2016年5月30日月曜日

頑張れ、お互いに

今日はQueensのエリエール大会VS横浜オールウェスト戦。会場は境川遊水池球場。昨年フレンズも県大会で何度か行ったところ。しかし断腸の思いで今日はスコアラーなんであった。よって試合中の写真はほとんど無い。
北部大会なんである。名門鷺沼ヤングホークス戦。試合前Ishikuraさんの激が飛び、Kurosu監督が頭を抱える。

試合は序盤にフレンズが5得点。と言っても相手から頂いた点のようなもの。決して打ちまくったものではなかった。ただ打ったヒットは素晴らしい当たりが多かったフレンズなんである。
受験でやむなく野球を離れる子のいるチームがある。ヤングも昔からご多分に漏れないわけで。春にヤングと対戦した時は僅差ながらフレンズの負け。Fノーヒットに対してヤングは長短打7本だった。ところが今回は様相が逆転、終盤になりFが打撃に花が咲き8得点。終わってみれば13:0の完封勝ちなんである。でも下位打線でもしっかりバットが振れていたのは間違いなくヤングだった。ヤングはフレンズには負けないと思っていたかもしれないが、ヤング以上に驚いたのは筆者だった。あの名門ヤングホークスが。Fが勝って嬉しいのにヤングのことを思うとちょっと残念に思った俺が異常なんだろうか。ここは今日のFナインをほめるべきだろう。
三塁塁審を昨年のOB、Hajimeがやってくれた。相変わらずヤツの笑顔を見ると憎めないものだ。しかしその体型は中学野球部活をやっている者とは思えない、恰幅の良さ。大人だったらぴっっちぴちのシングルのスーツよりは、だっぷりしたダブルのスーツが似合うだろう。頭、胸、腹の三段クビレはあたかも正月の鏡餅か。または動物に例えれば子豚を飲み込んだ大蛇アナコンダみたいだった。

こんなことを書けば「なにこれ!このブログ、セクハラよっ!」と言われるかもしれない。
試合を見つめる鉄棒にずらり並んだのはFの母たち。これを動物に例えるならば、ふたコブラクダの群れ。サハラ砂漠を行商するキャラバン隊がオアシスで休憩した時に並んだ「ふたコブ」ラクダみたいに。オトコならワカリマスネ?Ishikuraさんなら今頃ニンマリしているに違いない。

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このあと低学年大会の為に4年以下の練習試合をムリクリ敢行す。こちらは少し写真を掲載。普段フライなんか取れない子がおっかなびっくりながら取れたりすると、そのたびに両軍父母ベンチから歓声が上がる。こんなときはYもFも関係ない。おそらく当の子どもらは緊張でいっぱいいっぱいだったのだろうと思うのだが。

回はばんばん進む。このあと西有馬ドームへ行って今季二度目の体験会をやらねばだったからだ。


このところ野球ブログネタが少ないのをいいことに「小説」なんぞを織り交ぜて書いており、その反応評価がイマイチ伝わらない。もうやめるべきなのだろうか?小説ではなく駄文の垂れ流しで社会を汚染しちゃってるんではないだろうか。多摩川の清流を汚物で浸食しているのではと、疑心暗鬼なんであった。...けれど、すでに「小説4」は既にストックしてあるけれど。

このあとの体験会はまた次回。
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2016年5月27日金曜日

小説「月に降る雨」3

「はあ?何?ベーランって」
部長の孝雄は半分興味なさそうな顔をしながらも龍一にたずねた。
「野球で言うベースランニングの略ですよ。野球のダイヤモンドって知ってますよね」
「それくらい知ってるしぃ。ダイヤモンドの4Cはカラット、カラー、カット、クラリティーで、地球上で一番固い鉱石の一つだろ....って、おいおい、冗談、ジョーダン、マイケル・ジョーダンだっつうの。知ってるよ野球のそれ」年に似合わず若者言葉を駆使し、相変わらずさほど面白いとも思えないオヤジギャグを連発する。しかし龍一は孝雄のことは嫌いではなかった。仕事は自分なんか太刀打ちできないほどできる男だったからだ。むしろ上司として尊敬している。人は一長一短ではあるけれど。
「あはは。で、そのダイヤモンドを一塁、二塁、三塁、本塁と一周ランニングする練習があるんですよ。これを何度も反復します。まあ、これは野球の練習の一種の王道と言っても過言ではないくらいのメニューなんです」
「へえ、そうなの。きつそうだな。今の俺がやったら二塁を回ったあたりで即死しちゃうよ」
「スポーツってなんでもそうですけど、何回も何回も同じトレーニングをして、自分の脳みそと体にがっつり記憶を打ち込むんですよ。試合になった時にそれで初めて、0コンマ何秒の瞬間にも、ちまちま何も考えなくても勝手に体が動くわけなんです。天才はそんなこと必要ないんでしょうけど」
「天災は忘れたころにやって来る。天才は忘れること自体ない、ってか」我ながらうまいこと言ったなと、ちょっとドヤ顔をしてみせた孝雄は一瞬腕時計に目を走らせ、続けた。
「ベーランっていわゆるルーティンワークみたいなもんだな。神島。ルーティンって言えば、おまえ先週の日報まだ書いてないだろ。会社戻ったら速攻でメールするように、だな」
午後の始業時間が始まろうとする十二時五十分、孝雄はニヤリとして伝票をつまみ上げ席を立った。

3時からは来月から始まる福岡の物件のプロジェクト会議だった。営業担当も含めてディレクターは孝雄、チーフデザイナーは龍一、その下にデザイナー数名でチームを組むほどの大きな仕事だった。これを遂行しながら個々に抱えている別のクライアントの案件もこなさなければならない。当然外注スタッフも招集することになる。日本でも有数の歓楽街中州で、中古のビル一棟まるごと飲食店に改築するものだった。デザインコンセプト構築の話になった時に、一個の言葉で会議は紛糾した。「上級」と「上質」の違いで論戦がくりひろげられたのだった。若手の月地信介が言った。
「ここは上級でしょ。オーナーは金に糸目をつけないタイプだし派手なデザインを好むはずですよ。上質ってソフトに言うよりは上級とかいっそ最上級のほうがいいと思います」龍一は反論した。
「でもさ、月地。俺たちって派手で華美な奇をてらったデザインをやりたいか。クライアントのニーズに応えるのは俺たち商業デザイナーの宿命だし、そういう意味では月地の言うことは正論だと思うよ。でもそこを敢えて上質の設計で臨んで、結果オーナーにも喜んでもらうのが本当だと思うな、俺は」プレゼンの一個の言葉を巡って三十分もブレーンストーミングする。結局最後は孝雄が「コンセプトは上質の空間で行こう」と決定した。

そんな会議を三時間もしていれば集中力も欠いてくる。早くデスクに戻って明日朝提出の図面を仕上げなきゃいけない。今日もまた終電近くまで残業だなと、龍一はげんなりした。集中力を欠くと人は違うことを考え始めるものだ。会議が二時間を過ぎた頃、会議テーブルの向こう側に座る恭子に目をやった。龍一には彼女との関係性において、過去に苦い経験があった。恭子は大学生の時にインターンデスクでこの会社に来て、そのまま卒業と同時に入社したクチだった。デザイナー志望だったが多くの新人がそうであるように、結局は設計部の事務一切を担う係になった。メンバーが出張の際には航空機を手配したり経費精算などの細々とした仕事もいやがらずこなしていた。入社から一ヶ月後孝雄の一言でだいぶ遅くなった彼女の歓迎会を開いた。その酒席で龍一は頬を赤く染めて自分を見る酔った恭子の目に、先輩後輩の関係以上の、女の目線を感じたのだった。
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「4」に続く。
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2016年5月26日木曜日

Queens記念誌Vol.2

小学校4,5年生の頃、創作の作文を書く宿題が出たことがあった。小学生なりに「物語」を書きなさいというものだった。

当時の筆者は図書室で読んだ本と言えば、HONDA創業者、本田宗一郎の伝記(まだ存命なのに伝記と言ってもいいのだろうか。いわゆる人物伝に近いのもだったか)や、怪盗ルパンと名探偵シャーロック・ホームズなどの子供向けの本だった。今でも書店に並んでいるものだ。更に親父が毎月取っていたリーダーズ・ダイジェストをぱらぱらめくり、読めない漢字は飛ばして見ているうちに、ほとんど読めないながらも外国の雰囲気などに接することになった。TVも当時は多くの外国ドラマが放映されており、大人が観るアメリカの白黒映像のドラマに夢中になったものだった。「名犬ラッシー」「ララミー牧場」「コンバット」「逃亡者」...次第にカラーになり「奥様は魔女」「サンダーバード」「スパイ大作戦」「0011ナポレオン・ソロ」「謎の円盤UFO」....。枚挙にいとまがないとはこのこと。この何十倍ものタイトルを今でも列挙出来る。それは地域巡回文庫と国会図書館との差くらいあるんである。もしくはイナバ物置とAmazonの倉庫くらいの差があるのだ。

そんなわけで筆者は多少外国かぶれ、いや外国に憧れる少年だったかもしれない。同年代ならば理解を得られるはずだ。小学生時分に処女作となる物語を書いた内容は、アメリカを舞台にしたもので、主人公が確かジョンというベタな名前の若者と、彼が飼っている犬との冒険譚というか愛情物語みたいなお話だったと記憶するわけで。
それ以来中学高校と小説らしきものは書いたことがなく、もっぱら読むほうに傾注し埋没することになった。この頃の思春期は勉強は試験の2,3日前に徹夜でやった以外は、サッカーのことと友達と遊ぶことと、そして昼も夜も女の子のことで頭がいっぱいだった。(オトコならワカリマスネ?)

その「ジョンと犬の物語」的な小学校作文以来の小説を書いちゃっている、無謀にも。途中で挫折するかもしれないし素人が書く駄文に終始する危険も孕(はら)んでいるのだけれど、とりあえずまだ頭の中のエンジンはガス欠にならず走っているので、「小説3」...と行ってみるかと思うのであった。今日「小説2」の「いいね」的な「ポチクリ」が大量7個に増えていたのでにわかに嬉しくなり、これが走るためのガソリンになるんである。小説を書くモチベーションとなるガソリンの単位はポチクリ。略して「ポチ」。7ポチクリ=7ポチあればとりあえず「小説3」までは走行可能となった。ありがとうなんです。
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さてBLOG本分の少年野球、少女野球にここから戻るのだった。
宮前Queens10周年記念誌を誌上公開すると言っておきながら、日常の些事(さじ)にかまけておったら、とんと失念してしまっていた。ゆえに突然再開しちゃうんである。

前回は4月8日のブログで記念誌P6-7の寄稿文で終わった。この次のページは川崎市長福田さんと、宮前区長野本さんからのもの。裏話なのでここでは書けないけれど、普通これだけの公人がいち団体に寄稿文を書くことは凄く困難を伴うんである。局地的私的な団体ではなく宮前区内全域からの女子を集めたQueensだからこそなし得た快挙かもしれない。

川崎市少年野球連盟の(前)会長三浦雅昭さんからの寄稿文。更に読売巨人軍 野球振興部長の鈴木丈介さんから。Queensの存在は故笠原さん抜きでは語られないのだけれど、同時にその黎明期において笠原さんと巨人鈴木さんとの交遊関係もまた、然りなんである。快く引き受けていただいた。整然としてかつ誠意のこもった文章はその人となりを彷彿とするものである。寄稿文を寄せて下さった方々、ありがとうございました。更に交渉窓口となったQのKurashige母にもありがとう。

Qのお母さんたちの協力なくして記念誌は語れないわけで。10年間の「あゆみ」を取材し年号などの数字に間違いがないかどうかまで含めて、大変な努力の結果テキストを送信してもらった。中心となったのはスナ母こと、Kitamatsu母であった。
年代順に文章の要約と写真で当時の集合写真をリンクさせた。編集長(筆者)はこのページのラフエスキースを作るあたりから「OGたちにも喜んでもらえるような記念誌にしよう」と少し方向転換したのであった。

編集会議では発行人であるMurata代表から「宮前少年野球連盟20周年記念誌」と同じく、母体チームのイラストマップを作りたいとの声があった。幸い連盟記念誌でのイラストマップの制作者は筆者であり、所有権はないけれど著作権は保持しているはずだし、Queensは連盟と一心同体的な位置関係でもあったので、文科省特許庁文化庁に精査を請うまでもなく、即決、連盟の時のデータを流用加工することにした。
女子らしくベースをピンクに変えたり、OGたちの所属母体チームの検証、修正決定と細部に至るまで制作には時間が要したけれど、作るのが楽しかったのも事実。例によって個人情報保護の観点から名字はボカシを入れて下の名前だけ明示。Qでは下の名前で選手を呼ぶ伝統があるので尚更である。参考までに連盟記念誌のページも掲載しちゃう。Queensバージョンにするために細かな修正を相当やった。戦国時代風の匂いを消し去り、今風にアレンジ。当時は神木マーキュリーズがあって向ヶ丘キッズはまだなかった。
これを作って気がついたのは、田園都市線を境に北部が圧倒的に多く、下半分の南部はヤングは例外として圧倒的に少ないのである。ヤングがQueens姫輩出の宝庫であることはこれを見れば一目瞭然。またKurosu監督の鼻息が荒くなりそうだ。「ヘンな話、歴代Queensの子をいっぱい出してるのはウチだかんね!」なんてね。我がフレンズからは三期生の「記録よりも記憶に残る選手」だったHaruka以来皆無。毎年自チームの人数存続さえ四苦八苦しているのだから無理もない。
(※連盟記念誌のページ全文は連盟HPからリンクで見ることが出来る。Nishimura鬼編集長の粋な計らいである)

10年の各期のページである。人名、読みがな、各数字、Queensのその年のトピックスに加えて当時の日本のトピックスも加えた。(フレンズ30周年記念誌でも用いたアイディアではある)これはなるべく女子スポーツの話題を中心にするように編集長から激が飛ぶ(?)艱難辛苦、切磋琢磨して精査の上膨大なテキストデータが上がって来た。今期母会代表のImanishi母を中心に作ってもらったものである。微に入り細にわたる検証作業と英断と独断とが交錯し時間を刻んでいくんである。
デザイン的には各ページに必ずQueensイメージカラーの「レッド&ブルー」を帯状に配した。全体に統一感を持たせるために。入稿ギリまで名前と写真と数字の整合性に細心の注意を要したコーナーであった。
(※当初名前が見えるページは掲載しないと宣言したものの、やはり全ページ掲載しないわけにはいかない。そこで子どもには名前公開に留意しボカシを入れた。しかし大人ならまあ良いだろうと安易な判断のもとボカシは入れてない。この場合に限って大人の名をネット上で公開することで犯罪に発展するとは思えないからとの判断もある)
では一気に10年分、今期のページも含めて。



なんとかQueens記念誌掲載ブログも中盤まで終えた。
残すは8,9回の終盤戦。戦いはもう少し続くのであった。いつかまた、この続きを...。
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2016年5月24日火曜日

小説「月に降る雨」2

龍一は高知を出る時親からの仕送りは自ら断り、東京での生活費はこの夜のバイトで自分で稼いでいた。大学を中退した翌日から店長に頼み込み、飲食店の夜だけだったバイトをランチタイムから通しで入ることにした。ほぼ終日池袋でバイトに明け暮れることになる。おかげで収入は増え中退から10ヶ月後の新年には、今まで過ごして来た江古田のアパートを引き払いちょっと広めの中野坂上に転居した。「龍一、大学辞めたんだったら、このままうちに来ないか」店長からは正社員にならないかとの誘いもあった。

ここのバイトで知り合った永山希伊(きい)とは、中退後も何の問題もなく付き合いが続いていた。希伊は東京生まれ東京育ち、関西以西から上京してきた曾祖父の代から東京だったと言うから、「三代続けば江戸っ子」の言葉に従うならばいわゆる生粋の江戸っ子と言っても良い。戦後の闇市で怪しい食材を調理して屋台で提供するうちに人気を博し、その資金を元に様々な物資を米軍から調達し、高値で売りつけた。ちょっとした財を成した実家は、その後商才があったのだろう、有名飲食店を次々と傘下に収めて、今では誰もが知っている全国と海外に700店舗を展開する飲食チェーンを経営する、資本金50億社員数1100名の一部上場企業の創業家だった。本来ならば希伊は大金持ちのお嬢様で何不自由なく暮らせる娘であったはずだが、厳格な母の教育の賜物か、一般女性よりも自分に対してストイックで、一本筋の通った娘に成長した。体の中心に透明の鉄パイプを仕込んだように。容貌はとびきりの美人とはいえないまでも、街ですれ違った女の子に男が一瞬どきりとして振り返るような、言いようのない色気を感じさせる、そんな娘(こ)だった。良家の子女であることは周囲に一切明かさず、普段は明るい性格で男女ともに人望もあり人気者だ。そんな彼女があとからアルバイトで入って、龍一が先輩として接しているうちに恋に落ちるには時間がかからなかった。しかし龍一よりも先に恋心を持ったのは希伊のほうだった。

有名大学の2年生だったとき、親の反対を押し切り実家の豪邸を飛び出しバイトで一人暮らしをする希伊には、誰にも言えない心の闇を抱えていたのだった。希伊の明るい笑顔が好きだった龍一だが、ふとした時に見せる、無防備な横顔に暗い陰りが浮かぶのが以前から気になっていた。付き合い始めて互いのアパートを行き来するようになり、次第に何度もベッドを共にするようになってから、龍一はある晩、希伊が家を出た理由を訊いたことがあったのだが、希伊は生い立ち以外のその理由は頑(かたくな)に話そうとはしなかった。龍一のような平凡に生きて来た若者には想像できないような理由があるのだろうと思った。
「わかった。今は無理に訊こうとは思わない。でもいつか俺に話してくれる時がきたら、ちょっと嬉しいな」

薄明かりの部屋の中でその言葉が受け手を捜して宙に浮かんでいる。狭いベッドに横になった隣の希伊をそっと見ると、彼女は唇を噛み締め、目尻から伝い落ちる一筋の光るものが枕を濡らしていた。視線を感じとった希伊は、傷ついた子猫が何かにすがるような目をするように、ゆっくりと静かに、龍一の胸に抱きついてきたのだった。

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少年野球ブログに期待をしてアクセスしてきた方には申し訳なし。
小説なんて苦手だという方にはますます申し訳なし。
前回ブログ「小説1」に下のボタンいいねの「ポチクリ」がたった4個であったにもかかわらず、その4個のクリックに報いるためにも、続きを書いてみた。果たして今回の数はいかに。続編の構想はまだ空白なんであった。
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2016年5月21日土曜日

擦り傷タンコブ泥まみれ

神島龍一はちょっとおやすみ中なんである。中断であって終了ではない。一念発起的、発作的、情緒不安定的、やみくも的、暗中模索的に書き始めてしまった小説なんであったけれど、今とんでもない暴挙に出たことを深く、激しく、真摯に、おごそかに後悔しているんである。ズルズル書きなぐることはいくらでも出来るけれど、小説となるとそうは問屋が卸さないんであった。深い井戸の中で真上のちいさな丸い青空を見上げては、己の跳躍力の限界を嘆くカエルのように、悶々としちゃうのであった。この先どう展開すべきか、神島龍一と相談中なんである。

さて、ふたつの小学校で同時開催の運動会なんであった。今日土曜は終日仕事。昨晩クライアントから電話有り、「Tさん、すみません、土日で仕上げて月曜打合に来てもらえませんか?」なんであった。土日仕事になったとはいえ、フルタイムではない。ならばバイクを駆って、西有馬小と有馬小をほんのちょっと覗きに行くかってもんだ。五月晴れの運動会日和に終日屋根の下で仕事することほど、精神衛生上よろしくないものはない。太陽を浴びてココロの光合成を欲している筆者なんであった。体内に葉緑素が充満し、結果妖怪人間ベムのように緑色になったら本望である。

西有馬小。グランドが小さい割に人口密度が高い。筆者の息子の時とは比較にならないくらいのカメラとビデオの放列。薬物所持使用で逮捕起訴された元プロ野球選手が、拘留中の警察署から出てくる時のマスコミのカメラの群れと遜色ないんであった。

西有馬小にはフレンズの紅一点Anjuがいる。西有馬運動会に入るには校門で名前を書きネームプレートを受け取らねばならない。有馬中になればカメラチェックまでありもっと厳しいのだ。子どもの保護者でもなければ親類縁者でもなくなった身にとっては、中学のあのカメラチェックは何か、人を犯罪者と見なしているみたいで、気分の良いものではない。以前フレンズのOBを撮ってやろうと入場票に書き込む際、子どもとの関係は?という欄があって「生徒のかつて所属していた少年野球チームのコーチです」と書いたことがあったが、翌年は超面倒くさくなり、「○年神谷Hirotoの親戚」と書いて入場したこともある。今年はQueensOB、HimariやMisakiなども最後の3年生でもあり行こうと思ったけれど、この気分が嫌なのと仕事もからんで行かなかった。でも時代の流れには逆らえないわけで。

入るとちょうど3年Anjuの演目だった。3年生の中でも頭ひとつ抜けている。監督Itohの姉Megumi母も撮ってみた。ニッコニコであった。

ビギンの「海人の〜」に合わせて演技する。ほっほう、なかなかリズム感が良いとみた。バッティングもこのリズムでミートしてくれたら申し分ないのだが(^-^)


ぶんぶん、ぶるるる、ぶろろろろ〜。
バイクで今度は有馬小へ。
こちらは西有馬小に比べれば至って牧歌的だ。グランドの広さに比して人口密度は低い。フレンズ親たちに「うぃっす」と挨拶してカメラを構えていると、早速Shohの演目。

野球少年がひとたびユニフォームを脱ぐと、遠目には全くわからない。(筆者目が悪いせいもある)どーしたものだろう。ユニフォームを着ていたら遠目にも誰か分かるのに。不思議なもんである。
騎馬戦であった。何事にも「安全第一」的な世の趨勢。危険回避に重点を置いたルール。ピッカピカの真っ白なままの体操着で運動会を終えることが面白いか。筆者が親だったならば、息子がそんな姿で帰ってくるよりも、短パンを真っ黒にして、擦り傷やたんこぶのひとつでもこさえて来たほうが、よほど嬉しいぞ。ただ、教育委員会やモンスターペアレンツどもにがんじがらめになっている、教師側の忸怩たる思いも理解出来るわけで。

団体戦と個人戦なんであった。フレンズエースShohmaが最後に投じたボールは、相手打者を三振に切ってとり、審判のジャッジもストライクなんである。その一連のノンフィクション。

Kunjiや主将Kaitoも騎馬戦に挑む。

最後は運動会、体育祭の「華」であるリレー。毎年フレンズでは今年はリレーに何人選ばれた?ということが話題になる。


またバイクにまたがり、粛々と仕事に戻るワタクシなんであった。
神島龍一との対話をし、今日は小説は書かないことにした。
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