『夜明け前』....近代文学を代表する、藤村が著した昭和初期の傑作とされる。昭和4年から10年まで中央公論誌上に掲載。読んだことはなくとも小説名だけは聞き及んだことがあるはず。教科書の文学年表にも必ず登場するわけで。
ここで藤村を「フジムラ」と読んだ方はおそらくブンガクとは無縁の人生を歩んでこられた方と推察。正しくは「トウソン」島崎藤村なんである。往年の大作家を片方の名前で呼び捨てにすると、あ〜ら不思議、なんだか文学通になった気分になれるんである。「太宰の...」「谷崎は...」「漱石が...」「三島の...」なんてね。
かく言う筆者は藤村の『夜明け前』は自慢じゃないけど読んだことはない。エラそうなことは言えないわけで。
先日、仕事で夜が遅くなり、就寝はAM2:00。ベッドに倒れ込むように横になり、そのままずぶずぶと泥のように眠るか....と思ったら、そんな時は案外眼が冴えて眠れないもので。明日朝起床のことを思うと、今からウィスキーや浅田次郎に手を出すのは自殺行為に等しいし、かといってこのまま羊の数を数えて安眠体勢に入れるほど、もう子どもじゃないし....。う〜ん、困った困った....と思い始めたらウトウト。普段ならこのまま朝までノンストップで爆睡街道まっしぐらなんであるが、ほどなく眼が覚めてしまった。その時に見た朝焼けの光景。爆睡街道をちょっと脇道にそれてカメラを構えシャッターを切る。「ピューリッツァー賞」受賞の赤絨毯が脳裏を掠めるが、ここはベトナムじゃないしドキュメンタリーでもないし。
写真の専門家が見たら朝焼けと夕焼けの区別が出来るんであろうか?
まるで夕焼けのような色味の、深く重い風合いがある。
この数分後には夏の太陽が「アンタ何やってんの?」と言わんばかりに、かつ、「オハヨーSUN!」とでも言いたげに、圧倒的にずんずん昇って来たのであった。
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2011年8月9日火曜日
2011年8月7日日曜日
高校野球 がんばろう!日本
秋季大会ブロックリーグ二位同士の順位決定戦の昨日、またもや、フォルコンズ戦に快勝!でも写真がない。今日は強豪メイツ戦。残念ながら11:6の負け...。でも記憶がない。記憶も写真もあるわけない、行けてないから、仕事で。土日だっちゅーのに...残念。
そのかわり仕事しながら高校野球をTV観戦。息子の残していったアナログTVに4,900円の地デジチューナーを取付け、びっくりするほど映像がキレイになったヤツ。脳の稼働状態は仕事93%、高校野球7%であった。
「帝京VS花巻東」次第に仕事32%、高校野球68%に逆転。
しのぎを削る白熱の好ゲーム。地元チーム以外ではおそらく全国民が被災地東北3県のチームを応援してるのではないだろうか。昔から小生の高校野球応援校の基準は....
1出身高校(山形南高校)
2公立高校
3郷里の高校(山形県)
4東北からの出場校
5雪国で冬場はグランドが使えないにもかかわらず頑張ってる地域の高校
6初出場校や強豪に大差で負けそうになっちゃてる高校
この1から6の間に地元神奈川県代表校が入る。
今日はチームとしては岩手の花巻東を応援していた。がんばれ東北。
「がんばろう!日本」のヘルメのステッカー。おそらく球児たちは全国からの声援を背に勇気をもらったこともあるだろうけど、逆に誰かのために勝たなきゃいけない、負けられないという変なプレッシャーを背負い込む場合だってあったはずだ。その重圧の中で強打で全国屈指の帝京と互角に競り合ったナインに拍手を送りたい。
この極私的基準とは別にチーム関係なく注目したい選手というのもある。
帝京のタクローこと伊藤拓郎投手。めちゃくちゃイケメンであると同時に、プロも大注目の逸材。相方の1年生でありながら正捕手の石川選手も話題に。映像を見る限りでは1年生であることを微塵も感じさせない堂々たる存在。
さて拓郎くんである。どこまで書いていいのかビミョーだけど、この選手は中学時代は東京のHNリトルシニアに在籍。近年全国制覇を果たしている全国大会常連の強豪チームである。つい先日もシニア日本選手権全国大会準優勝を果たしている。このHNに息子さんがかつて在籍し深く関わっている人がいる。小生ブログの右「勝手にリンク」にある「台風一過」の「かに」さんである。(7月31日付の記事に拓郎選手のことが)少年野球ブロガー界では超有名人。小生も昨年チームの記念誌の件で何度かメールのやりとりをさせていただいた。出来た記念誌を送ったり送られたり。その「かに」さんイチオシの選手がHN出身の帝京拓郎くんなんである。今日は途中降板したものの、デカい3塁打を放ち1打点の活躍。本人は投手として結果を出したかったに違いないけど。甘いマスクと実力を兼ね備えて、おそらくプロに進みスター選手になるに違いない。
将来は女子アナと結婚しちゃうんかなあ(^^)
9回表裏の攻防では仕事マイナス20%、高校野球120%になっていた。
最後のオマケに写真掲載。先日もこの花の写真載せたけれど、「がんばれ東北」の赤とハイビスカスの赤をひっかけて。アップで見ないと分らないけど(クリックで拡大)、中心部にぷにょぷにょの透明ゼリー状のナニカがあって、更にその中に黄色く丸いナニカが封じ込められている。ナニカ知らんけど美味しそうだ。
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そのかわり仕事しながら高校野球をTV観戦。息子の残していったアナログTVに4,900円の地デジチューナーを取付け、びっくりするほど映像がキレイになったヤツ。脳の稼働状態は仕事93%、高校野球7%であった。
「帝京VS花巻東」次第に仕事32%、高校野球68%に逆転。
しのぎを削る白熱の好ゲーム。地元チーム以外ではおそらく全国民が被災地東北3県のチームを応援してるのではないだろうか。昔から小生の高校野球応援校の基準は....
1出身高校(山形南高校)
2公立高校
3郷里の高校(山形県)
4東北からの出場校
5雪国で冬場はグランドが使えないにもかかわらず頑張ってる地域の高校
6初出場校や強豪に大差で負けそうになっちゃてる高校
この1から6の間に地元神奈川県代表校が入る。
今日はチームとしては岩手の花巻東を応援していた。がんばれ東北。
「がんばろう!日本」のヘルメのステッカー。おそらく球児たちは全国からの声援を背に勇気をもらったこともあるだろうけど、逆に誰かのために勝たなきゃいけない、負けられないという変なプレッシャーを背負い込む場合だってあったはずだ。その重圧の中で強打で全国屈指の帝京と互角に競り合ったナインに拍手を送りたい。
この極私的基準とは別にチーム関係なく注目したい選手というのもある。
帝京のタクローこと伊藤拓郎投手。めちゃくちゃイケメンであると同時に、プロも大注目の逸材。相方の1年生でありながら正捕手の石川選手も話題に。映像を見る限りでは1年生であることを微塵も感じさせない堂々たる存在。
さて拓郎くんである。どこまで書いていいのかビミョーだけど、この選手は中学時代は東京のHNリトルシニアに在籍。近年全国制覇を果たしている全国大会常連の強豪チームである。つい先日もシニア日本選手権全国大会準優勝を果たしている。このHNに息子さんがかつて在籍し深く関わっている人がいる。小生ブログの右「勝手にリンク」にある「台風一過」の「かに」さんである。(7月31日付の記事に拓郎選手のことが)少年野球ブロガー界では超有名人。小生も昨年チームの記念誌の件で何度かメールのやりとりをさせていただいた。出来た記念誌を送ったり送られたり。その「かに」さんイチオシの選手がHN出身の帝京拓郎くんなんである。今日は途中降板したものの、デカい3塁打を放ち1打点の活躍。本人は投手として結果を出したかったに違いないけど。甘いマスクと実力を兼ね備えて、おそらくプロに進みスター選手になるに違いない。
将来は女子アナと結婚しちゃうんかなあ(^^)
9回表裏の攻防では仕事マイナス20%、高校野球120%になっていた。
最後のオマケに写真掲載。先日もこの花の写真載せたけれど、「がんばれ東北」の赤とハイビスカスの赤をひっかけて。アップで見ないと分らないけど(クリックで拡大)、中心部にぷにょぷにょの透明ゼリー状のナニカがあって、更にその中に黄色く丸いナニカが封じ込められている。ナニカ知らんけど美味しそうだ。
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2011年8月5日金曜日
「One for All〜All for One」
このタイトル、「ナンデスカ?」と思うであろうことは、想定内の範囲内なんである。チリワインが黒に近いドス赤い色をしているのと同じくらい誰だって知っている。キャッチャーは守備位置を確認するのに、外野センターを見る時は眼の焦点距離をロングに、セカンドを見る時は中間距離、その後本塁に眼を落し一瞬接写状態になり...顔を上げおもむろにピッチャーにサインを出す。
遠距離・中距離・近距離。
昨日のこちらの地域(川崎)では、時折、突然のゲリラ豪雨。「1時間に1ミリ以上の雨の降る確率は...」なんてもんじゃなあない。あっと言う間に10秒間で1センチくらいは1平方メートルの弁当箱に溜まったはずだ。そんな自然現象が大好きな小生はMacのキーボードを叩くのをしばし中断、NikonP100で撮影してみた。
まずは遠距離。センターの位置へズーム。
次にセカンドの街路樹の位置を確認。
(左バッターなんだからもう少し右へ守備位置変えろよ、と言っても聞いてないし)
1メートル手前くらいの本塁付近に眼の焦点距離を合わせたら、意外な雨の姿を捉えた。真っすぐ落下する雨粒の間隙を縫って、ちいさな飛散した雨粒が上に下に浮遊し宙を舞っていた。普段肉眼では気づかないものである。
「木を見て森を見ず」というコトバがあるけれど、その逆バージョンである。
大層な目標をかかげて現実に目を向けず、遠くの夢ばかりを見ているだけでは誰もついてこないだろう。遠くの理想の実現のために、足元の現実を見据え、一歩ずつ努力することが肝要なのではないだろうか。少年野球のチーム作りにも通底することかもしれない。
「森のために木を育てる」
「One for All〜All for One」...少しニュアンスが違うけれども。
突然、震災の被災地のことが頭に去来した。
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遠距離・中距離・近距離。
昨日のこちらの地域(川崎)では、時折、突然のゲリラ豪雨。「1時間に1ミリ以上の雨の降る確率は...」なんてもんじゃなあない。あっと言う間に10秒間で1センチくらいは1平方メートルの弁当箱に溜まったはずだ。そんな自然現象が大好きな小生はMacのキーボードを叩くのをしばし中断、NikonP100で撮影してみた。
まずは遠距離。センターの位置へズーム。
次にセカンドの街路樹の位置を確認。
(左バッターなんだからもう少し右へ守備位置変えろよ、と言っても聞いてないし)
1メートル手前くらいの本塁付近に眼の焦点距離を合わせたら、意外な雨の姿を捉えた。真っすぐ落下する雨粒の間隙を縫って、ちいさな飛散した雨粒が上に下に浮遊し宙を舞っていた。普段肉眼では気づかないものである。
「木を見て森を見ず」というコトバがあるけれど、その逆バージョンである。
大層な目標をかかげて現実に目を向けず、遠くの夢ばかりを見ているだけでは誰もついてこないだろう。遠くの理想の実現のために、足元の現実を見据え、一歩ずつ努力することが肝要なのではないだろうか。少年野球のチーム作りにも通底することかもしれない。
「森のために木を育てる」
「One for All〜All for One」...少しニュアンスが違うけれども。
突然、震災の被災地のことが頭に去来した。
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2011年8月3日水曜日
三年目の植木♪
♪三年目ぇ〜の浮気くらい大目にみってっよ〜♪
懐かしい歌である。ヒロシ&キーボーだったかな。男なら誰しも(?)この歌に共感を覚えたかもしれない(?)わけで大ヒットになった。
「三年目の浮気」ではなく「三年目の植木」....いや実際は「五年目の破局」ならぬ「五年目の植木」なんである。ハイビスカス。4,5年前に我が家のベランダへやって来たこの娘は毎年この時季になると健気に真っ赤な花を咲かせてみせる。赤いランドセルを背負ったショートヘアの似合う元気な女の子みたいな。親はほとんど何も子育てしてない。通年ベランダに置きっぱなしの放任主義。夏が近づくと液体栄養とひたすら水を与えるのみ。ヒドイ親である。児童相談所に通報されても文句は言えない。それでもこの娘が愛おしい。毎年この一つ目の赤い花を見ると、「もうじき高校野球が始まるぞ〜!」的な、俳句で言う季語に近いものを感じる。
赤い太陽のもと、赤い花を咲かせるハイビスカスであった。
こちらは白い月夜の晩に白い大輪の花を咲かせるご存知「月下美人」
つい先日夜中にひっそり咲いていた。
去年も一昨年もこのブログに載せたので詳細は省くけれど(2010年8月8日「ベランダのベテランだ」etc)、赤いハイビスカスとは対照的にこちらは14,5年前に恵比寿の事務所で密かに「愛人」として同棲していたんである。その後愛人の存在が本妻に発覚、協議和解を経て鷺沼の自宅ベランダで生活を共にするようになった。ここへ来てから初めて白い花を咲かせるようになったのには驚いた。サボテンそのものの肌年齢は、もうだいぶ更年期も過ぎて介護保険の受給資格も可能かと思われるほどだけれど、毎年この一種妖艶なひと晩限りの花を咲かせるのは、まだ女を捨ててはいない証なのだろう。歳を重ねるごとに放つ、歳を重ねなきゃ放つことの出来ない「オトナの色気」...男女問わずそうありたいものですね(^^)
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2011年8月2日火曜日
自負心と誇り
このところ上昇機運のAチーム。AチームがあるからBがあるわけではないというのがウチのチーム事情というもの。Bを作るには監督・29・28番・スコアラーから始まり、運営、設営、配車の手配、Aとの兼ね合いでの練習グランドの確保と、大変なことがいっぱい。選手数の少ないウチはほとんどAとの兼任でやれば、やってやれないことはない。しかしそれには父たちの協力が今以上に不可欠になってくるわけで。
筆者は息子娘がチームにいた頃はオヤジコーチとして参加。忘れもしない初参加の日は息子が5年の11月の初冬、寒い朝。霜が降りグランドガチガチ、ガタガタの状態を1時間かけてトンボをかけた。翌日は腰が使いものにならない。その後フレンズに慣れるに従い設営、運営、審判とほぼ毎週のようにやった。あの時代は幸運にも黄金期で、年間勝率が8割以上の常勝チームだったため、試合づくめだったからだ。朝の早起きと綺麗な女性にめっぽう弱い私でも、あの頃の朝の目覚ましには一発で起きれたんである。朝4時まで呑んでいても6時には第一公園の設営に行ったこともある。子どもが世話になっているチームに対して親としてそれが当たり前のことだと思っていた。それが次第に我が子どもなど関係なく、チームを支えるスタッフとしての「自負心」と、多少大袈裟だけど「俺たちのチーム」という「誇り」も芽生えてきたりして。当時も人数はそう多くなかったけれども、親たちや指導陣のチームワークも抜群であった。
その延長で自分の子どもが卒業後もこうしてチームに関わっている。おそらくは全国の小学生野球のコーチングスタッフのほとんどが大なり小なり、同じような経緯でチームに在籍してるのではないだろうか。
最近ここではAの写真ばかりなので、日曜にBの子たちを写真に収めてみた。
小さい子たちの親にAの試合の設営、審判、クルマ出しなどを協力してもらっているから、ちょっとでも罪滅ぼしにね。
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筆者は息子娘がチームにいた頃はオヤジコーチとして参加。忘れもしない初参加の日は息子が5年の11月の初冬、寒い朝。霜が降りグランドガチガチ、ガタガタの状態を1時間かけてトンボをかけた。翌日は腰が使いものにならない。その後フレンズに慣れるに従い設営、運営、審判とほぼ毎週のようにやった。あの時代は幸運にも黄金期で、年間勝率が8割以上の常勝チームだったため、試合づくめだったからだ。朝の早起きと綺麗な女性にめっぽう弱い私でも、あの頃の朝の目覚ましには一発で起きれたんである。朝4時まで呑んでいても6時には第一公園の設営に行ったこともある。子どもが世話になっているチームに対して親としてそれが当たり前のことだと思っていた。それが次第に我が子どもなど関係なく、チームを支えるスタッフとしての「自負心」と、多少大袈裟だけど「俺たちのチーム」という「誇り」も芽生えてきたりして。当時も人数はそう多くなかったけれども、親たちや指導陣のチームワークも抜群であった。
その延長で自分の子どもが卒業後もこうしてチームに関わっている。おそらくは全国の小学生野球のコーチングスタッフのほとんどが大なり小なり、同じような経緯でチームに在籍してるのではないだろうか。
最近ここではAの写真ばかりなので、日曜にBの子たちを写真に収めてみた。
小さい子たちの親にAの試合の設営、審判、クルマ出しなどを協力してもらっているから、ちょっとでも罪滅ぼしにね。
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