グランドへ入った。
「Tコーチ、こんにちは!」明らかに体格の良いフレンズOBの子が声をかけてきた。
(...ぬぬぬ、誰だっけか?...)(....うちのOBでこんなイケメンいたっけかな)
とっさにOBの子の名前が出てこないのは、我々古いコーチたちの常である。
彼が近寄って来て、3秒後、筆者は目を見開いた。
「あ、あ、あ〜!!!!なんだKazuじゃないかっ!」
思わず抱きついてやろうと思ったがやめた。あまりに逞しくなった青年に気後れしたのだろうか。伝統ある有馬フレンズ第27代主将であったKazuなんであった。低学年入部当初は砂場で遊んでばかりいて怒られ、3,4年の頃は「オラ、野球やだ。もうフレンズ行かないも〜ん」とか言ってアルファードの後部座席に隠れて練習をサボったり、最後まで走るのが超苦手だった子だ。確かに当時のフレンズは今とは比較にならないほど練習も指導も厳しかった。それでも6年になれば小さい子の面倒をみたり捕手兼主将としてチームを牽引してくれた。しばらく先日の宮城の高校野球やこれからの進路の話をした。
それにしてもオドロキだった。筆者がすぐに名前が出てこないのも無理はない。卒業後中学、高校と何度か見てはいるのだが、どうしても子どもの頃の印象が強くてそのギャップが大きかったんである。こんな好青年になっていたとは。
彼は宮城県のT高校へ進み寮生活で野球に明け暮れる毎日を過ごし、今年の夏は県大会で惜しくも敗退してしまった。高校球児にとってそれは「長い終わりの夏」を意味する。ちょうどお盆で実家へ帰省していたのだった。
あったあった当時の写真がかろうじてMacに保存されていた。
下の写真は楕円の部分が6年生だった頃のKazu。
次の写真が日曜に撮ったもの。筆者に負けないくらいのイイ男である。父親のYanagisakiオヤジもイケメンだからこうなったのも頷けるわけだ。そうだ全国でカノジョを募集しよっか?一次審査では筆者が面接し10万人中100人に絞ろう。しかし最終面接では面接官がYanagisaki母になると思うので、たぶん...全員落とされるに違いないのだ(^^)
Kazuの他「有馬のダルビッシュ」と言われ近隣諸国から恐れられたKenzo。
いぶし銀の二塁手として名を馳せたYuuya。
長身痩躯の大砲、これまたイケメンだったYuuta。
野球よりも嬉しそうに弁当を食べる姿が強烈に印象に残っている通称Makoさん。
更に30期生のKyousukeとMitsukiも来てくれていた。
OBが来てくれることはとにかく嬉しいものだ。特にYanagisawa代表はたまらんのだった。目を細めて楽しそうにバッティングピッチャーを買ってでて、OBたちに御歳70とは到底信じられないほどの豪速球をぎゅんぎゅん投げる。
笑いながら、
「なんだ、おまえら、全然進歩してねえなあ。ガハハ」
代表はよほど嬉しかったようで全員昼メシに連れていくことになった。
フレンズオヤジどもがよく使う近所の中華料理屋へ。ヤツらは当時の子たちの物まねしたりと賑やかだ。しかし現代っ子ではある。席につくと全員図ったようにスマホを取り出し下を向く。
6年の時は寡黙でメシを食うのが超遅かったYuuta。卒業後いろいろ問題があった子だったが、今は大工をやっているそうだ。筆者「Yuutaおまえ、悪いことしてないんだろーな」と言ったら「あ、してないっス。大丈夫っス」おまけに「いや、昔からしてないっス」と屈託なく笑う。オトナを煙にまく話術も習得したようだ。大盛りチャーハンを一番にあっと言うまに平らげたのだった。
さて午後は秋季大会なんであった。
第一公園ドームへ行ったら連盟会長Sohmaさんから声をかけられた。
「Tさん、ブログ楽しみにしてるよ」と。ありがたきお言葉、筆者平身低頭である。
「先日のビートルズの話は面白かったなあ。よく気づいたねえ。ガハハ」
逆に会長からビートルズの話が出てきたことに驚いた。
KasaharaさんやAbeさんとは横浜DeNAベイスターズガールズの話。そろそろピンクのユニフォームのブログを書かねばである。
さあて、いよいよシートノックだ。
うぐぐ.....。
雲行きが怪しい。遠雷が遠くで鳴っている。風雲急を告げるとはこのこと。
シート直前で審判団が全員をグランドからベンチへ引き上げさせる。雨はまだだが雷はびりびりばりばり、どんがらがっしゃん、激しくなる一方だ。雷が鳴ったら即試合は中断させるのがルール。雷が止まないうちは手も足も出ない。しばらくすると今度は雨も激しくなってきちゃったんである。
様子を見ること小1時間。グランド使用時間のリミットも計算してやむなく中止となった。
豪雨が叩き付ける本部テントの下では、連盟の今後のキチキチの試合日程もさることながら、Sohma会長は子どもたちの体調や安否を気遣っていた。
試合は来週へ持ち越しである。
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