2016年4月5日火曜日

桜の樹の下で

「桜」の前に、Apple iMac.....。
愛機iMacと9年間苦楽を共にしてきた。初代Macはタワー型のボンダイブルーG3、途中iBookも併用しつつ、9年前にiMacにした。Mid2007、今でもかつかつ世に通じる初代interMacであった。幾度もOSやアプリをバージョンアップしつつも、数年前には画面がブラックアウトし内蔵HDDを交換したり、最近では仕事中フリーズ再起動は当たり前、画面の四隅には白っぽい雲のような陰りが出来、先日とうとう画面下半分がうす暗くなってしまった。通常パソコン画面の寿命は5年と言われている。ましてや9年間ほぼ終日起動しっぱなしの我がiMacなんである。すでに長寿を全うしたと言っても過言ではない。これ以上老体にむち打って馬車馬のように走らせるのはあまりに酷。83歳の老宮大工に寺社仏閣の建立を一人でやるよう命じるようなものだ。

といっても実は大手クライアントの最先端の設計仕事をまだバリバリこなせるんである。OSXはSnowLeopardとMountainLion、仕事で使うVectorWorksはVer.12とちょいと古いのだが全然イケる。
しかし前述の理由からいつなんどき、突然「Boooooom!」と白い煙とともに天に召されるか分からない状況なんであった。となると仕事に大穴が開いてしまう。83歳の老宮大工が「若けえ奴らにや負けちゃいねえぜ」と神社の屋根に登ったはいいが、足を滑らせて瓦もろとも転落するかもしれないのだった。

一念発起して2代目iMac購入を決意。旧Mid2007マシンは普段は縁側でひなたぼっこしてもらい、いざと言うときの古いアプリ使用時や今までのデータストレージとしてデスクの端に鎮座していただこう。自分の仕事を長年支えてきた先達には慰労の思いと敬意を表したい。
そうと決まったらネットでぎゃんぎゃん調べまくったんであった。対応OSと現存アプリの関係で最新MacのEL Capitanではなく中古である。狙いを定めたのはOS10.9のMaverics、Late2013。Amazonから価格.comからヤフオクまで検索。それ以外で凄いサイトが見つかったんであった。21.5インチ、メモリ8GB、HDD1TB、Apple純正キーボード、マウス、トラックパッド、DVDマルチドライブまでセットで付属。これと同じ条件のAmazon物件なら15〜16万は行くはずだ。調べまくって見つけたサイトでは10万以下であった。徹底的に調べたけれど怪しいサイトではないどころか、全国ネットの実店舗も構える大きな中古PC修理販売サイトなんであった。
2週間前に届いた。パソコンが家に届く朝はなんともワクドキな気分になる。好きだったコに告ってOKをもらい、人生初デートの日曜の朝を迎えた中学生男子のような気分なんである。筆者は中2の日曜の「グループ交際」だったけれど。

中古と言えど予想外に素晴らしかったんである。前オーナーがいったいどんな理由で手放したのか分からないけれど、ためつすがめつ舐めるように眺めて点検してもほぼ新品に近いモノだったんである。旧iMacのTimeMachineバックアップから新iMacへ復旧。データの過不足やアカウント設定など難解な手続きもあったけれど、今はなんとかMavericsがキュンキュンサクサク稼働している。すこぶる気持ちがいい。マジックマウスは表面が特殊ガラスで構成されていて、この上で指先ひとつでほとんどiPhoneと同じように上下左右スクロール、拡大縮小などが出来ちゃう。キーボードからテンキーがなくなったので後日サードパーティー製のテンキーボードも購入。もちろんBluetoothのワイヤレスである。紐につながれたワンコが首輪を解き放たれて、公園の端から端まで嬉しげに走り回るようにワンワン走り回れる。


....................

話は367度変わるんである。367度変われば、回り回って結果7度しか変わってないんであるけれども。
公立小中学校は今日が入学式なんであった。曇天ではあったけれどサクラは見事満開、毎年この日はやっぱ昔からこうでなくっちゃだわ。桜の木の下を通り入学式。フレンズLINEにも写真がアップされた。今日は有馬小、西有馬小、有馬中のその日なんであった。有馬中では昨年度のフレンズOBが新中学1年生になる。有馬小、西有馬小では野球の勧誘で現役選手たちがユニフォームを着てチラシを配った。Nakamura副事務局と母マネージャーTomoちゃんとなっちゃんが付き添いで頑張ってくれたんであった。因に...。フォルコンズの母でありQueensの母でもあるTanakaさんのタイムラインで、やはり入学式でフォルコンズの勧誘のチラシを配ったことを知った。父母たちの努力に頭が下がる思いである。

おやおや!?
ハルと母Natsukiのツーショット写真。はて?なっちゃんはこんなにスタイリッシュで脚が長かったっけか?そーなんである。ちょい下からスマホで撮ると顔が小さくなり脚が長く写るんである。凸レンズの原理とダヴィンチがより正確に確立した遠近法の成せる技なんである。まあ、なっちゃんは素材が良いからね....と言えば彼女からたぶんこう返ってくるはずだ。
「うん、それ知ってるしぃ」
入学式。子どもははにかんで、母たちは嬉しそう。それは全世界中の母たちの共通項なんだろうと思うのだった。なんか実にほろほろと良い写真であった。(Natsukiちゃんには写真掲載了承済み)

桜ついでに。
ここ数日晴天ならず灰色バックの桜はちょっぴり残念だけれど、でも腐っても鯛、曇天でもサクラは桜なんである。歩いて1分、クルマで26秒、ヘリコプターなら0.3秒で行けるとこにある、近隣のしだれ桜も見事に満開であった。


新生Queensの2016年版マグネットボード制作も完了。
気分一新、身も心も新たな気分になれる春なんであった。(^-^)

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2016年3月30日水曜日

春のブルースカイ

「梅は咲いたか、桜はまだかいな」
桜はまだなんであった。

昨年フレンズは毎年恒例の「春の花見」も「夏の合宿」も、驚異的な快進撃のために忙しすぎちゃってパスしたのである。理由を慮(おもんぱか)ればそれはそれで、嬉しいことではあった。
今年は先日の日曜に開催。開催するオジサンは開催オジサン。沖縄のそれはハイサイオジサン、開催できたことに世界の中心で快哉を叫ぶのだった。

横浜山田富士公園へは有馬ドームから歩いて10分。本日晴天なれど桜はまだ固い芽のまま覚醒していない。。センター北方面と横浜国際プール方面を睥睨しレンズを向ける。
学校の桜から想像して来てみると、ここはまだほとんど咲いてないではないか。満開の頃には近隣の花見客で埋め尽くされるのだが、今日はずいぶんと空席が目立つ広場であった。フレンズの花見はその昔は学校校庭でやったり、鷺沼ヤングホークスと合同で鷺沼公園でやったりしたこともある。けれど近年の花見は恐ろしい確率で寒さと雨にたたられているんであった。雨さえ降らなければ桜はなくとも良しとするか。
桜って不思議。1本の樹だけちょこっと咲いている。
同じ樹の花なのに、一個一個の花を見れば満開に咲いてる子もいれば、固く芽吹いてすらいない子もいるわけで。双子に生まれたのに、片や栄養過多、片や栄養失調みたいなものか。


富士見の丘から下山すれば、腹一杯になったフレンズは思い思いの体(てい)で早春の午後を楽しんでいた。うーん、我ながらシャボン玉の瞬間を捉えるためのアングルはなかなかのものである。これは人の動きと結果を予測してカメラのアングルを決める、少年野球の打撃のシーンを撮るスキルがものを言うのであった。

池のアメンボをペットボトルでゲットした子、フリスビーに夢中のKentaオヤジ、バドミントンに興じるNatsukiや母たち、かと思えば今年の宮前少年野球談義や、フレンズの今年を真剣に憂れうるオヤジたちetc....。

終盤は大縄飛びで盛り上がる。老若男女の大きな笑い声が横浜の淡いスカイブルーの空にこだまする。

フィナーレは素敵なものだった。企画した父母たちに敬意を表したい。
今月末でフレンズを離れるTakeruにサプライズの贈呈品。昨年「村山杯」で奪取した優勝カップをあげた。昨年で村山杯は終わったのでカップは取り切りになったゆえ、返還の必要がなくなったのであった。歴史あるズシリと重いカップを小さなTakeruがはにかみながら受け取る。前主将のRuiが一個下の可愛い弟を見るような眼差しもいい。

集合写真である。みな良い顔をしているではないか。手前に写っているのはNon
ちゃん。東有馬ママさんバレー界では泣く子も黙るNozomiパイセンなんである。

解散する前に「Takeruを胴上げしよう」と筆者。
皆わらわら集まり、せーの.....!
春の淡いスカイブルーの空に高く舞い上がる。
新しい大阪の空でも高く羽ばたくことを希(ねが)わずにはいられない。

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2016年3月28日月曜日

別離と邂逅

この時期、転勤による別れの季節なのは日本国中どこでもそーだ。フレンズもそのご多分に漏れない。ほかのチームでもよく聞く話でもある。フレンズは昨年のTomiokaファミリーに続き、さあ、これからいよいよ最上級生6年生という時になっての大阪転勤なんであった。
Nishinakaファミリーの送別会である。
例によって皆の写真を納めたものの、皆の写真を掲載する精神的余裕がない。ピンポイントでの掲載としたい。
5年ほど在籍したTakeru。もちろんOBの連中も駆けつけてくれた。
乾杯からほどなくしてどーゆーわけか、Natsukiの実弟Ryohtaくんも来た。監督Itohの同級生でもある。タクシードライバーの彼はNishinakaコーチの夜の足として繋がりがあったと知ったのはこの時だった。

しばしご歓談を.....。
チームメイトやOBからTakeruへ色紙などの贈呈。Takeruの憧れだった一個上のRuiパイセン.....いや先輩からも。

それにしても近年の「アンダーアーマー」なんである。子どもも大人もスポーティーな私服でアンダーアーマーを着ているのが実に多い。adidas、NIKEに続きアンダーアーマーがスポーツウェア界を席巻しつつあるんであった。因に筆者はサッカー小僧だったのでadidas党で、ついでにPCはAppleのMac以外は興味がない。多くのアンダーアーマーの「UA」のイニシャルを目にしたYanagisawa代表が目を丸くしていた。
大人コーチからも記念品の贈呈。母たちからは母へ、父やコーチたちからは父へそれぞれに記念品を。

Takeruが挨拶の段になった。それまでニコニコ普通にしていた彼は、突然こみ上げるものがあり、一言発しようとしたとたんに絶句。Tシャツで顔をおおい言葉にならない。
まだ小学生にとっては新天地での期待よりも、今の辛い別れのほうがその小さな胸を占めているのだろう。

チームとはほとんど接点がないのに、それを見たRyohtaが号泣。「なんでおめえが何泣いてんだよ〜!」という姉のNatsukiもボロボロもらい泣き。

生粋の土佐っ子のNishinakaオヤジ。東京支社の重要ポストの営業要職にあるだけあって、朗々と素晴らしいスピーチ。続くNishinaka母の言葉。子どもの入部からこれまでの想い出を話す彼女の目にはいつしか光るものがこぼれ落ち.....。それを見た母たちのほとんどがもらい泣き。子どもを見守る母目線の話にはフレンズのみならず、ほかのどの少年少女スポーツチームにも共通した感涙の場面なんである。

今年から新母マネージャーに就任し八面六臂の活躍のToyoda母。Toyodaオヤジは事務局として頑張ってくれている。企画された送別会は彼らと父母たちの賜物であった。次々と父母たちが挨拶する。MCは今日いきなり指名されたIharaオヤジ。彼は逆に今年から宇都宮勤務から町田へ転勤となり、晴れて単身赴任から解放されたのである。
悲喜こもごもの送別会であった。

Takeruは小さいのによく頑張ってくれた。自分よりもフレンズや仲間のことが大好きで昨年はチームのためによく奮闘してくれた。

Nishinaka母も陰になり日向になり、チームの子たちをよく面倒みてくれた。昨年は特別に多忙な年でその配車係の重責を全うしてもらった。いつも頭がさがる思いだった。

Nishinakaオヤジは豪放磊落に下ネタを連発して男どもと笑い合う反面、
我が子のことよりもチームの、特に低学年の子らを真摯に指導してくれた。Takeruが遠征に行ってるときもグランドに残って小さい子らを熱心に指導しているそんな男だった。返す返すも昨年のTomiokaコーチに続き、今年もまた貴重な存在の一人のコーチの流出なんである。実に惜しい人材を失くすことになるのだった。

トンネルの出口は新しい光景の広がる入り口でもある。
別れは出会いの始まりとも言う。
春がやって来ない冬はない。
この時期の別れと出会い。
全国のみなさん、頑張りましょう。