人生の大先輩のような錯覚に陥る。いや実際そうだと思う。
ところで日本シリーズのこと。ブログであれを思い出し書くことは出来ない。思い出すと頭が痛くなり、書こうとすると手が震えるからだ。
さてそのYanagisawa代表の「お誕生会」的オトナの飲み会が開催された。母マネTomoちゃんが苦労して計画し、加えてOBたちも参加して盛会となったんである。
iPhone7でムービーを撮ったのだが、ここではスマホでは観れないと思うけど、それでもアップしてみる。PCなら正常に観れるはず。
これは会が進行してほどなく経ったころ、突然居酒屋の照明が落ちてバースデーケーキが運ばれて来たシーンである。
OBにも声をかけたらここ数年来のOB母たちがわんさと駆けつけたんであった。元監督のOhtsuboさんも参戦。これもまたY代表の人徳のなせる技であるに違いない。OB母には絶大な人気を誇る代表なんであった。しかし本人はそんなこともあまり意識していないところがYanagisawaさんのYanagisawaさんたる所以(ゆえん)である。この歳になってもまだ煩悩に苛まれている矮小な筆者とは格が違うわけで。
高校生やすでに社会人となったOBの子どもたちからも走り書きのお祝い寄せ書きが届く。
これを皮切りに現役チーム、現役母たち、OB母たちからも続々といろんなプレゼントが手渡しされる。
場は一気にヒートアップ。なにしろAkaneちゃん始めOB母たちの盛り上げ方が上手いのなんの。筆者にとってもここ数年とはいえ、笑いと涙と懐かしくも楽しい時間を共有してきた母たちなのでとても嬉しく思うのだった。
2020年東京五輪のポロシャツも。
それにしても驚いたのは新しくなったiPhone7なんである。先のムービー動画といい、これらの写真といい、iPhoneで撮影したもので実に鮮明である。以前の5ならこんな薄暗い部屋ではとても鮮明な画像は望むべくもなかった。一眼レフで撮ったものと全く遜色ないどころか、下手すりゃそれを凌駕して余あるんであった。びっくらこいてしまう筆者であった。
「ハイハイ撮るよ〜。ほっぺにチューしちゃって」とはやし立てる俺。臆面もなくそれに応えるShinoちゃんとKeiちゃん。OB母たちに囲まれていつもより代表の鼻の下が2cmほど伸びたように思ったのは私だけではあるまい。会の最初にKaneda顧問が乾杯の発声のために立ち上がろうとした時だった。「膝が痛いんだから立たせるなよ〜」と言った。それを聞いた代表がこっそり言った「俺たちはあっちもこっちも立たなくなってしまったなあ」と。筆者とその周りの数人が爆笑ウケる。昔の代表なら厳格で良い意味で頑固オヤジで、そんなことは微塵も言わない人であったが、歳とともに丸くなった。そんなジョークもぽろりと言うようになった。その転機はお孫さんが出来た頃からだったと思う。
生まれてからずっと生涯野球一筋で、羨ましいほどいい感じで歳を重ねてきた人がここにいる。
これからもよろしくお願いします。
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