2016年7月11日月曜日

大局的睥睨と特別東京都知事選挙権

このところ参院選や東京都知事選が連日マスコミの主役になっている。都知事選の候補がいろいろ取りざたされるたびに、思わず俺はこいつには絶対入れないぞ、なんて思ってしまうのだけれど、考えてみれば筆者東京都民だったのはすでに20数年も前の話であって、今はれっきとした神奈川県民なんであった。東京とその近隣県は実はいろんな意味でとても密接な関係にあって、例えば東京で働く人の、かなり多くの人は近隣県に住む住民なんである。筆者が神奈川の住民で渋谷区恵比寿に事務所を持っていた頃、東京都に対して個人事業主として「特別住民税」というのを払っていた。住むのは神奈川、仕事は東京という図式が当たり前のように頭に刷り込まれていた。これを読んでる読者の人も相当数いるはずだ。確かに一日の大半を東京で過ごし東京の恩恵に浴しているのだから、特別な住民税を払っても....。と思う反面、一日の大半を東京で過ごしていれば東京で日々金を落とし続けるわけだから、東京の経済活性化の一翼を担ってもいるわけである。朝は恵比寿駅前の自販機でサントリーのウーロン茶を買い、昼は「香月」でラーメンを食べて、夜は友人と近くの焼き鳥屋で一杯やったあと「行っちゃう?」「行こうよ!」となって地下への階段を降りると可愛い女性がいっぱいいて、なにやらいい匂いのする薄暗い店でお金を使い、挙げ句の果てに月イチで事務所の家賃がどっかんと銀行引き落としされるわけで。ならば思うのである。「特別住民税」を取るのであれば、東京で働く近隣県の住民にも「特別都知事選挙権」があっても良いのではないかと。荒唐無稽、笑止千万、片腹痛いわと一蹴されることは承知の助。

与野党問わず、芸能人有名人を担ぎ上げて民意よりもまず議席数を伸ばすことに躍起となる姿はいかにも醜い。彼らは都民国民のためではなく、まずは己の党の数字を伸ばすことを最優先しているからだ。確かに芸能人出身でもその後立派な政治家になった人も多くいるだろう。海の向こうで言えばレーガン、クリントイーストウッド、シュワルツネッガーと枚挙にいとまがない。しかし今回の都知事選候補に最近取りざたされているあの人はいったいどうしちゃったんだろうか。人がいいにもほどがある。芸能人だからダメだという論理ではない。イギリスのEU離脱に一票を投じた人が今になって後悔し、再投票を求めているていることは周知のとおり。「まさか自分の一票が」こうなるとは思わなかった、なんである。都知事選もきちんとビジョンを語れる人ならば有名無名問わず応援しても良いと思うが、有名芸能人というネームバリューだけで安易な一票を入れてはいけない。特に今回から選挙権が18歳以上と引き下げられたタイミングもあって余計に危惧しちゃうんである。
話はそれるけれど、若い頃ニューヨークへ行ったことがあり、5番街のトランプタワーも行ってみた。若いゆえにそのゴールドで埋め尽くされた建築デザインに圧倒されて、「スゲエな」と思う反面、成金趣味の極致に辟易したことを記憶している。まさかのトランプ氏の躍進とイギリスEU脱退が気持ち悪いほどリンクしちゃうのはどうしたものだろうか。今回は米国民の「民度」が問われる大統領選だと思うのは、世界中で筆者ひとりだけではないだろう。

うーん。昔からこの「晴耕雨読」では政治と宗教に関する話は書かない方針なんであるが、数百年ぶりに書いてしまった。....おまえは仙人かっつうの。

さてここは少年野球「晴耕雨読」なんであった。
午前中に参院選投票を済ませて、オンボロバイクを駆って有馬小へ。今日は東京遠征なんである。東京と言っても多摩川を橋一本渡ればそれである。京王閣の真ん前の河川敷で緑が丘ジャイアンツさんとの練習試合であった。昔は筆者恥ずかしながら「京王閣」とは結婚式場だと思っていた。「うさぎ追いし、かの山」をうさぎは美味しいと思い込む小学生低学年の子となんら差異はない。


河川敷グランドの常として、外野は草ボーボーなんである。しかし川崎と違ってさすがは東京か。内野も緑のじゅうたんなんであった。ただここの外野はある一定の距離から向こうは雑草が生い茂り段差がすごかった。このゾーンにボールが入れば瞬時に見失うこと必至なんである。段差付近でカメラを地べたに置き撮ってみた。
それはまるで「進撃の巨人」の壁か映画「メイズ・ランナー」の壁かと思うほどの鉄壁の完璧な擁壁なんであった。

フレンズが先制するも比較的シーソーゲーム的色合いが濃い展開であった。

スコアラー部長Ohmoriオヤジの提案によって、今日から母たちにもスコアの勉強兼ねてベンチ入りしてもらうことになった。昨年はそれどころではなくて、今年やっとまた再開出来た。Ohshiro、Yasuda母は意欲はあるものの小さい子がいるために断念。Watanabe母は鋭意セミナーに参加してくれた。中学のころソフトをやっていたので頼もしい限りである。

スクイズは絶対失敗してはならないのがセオリーだ。
しかし一つだけサインを無視してでもスクイズバントしてはならないケースがある。キャッチャーが捕れないような投手の暴投の時がそうだ。そんなクソボールをバントしたら空振りをとられて三塁転送されて三塁ランナーアウトの危険性があるし、また幸いにしてボールに当てられたとしても凡飛または投ゴロで最悪ゲッツーの可能性が大きいからだ。(※但し本塁とバックネットとの距離にもよる)しかし少年野球なんである。いや、少年の野球なんである。果敢にスクイズをするシーンはひとつの少年野球の醍醐味でもある。



前回の「小説」ではなく「野球」ブログでは審判のToyodaオヤジを写真でイジって遊んだ。今回も遊んでみちゃった。
二塁塁審なんであった。向こうには京王線がガタゴト。

前回は投手の前に出て来たToyodaオヤジ。今回はこともあろうに京王線まで下がりそれをまたいでしまうという暴挙に出た。しかし目の前の些少(さしょう)なことにとらわれず、大局的見地からものごとを睥睨(へいげい)して観察し判断することはとても良いことだ。
それは我々選挙民が誰に一票を投じるかにも通じるわけで(^-^)

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2016年7月9日土曜日

小説「月に降る雨」11

晴海の『輿路』で酒と料理を堪能し、村井と輿路に礼を言って店を出た龍一は、さてどうしようかと腕時計を見た。まだ十時だと言うべきか、もう十時だったと言うべきか、中途半端な時間だった。だいぶ顔が赤くなった恭子に言う。
「これからどうしよっか」
「十時かあ、まだ早いですよね」
「全然早いよな」
「全く早いですよ」
「どうしようもなく早いよね」
「とんでもなく早いね」
「今世紀最大の早さだな」
「東京ドーム十個分の早さですね」
ちょっと眉間にシワを寄せて龍一は言った。
「おしっ。今から恵比寿に戻って仕事するぞ」
そのわざとらしい言い方に次の店に行くのだなと悟った恭子も右手で敬礼しながら、
「ラジャー」
晴海からタクシーをつかまえて恵比寿へ戻り、会社のあるガーデンプレイス付近を通り過ぎ恵比寿西三丁目の小さな神社のある路地裏で降りた。こじんまりとしたコンクリート打放しビルの鉄製の階段を二階へ上がり重厚なドアを開けると、いつもの無粋な顔をしたマスターがじろりと龍一たちを一瞥して言った。
「いらっしゃいませ」
ここは龍一がひとりで年に数度しか訪れないバー「Maki」だった。直線のシンプルなカウンターには客が十数人も座れば満員となるちいさなバーで、龍一は今まで誰かと来たことはなかった。いつもひとりだった。会社の連中の誰にも教えたくないバーだったし、教えられない理由があった。カウンターに座るなり恭子が言った。
「うっわ、すごいこれ、このカウンター」
「これね。京都の西陣織りの着物の帯を敷き込んで、ウレタンクリアを5ミリ厚で流し込んで固めてね、最後に12ミリのテンパライトガラスを落とし込んでハイクリアでフィックス。このカウンターの派手さとバッティングさせないために、バックバーはオーソドックスにブロンズペンミラーを貼って、オークを少しだけオイルステインしたボトル棚だけで壁面をグリッド構成、当時はLEDなんか普及してなかったからエースラインの電球色を仕込んでね。ウィスキーのボトルとLPレコードを交互に並べるのはマスターのアイディアでさ、俺もどっさり寄付したよ。ほらあのへんのビートルズとかエルトンジョンの何枚かはそうだよ。あっそうだ、この足元の真鍮のフットバーも最後まで何ミリパイで流すか悩んでさ....」
やっと恭子が話をさえぎった。
「ちょちょ、ちょっと待って下さい。私あまり設計の専門用語言われてもまだよく分からないんですけど。いやいやそれより、『悩んだ』って言いましたよね。もしかして神島さんが設計したんですか?」
「うん。会社の連中には内緒だよ」
まだ二十代の若い頃、会社に内緒で設計を引き受けたバイト仕事だった。大学時代からの友人であるマスター真壁の依頼だった。会社のクライアントの仕事をバイトでやったら大変なことになるが、友人の依頼だったし、儲けなしでやったので龍一には罪の意識はない。当時は社内コンプライアンスなどもなく、おおらかだったこともある。
マスターの真壁は黙ってグラスを拭いていた。
「あっ、いけね、酒頼むの忘れてた。この真壁ってやつはさ、こっちから話しかけないと一切しゃべらないんだよ。俺がいつも頼む酒は百も承知なのにさ。よくドラマなんかで行きつけのバーに行くとマスターが、いつものヤツですねとかなんとか言ってさ、出て来るだろ酒が。学生のころから寡黙の真壁って有名だったんだよ。なあ、真壁」
マスターはまたじろりとこちらを向いて、
「そうだっけ」
龍一はターキーのオンザロックを、恭子はカシスソーダを頼んだ。
「あれ、もしかして平井堅になっちゃうじゃんバーボンとカシスソーダ」
「ああ、あの歌かあ。私、平井堅の歌でカシスソーダが流行ったことは全く知らなくって。普通にカシスソーダが好きで、二件目の店ははいつもこれなの。」
「へえ、そうか。じゃあ、終電までにはまだ時間があるからあと百杯はいけるね」
「う~ん、いくらなんでも百杯は無理。しいて言うなら八十三杯くらいならいけるかも」
龍一はそんなことを言いながらも、恭子は今までどんな男と終電過ぎまでカシスソーダを飲んだのだろうと腹の中で思った。そんな腹の内を見透かされないようにと気分を変え、マスターと恭子を交互に見ながら学生時代の話を始めた。

龍一と真壁は同じゼミで知り合った。とにかく無表情で無口な奴だった。当然彼に友人が出来ないのも無理はなかったのだが、龍一はそんな真壁が気になって仕方なかった。ぼそぼそ会話をするうちに真壁にとって龍一は唯一の友人となった。
恭子に向き直って言った。
「こいつさ、自分からは一切話しかけないのにね、こっちから話しかけると以外としゃべるんだ。で、大学での成績はと言うと学内でもトップクラスの秀才。俺は当時夜バイトやってたから、昼しかこいつと付き合えなかったんだけどね、ある時池袋のバイト先に客としてひょっこりやってきてさ、酒を一杯だけ飲んだあと言われたのよ、バイト終わったら一緒に飲もうって。でこいつのアパートに行って朝まで飲んだんだ。あそこ下北だっけ?ぎゅんぎゅん安酒飲んでるうちに将来どうするかって話になってさ、そしたらこの秀才は俺はバーを経営するって言い出してね。当時のこの男の成績ならどんな有名企業でも就職可能だったのにな。俺は三年になる前に中退しちゃったけどさ。なあ、真壁」
「そうだっけ」
「おい、真壁。今日は一段と口数が少ないな。寡黙な深海魚が寝言を言ってるみたいだぞ」
「そうかな」
にこりともせず真壁は続けた。
「神島、おまえは逆に今日はずいぶんと饒舌じゃないか。酔っぱらったスズメが夜中に踊ってるみたいだぞ」
「相変わらず真壁の例えはイマイチだなあ」
「おまえに言われたくないよ」
寡黙な深海魚と酔ったスズメの会話ってなんて素敵なんだろうと恭子は楽しくなった。
真壁は恭子のグラスが空になったのを見て、彼女に目を合わさず、
「もう一杯いかがですか。それとも違うのにします?」

恭子が同じものを、と言う前にすでに彼の手はカシスのボトルに伸びていた。店の中には絶妙なボリュームでビートルズのThe Long And Winding Roadが流れていた。
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2016年7月6日水曜日

小説「月に降る雨」10

忘れられるわけはなかった。希伊は龍一の気持ちは痛いほど嬉しいし、気持ちがぐらぐらと揺れた。その気持ちに素直に応えられない自分にも腹が立った。
「私を引き取ってくれて育ててくれた今の両親には感謝してるの。せめてそれくらい感謝しなきゃ私、ひととして失格だもの」
そのあと目を曇らせながら希伊は言った。
「でも....私を極秘に養子に迎えたのは父剛の憐憫の情と罪滅ぼしではなかったのよ。それも多少はあったかもしれないけど。父と母は子どもが出来ない体だったの。相当お金をかけて不妊治療したらしいけど。そこへ金沢のことは父にとって渡りに舟だった。あえて男の子ではなく、女の子をもらって将来優秀な男を選び抜いて跡継ぎを作って婿入りさせれば会社は安泰だという、人として信じられない打算があったのよ。私は道具だったのよ」
「そんな親っているか。ひどすぎるよ」
希伊は悲しみと憤りの混じった複雑な表情で続けた。
「母もある意味被害者だったかもしれない。夫から突然知らない赤ちゃんを押し付けられて、立派に育てろと言われたようなものだったろうからね。でもね母から愛情を感じたことは一度もなかった。見栄っ張りな彼女はひたすら一流の子にするためだけに私を教育したの。たっぷりとお金をかけて。でも子どもながらにそれが嫌で仕方がなかった。大人が思ってる以上に、子どもって親の背中を見てるものよ。産みの親より育ての親って言うけど、私の場合は残念ながらそうじゃなかった。何も疑問を抱かずにいたら、今頃はのうのうと親が準備した優秀な男とお見合いでもしてたんだろうな」
龍一は話を聞きながら我がことのように憤然とした。
「今の話はね、大学に進学して2年生になった時に、つまり龍一と出会う少し前に、思い切って両親と向かい合う決心をした時のことなんだ」

希伊は大学なんてもうどうでも良かった。それよりも本当の自分を知りたくてある晩永山の両親と対峙(たいじ)したのだった。高校生の時に探偵事務所を使って調べ上げた事実を告げた時の両親は驚きを隠せなかった。しかし、そのあと夜を徹して話してみると、親の化けの皮が徐々にはがれて、打算の上に自分を引き取ったことが露呈した。しまいには剛は妻を非難し妻は夫に罵声を浴びせた。妻はもはや希伊のことよりも、今までの剛の数々の女関係を暴露しはじめた。
それを断ち切るように最後に希伊は無感情な顔で言った。
「お父さんお母さん。お父さんお母さんって呼ぶのはこれで最後になると思うけど。いままで私を育ててくれてありがとうございました。それだけは感謝します。でももう耐えられない」
一気に階段を駆け上がった。自分の部屋に飛び込みベッドに倒れ込むと、壊れそうになる心を必死でつなぎ止めた。涙が止まらなかった。
三日後に希伊は大学に退学届を出し、永山の親には一切自分を捜さないように言いおいて家を出た。住み慣れた閑静な自由が丘の豪邸とは真反対のイメージの池袋へ向かった。西口の商店街にある小さな不動産屋のドアを開けた。
「保証人のいらない安いアパートはありませんか?」
ワンルームの部屋を手に入れた希伊は、今までの自分を捨てて、これからの自分を見つけて行こうと心を新たにした。そして一週間後に見つけたアルバイト先で龍一と出会ったのだった。

だいぶ時間が経った。天は雨の勢いを衰えさせるつもりは毛頭ないようだ。隣ではすべてを吐露し安心したのか、すでに希伊は寝息をたてていた。
まだ眠れないでいる龍一の頭にはある映像が浮かんでいた。希伊が灰色の月面に独り佇み、暗い太陽と黒い地球を呆然と眺めている。希伊の顔には淋し気な雨が静かに降りそそいでいる。
次第に泥のような睡魔に襲われた。龍一は眠った。車にひかれて轢死した猫のように。

明け方になったのだろうか。龍一は薄明るくなった窓のほうを見やると幾分雨脚は弱くなったように思えた。何か言いようのない空疎な感覚があった。歯ブラシ立てにさしてある二本の歯ブラシの一本が、ある日突然紛失してしまったみたいに。横にいるはずの希伊がいなかった。先に起きたのだろうか。嫌な予感がした。がばりと跳ね起きた龍一が目にしたものは、枕元に置かれた希伊の短い書き置きだった。
『リュウ、ほんとうにごめんね。いつかまたその日がきたら逢いたいよ』
「ばかやろう!」
靴をはくことすらもどかしく、すぐに外に飛び出した。雨天の日曜早朝。景色は灰色に霞んでいる。ほとんど人通りのない路上を雨に打たれながら駆け回った。もう無駄だと知りつつも龍一は走った。すでに自分がどこにいるのかすら分からなくなっていた。息を切らせて舗道に立ちすくみ、深い井戸を覗き込むようにがくりと膝をついた。
「ばかやろう!」

龍一はすでに意思を持つことを放棄した。背中にはまた激しくなってきた無数の雨が突き刺さっていた。昨晩寝入りばなに見た月にいる希伊の映像と、今の自分が重なった。
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2016年7月4日月曜日

ふにふにしゅわ〜の快感

「向ヶ丘サンダースって選手何人いるか知ってる?」と筆者。
「えっ?何人だろう...」
「36人だよ」
「さすがあ、そんなにいるんだあ〜」
「『3ダース』だけに36人、....なんちゃって」
..............。歴代父母たちはケタケタ笑ってくれた。
この筆者の必殺の「昭和オヤジギャグ」炸裂は今は昔。かつてフレンズでは何代にも渡って父母たちに言い伝えてきたギャグの伝道師なんであったが、今年は一度も使ってないことに気づいた。今日、ひっそりと誰かに言えば良かったと反省しきりなんであった。
というわけで今日日曜はサンダースと練習試合、合同練習なんである。

フレンズ審判団は主審Kumadaコーチ、二塁Toyodaオヤジ、三塁Yasudaオヤジなんであった。試合前にToyodaオヤジが言った。「あっ、そー言えばこの間のブログに書いてた話、Teshimaさんちでお孫さんが来て、カーペットはがしたり、布団を窓から放り投げたりしたそーですけど、大丈夫だったんですか?」と真顔で訊かれたんである。「えっ!アレ、ジョークだよ。大げさに描くのが「晴耕雨読」じゃん」「なんだ、そーだったんっすか」
恐ろしいことである。筆者はジョークと分かってくれるはずだと思って書いても、案外真面目にとらまえてくれちゃったりされることもあるんだなあと、思いを新たにして楽しくなった。そういえばブラジルワールドカップの年に書いたブログで、私がブラジルへ弾丸ツアーで観戦しに行ったと書いたジョークがあったが、これもあとでKaneda顧問が本気にしていたと分かって大笑いしちゃったこともあった。
Y.Kaitoはまだ2年生である。入部してすぐから毎週熱心に父母ともにフレンズへ来てすぐにチームとも打ち解けてくれて実に頼もしいYasuda夫妻なんである。因にYasuda母も、フレンズ母美女軍団史の1ページにその名を刻むほどの長身のスレンダー美女なんである。

試合はSがSakaiくん、FはShohmaの先発。初回からサンダース軍団は猛打爆発、5本の長
短打で4点先制す。監督は名将Matsuiさんから受け継いだTakeshimaさん。

3回終了時にちょっとスプリンクラー。

久々にAdobePhotoshopでイタズラをしてみた。
これオリジナル写真。ShohmaとToyodaオヤジ。

オヤジ瞬間移動で消える。悟空の瞬間移動みたいに。

Toyoken、おいおい、ピッチャーの前まで塁審が出ていっちゃダメじゃん。

試合はサンダースの圧勝。中でも3番キャッチャーKuramaeくんは圧巻であった。安打製造機とは彼のこと。力のこもったきれいな弧を描き長打を連発。ベンチのKakenoオヤジが言った。「Fにもあんな子が欲しいなあ」スコアラーをやっていた筆者、「うちとあの子をトレードしたら、Kuramaeくん一人で、うちは5人交換だな」そしたら「いやあ、うち、5人じゃあ済まないっしょ」
確かに。他にも素晴らしい選手がいっぱいいたサンダースだった。
フレンズでは夏になると母たちが試合中子どもらの首筋に水のスプレーをシューシューする。あれはまこと気持ちいいんである。体験した人ならお分かりだろう。しかし後ろから何の予告も無しにやられるとこれはめっちゃびっくりするんである。一瞬心臓が止まるかと思うほどなのだ。老齢のコーチにやる時は心してやらねばならぬ。昔、木更津の合宿などではスプレーではなく、冷水を絞ったタオルを面白半分に母たちからさんざんやられたけれど、一瞬「ぬおっ!?」となるが次に「ふにふにしゅわ〜」と気持ちよくなるんであった。真夏の冷たいビールの一口目と同じ快感なんである。

サンダースカメラマンTakahashiさんもセンター外野席からCanonのキャノン砲を構えてのロングショットを撮る。この人も何十年も宮前の少年野球を撮り続ける第一人者である。

試合は終盤Fの打線が繋がりかろうじて1点を返したものの、8:1でサンダース。
試合後は合同練習。実はサンダース、菅生小ドームが建て替えで相当期間グランドが使えないのだった。遊牧民のように流浪(るろう)の民となるサンダース。これから数年間は宮前の他のチームでも同じような建て替え話が出て、明日は我が身となることになるかもしれない。映画「ダンス・ウィズ・ウルブス」のケビン・コスナーのように。あるいはテレ朝「タモリ倶楽部」のロケのように。宮前のチームみんなで協力しあってグランドの貸し借りをうまく共有しあおう。

外野ノックの時に太陽でボールが見にくいことってありませんか?あるよねえ〜。そんな時にコーチはどう指導するんだろうか。筆者は野球経験者ではないが、少年野球コーチとしては何度も外野フライを取ってきた経験から一家言は持っている。

おっ!アレはなんだ?鳥か?飛行機か?

えっ?どこどこ?
飛んでいるのはスーパーマンではない。(※古い人ならワカリマスね?)

ノックの最後はF、Itoh監督のキャッチャーフライノック。
盛大にセンター方向へスペースシャトルを打ち上げていた。バックネット方向ではなく。
こっちを振り向いたItohくん「Tさん、写真撮らないでよ〜」
芸人の熱湯風呂における「押すなよ押すなよ」と同じ「フリ」と解釈した筆者、たっぷりと撮ってやったぞ。(^-^)
キャッチャーKuramaeくんが最後にダイビングキャッチを見せて終了。両チームから拍手喝采だった。

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2016年6月30日木曜日

小説「月に降る雨」9

所長が長い話を終えると彼もまた言い得ぬ疲労感を覚えた。希伊は気丈に言った。
「父は...、いえ、永山剛はその後どうしたんですか」
「乳児院へ行ってまだ生後二ヶ月に満たない女児を里親として引き取ったんです。その後東京で正式に養子にして、法的にはちゃんとした親子の関係になりました」
希伊は全てを理解した。長年胸の奥に沈んでいた冷たく重い氷がやっと溶け出すのを感じた。
「いろいろとありがとうございました」
「いえ、まだ少し調査しきれていない部分もあってここで調査を打ち切ることは本意ではないんですが。もし良かったらお母さんの、あ、いえ、あなたの実母の氷室さんの追跡調査をさせてもらえませんか」
顧客に対する言葉からひとりの女子高生に対する言葉に変えて所長は続けた。
「これは例外中の例外だけどね、お金は要らないよ。そのかわり仕事の合間にしか出来ないので時間はたっぷりかかると思うけどね」
希伊は恐縮して言った。
「ありがとうございます。お任せします。でも私はもう大丈夫です」
席を立ち上がった希伊の背中に所長が言った。
「永山さん、報告書まだ見てないよね。ちょっとその2ページ目を見てごらん」
希伊が怪訝そうにページを繰ってみた。
「お父さんの名前が書いてあるでしょ。氷室伊三郎って。その横に妻の名前が、つまりあなたのお母さんの名前が書いてあるから見てごらん」
ワープロで印字された母の名前を見て希伊の瞼(まぶた)は一瞬で熱を帯び、みるみる大粒の涙が頬を伝い落ちた。
氷室伊三郎の横に記載された名前は氷室希沙子。ふたりの名前の一文字ずつを取って、女の子の名前を「希伊」にしたのだった。

希伊はやっと全てを語り終えた。
「自分が何者かときどき分からなくなる時があるの。両親は育ての親であって本当は他人だった。本当の両親はもうこの世にいないなんて。青臭い言い方だけど、自分はいったいどこから来てどこへ行くんだろうって。独りきりになった時には最悪。もっと最悪な時はね、独りで夜、月を眺めてるとき。自分があの灰色の月にひとりぼっちで置き去りにされたような気になるのよ」
普段は気さくで明るい希伊だが、それは自分の心の闇を糊塗(こと)するために、己を偽って明るく振る舞っていたのだと、龍一は思い至った。
「こんな自分が結婚したり子どもをもうけたりすることに、どうしても違和感を感じるのよ。考え過ぎだと思うよ。自分でも笑っちゃうくらいにね。でもどうしても自分の存在を自分で確認しないうちは、一歩も前に進めないもう一人の私がいるの」

話を聞き終えた龍一は希伊にかける言葉を慎重に選んだ。心の中でいくつもの言葉が溢れるように湧いては消え消えては湧き上がった。最良の言葉を選ぼうとするあまり、結局混沌の渦に足をとられてなんと声をかけていいのかわからなかった。迷った末に言葉ではなく無言のうちに自然と体が動いた。希伊の小柄な体をしっかりと抱きしめるしかなかった。
いつまでそうしていたのだろう。外の雨脚がいっそう激しくなってきた。やっと龍一が口を開いた。
「俺は、今ここにいる希伊のことが好きなんだ。昔のおまえじゃないし、未来の希伊じゃない、今ここにいる希伊がいいんだ。昨日までのことは忘れて今日から俺と一緒に歩いていけばいい」
言いながらすぐに龍一は、ひとつ言葉を間違えたことに気がついた。希伊が言った。
「昨日までのことは忘れて?」

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2016年6月28日火曜日

小説「月に降る雨」8

龍一は希伊の話を静かに聞いていた。窓の外から聞こえて来る雨音は次第に大きくなってきた。細く開けていたガラス窓を閉め切るためにベッドを抜けて立ち上がった。
「希伊、寒くないか」
「うん大丈夫。早くこっちに戻って」
「わかった」
龍一がベッドに戻ると希伊は高校時代に探偵から聞かされた事実を淡々と続けた。

探偵事務所の所長はぬるくなったお茶を口にした。
「永山さん、大丈夫?」
「はい、平気です。続けて下さい」
希伊は言葉とは裏腹に表情は固かった。所長は続けた。
「いろいろ複雑にからんでいて、金沢まで行ってきました。公的機関の個人情報を調査するには限界があってね。その調査報告書には書いてないけど、私の話は多少は想像と類推も含まれているけどそれでもいいかい」
「構いません、お願いします」

金沢の小さな工務店にとっては、東京資本のようなチェーン店の物件は大きな仕事だった。若くして会社を興した氷室伊三郎は、懸命に頑張ってきたものの、経営状況は決して良くなかった。この工事が終わり入金があれば多少ひと息つけるかもしれないと考えて、実直にひたむきに仕事をした。病気がちな妻を元気づけるためにもどんなにきつい徹夜もいとわなかった。しかし理不尽な理由で入金はほとんどなかった。元来馬鹿がつくほど生真面目な性格の伊三郎は崖っぷちに立たされ、眠れない夜を過ごした。それからしばらくして伊三郎は自動車事故で死んだ。夜間ひと気のない山道で急ハンドルを切って転落死したのだった。しかし妻への遺書には真実が書かれてあった。本当は事故に見せかけた自殺だった。保険金で借金をなんとか凌いで病気治療にも当ててほしいと。どうかきみには幸せになってほしいと。そしてこんな男と一緒になった妻への謝罪の言葉が書き綴られてあった。最後の数行は文字が滲んでいた。
しかし保険契約の免責期間がまだ経過していない上に、非情にも保険会社の徹底した調査によって借金返済目的の自殺と判明し保険金はおりなかった。妻も途方に暮れて伊三郎のあとを追うことも何度も考えた。しかしそれが出来ない理由がひとつだけあった。彼女は伊三郎の子を妊娠していたのだった。伊三郎が亡くなってから分かったことだ。もし新しい命が宿ったことを知っていたら伊三郎は自殺を思いとどまったかもしれない。妻は産むことを決心した。

「このへんの調査は少し曖昧なんですが」と所長は希伊に向かって続けた。
永山剛が金沢を訪ねたのは伊三郎が亡くなってだいぶ経ってからだった。
剛は伊三郎の妻に面会を求めて会いに行った。質素なマンションの一室に置かれた遺影を前に、剛はあの時伊三郎を無下に追い返したことを悔やんだ。思いあまって青い顔をした伊三郎の妻に全てを話した。反対に彼女が重篤な病に冒されており、更に妊娠していることも知らされたのだった。
剛はその帰路、全ての責任をとろうと決心した。東京に戻ってからも何度も連絡を入れ、更に幾度か金沢に足も運んだ。剛は生活費から医療費に至るまで金銭的な援助を申し出たのだが、妻は頑として受け入れなかった。それでは伊三郎に顔向けが出来ないと。間接的とはいえ夫を自殺に追い込んだ人のお情けにすがり、妾同然のようなことはできない、そこまで私は落ちぶれてはいないと強く拒んだ。しかし、身寄りがない者同士の結婚だったために、頼りになる親類縁者はほとんどいなかった。
伊三郎が亡くなって行政の生活保護を受けながら八ヶ月が過ぎ、ちいさいけれど元気な女の子が産まれた。しかしほどなくして母は病が急変し入院することになる。その間やむなく地元の乳児院に預けることになった。
「絶対また迎えに来るからね。それまでいい子にしていてね。約束だよ」


しかしその後母は、ちいさな子と交わしたその約束を果たすことはできなかった。


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