2016年6月26日日曜日

夏は自家用放水車

近頃辛い酒がなくなったとお嘆きの貴兄へ...
菊正宗、じゃなかった。
近頃少年野球ブログがめっきり減ったとお嘆きの読者貴兄へ...
鷺沼ヤングホークスとの合同練習の日なんであった。公式戦大会を序盤で抜け落ちたチームが、好天の日曜にグランドを持たないことほど悲しいことがこの世にあるだろうか。フレンズは午後ヤングさんにお願いして鷺沼小ドームで一緒に練習させてもらうことになったんである。

ひとはどうして夏の夜のたき火に魅入られるのだろうか。
更に、
ひとはどうして夏の日中の水しぶきに心躍らされるのだろうか。
これは老いも若きも共通のものだ。鷺沼ドームに着くとヤングホークススタッフは消防車から盛大に水を巻き上げていたんである。
ほれ。

さすがはセレブなヤング、消防車からの放水圧はハンパなく凄い。
ほれ。

えっどこに消防車がいるのかって?
チーム予算の潤沢なヤングは、こともあろうにグランド放水に特化した消防車を購入しているんである。その証拠にボディーにはちゃんとヤングのロゴステッカーが貼ってあった。自家用消防車っていったい...。
ほれ。

グランドではA,B別れて練習している。キャッチボール、まずはA。

でもってB。

AノックはフレンズItoh監督。AにはQueensのAyakaもいる。中学OBも手伝いにきた。


おやおや、ヤング総帥のヤングではない監督Kurosuさん。宮前名物監督の名誉のために言っておくが、決して午睡していたわけではない。瞬きの間隔が少し長めだっただけである。

Bは「子どもの教え方がうまい」とKurosuさんが絶賛するSashiki監督。QのYurikoはBの主将を務めるんであった。ファーストはCoo(Kuu)。



Aでは練習試合的紅白戦的ノーアウト1,2塁からのミニゲームを開始。

子どものスポーツ練習は繰り返し集中してやることは良いが、だらだら長くやるのはいけない。このミニゲームのように短期集中するのもいいものだと思った。他のチームと合同練習したりするとコーチとして凄く勉強になることが多い。連合の練習なども同じことが言える。うちの若きコーチたちもただ子どもの合同練習だけじゃなく、指導方法など他チームの見習うべきことはどん欲に火の国九州じゃない、グランド九周じゃない、敵陣急襲じゃない、しっかり吸収して欲しいものである。

16時から今年幹事チームとなったヤング主導で南部リーグ大会の開会式をやった。南部の開会式は毎度ながら実に簡素かつほのぼのとしたものである。
Kurosuさん、有馬子ども会のKawakoshiさんが挨拶。

これの少し前にKurosuさんから言われた。
「フレンズはもうだいたい返し終わったの?」
筆者、
「えっと、そうですね、結構返還しましたね」
まだいくつか県大会の優勝カップなど返しに行かねばならない。
この南部リーグも今日がそうだった。

選手宣誓はヤング主将Kitagawaくんをはじめ各チーム主将がそろい踏みで。


少年少女諸君、思い切り野球を楽しんでほしい。
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2016年6月24日金曜日

小説「月に降る雨」7

遠くを見る目をして、希伊はやっと自分の出自(しゅつじ)を語りはじめた。
「わたしが小さい頃、微かな記憶しかないから相当幼い頃だったと思うの。母がわたしが幼すぎて、まだ言葉を理解していないだろうと思ってつぶやいたんだと思う」
「うん、なんて言ったの」
龍一は訊いたのだが希伊はまだ遠い目をしていたので、もう口を挟むのはやめて希伊の好きに任せようと思った。
「母が言ったの。『あなたは、うちの子じゃない』って。冷たい目をして」
希伊はふうっと息を吐いた。
「そんなことは幼い記憶だからずっと忘れていたのよ。小学生になっても全く思い出すことなんてなかった。でも中学二年の夏だったかな、突然その時の記憶が蘇ってきて。もちろん最初は夢にでも見た虚実の記憶が、まるで実体験したかのような錯覚か思い違いだと思ったわ。既視感っていうか、そう、デジャヴってやつね。でもわたしの胸の中でどんどん具体性を帯びてきて、確かな証拠もないのに確信に変わり始めたのよ。高校生になった時に、家に遊びにきた部活の友だちに昔のアルバムを見せたら言われたの。希伊ってお父さんにもお母さんにも似てないねって。世の中には全く似てない親子だってたくさんいるのは知ってるし、普通ならそうなんだよねって笑い飛ばせたはずなんだけど、わたしには無理だった」
龍一は黙って聞いていた。
「確かに似てないのわたし。父とも母とも。どうしたらいいんだろうと悩んだわ。あの時の幼い記憶がもっと鮮明になって目の前に迫ってくるのよ。直接親には訊けないし、たとえ訊いても本当のことを言ってもらえるとは思えなかったし。仲のいい友だちはたくさんいたけど親友と呼べる子はいなかったから、誰にも相談出来なくって。もし当時龍一に出会っていたなら、龍一には打ち明けられていたかもしれない」

その後希伊はずっと話し続けた。今まで龍一と過ごした時間の中の、すとんと抜け落ちた空白をちょっとずつ埋めるかのように。

普通の高校生の女の子が自力で自分の出自を調べるにはあまりに大きな問題だった。幸い永山家は上場会社の創業者で有り余るほどの金を持った資産家だ。希伊は十分すぎるほどの小遣いをもらっていたが、母に嘘をつき特別な理由をつけてかなりの額のお金をもらうことに成功した。それを持って街場の探偵事務所を探し歩いた。なるべく小さい事務所を探して選んだ。大手では高校生では相手にしてもらえないと思ったからだった。何軒か断られたのち、女事務員一人だけの実直そうな男がやっている小さな探偵事務所にたどりつき調査依頼を受けてもらえた。3週間後に事務所へ電話する約束だった。電話してみると所長の返事はこの調査はまだ時間がかかるからと、まだ終わっていないとのことだった。2ヶ月かかったのち、やっと週末に事務所に来て欲しいと言われた。
「調査報告書をもらった時にその所長さんが言ったのよ。『永山さん。世の中には知らないままでいたほうが幸せってことがある。知らなきゃ良かったってあとで後悔しないかい?』その言葉を聞いて漠然と悪い予感が当たったと察したわ」

希伊の父、永山剛(ごう)は先代から受け継いだ数店舗規模の飲食店を違法ぎりぎりの手段でチェーン拡大し上場会社にまで大きくしたうえ、更に財界にも顔を出すようになった経営のやり手だった。英雄色を好む。成り上がって大金を手にした者にありがちな傾向だ。剛もご多分にもれず吝嗇(りんしょく)家でありながら好色家でもあった。
まだ今ほどの規模ではなかった頃、ある時社長の剛のところへある男がアポイントなしでやってきた。金沢の店舗の工事を請け負った大手内装工事会社の孫請けの工務店社長、氷室伊三郎だった。わざわざ金沢から上京してきたことに興味をそそられて剛は会ってみることにした。伊三郎の訪問理由は工事の未払金を払ってくれというものだった。剛の会社が店の仕上がりに難癖をつけて元請け会社に支払ったのは、契約金にはるかに満たない金額だった。少ない投資で無理な拡大路線を図った当時の剛のヤクザなやり口だった。東京の大手内装会社はそのまま下請けに半額しか払わず、更に地元の伊三郎の会社には大きく原価割れした金額しか入金がなかったのだった。零細企業の会社は窮地に陥った。伊三郎は剛の会社に直談判することは全くのお門違いなことは百も承知だったが、下請け元請けに抗議しても梨の礫(つぶて)で話にならない上に時間の猶予がなかった。馬鹿だとは承知で思いあまって直談判に来たのだった。剛はひと通り話しを聞くと、あなたには気の毒だと思うがと言って、筋を通して出直して来いと、威丈高に帰した。

剛の耳に、金沢の孫請け会社が二度目の不渡りを出して倒産し、その後社長の伊三郎が亡くなったと情報が入ったのはその三週間後だった。寝覚めの悪い剛はスケジュールを調整し金沢へ行くことを決めた。
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2016年6月22日水曜日

小説「月に降る雨」番外編

新聞小説は毎日日々更新される。昨日読んだ話の記憶があるから、今日もツルツル読みやすいわけで。週刊誌連載の小説もまた然り。きちんと一週間前のストーリーが頭にあるから今週号もスルスル読み込めるわけで。しかし、この少年野球「晴耕雨読」BLOGでは飛び飛びに小説を掲載している。少年野球の話しだったり、小説だったり、飲み会の話題だったり。そーすると読み手としては、過去の記憶が曖昧模糊として、「はて、前回までのストーリーはいかに?」と戸惑ってしまうんじゃないか。前回まで戻ってみるのもかったりいな、と。ましてやここの小説は現在と過去を交互に行き来する構成なんである。混乱必至。書いている筆者も困惑必至なんであった。

PCでアクセスして下さる読者にはお分かりと思うけれど、このページの右側に「晴耕雨読」カテゴリーというのがあるんである。スマホでは本文しか表示されないみたいなので、「ウェブバージョンで表示」にすればPCと同じ画面になるんであるけれど。その「晴耕雨読」カテゴリーには投稿記事の内容ごとにカテゴリー分けをしている。フレンズのことを書いた「少年野球」や、Queensの「宮前Queens」や、「サッカー」「日々雑感」「スコアラー」「映画」「友人」や「本と言葉」etc。

そこで小説だけのカテゴリーを新たに設けた。小説の題名をやっと決定。

小説「月に降る雨」

右のカテゴリーのこれをクリックすると、小説「月に降る雨」に特化したページだけが、ずろんずろんと並んで表示されるんである。
忘れたら最初から読むには便利かなと。自分にも頭の整理になるので。

小説のタイトルを「月に降る雨」とした、やっと決められた。書き下ろし小説なら話は別だが、プロ作家ならあり得ない暴挙なんである。着地点が曖昧なまま、ちょろちょろ走ってきたので、題名が決められないでいたんであった。

小説や活字を読むのは興味無し、あるいは苦手という人もたくさんいるのは百も承知なんである。以外にもフレンズでの反応は「暖簾に腕押し糠に釘」少し哀しい。ブログ自体フレンズ的にはもう当たり前の産物として読む人も少なくなっているのではないか。有馬フレンズのことを少しでもアピールしようと書き始めたこのブログであるが、その役目は今はどうなんだろうと思う。むしろ、他のチームの方からの反応があるくらいなんである。

小説に関してはもう吹っ切れることにしたんである。継続はチカラなりと言うではないか。努力はキミを裏切らないとも言うではないの。駄文の垂れ流しで多摩川の清流を濁す行為になるのは百も承知の上で、いくところまでいくつもりなんであった。

筆者は小説を400字詰め原稿用紙のソフトに書いている。
こんな感じで。

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2016年6月21日火曜日

小説「月に降る雨」6

※この小説ブログは今回からタイトルを「月に降る雨」として連載を続けます。

その日は朝からひどい土砂降りの雨だった。空と稜線との境目が曖昧なグレーに溶けて、空を見上げると地球が巨大な灰色の風船の中に入ったような錯覚すら覚えた。こんなとき、世界中の鳥たちはいったいどうしているのだろう。樹々の葉陰で安穏と雨宿りできるほどの雨量ではなかった。天から垂直に降下する太く透明な槍は、容赦なく地表に突き刺さり、見る間に小さな川を道路のそこかしこにいくつも作っていった。
雨は意思を持たない龍一の背中にも無情に突き刺ささっていった。何本も、何本も。

恵比寿にある会社になんとか就職した龍一は右も左も分からないまま、毎日を必死で過ごしていた。インテリアデザインのノウハウや、業界で導入されはじめた、パソコンで設計図を描くCADの習得にも人一倍努力した。課長の鈴木孝雄はCADが導入されても、『俺はパソコンはやらないって決めたぞ』と勝手に宣言しディレクションはやるものの、図面は全て龍一に描かせた。むしろそのせいで龍一のスキルはみるみる上がっていった。孝雄のデザインと龍一の設計力で建築雑誌のデザインコンペにも入賞したこともある。
入社してまだ3年が経ったに過ぎないが、部内でも社内でも龍一は一目置かれるようになった。龍一は入社当時から自分に言い聞かせていた。この会社で安定して仕事ができる自信がついた時に、希伊と正式に一緒になろうと。プロポーズしても拒まれる理由は何も思いつかなかった。
希伊と出会ってから数年。龍一には彼女のいない日々は考えられなかったし、また、希伊にしても、龍一への思いは時に自分以上に強いのではないかと思うほど、固く結びあっていた。希伊は池袋のバイトをやめて龍一の会社のある恵比寿の飲食店で働いていた。龍一が定時に上がれて希伊が早番で夕方で終わる時は、決まって近くの店で待ち合わせをし食事をして帰った。孝雄や梅川、月地などを呼びつけて一緒に酒を飲んだこともある。二人の目の前には何も障害物がなかった、ように見えた。

『明日の関東地方は明け方から激しい豪雨になるでしょう』
テレビの天気予報を見ていた希伊は、
「しょうがないなあ」
と言ってベランダへ出て洗濯物を取り込み始めた。すでに夜の十一時を回っていた。
「バケツリレーやるか」
と言って龍一もベランダの希伊から洗濯物を受け取って部屋に積み上げる。何度目かの往復で龍一が外にいる希伊を見やると、彼女は雨雲に少し灰色がかった月明かりを、手すりにもたれてぼんやり見ていた。希伊のその後ろ姿に龍一は声をかけられないでいた。その背中は何かを強く拒否して誰も寄せつけない空気をまとっていた。一緒に住み始めて以来時折見せる希伊の頑(かたくな)な雰囲気だった。

その晩二人はいつにもまして激しく求め合った。固い背中に理由を訊きたくても訊けない龍一と、言いたくても言えない希伊の相反する感情が絡み合った。ベッドの明かりを付けて龍一は煙草をつけた。
今言わなければもう言えない気がした。
「あのさ、結婚しよっか」
龍一は満を持して言ったつもりだった。希伊から何も返答のないこわばった空気を払拭するように、龍一は馬鹿みたいに続けた。馬鹿にならないと自分が壊れそうだった。
「そして、数年後には子どもが生まれて、ここも手狭になったねとか言って、じゃあもう少し広いところに引っ越そうかなんてことになってさ、郊外のそこそこの家を探してさ、いっそのこと猫なんかも飼ったりしてね、毎日楽しく暮らすんだ。そのうち二人目の子どもなんか出来たりしちゃって...」
希伊が涙声でちいさく、しかし、強くつぶやいた。
「お願い、もう、やめて」

「こんなことに固執するわたしがおかしいのは分かってるつもりなの。リュウのことは全然大好きだし、リュウが思ってる以上に、わたしは、リュウがわたしを思ってるその百万倍好きだよ。最近のリュウを見てるとそろそろこういう話になるかなって思ってた。わたしとても嬉しいの。それは信じて。でも結婚と子どもはわたし、だめなの、どうしても。自分でも嫌になるくらいに」
希伊は降り始めた外の雨音に耳を澄ませるような表情で続けた。
「太陽が輝いてないと月も光らないよね。もし太陽が暗かったら月も真っ暗で、地球も永遠に夜のまま、朝がこない」
「地球は永遠に夜のまま」
「そう、地球は永遠に夜のまま」
「なぜなら、それは太陽が暗いから」
「そう、それは太陽が暗いから」

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2016年6月19日日曜日

誕生会79

先週フレンズLINEに18日土曜、「我らがジィジ」顧問のKanedaコーチのお誕生会をやろうと、母マネTomoちゃんから連絡が入ったんである。ハッピーバースデイなんであった。頭も体もまだまだ元気なKanedaさん。筆者とほぼ同じく、フレンズに関わりかれこれ20年である。筆者は午前中はマンションの大規模修繕の一環、来月から始まる全戸の給排水管全取っ替え工事の説明会に参加し、午後は18時ぎりぎりまで仕事であった。フレンズ御用達のいつもの居酒屋に着くと、Kanedaさんが一番乗りで一人で待っていたんである。
「なんだ、全く。主賓を待たせるなんてひどいなあ」と筆者。
「ええ〜?何よ、主賓って」
しまった。...これはKanedaさんには内緒だったんである、誕生祝いのことは。
「いやいやいやいやいや、それにしても今日は暑かったですよねえ〜」
なんて言葉を濁して、平静を装いながら腰痛の痛みをこらえて隣に座ったんである。

ずんずん、ずるずる、ずろろろろ、とフレンズメンバーが集まる。その度に「乾杯」の声が。「Kanedaさん、誕生日おめでとうございま〜す」
座は一気に飲み会へと突入。満を持してチームからKanedaさんへのサプライズプレゼント。やんややんやの拍手喝采。お年は今年79なんであるが、いまだに毎週麻生区から通ってきていただいている元気なコーチなんである。
(※写真は筆者のiPhoneとAkane母からもらったもの)


「じゃあ、もう一人は〜い、Teshimaさ〜ん」
そういえば一昨年もそうだった。
うかつにも失念していたんである、筆者もサプライズで祝っていただいたことを。今年もそうなんであった。ネーム入りのUAベースボールサックであった。UAとは「アンダーアーマー」。近年どえらい勢いで日本を席巻しているメーカーだった。元はアメリカのアメリカンフットボールが発祥のメーカー商品を日本でライセンス販売しているみたい。筆者がUAデビューするとは思わなかった。
Akane母が言った。
「Tさん、グランドにグローブとか忘れて行くでしょ。これに入れて」
「グローブよりもカメラを入れちゃうかも」
最近の子どもたちの私服のスナップ写真を撮ったりすると、10人いれば3,4人はUAのシャツを着ていたりする。
まさにサプライズ、びっくりであった。
母たち、チームのみんな、この場を借りて「ありがとう」

今度はまたもサプライズ。
Yanagisawa代表に、先日もらった川崎市スポーツ協会賞の楯と賞状を贈呈したんであった。OB母たちも駆けつけてくれて、数年前のOBSakayori母なんぞべろんべろんなんであった。当時の子たちや家庭はどうしているのかの話を聞けたのは面白かった。


iPhoneで撮ったので写りは悪い。暗い室内でもきれいに撮れる機能をAppleに是非お願いしたいものだ。最後はまたKanedaさんからの言葉をもらいしゃんしゃんしゃん。

※次回、このBLOGの「小説」シリーズは急展開を迎えることになりそうなんである。

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2016年6月16日木曜日

小説「月に降る雨」5-C

しばらくすると店の主人を連れて村井が戻って来た。年齢は龍一と村井のちょうど中間の五十前後だろうか。村井が酒を薦めるとじゃあ一杯だけと言って焼酎のストレートを頼んだ。
「初めまして、T&Dの神島です。こちらは設計部のの鈴木といいます」
「初めまして鈴木と申します」
「いらっしゃいませ、輿路です」
三人で名刺交換を済ませると、龍一はまず料理の旨さを賞賛し更に商売柄、店のデザインを評価する話をした。村井が言うにはこの店は雑誌にも載っているくらいの隠れ家的な名店なのだそうだ。
「雑誌に載ったらちっとも隠れ家でもなんでもなくなるけどね」と言って輿路も目尻を下げる。龍一も思い出した。恵比寿の焼き鳥屋のオヤジに聞いたことがある。女性誌の取材に応じて雑誌に載ったとたんにギャルが押し寄せて、一時は売り上げが伸びたのだが、それまで来てくれていた常連客があっという間に離れて行ってしまった。こんな騒がしい店は嫌だよと言われて。若い女性客は数週間もするとすぐに来なくなり、それから元の常連客が戻ってくるまで三ヶ月かかったというものだった。そんな話を三人に披露し徐々にくだけた日常の会話になってきた。
「おっ、ところで神島さんのお子さんは元気?上はもういくつだっけ」
ネクタイを緩めながら村井が訊いてきた。
「上が中学二年の男で下は小五の女の子です。息子はもうオヤジのことなんか眼中になくって、学校の友だちが生活の中心になってますね。下の子もさすがにもう五年生なもので、先日冗談半分で一緒に風呂入るかと訊いたら、すっごい顔で睨まれましたよ」
「あははは。中学生か。うちも似たようなものだったよ。もう何年も昔の話だけどね」
と村井が言えば、輿路も、
「うちの息子らはもう成人したけど、娘がいないからそのへんの感覚ってわからないんだよね」
そこから村井が龍一と恭子に向き直って続けた。
「輿路さんは地元で少女野球チームの監督をやっているんですよ。夜まで店をやって翌土曜朝には公園で練習。それをもう何年も。チームの名前はなんて言うんでしたっけ」
「宮里キューティーズ。今年で10周年なんですよ。いま母たちスタッフが毎週集まって記念誌の打合やったり、式典の段取りやったりして、それはそれは大変ですわ」
龍一は驚いた。龍一の娘も地域の少年野球チームに入って野球をやっているからだった。息子は中学の部活で野球部だ。更に村井や輿路の子どもも昔は少年野球をやっていた話になり、そこへ恭子も中学までソフトボールをやっていたことが分かって、座は子どもの野球の話で大いに盛り上がったのだった。子の親は大変だがその何倍もの感動を経験出来るのだから、苦労なんて安いものだといった話にまで及んだ。親の悲喜こもごもをさんざん見てきた輿路が言った。
「神島さんも土日はやっぱり娘さんの野球に夢中ですか」
「ええ、行ける時はがっつり楽しんでますよ。野球のあとの大人同士の飲み会がこれまた楽しくって。ただこの業界残業は多いし、土日仕事になる時も珍しくないので、グランドに行けないこともよくあるんですよ。子どもが野球やりたいって言ってるのに、親の都合で頭ごなしにダメって言えなくて。グランドについて行ってやれない時は、子どもたちやチームには申し訳ないと思ってます。それでもいいのかって訊いたら、それでも野球したいって言われて。自分が行けない時はチームのお母さんたちがみんなでうちの子をサポートしてくれるんですよ。そんなチームに子どもよりも僕のほうが惚れちゃって。だから、万一娘が野球やめるって言っても絶対やめさせませんよ。ほんとにチームには感謝です。」
輿路が言った。
「うちのキューティーズもそんな感じですよ。昔の話だけど、事情があってどうしてもグランドに顔を出せない親がいたんですが、毎週その子の送り迎えを当時のコーチが毎回車でやってくれたりして」
今度は村井が言う。
「じゃあそんな時は奥さんがグランドに行ってお茶当番とかやってるんですか」
龍一はほんのちょっと逡巡した。
「あっ、いえいえ。あれ、村井さんに言ってませんでしたっけ?実は僕バツイチというかなんと言うか、奥さんいないんです」
「えっ、聞いてないよ、ほんとに?」
村井よりも驚いた顔をしたのは恭子だった。そうか彼女もまだ知らなかったのか。社内では何人も知っていることなのだが。あえてこっちから言うことでもないし。
「そうだったんですか。お子さんが二人いらっしゃるのは孝雄さんから聞いて知ってましたが、てっきり奥さんもいらっしゃるのかと...」

恭子はそのあとの二の句が継げないでいた。
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2016年6月14日火曜日

小説「月に降る雨」5-B

「それにしてもしばらくぶりだね、神島さん」長身にスーツを着込んだ村井が柔和な笑顔を向けながら言った。
「いえいえ、こちらこそご無沙汰してまして。村井さんも相変わらずお忙しいですか」
「いやあ、そうでもないよ。私も来年は定年でね」
「えっ、もうそんなお年でしたっけ」
恭子も全然見えないですね、などとリップサービスとも本音ともつかないお愛想を言い、そんな他愛もない会話が続いた頃、村井がそろそろ暇になったかなと言って立上がり、厨房のほうへ立ち去った。

2020年東京オリンピックに向けて建設の槌音高い、晴海に林立する高層マンションの一角にその店はあった。
和食の店でどの料理もひと手間ひと工夫がほどこされており、主人のこだわりが感じられてうまかった。店内は重厚な造りで古材の柱や梁を磨き上げ、染色は一切せずにマテリアルの素材感をそのまま生かしている反面、ステンレスバイブレーション仕上げのパネルを左官の壁面に大胆に埋め込んだり、壁と壁の出隅(でずみ)で色の切り返しをしたり、間接照明とピンスポだけのメリハリのある空間造りがなされていた。恭子にもわかるように解説しながらしばらく酒と肴を楽しんだ。
「恭子ちゃん、窮屈してない?一応お客さんだからな。でもあの人年下の俺なんかにも丁寧体でしゃべってるけど、根はすごくフランクな人だから、肩の力抜いちゃっていいよ」
「楽しんでますよ、大丈夫です。素敵な方ですね。あんな方とも半分飲み友だちだなんて、神島さんがうらやましいです」
「うん。半分どころか九十七.四%くらいは年上の友だちってとこだな」
恭子が店内を見渡すと「あっ」と、ちいさな声をもらした。恭子の視線の先へ目を向けると周囲の客とはあきらかに異彩を放つ巨躯の男がいた。剃髪の坊主頭に加えその巨漢を見れば、誰しもすぐにそれとわかる老齢の有名男優だった。確か黒澤明の映画にも出てるし高倉健とも共演している。最近はほとんど見かけなくなったがその存在感のオーラはさすがだった。強面(こわもて)を売りにした性格俳優だが、その表情を盗み見ると、目が可愛らしくそのギャップに龍一は思わず相好を崩した。
「名前なんだっけ、恭子ちゃん。あの俳優」
いたずらっぽい目をして恭子が返した。
「えっ。映画好きの神島さん、どうしたんですか、あんな有名な人の名前知らないんですかあ」
恭子は絶対隠れSだな、こいつ。
「違うって。知ってるけど思い出せないだけなの。四十歳も過ぎると百年前に食べた昼飯だって思い出せないんだからさあ」
「えっ凄いっ!百年前のお昼ご飯食べたことあるんですね。だったら今四十じゃなくって百歳以上ですよね。そんなお爺さんだとは知らなかったなあ」
普段は龍一には敬語で話すのだが、酒が入ったせいか少しくだけた調子になって、ジョークにジョークで返す恭子の口調に龍一はなぜだか妙に嬉しくなった。
「あの人、相間(そうま)健ですよ」
思い出した。高倉健に憧れて芸名を本名の和紀から健にしたと雑誌で読んだことがある。連れの奇麗な二十代の女性も女優なんだろうか。先日レンタルDVDで観たスター・ウォーズのデイジー・リドリー似のセクシーな女だった。
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