この時期、転勤による別れの季節なのは日本国中どこでもそーだ。フレンズもそのご多分に漏れない。ほかのチームでもよく聞く話でもある。フレンズは昨年のTomiokaファミリーに続き、さあ、これからいよいよ最上級生6年生という時になっての大阪転勤なんであった。
Nishinakaファミリーの送別会である。
例によって皆の写真を納めたものの、皆の写真を掲載する精神的余裕がない。ピンポイントでの掲載としたい。
5年ほど在籍したTakeru。もちろんOBの連中も駆けつけてくれた。
乾杯からほどなくしてどーゆーわけか、Natsukiの実弟Ryohtaくんも来た。監督Itohの同級生でもある。タクシードライバーの彼はNishinakaコーチの夜の足として繋がりがあったと知ったのはこの時だった。
しばしご歓談を.....。
チームメイトやOBからTakeruへ色紙などの贈呈。Takeruの憧れだった一個上のRuiパイセン.....いや先輩からも。
それにしても近年の「アンダーアーマー」なんである。子どもも大人もスポーティーな私服でアンダーアーマーを着ているのが実に多い。adidas、NIKEに続きアンダーアーマーがスポーツウェア界を席巻しつつあるんであった。因に筆者はサッカー小僧だったのでadidas党で、ついでにPCはAppleのMac以外は興味がない。多くのアンダーアーマーの「UA」のイニシャルを目にしたYanagisawa代表が目を丸くしていた。
大人コーチからも記念品の贈呈。母たちからは母へ、父やコーチたちからは父へそれぞれに記念品を。
Takeruが挨拶の段になった。それまでニコニコ普通にしていた彼は、突然こみ上げるものがあり、一言発しようとしたとたんに絶句。Tシャツで顔をおおい言葉にならない。
まだ小学生にとっては新天地での期待よりも、今の辛い別れのほうがその小さな胸を占めているのだろう。
チームとはほとんど接点がないのに、それを見たRyohtaが号泣。「なんでおめえが何泣いてんだよ〜!」という姉のNatsukiもボロボロもらい泣き。
生粋の土佐っ子のNishinakaオヤジ。東京支社の重要ポストの営業要職にあるだけあって、朗々と素晴らしいスピーチ。続くNishinaka母の言葉。子どもの入部からこれまでの想い出を話す彼女の目にはいつしか光るものがこぼれ落ち.....。それを見た母たちのほとんどがもらい泣き。子どもを見守る母目線の話にはフレンズのみならず、ほかのどの少年少女スポーツチームにも共通した感涙の場面なんである。
今年から新母マネージャーに就任し八面六臂の活躍のToyoda母。Toyodaオヤジは事務局として頑張ってくれている。企画された送別会は彼らと父母たちの賜物であった。次々と父母たちが挨拶する。MCは今日いきなり指名されたIharaオヤジ。彼は逆に今年から宇都宮勤務から町田へ転勤となり、晴れて単身赴任から解放されたのである。
悲喜こもごもの送別会であった。
Takeruは小さいのによく頑張ってくれた。自分よりもフレンズや仲間のことが大好きで昨年はチームのためによく奮闘してくれた。
Nishinaka母も陰になり日向になり、チームの子たちをよく面倒みてくれた。昨年は特別に多忙な年でその配車係の重責を全うしてもらった。いつも頭がさがる思いだった。
Nishinakaオヤジは豪放磊落に下ネタを連発して男どもと笑い合う反面、
我が子のことよりもチームの、特に低学年の子らを真摯に指導してくれた。Takeruが遠征に行ってるときもグランドに残って小さい子らを熱心に指導しているそんな男だった。返す返すも昨年のTomiokaコーチに続き、今年もまた貴重な存在の一人のコーチの流出なんである。実に惜しい人材を失くすことになるのだった。
トンネルの出口は新しい光景の広がる入り口でもある。
別れは出会いの始まりとも言う。
春がやって来ない冬はない。
この時期の別れと出会い。
全国のみなさん、頑張りましょう。
「冬は必ず春となる」大好きな言葉です。人生、ここは…と言う正念場にはこの言葉思い出しながら頑張ってます。
返信削除匿名さん コメントどーもです。
返信削除本当の苦労を味わった人でないと、
この「冬、春」の言葉は身にしみないですよね。